反撃
上司が机を叩いた。音が一瞬、壁に反響した。
「あのね、そんなのはうちじゃ普通なの。世間ではそれを『甘え』というんですよ。この根性ナシが…」
正木を上司が睨みつける。それを見た福寿の目が鋭くなった。
「普通?では、普通の基準とは何でしょうか」
福寿が言葉を返す。わずかに声が低くなった。
「よろしいですか?問題は、普通かどうかではありません。それらが労働者の健康を著しく害し、法令および安全配慮義務に違反しているかどうかです」
人事担当が小さく咳払いをした。わずかながら表情に焦りが見える。
「いや…まぁ、これは指導の一環でもありまして…本人に進歩してもらいたいという思いからなので…」
「なるほど。では、成長のためであれば、御社では医師の指示を無視する、という理解でよろしいですか?」
福寿が更に詰める。
「また、『給料泥棒』という発言についてもうかがいます」
電話で録音された会話を文章化した資料を指で示す。
「これは、療養中の労働者に対して、極めて不適切な圧力です。到底看過できるものではありません」
福寿の口調は変わらず冷静だが、強くなっていた。室内の空気に、さらに緊張感が走る。踏ん反り返り、正木を睨み続けていた上司の視線が、下を向いたままだった。
正木は、その様子を見ていた。
[今までの強い調子は何だったのか。僕は、虐げられてきたのか…]
正木に対する上司の絶対的な権力は、ここでは通用せず、福寿も一切動じない。
「本件において、申請人側として会社側へ以下を求めます」
福寿が、ファイルから用紙を取り出し、読み上げる。
[◯療養期間中の不利益な取扱いの禁止]
[◯未払い残業代の精算]
[◯今後の適正な労働時間管理の確約]
[◯人権に配慮した労務環境の実現]
「以上の四点です」
人事担当が額に手を当て、深く息を吐く。お手上げといった表情だった。
「申し訳ありませんが、即答は出来かねます。一度、社に持ち帰りませんと…」
福寿は隣にいる正木を見た。正木も福寿に目を合わせ、小さく頷いた。
「承知しました。では、可能な限りの迅速な対応を求めます」
「あのなぁ、こんなのうちでは普通なんだよ」
上司が捨て台詞を吐いた。
「いいえ。それ、普通じゃありませんから」
福寿は上司にペンを向け、言い切った。その強い目に、上司は視線を逸らさざるを得なかった。
あっせん委員が場をまとめる。
「それでは、本日はここまでとしたいと思いますが、よろしいでしょうか」
正木がゆっくり手を挙げた。福寿が少し驚いた目をしている。
「最後に、一つだけ」
正木が立ち上がり、口を開いた。




