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次の手

「少しずつ整理していきましょう」


 画面を正木の方へ向ける。


「勤務時間、給与明細、会社からの連絡履歴。仕事中に言われた事など、思い出せる範囲で全部教えて欲しいの」


 正木は戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。


「そんなもの…意味あるんですか」


「もちろんよ。感覚じゃなくて、事実で話すために必要なことなのよ」


 キーボードを打つ音が、静かに部屋に響く。


「それから、今後会社から連絡が来たら必ず記録して。電話は録音。できればスピーカーで。メール等は消さないこと」


 一つ一つ、淡々と確認していく。その姿は、どこか戦いの準備のようだった。


「福寿さん…」


 正木が俯きながら、消えそうな声で話す。


「僕…怖いです」


 福寿は少しだけ視線を和らげる。


「分かるわ。それが普通」

 

 そして、静かに続けた。


「正木さん。それは、あなたが悪いからじゃないの。そう思わされているだけ。悪質な企業ほど、そうやって真面目な人を追い詰めていくのがやり方なのよ」


 正木は少しずつ、これまで自分が置かれていた環境の異常さに気づき始めていた。


 翌日も、会社からの電話が朝から来ていた。正木は福寿のアドバイス通りに録音し、時間をノートに記録する。


「お前、クビになりてぇのか。お前のせいで皆に迷惑かかってんだよ」


「申し訳ありませんが、出社は出来ません…」


 そう言って、正木は電話を切った。程なくして福寿が到着した。早速録音された通話内容を確認する。


 福寿の目が鋭くなり、唇をかみしめていた。


 静かにノートパソコンを開く。


「では、振り返りましょう。これまでの長時間労働、休日出勤の常態化、そして診断書提出後の出社強要。それに加えて、今の発言…これはもう、お願いの段階じゃない。明らかに常軌を逸しているわ」


 正木はゆっくりと頷いた。


「でも福寿さん…いつまで僕は会社とやり取りすれば…もう限界です…」


 正木の声はほとんど消えそうになっていた。隣で聞いている母親も、ハンカチで鼻の下を押さえている。


「他に手段はないのでしょうか」


 母親が福寿に尋ねる。


「労働局の『あっせん』を使います」


「あっせん…?」


「あっせんというのは、簡単に言うと、第三者を入れて話し合いをする制度です。裁判ほど大袈裟ではありませんが、会社側も無視できない正式な手続きです。長時間労働や安全配慮義務違反、パワハラ的な指導について、事実に基づいて主張できます」


 正木の表情に、わずかな不安が浮かんだ。


「そんなことしたら……僕は会社にいられなくなりますよね」


 福寿は即座に首を振った。


「でも、もう既にダウンしたでしょう。使うだけ使って体を壊して、使えなくなったら捨てる。それがやり方よね?」

 

正木は小さく頷いた。


「これは『戦う』というより、あなたを正しい場所に戻すための手続きなの。休むことも、治療することも、本来は当たり前の権利よ」


 その言葉に、正木の視線が少し揺れた。


「権利…」


 これまで一度も、自分にそんなものがあると考えたことはなかった。


「手続きの段取りは私がするから、心配しないで。このあっせんでは、私はあなたの代理人になれるの。会社側と直接相対して、資料を提示して話し合いを進められるわ」


「代理?でも、以前、社労士に代理行為は出来ないって…」


 正木の顔が曇る。


 福寿は静かに微笑み、名刺を指差した。


「私の名刺、もう一度見て」



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