74 悔泣のエレーナ・レーデン
どうして彼女がここにいる。
ミアの中にはそれだけが溢れた。
戦場になんて連れて行きたくない。だから関係を切り捨てた。
思いが伝わらなかったのか。
それとも、新手の嫌がらせか。
だとしたら覿面だ。困惑と、遅れて不安がやってくる。
「ミア、だよね……? その髪……」
「えっ?」
ミアは無造作に崩れた髪をひと房掴み、気付く。
模造聖剣の【砕魔結界】によって変装が解け、生来の銀髪が晒されていることに。
「ッ!! ちがっ、クレア、これは……!」
どうする、どうする、どうする。
すぐに偽装し直すか、それとも言いくるめるか、どう言いくるめようか、別人のふりをするか、でも答えてしまったから駄目だ。
様々な考えがミアの中を駆け巡り、ハッとする。
「あの男、は……」
クレアの乱入により弾き飛ばされた男。
彼は既に立ち上がり、2人へと歩いていた。
「……まさか」
ガラニカが口を開く。
遅れてクレアが槌を構え直す。
しかし彼が襲い掛かってくることはない。
その顔には、先ほどクレアを認識した瞬間の驚愕がそのまま残っていた。
「ジュニカ、か?」
聞いたことのない単語に、ミアとクレアが首を傾げる。
人名か称号か、はたまた地名か。
とにかく初めて聞く固有名詞らしきもの。
反応できるわけもない。
推理する要素があるとすれば、ガラニカの目がずっとクレアにだけ向けられていることだろう。
「まさか、本当に……」
「え、誰?」
当然というべきか、クレアは困惑している。
初対面の、自分が槌を叩きつけた男から、知らない単語を発せられているのだ。
ミアのことも気になるが、目の前の不審者の対処をするしかない。
ガラニカに敵意は感じられない。
持っていた剣は捨てられ、丸腰で、クレアの顔を確認しようと近付いている。
それもすぐに止まり、確信を持った声で言い放った。
「生きてたのか、ジュニカ……俺だ、ガラニカだ。兄を忘れたか?」
ミアははしたなくも「はぁ!?」と声を上げた。
「だ、誰なの! あなたなんて知らない!」
「何言ってやがる! 確かにお前はまだチビだったが、間違いなく――」
クレアが本心から戸惑い、否定していることをミアは察する。
人違い、のはずだ。
だが、見れば見るほど、気付く。
クレアとガラニカの髪は、どちらも赤毛。
瞳の色も同じ。
確かに隣に並び立って兄妹だと言われれば、信じるだろう。
「クレア、下がって」
徐々に寄ってくるガラニカから立ちふさがるように、ミアが間に入る。
指先はいつでも動かせる。大した抵抗ができるとは思えないが、魔法も魔力剣もいつでも出せるようにした。
「もうテメェにゃ用は無ぇ。どけ」
「さっきから何を言ってるのか知らないけど、この子はクレア・プレトリア。人違いなら他所でやってくれるかしら」
相対してから初めて、ガラニカが敵意を剝き出しにした。
研ぎ澄まされた殺気ではない。多少の粘りを含んだ怒気だ。
並みの人間ならば、泣いて許しを請う気配。
しかし幾つもの修羅場を潜り抜けてきたミアには通じない。
一層クレアを守るように、小さな体を緩みなく立たせ続ける。
冗談では済まない緊迫した雰囲。
クレアは少なくない勇気をもって、口を開く。
「あ、あなたは誰なの……? どうして、私を知ってるみたいに言うの?」
「ジュニカ……記憶がないのか?」
ガラニカに妹だと言われ続けたクレアは、とうとう首を縦に振ることはない。
彼女からしても、初対面の相手にこのようなことを言われる謂れはない。
ついに「そうか」とガラニカが目を閉じた時には、戦闘の空気は霧散していた。
「帰る。興が削がれちまった」
つい先ほど大槌で吹き飛ばされたとは思えないほどしっかりとした足取りで、どこかへと歩き出す。
その背に攻撃することも、今の言いがかりはなんだったのかと問うことも許されないまま、あっけなく『戦の国』の王は去っていった。
ここは連邦領だが、彼ほどの者に追手を差し向けても無駄である。
ガラニカは悠々と敵国領に侵入し、悠々と帰った。
「…………はぁー……」
緊張の糸が切れ、どちらからともなく息を吐く。
ミアもクレアも、再会に言いたいことは尽きない。
しかしガラニカの乱心のような心変わりと言動に、どちらも言葉を失っていた。
「(どう言い訳しようかしら)」
現在進行形で、ミアは本来の銀髪と赤目を晒している。
もう適当な嘘でもいいから、切り上げたかった。
その嘘ですら、ミアにとっては心苦しい。
またひとつ、クレアに不誠実になってしまう。
「(もういい加減……)」
ふと、エジェノ・クエノ――リックス少年の顔が浮かぶ。
あの人間のように、すべてを明かせたなら。そう思ってしまい、頭を振って払う。
「クレア、向こうを向いてて」
「えっ?」
「いいから」
無理やり後ろを向かせ、すぐに変装を施す。
あっという間に亜麻色の髪に灰色の目が出来上がった。
「もういいわよ」
「うん……あ、ミアだ」
「それで、どうしてここにいるの?」
「……さっきの髪は」
「聞いてるのはこっちよ」
とりあえず話題を逸らす。
追及する利はこちらにあると思ったミアは、タジタジになって言い訳するクレアの姿を想像したが、赤毛少女は沈黙した。
「……クレア?」
「とりあえず、街道に戻ろっか。みんな心配してるし、リーパー怪我してるし」
「え? ええ……」
クレアもまた、混乱の中にあった。
自身を妹と呼んだ男もそうだが、大好きな相手が無事な姿を見ると言葉が無かった。
どれだけ責められても頑として主張してやろうと思っていた決意はどこへやら。今一度、思いを言葉にするための時間を要したのだ。
この場でのやりとりはせず、戻って仲間と合流して、落ち着いてから話す。
互いにそうなると思っていた2人は、すぐにまた新たな問題に直面することになる。
□□□□□
時は少しだけ遡り、クレアが街道から森に入った瞬間。
気絶したリーパーを介抱するパルラス、ラル、キラミルの3人は、クレアの後を追って森に引き返そうとするスーヤが倒れたのを見た。
操り人形の糸がすべて切られたように、受け身もなにもなく、ただその場に崩れ落ちる。
呻き声のひとつもあげないスーヤを心配して駆け寄ったキラミルとラルは、彼女を揺さぶり声をかけるが、反応は無い。
やがてキラミルがスーヤの小さな体を抱えると、息をのんだ。
「……息を、していない……」
ラルは驚き、医療班で培ったにわか仕込みの生存確認をする。
口と鼻の前に手を置き、開かれたままの瞳を見る。
同性のキラミルに心音を確認させたが、やはり動いていなかった。
「ふざけるな! さっきまで普通に……!」
教師の目が絶望に揺れる。
保護者として学園を出てから常に共にいた。
死と隣り合わせの戦場で肩を並べた。
生還の見込みが極めて低い状況から生きて帰った。
ただの生徒ではなく、苦楽を共にした仲間の突然の死を、キラミルは受け入れられない。
敵に襲われたわけでもない。病に侵されたわけでもない。ただ突然死んだ。
「(魔法攻撃を受けた? 言わなかっただけで病を患っていた……? わからん……どうして……!)」
リーパーに膝枕をしていたパルラスも、異変に気付き困惑する。
すぐ近くではミアとクレアが敵の総大将と相対しているというのに、こちらでも問題が発生したのだ。
2人を待つ間に、一息つくことすらできない。
「やはり、停止していましたか」
混乱がピークに達しようとする中、ひとりの女の声が静かに通る。
全員が声の主を向き、警戒した。
そこにいるのは、一言で言えば地味な女性だった。
肩口まで短く切り揃えた黒髪に、同じく一直線にそろえた前髪から覗く、そばかすの顔。
彼女の身元を推察できるとすれば、魔法使いらしい黒いローブに身を包んでいることだ。
「その意匠は、『教の国』の……? って、あなた! 『拳の国』の人間じゃない!」
パルラスは商人として、だいたいの国の特徴や名産品、そして衣装の区別がつく。
魔法使いはほとんどが自ら貴き血であることを証明するために黒いローブを愛用するが、国や身分ごとに微妙に違う。
女性のものは、『教の国』の高い身分のそれであった。
「おや、この顔を覚えている者がいるとは意外でした」
「自慢じゃないけれど、商人は一度見た人の顔は忘れないのよ」
女性も自らを地味と評しているのか、それとも敢えて記憶に残らないようにしているのか。覚えにくい部類ではあった。
しかしパルラスは自慢の特技によって、覚えている。
彼女は勇魔大会で、当時の『拳の国』の国家元首ウェンユェ・シンウーの傍らに控えていた従者だった。
しかも、遠くを見ることのできる窓を召喚する魔法使いだ。
あの時はウェンユェと同じく赤い民族衣装を纏っていたが、それが黒いローブに変わるだけで別人に見えてしまう。
「私はあなた方の敵ではありません。改めまして、私は『教の国』魔法協会会長であらせられるクオノ・ルーニャ様の補佐をしております、ジェーン・ゴッドアイと申します」
華麗な所作で頭を下げるジェーンと名乗った女性は、続けて申し出る。
「この度、クオノ様のご息女スーヤ様に異常事態が起きたことを検知したため、参りました次第です。よろしければ、スーヤ様の身柄をこちらにお引渡し願います」
ジェーンの要求は、混乱の中で通った。
スーヤはどうなっている、何故場所が分かった、何故すぐに現れた。
聞きたいことを聞く間もなく、ジェーンはスーヤの体をキラミルから取り上げた。
キラミルも抵抗しない。
息絶えた生徒を回収する、その生徒の関係者の言葉。逆らおうなどとは思えなかった。
「それでは、失礼いたします。今までスーヤ様がお世話になりました。ミア様にはスーヤ様を支えてくださりありがとうございました、とお伝えください」
そうして、ジェーンは去る。
ここは街道のど真ん中だが、足はどうするのか。
それを聞けるほど空気の読めない者は、ここにはいなかった。
そしてやがて、ミアとクレアが戻ってくる。
ミアは真っ先にスーヤがいないと尋ねた。
「スーヤ・ルーニャは……死んだ……」
開口一番、キラミルにはそれしか言えなかった。
「どういうことなの!?」
ミアだけでなく、クレアも語気を荒める。
スーヤと学園でもっとも親しかったのはミアだが、次に親しかったのはクレアだ。
そんな2人が疑問に怒りを混じらせるのは当然だ。
「戻って来たスーヤ先輩が、いきなり倒れたんだよ。で、確認したら……死んでたんだ」
まだラルは冷静に説明できた。
ミアも突然の再会に思わず追及を緩める。
「ラル……久しぶりね」
「そっちもな。無事でよかった」
「それで、スーヤはどうして死んだの? 死体は?」
「何でかは分からねぇ。けど、直後に『教の国』の人が来て、持っていった。多分、国に連れ帰ったんじゃねぇかな……」
「はぁ?」
ミアは先ほどラルたちも浮かべた疑問を言葉に出してぶつけるが、答えられる者はいなかった。
「どうして……」
結果、全員が分からずじまい。
キラミルが「お前たちこそ、よく無事だったな」と2人に言えば、これまたよく分からないことを返され、場はますます混乱した。
それを切り裂くように、ミアたちのもとに兵士の一団が駆けつけてくる。
共にいたのはリックスだった。
「無事だったか。なによりだ。奴は?」
問われたミアは、ありのまま答える。「帰った」と。
「ふむ……そうか。ここで立ち往生もないだろう。『布の国』に向かうぞ」
そうかの一言で流すリックスは、少年の見た目にまったく似ない落ち着きを見せている。
これが年の功だろうか。とミアは気を紛らわすように内心で呟いた。
□□□□□
「さて、無事ガラニカ・カンカリオを撃退できたことだが、君はこれからどうする?」
彼はエジェノ・クエノ――いや、本来の彼を隠さないでいられる時間が欲しかったのだろうか。
ミアは例によってリックスと馬車で2人だけにされた。
「どうする、って……」
「ガラニカに訊きたいことは訊けたか?」
「……少しだけ、ね」
ガラニカ本人が言っていた、彼に何もかもを教えた者がいると。
それが何者なのかという肝心な部分は、いまだ知れていないが。
「ならばまた奴を追うかい? それとも、さっき言ってたスーヤ・ルーニャが気になるかい? それとも……すべて投げ出して帰る?」
ミアはしばし考え込んだ。
ガラニカを追い、また相対してさらに追及する。
これは本来の目的でもあったし、クレアを妹と呼んだことも気になる。
明らかに普通じゃないスーヤのことを調べる。
このような事態でなければ、真っ先にしていただろう。
原因不明の死、すぐに元『拳の国』の人間、持ち帰られた遺体。
そしてスーヤの母親は、目の前の彼と血を分けた、【憑依】の使い手。
なにもかもが怪しすぎる。
全部投げ出して大陸残滓に帰るのは、ここまで来てしまった。流石にできない。
「…………」
リックスは無言で茶を飲み、ミアの邪魔をしない。
やがて、ミアは結論を出した。
「ガラニカを追うわ。スーヤは……」
「死んでしまった。か……死者よりも生きている方を追うのは、賢いよ」
「…………」
そんなつもりで言ったわけではなかったが、ミアは反論できなかった。
結局、優先順位をつけたのだ。
死んだスーヤより、自分や、もしかしたらクレアに関係あるガラニカを追うことを優先した。
彼は最前線に来ている。居場所が分かれば、また相対するまでそう時間はかからないはず。
冷たい、とミアは自嘲した。
あれだけ共に過ごしておいて、死んだらポイか。
時に肩を並べ、時に縋ってきた彼女が死んでも、自分優先か。
うるさい。そうだ。そうとも。
自分は冷血だ。どうしようもない奴だ。
彼女が死んだところで、自分の目的は変わらない。
「……使いたまえ」
「えっ……?」
「ドレスが濡れる」
差し出されたハンカチを見て、ミアは自分が泣いていることに気付いた。
「え、あ、あぁぁ、ああぁぁぁぁぁぁ……!」
実感は、遅れてやってきていた。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁ……! ああああぁぁぁぁぁぁっ……!!」
省みる余裕が無かった。
焦って、分からなくて、その上さらに問題は重なった。
思い通りにならず、友の命を奪われた。
クレアに何故ここまで来たのかすら訊けていない。
封印から目覚めて、もう何年も過ぎた。
1000年という長い時が流れ、解放されたはずだった。
しかし学園に入ってからは、何度も何度もイレギュラーに巻き込まれた。
運命のように、植物の蔦が絡んでくるように、因縁が、罪が、人々の野望や悪意が、ミアを放さなかった。
そして今、誰にも縋ることができない。
すぐにでも【転移】でアデジアのもとへ飛べば、ミアを慕う彼は何も言わずに慰めてくれるだろう。
しかし、できない。
長年もの間、彼に応えていないのに、そんな都合のよすぎる真似はできない。
彼に対しては誠実でいようという、プライドのようなものが選択肢を潰している。
クレアにも、できない。
馬車を飛び出せばすぐ会える距離にいるのに、できない。
彼女を傷つけ切り捨てたのは、他ならぬミア自身だ。
その結果がこれだ。
ミアはひとり、自分よりも長生きの人間の前で、みっともなく涙を流す。
積み重なった心労は癒える間もなく、気丈の仮面を剥がし、泣き虫のエレーナ・レーデンを覗かせていた。
「スーヤは、っ……不思議な、子だった……っ」
「ああ」
「ぶっきらぼう、だったけど、彼女の前、は……落ち着いた……! 飾らない、感じが、好きだった……っ!」
「ああ」
「強かったっ! 彼女が死ぬなんて思えなかった……!」
「それでも、人間だからね」
「ええそうよ! 人間は、簡単に死ぬ……っ、そんなことも忘れてっ、私は!」
かつての、真に幼かったエレーナは、泣き虫だった。
眉を八の字にさせるのが板につく子供だった。
ただ悲しいことを悲しいと受け取る、純粋な子供だった。
「ちく、しょう……!」
今の彼女は、悔しさに顔を歪ませる。
今の彼女は、怒りに顔を歪ませる。
突然、友の命を奪った何かが、許せない。
何もできなかった自分が、許せない。
彼女の命を奪った、正体の見えないあらゆる要素が、許せない。
この怒りを抱いたのは、実に1000年ぶりだった。




