66 謝罪のエレーナ・レーデン
「まずは君の困惑を解消させようか。私は君の知るエジェノ・クエノであり、ロフ・カベリーンゲンでもある」
1000年前の『柱の国』国王、エジェノ・クエノ。
そして現代の同国王にして連邦大統領だったロフ・カベリーンゲン。
それがこの年端も行かぬ少年と同一人物だと告げられて、素直にそうかと納得するミアではない。
揶揄われていると笑うか怒るかするべきなのだろうが、リックス少年の態度がそんなことで変わるとは思えなかった。
「信じられない?」
「ええ」
「そうか、何故こう名乗るのか、何故君のことを知っているのか、すべてに説明がつく言葉がある。固有魔法さ」
少年はそして、語り始める。
「私の固有魔法は【憑依】。自分の魂を相手に憑りつかせ、体を乗っ取る魔法だ。私は老いては若い肉体に憑依することで、永く生き続けてきた」
それだけで、ミアは大半のことを理解した。
この目の前の人物が嘘をついていなければ、やはり紛れもなく本人なのだ。
「これで理解していただけたかな?」
「……あの時、私はあなたを――エジェノ・クエノを殺したはずよ。魔法を使う余裕なんてなかったはず」
「ああ、私の【憑依】はすぐさま肉体を乗っ取るのと、あらかじめ乗っ取る肉体を指定しておく2つの使い方があってね。私は後者を使っていつ死んでもいいようにしていたんだ。1000年前も、勇魔大会の時もね」
「慎重なのね」
「でなければ、ただの人間が生き続けることはできないさ」
リックスはそうして1000年前から、いや、それよりも遥か昔から生き続けているのだと語った。
にわかには信じられない。だが固有魔法と言われれば、信じるしかない。魔法というものにはそれだけの力がある。
結果、ミアは素直に頷いた。
「よろしい。自己紹介が済んだところで違う話をしようか。君が何故まだ生きているのか、何故人類大陸にいるのか、何故この戦争に参加しているのか。聞きたいことは山ほどある」
まぁ、それはそうなのだろう。
人類からすれば、かつて猛威を振るった魔族の、それも『魔王の騎士』が自分たちのすぐ近くにいるというのは看過し難い話だ。
納得のいく説明、それはありのままを話すしかない。
ミアにとっては、これこそが待ち望んだ展開であった。
元々人類大陸に潜入したのは、『人類がこれから先、魔族を敵視し大陸残滓に攻め込んでくるのではないか』という懸念からだ。
手っ取り早いのが大統領との直談判。たとえ正体がバレてしまっても、魔族がもう人類を脅かすことはないからお互い不可侵でいこうというのを取り付ければ、魔族としてのエレーナの使命はそこで完遂を迎える。
そのために、ありのままを話し、リックスに受け入れてもらわなければならない。
思えば、なんとも行き当たりばったりで確証のない手段である。
それだけ魔族は怯え、なんとしても安心できる材料を求めていたとも言えるが。
「……話すわ。全部」
「おや、ありがたいことだね」
「ここで話すことに、嘘偽りはないと誓うわ。それを踏まえて、私の話を聞いてほしい」
「いいだろう。聞かせてくれ」
降って湧いたような機会だが、絶好。
ミアは緊張に襲われながら、ゆっくりと語り始めた。
自分は確かにエレーナ・レーデンであり、1000年間封印されていたこと。
封印が解かれてからは現在の大陸残滓を統べる魔王に拾われたこと。
魔族は1000年前の大陸崩壊で滅亡に瀕し、今は大陸残滓で細々と暮らしていること。
人類に対して、何もするつもりがないこと。
自分が人類大陸に来たのは、人類が今魔族を認知しているのかということ。
認知していれば、攻めるつもりがあるのか確かめたかったということ。
できればこのまま、お互い存在を知らず、不干渉でいこう。ということ。
こうして話しているのは、リックスの話を信じた上で、腹を割っている証だということ。
「分かって、もらえたかしら……」
「ふむ……」
リックスはしばし考えこみ、人類として当然の言葉を口にした。
「都合が良すぎないか?」
「……それは……どういう」
「君たちの言い分は分かった。その言葉が本当なら、魔族はもはや人類の敵ではないのだろう。それで、君たちは奪った命を清算はどうなる? 勝手に攻めておいて、勝手に滅びかけて、我々の命を奪うだけ奪った君たちが」
言葉がナイフになるのを、ミアは己の身で感じる。
苦痛に口元を歪めながらも、目を逸らすわけにはいかない。真剣に語りかける少年の目を、凍てつくような目を見続けなければいけない。
「謝罪は、する気はないわ……謝ってしまったら、私たちは、私たちからも、あなた達からも、誇りを奪ってしまう」
「…………」
「けど、私は、私個人は、ごめんなさい……ごめんなさい……私は、取り返しのつかないことをした……あなたがまだ、1000年前の憎しみを忘れられないというのなら、私にぶつけてほしい……それで晴れるなら、私はどんな罰でも受け入れるから……」
ミアが馬車の床に両膝をつき、両手をつき、頭をつける。
同時に、それは懇願に近かった。
罰を与えてくれという、彼女の悲鳴でもあった。
エレーナを罰せられるのは、それこそ1000年前の人間だ。蹂躙され、奪われ、侵された者たちだけだ。
封印された彼女は、罰せられることなく生き続けた。
自分で消せない罪の意識が、目の前の少年に縋っている。
リックスは、懐かしむように目を細めた。
かつて自分の前に現れた『魔王の騎士』が、こうもしおらしくなっている。時間は人を変えるが、それは魔族もか。と。
「後から、魔族大陸が崩壊したというのを聞いて、なるほどと思った。君たちはああなると知っていて、移住しようと考えたのか」
「ええ……魔族のすべてを助けるには、とにかく広い土地が必要で、人類大陸が必要で、そのためには元から住んでいる人類を排除するしかなかった」
「極端だね」
「話して、受け入れられるはずがないから」
「確かにそうだ。それで、それは君が発案して実行したものか?」
「えっ? いや……」
「当時の魔王か? 確かイムグだったか。魔王が決めて、君たち『魔王の騎士』はそれに従った。だろう?」
「……何が言いたいの」
「それなら、君に罰を与えようとは思わない。君は従っただけで、魔王は勇者に討たれた。話はそれでおしまいだ」
「っ、ちょっと!」
理屈は通っているが、筋が通らない。ミアは主張した。
確かに当時のエレーナは考えを放棄し、魔王イムグにすべてを委ねた。だが命を実際に奪ったのはエレーナだ。
それを責任逃れのように魔王のせいにするのは、彼女の心が許さない。
「これで納得できないのなら、私は君を罰せられない。君がまだ罪の意識を感じているのなら、私が晴らすことはできないよ」
「でも――」
「それに、もういないよ。誰も、何も、すべては過去の……いや、歴史上のことだ。私が君に殺されたことも、今はもう何も思っても感じてもいない」
リックスはそれきり、すっぱりと話を断ち切った。
許されたわけでも、咎められたわけでもない。ただ、受け流された。
ミアは謝ったという事実に自己満足で結論付けられる人柄を持ち合わせていない。心の靄は晴れず、やはり誰にも手を引かれない迷子である。
頭上からの「かけたまえ」という声が届くまで、頭を上げることはできなかった。
「少し苛め過ぎた。冷たい答えしか用意できなくてすまないが、これが君個人の謝罪への返答だ」
「いえ……聞いてくれて、ありがとう」
「それに、まぁ都合がいいというのは違う意味でもそうだったしね」
「……?」
リックスは「それはさておき」と脚を組み替える。
「それでは、これからの話をしよう。先に言っておくと、今の人類は、魔族のことなど知りもしないよ。歴史上実在したというのはあるが、見たことがないんだ。物語の中の存在でしかない。君たちが関わってこないのであれば、人類は忘れ、私も何かをするなんてこともないだろう」
その言葉はミアにとって喜ばしいことだった。
数年もの潜伏生活が、今この瞬間報われた。
道端で出会った偶然からの結末だったが、これは幸運以外の何物でもない。肩の荷が下りるのを感じずにはいられない。
それに、すべてを話してもなお敵にならず、それどころか友好的に接してくれる人間という存在も、ミアの心を解す。
「それで、君はこれからどうする? 大陸残滓に帰るのかね?」
「いえ。私がここにいるもうひとつの理由、それはガラニカ・カンカリオに用があるのよ」
「ほう、時の人だ」
「そいつは私のことを知っている。魔族であることも……どうしてか、あなたは知ってる?」
「いいや、初耳だし、驚きだ」
彼にも彼なりに思い当たる節を探しているのか、うんうん唸り、唸り尽くして、結局分からないようだ。
「会ったことは?」
「ないわ」
「それはますます……確かに本人に訊きたくもなるか。わざわざ戦争に参加したのもそれが理由か」
「ええ。だから私は、連邦のためとかそういうのではなく、私個人の都合で動いてる」
「そうか。構わないよ。手伝うことはできないと思うが、邪魔もしないと約束しよう。頑張りたまえ」
「ありがとう。てっきり殺してこいとか言われると思ってたわ」
「ああ、確かに彼を排除すれば反連邦は大きく力を削がれるだろうね。だがまぁ、それはあんまり、ねぇ」
「えっ?」
言ってからリックスは「しまった」という顔をした。
「どうやら同じ長生きさんと話せるのが楽しいらしい。つい口が軽くなってしまう」
苦笑をワンクッションとし、リックスは続けた。隠すつもりもないのだろう本音が少年の口から明かされる。
「ガラニカ・カンカリオに関しては生かすも殺すも君次第ということだ。私は彼に対し何の感情も抱いていないし、打ち明けると彼を止めようとも思っていない。この戦争で連邦が倒れてもいいと思っている」
「王らしからぬ発言ね。聞かなかったことにした方が?」
「いや……うむ、なるほど、私は誰かに話したかったのか」
ひとり納得したようなリックスに、ミアは首を捻る。
だが察した。彼は話したいのだ。誰かと。
固有魔法によって理論上は永遠に生きられる彼の、ロフやエジェノよりも前の本当の名前すら知らない彼の胸の内。
遠い遠い歴史の中から生き続けてきた彼は、無意識に胸襟を開ける相手を欲していた。
ミアは話せる相手がいた。アデジアに、ナギサに、自分のことを話して、受け止めてもらえる相手がいた。
おそらく彼にはいなかったのだろう。100年も経たずに死ぬ人間は、彼と時間を同じくしていない。打ち明けられる人間がいなかった。
そんな彼が、話したいと言っている。ミアにそれを聞く義務はないが、人よりも長生きであるシンパシーからか、聞いてみようと思えた。
「聞いてくれるか?」
「ええ。時間はありそうだしね」
「そうか、ありがとう」
同じ時を過ごしながら、同じ時にいない。
彼は、己が孤独を友としながら、何と戦い続けてきたのかを語る。
「私が生まれたのは、数えることも諦めるほど前のことだ。双子でね。姉だったか妹だったか、私は集落を統べる魔法使いの子供として生まれた」
彼の最初の人生は、あっけなく終わった。
他の集落と争い、その中で死んだ。
だが彼には【憑依】があった。死ぬ間際、彼は体を替えて生き延びた。
次の人生で、彼は自分たちの集落を滅ぼした人々の長になった。
復讐しようとして、民におかしくなったと見限られ殺されたという。
その次の人生も、次も、次も、怒りを燃料に生き、そして何世代かが過ぎ、既に報告をすべき同族も、復讐すべき相手もいなくなっていることに気付く。
悲しみと苦しみを乗り越えた彼の中の復讐心や闘志といった苛烈な部分は、そこで燃え尽きた。
代わりにまずやってきたのは、虚無感。次にやってきたのが、争いへの諦観。
何人分かの人生を生き、彼はひとつの答えを得る。
争いは無意味であり、争いの中でも後でも、人は幸せになれない。
復讐とは、果たしたとしても虚無になる。その復讐心を呼ぶ『争い』そのものも、馬鹿らしい。
人類は馬鹿らしいことを絶えず続けている、馬鹿らしい種族なのだ。
ならば自分は、それを止めよう。
それが、人類統一による連邦構想の礎となった。
それから彼は、争いを無くすという大望を抱き、時に争いを肯定する矛盾を生きながら、何人もの人生の中で暗躍する。
【憑依】は誰にでも使える便利な魔法だったが、ただ国の王になれば争いが無くなるというわけでもなかった。
時に平民、時に貴族、時に王。何百年、何千年。時代と場所を幾度も変え、彼は戦い続けた。
そして彼は、報われる。
『柱の国』の王、エジェノ・クエノとして生きている中で起きた魔族侵攻。
絶えず争い続ける人類をまとめるのに好都合な共通の敵が現れたのだ。
利用しない手はなかった。
強大な力を手加減の欠片もなく振るう魔族に対し、エジェノの呼びかけに集まった人類は団結。
これまた都合よく『聖剣氣』という未知の力を持った勇者も現れ、魔族侵攻以前は戦乱の世が続いていたのが嘘のように、結束し抵抗した。
戦争中にエジェノが殺されるのは予想外だったが、結果的には問題なかった。
結末は歴史が証明している。勇者の前に魔族は敗れ、魔族大陸崩壊と共に人類の脅威も消え去った。
エジェノだった彼はその後もあの手この手を尽くし、連邦を樹立するに至る。
人類を統一する。それをひとりの人間がやり遂げるのには、途方もない時間と労力がかかった。
その執念は、狂気と呼べる。しかし彼本人は正気を保っているつもりで、もはやどちらが正でどちらが狂なのかは誰にも分からない。
その後も夢を叶えた彼は、1000年に渡り連邦を支え続けた。
人類同士で争いが起きないように、悲しみを無くすように。
いつしか彼は、叶えた夢の中でからっぽになった自分を見た。
持って生まれた体は何一つ残っておらず、どれだけの人間の中を旅してきたのかも数えきれない。
果たして自分は元の彼なのだろうか。彼の悲しみと執念だけを引き継いだ別人なのだろうか。
自分というものが見つけられなくなっていた。
人は忘れていく生き物だ。固有魔法という絶対のアイデンティティがあるにも関わらず、元の自分を思い出せない。
分かるのは彼が何千年もの長きにわたり絶やすことのなかった執念の夢と、姉だったか妹だったかのこと。
それ以外は、ただ連邦という体制を維持することに努める人形のような男の魂があるだけだった。
自分を失っていると気付いた彼は、何もかもが冷めていった。
自分の力で築き上げた、深い思いからなる連邦も、何もかもを犠牲にしてまで守るものなのだろうかとすら思い、その度に首を振った。
これまでの数多の犠牲の基に成り立つ連邦を、心変わりで切り捨てていいのか。
それが彼を人形たらしめる使命感だった。
そして彼は、辿り着く。
世界と時間を俯瞰し続けてきたからこそと言うべきか、普通に人としての一生を辿るのであれば知り得ないことに。
人類は、争いによって悲しみを生み出してきた。
しかし争いは、そこに進化をもたらしていた。
敵より強い武器を、敵より賢い頭を、敵より豊かな国を、敵より幸せな一生を。
国家間の争いを無理やり消したことで、人類全体の進化を止めていたということに気付いたのは、つい最近の話だった。
無論、連邦という制度だけが問題ではない。
連邦の次か、同じくらい人類の進化を止めているのが、魔法だ。
魔法はそれが生まれた頃より変わることなく、人類に恩恵をもたらし続ける。
魔法は進化することなく、そこに在り続け、魔法に縋る人類もまた、停滞した物に縋る停滞した者へと成り果てていく。
魔法使いを統べる組織を自称する魔法協会がいい象徴だ。
さらに天使によって大きなクーデターなどが防がれることも、争いという進化を妨げていた。
安定といえば聞こえはいい。
普通に生きていれば、一生を幸福で豊かな平和な日々で終えられる。
しかし連邦、魔法協会、天使、大まかに分けてこの3つの要素が、人類を停滞させ、誰も気付かないほど緩やかに、袋小路の滅亡へと誘っていたのだ。
安定という名の停滞は、限りある資源を浪費し尽くす。
魔法を尊重する古き体制は、新しい技術を否定する。
それらを打ち壊そうとするものは、お節介な天使が片づける。
さらに、外魔によって海の外に出ることもできない。
この人類大陸という箱庭の中で、資源が尽きるまでただ消費して生きているだけの人類は、幸せの中で遠い未来にすべてを失うのだ。
生き物の持つ本能のような部分が、彼を刺激した。
このままではいけない。
連邦を投げうってでも、世界を変える必要がある。
一度そうしようと決めた彼の心は、晴れやかとも言えた。
人生をかけて作り上げたものを捨てるのに、抵抗はなかった。
「私は、新しい目標を見つけた。遠い未来に待つであろう緩やかな滅びから人類を救うという、次の目標をね。夢や目標はいいものだ。持っているだけで、自分が人形ではないと思える。自分という存在に明確な意義を与えることができる」
長い話だった。
政府高官御用達の豪華馬車に用意されていた紅茶を何杯飲んだか忘れるほどに、長い、永い男の話だった。




