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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第四章 剣雄編
83/212

61 火中のエレーナ・レーデン6

 戦いの行方は決した、とは言い切れない。

 この軍のトップである象将軍を倒したところで、指揮系統そのものは完全にイカれるわけではない。

 象将軍の下の準将軍、その下の部隊長、などなど。万単位の軍には相応に中間管理職もいるのだ。


 とはいえ、生き物は頭を潰せば生きていられないのは道理。

 右腕を失い膝をつく大将を見て、誰かが喧伝すれば、連邦軍司令はそこを突いて戦線を押し返すかもしれない。

 勝ち名乗りを上げるべき金髪碧眼の優男は、静けさを尊んでいる最中であるが。


「かっ、勝った……!」


 信じられないものを見たようなそばかす眼鏡が思わず漏らした事実確認に、同じく信じられないものを見た兵士たちも我に返り始める。

 象将軍の力は、国内にとどまらず周辺諸国にもとどろいている。彼が負けることなど、普通の想像力を持つなら光景を思い浮かべることもしないのだから。


「象将軍が、嘘だろ!?」

「バケモノかよ……」

「あれが聖剣氣……俺らとは何もかも違う」


「レイルシアっ、殺さないのなら拘束しろ!」


 勝ったと言っても、それは一騎討ちでの話。

 周りにいる兵士たちはやろうと思えば、全員でたった4人に殺到することなどいつでもできるのだ。

 せめてもの人質という名の命拾いのため、キラミルは急いた。


 だが敵兵はいち早くテンデを守るように囲み、4人に対しては威嚇するように囲む。

 結局は殺さなければ、意味が無いのだ。ただの負傷なら指揮は変わらずできる。

 この特攻は殺すためのものだった。生かしておいては意味がないのだ。


「……後退だ」


 象将軍の低い声に、傍にいた兵士は思わず訊き返す。

 続けて同じ言葉を吐く象将軍に、本陣は困惑に包まれた。

 困惑しているのは主に、『戦の国』出身者以外の兵士たち。


「『戦の国』の象将軍が、一騎討ちで負けた! そこの男の言う通り、軍を退く!」


 一方で『戦の国』出身者の兵士たちは致し方なしといった表情。

 力こそがすべてという国風であるかの国の者からすれば、一騎討ちで負けた以上リーパーの言うことを聞くのは当然のことであった。

 ここで「そんなの関係ない」と言って4人を囲んで殺してしまえば、恥の上塗りになってしまう。『戦の国』の顔とも言える将軍が、そんなことをできるはずがない。


「何言ってんだ! アンタ将軍だろ!?」


 それは『戦の国』以外の、他の国出身の者たちからすれば冗談ではない宣言だ。

 一騎討ちの結果がなんだ、連邦の一兵卒が勝手に突っ込んできて勝手に軍を退けと言ってきただけで、素直に聞き届けてやる必要などない。


 反連邦も一枚岩ではなく、指揮官であるテンデの言葉を無視してでも、火に飛び込んで来た虫を駆除しようという動きがある。

 逃がすな逃がすな、殺せ殺せ、猛る男たちの声が大きくなり、テンデは不機嫌そうに彼らを睨む。


「んっん~確かにここで軍を退くのはありえない」


 共鳴していく彼らの声に誘われるかのように、ひとりの男がよく響く声を届かせた。

 一言発するだけで場の空気を支配してしまう声。兵士たちがキョロキョロとし始める。今の発言者は誰だ。あっちから聞こえた。


 人混みが割れ、男が姿を現す。

 ピンと跳ねた白髪が似合わない、若々しい青年だった。


「ティゲイ!」

「駄目じゃないかタタン将軍。このような局面で勝手に一騎討ちをして、あまつさえ負けるだなんて。将軍として相応しくない」


 ティゲイと呼ばれた物腰の軽い男は、愉悦を隠そうともせずに一歩一歩わざとらしく音を立てて近づいてくる。

 対するテンデは忌々し気な顔。


「軍は退かない。この僕、狼将軍ティゲイ・モルの名において命じる。負け犬の言葉に耳を傾けることなく、そこの4人をすぐに始末しろ。近くをうろちょろしてる少数の敵部隊も皆殺しだ」


 後から現れて好き勝手言う若造に、『戦の国』の兵士がテキパキと従い始める。

 狼将軍という肩書にはそれだけの力があるのだ。


 象将軍と並ぶ、『戦の国』の将軍位。

 たった5人しかいない、首長の次に位置する武官のひとり。

 それが狼将軍。


「タタン将軍、あなたの無様な姿を見られるのは予想外だったが、重畳だ。余生があったら静かに暮らすといい」


 ティゲイとテンデは仲が悪い。

 本来協力し合う立場なのだが、わざわざ『布の国』侵攻軍を分けるほどに、何かと理由をつけては政敵とするくらいに、個人的に互いは互いを嫌っていた。


 テンデの失態は、ティゲイにとって朗報であった。

 『檻の国』で解放した囚人たちを約1000人の部隊としてまとめるのに少し時間がかかり合流が遅れるという事態になったが、それを補って余りある状況だった。


 このやり取りだけで狡猾な狼将軍は、象将軍管轄の軍を丸ごと指揮下に置き、この戦いでの手柄の総取りを可能にしたのだ。


 テンデにとって、この展開は予想外というわけではない。

 予想はしていたが、一騎討ちに勝てれば何も問題はないと高を括っていた。そうすれば後から遅れてやってきた若造にデカい顔をさせずにできた。

 だが現実はその真逆を行き、もはや彼はティゲイの言葉に逆らうことはできない。


「まぁ今は戦闘中。急に頭が変われば兵は混乱するだろう。タタン将軍、今日のところはまだ指揮を続けてもいいぞ」



 そんな政争を知らないキラミルたちはパニック寸前だ。

 せっかくいい感じになっていた流れが、ばっさりと断ち切られたのだ。

 しかも自分たちを殺すような命令も出た。兵士たちは殺気全開で剣や槍を向け、じりじりと迫ってくる。


 先ほどリーパーの力を見た兵士たちは、彼に対しては及び腰であるが、他3人に対しては遠慮がない。

 ここで沈黙を守ってきた亜麻色少女が動いた。


「リーパー!」


 位置関係上、ひとり孤立していたリーパーだったが、今の声を聞いて咄嗟に伏せる。

 瞬間、雷が迸った。


 空間にいくつもの魔法陣を展開し、発射する。

 殺さないよう威力を弱めた【雷撃】が、器用に人だけを撃ち抜いては広がり、刃を向けていた兵士たちはバタバタと倒れていった。


 本陣に詰めているのはざっと500人程度。

 今のでその4分の1は戦闘不能にしただろう。

 肝心の指揮官は、仕留め損ねた。


「魔法使いもいたのか、面倒な」

「なっ……! が……っティゲイ、貴様……!」

「ちょうどいい壁だった。ありがとうタタン将軍」


 ティゲイは咄嗟にテンデを盾にして【雷撃】から逃れていたのだ。

 できれば狼の方を倒しておきたかったミアは内心舌打ちする。


 丁度そのタイミングで、本陣のすぐ傍で巨大な炎の柱が天を突く。

 ここでこんな【炎柱】を出せるとしたら、それはルーニャ家の令嬢くらいだろう。


「オマエら!」


 人波を強引に斬り開いて、息も絶え絶えの様子でやってきたのは、10人に減った決死隊の面々。

 黒いローブにべったりと返り血が付いた少女以外、誰もが大小の傷を負い、ひとりで立つのもままならないという様子だ。


 最初の67人という数が見る影もない。

 それでもここまでたどり着いた。もしこれからも生き残ることができれば、彼らは英雄として連邦史に刻まれることだろう。


「無事だったのか」

「そっちもね」


 言葉だけで無事を称え合うが、流石のスーヤも疲労困憊である。

 いまだ起き上がる気配のない敵兵という足元の障害物を超え、ミアのもとへやってきた彼女は、糸が切れるように脱力した。


「大丈夫?」

「なわけねーだろ……寝たい」


 倒れる前に、ミアが小さな体を抱き留める。

 片道で力尽きた決死隊の生き残りたちは、帰りのことを考えたくない。はぐれたのにどういうわけか先に着いている上にピンピンして敵兵を倒したであろう4人を頼ることにした。


「先生、どうする?」

「どうするって……」


 仮隊長はこの場に来られなかった。

 その後率いていた形のスーヤにも、これ以上負担をかけるわけにはいかない。

 共に『布の国』までやってきたアイリア生徒は全員奇跡的に生き残っている。もはや教師を含めた8人ですら、この場では過半数だ。

 となると生徒と元生徒たちは、現役教師に期待の目を向けた。


「…………」


 キラミルは無言で奮う。

 ここに来たのは生徒を守るためだ。ここから押すにも引くにも、自分が引っ張っていかなければならないのだ。


 一方ティゲイは、集まってきた周りの兵や後方に控えさせていた自分の部隊に唾を飛ばす。


「全員でかかって奴らを殺せ! 聖剣氣持ちは魔法使いを狙え。あの少女だ、侮るな!」


 倒れる味方を踏みつけながら、4人の男たちがミアへと向かう。

 生き残った決死隊の面々は疲れ果て動けそうにない。と思いきや、返り血で真っ赤になったハイテンションのアイリア生徒が前に出る。

 初日に殺人を成し遂げ、どこか壊れてしまったレカンだ。


「ハハハハッ! 返り討ちにしてや――」


 ミアたちを守るというよりも、人殺しを肯定する自分の衝動に従うレカンは、タガが外れたように笑いながら、迫る敵の聖剣氣持ちに剣を振ろうとして――四肢と首を落とされた。


「なっ! 貴様らァッ!」


 目の前で起きたことに教師の目が極限まで開かれる。

 レカンは学園内で推薦されるほど、戦闘面において優秀な生徒だった。


 しかし4対1は無謀だったのだ。卒業後に剣を握らない生活をする者すら徴兵する連邦側と違い、反連邦には戦いを得意とする聖剣氣持ちが多い。

 だが誰にもそんなことを考える余裕も、無謀な狂人を止める声をあげる暇もなかったのだ。


 ミアも黙って見ているわけにはいかない。すぐさま【雷撃】で応戦するが、すばしっこい敵4人になかなか当たらない。

 魔法陣はいくつも出せるが、目は2つしかないのだ。一斉に放てば狙いが甘くなり避けられ、的を絞れば漏らした敵が急接近してくる。

 このままでは、既に瀕死な部隊が文字通り全滅してしまう。


「くっ……!」


 ここでミアには3つの選択肢がよぎる。

 ひとつは本気を出してこの場の敵を全滅させること。

 ひとつは【転移】を使い自分たちを味方本陣に逃がすこと。

 ひとつは抵抗をやめて味方と共になぶり殺しにされること。


 却下、却下、却下だ。

 どれも自分の力を晒すか、不死身であることを晒すことになる。

 つまりこの場でいい感じに流す方法が思いつかない。


 ここは敵の本陣で、敵の指揮官は健在な上に2人いて、その2人は兵士に守られてて、今まさに敵の聖剣氣持ちに突っ込まれてて、既に敵兵が包囲しようとしてきてて、残った味方にそれをなんとかする余力は残ってなくて――


 とにかく手に余る。

 詰みだ。

 数時間前の流れに身を任せていた自分の見通しが甘すぎたことにようやく後悔する。


 もう誰か何とかしてくれと思わずにはいられない。

 だが先ほど圧倒的な力を見せたリーパーと言えども、この状況を覆せるわけじゃない。

 他の者たちもリーパーほどの力もなければ体力も残ってない。スーヤも魔力切れを起こしていて、とても動けは――


「【吸収】……」



 腕の中で、スーヤが口を動かした。

 ミアにしか聞こえないくらい小さな呟きをきっかけに、敵の足が遅くなる。

 彼らの顔をよく見れば、まるで何日も走りこんだかのようにげっそり、見るからに不健康そうな雰囲気になっていく。


 数秒もすれば、4人はひとりでにバタバタと倒れていった。


「スーヤ……?」

「わりーなミア、もう大丈夫だ」


 合流したときよりいくらか体力が回復したようなスーヤがミアの腕の中からヒョイと立ち上がり、今までの疲労が無かったかのように振舞う。


「今のは固有魔法?」

「まぁな。でも魔力が回復したわけじゃない」


 ということは、これはほとんど一時しのぎでしかないということだ。

 やはり何か行動を起こさなければ、せっかくたどり着いたゴールでただ死ぬのを待つことになる。


「今だお前たち、逃げるぞ!」

「先生!?」

「逃げるってどこに!?」


 キラミルは決断した。

 敵将は既に兵に囲まれて手出しは難しい。全員で無理をしてなんとか彼らの首に手を届かせることはできるかもしれないが、それをやって何人が生き残るだろう。

 生徒をひとり目の前で喪って痛感した。自分は何より生徒たちが大事だと。

 残った生徒たちの命と、今回の突撃の成否。天秤にかけるまでもなかったのだった。


「何を言ってるんだ! 何人死んだと思ってる!」


 生き残りのひとりの男が異を唱える。

 彼の言い分はもっともで、ここに来るまでに散っていった味方の死を無意味にするようなキラミルの発言は、まさにさっきまで隣を走っていた恋人を喪った彼を怒らせた。


「分かっている! だが突っ込んでも死ぬだけだ。私は生徒の確実な死を許しにここまで来たんじゃない!」

「ふざけんな! ここまで来て逃げられるか臆病者!」


 男はひとりでも当初の目的を遂行するつもりらしい。

 無謀だという制止を振り切って、疲れたはずの体に鞭打って走って行ってしまった。

 聖剣氣持ちとしての意地か、男は何人かの敵兵を切り殺して進んでいく。

 だがそれは敵の壁に阻まれ囲まれ、無数の槍を突き刺され絶命した。


「先生……!」

「……知るか……っ、私はここまで来て、お前たちをみすみす死なせるわけにはいかない」


 自分の発言がどれだけ呆けたものであるのかは、キラミル自身も自覚している。

 トチ狂ったと言われても否定し難い。

 彼女の中において、反連邦を討つよりも生徒を守るという義務感の方が大きかっただけの話だ。

 敵前逃亡という行為が、死んでいった者やいま戦っている者たちへの侮辱であるという意識はあったが、それでも逃げることを選んだ。


「でも逃げるってどこに……」

「来た道は……」


 言葉に出さずとも、変わらず敵兵ひしめく戦場をまた駆け抜けろというのは無理だと全員が思う。

 往路でこんな有様なのだ。折り返して復路を進めと言われても断固拒否だ。


「なら、向こう側か……」


 反連邦軍の本陣は、万が一の時に包囲されないよう、少し狭い地形に配置されていた。

 戦場を正面に見据えるとして、両側には大きな川と崖がある。

 来た道を戻れないならば、残ったのは戦場から反対側にある道――『檻の国』側へと逃げるしかない。

 既に敵に堕とされた国だが、反連邦の軍はこの戦場に集中している。きっと手薄なはずだ。追ってくる敵から逃げるだけでいい。


「一度だけ聞く。残って敵を討ちたい者はいるか?」


 沈黙。


「手薄だろう敵の背後を抜けて『檻の国』方面に逃げるぞ。自力で走れない者は誰か肩を貸してやれ!」


 生き残った特攻部隊は、包囲される前に動くことができた。

 ミアの【雷撃】で道を開き、これまで同様、とにかく走る。


「逃がすな! おい君、人狩り部隊に追うよう伝えろ」


 少人数で数千人規模という恐るべき戦果を上げた部隊を、野放しにはできない。

 ティゲイは方々に指示を飛ばし、前線の兵が動揺しないよう静かに素早く本陣を立て直したが、逃げた敵部隊を仕留めたという報告を受けることはなかった。

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