60 火中のエレーナ・レーデン5
『戦の国』の身分はトップたる首長の下に、武官と文官で別れたふたつの柱が存在する。印象通り、武官の方が幅を利かせているが。
将軍という身分の者たちは上から大まかに獅子、虎、豹、象、狼という区分で分けられる。他の国でいう貴族のようなものだ。当然並みの部隊長などとは一線を画している。
将軍とは名ばかりではない、軍団長レベルの者にしか与えられない役職だ。
つまり今対峙しているのは、『戦の国』のトップ層で間違いなかった。
そんな男の前に、教師を差し置いて男子生徒が躍り出る。主に隣にいたゴシックドレス少女のせいで。
「なんだ、お前がやるってのか?」
「ちょっ、ミアさん!?」
「まさか見物しにここまで来たわけじゃないでしょう?」
「ブロンズ、しかし」
「先生もそんな状態で戦おうとは思わないでください」
連邦に要請されたとはいえ、ここに来たということは戦わなければならないということ。
リーパーはそれを理解した上で、剣を抜けずにいた。
それを知れば誰もが「何しに来たのだ」と言うだろう。
という矛盾状態が続けば、遅かれ早かれリーパー本人が命を落とすことになる。戦場は悩んだまま生きられるほど甘くない。
入学当初からまさに腐れ縁と呼ぶべき同級生がそんな死に方をするのは、ミアとしても歓迎するようなことではない。
いい加減にケツを叩く時だと判断し、物理的に叩いた。
「先生は怪我をしてて、眼鏡は貧弱。なら戦うのは男の出番よ」
ミアの物言いに眼鏡ことシフォンが「ちょっと!?」とツッコもうとするが、事実貧弱なので抗議の視線だけで済ます。
そんなことを言われたら、リーパーは自分の意思で敵指揮官と戦わざるを得ない。
戦いたくないから「じゃあお前がやれ」とミアに押し付けるほど、彼は無責任ではない。むしろ自分以外にいないという状況が、彼の足を前へと進ませた。
「僕が、相手です……」
剣を持つより花束でも持って女を口説いてそうな優男に、象将軍テンデは訝しんだが、「まぁいいか」と得物である長い剣を抜く。
「……降伏、してくれる気はありませんか」
「はぁ? 何言ってんだ。それはこっちの台詞だ」
ここに来て頓狂なことを言い出す青年になりかけの少年に調子を狂わされそうになるも、テンデは早速動いた。
小手調べのつもりか、単純な上段からの振り下ろし。
しかしその攻撃スピードは速い。訓練ではなく、実際に殺す気の攻撃がリーパーへと向かう。
これに対して取れる手段はふたつ。 横に避けるか防御するか。
リーパーはその場を動かない。後者を選んだのだ。
鞘に入ったままの剣を盾代わりに、長剣の一撃を受け止めた。
「っ、ぐ……!」
「ほう、結構力込めたんだがな!」
テンデは内心驚く。
聖剣氣使いとは何度か戦ったことはあるが、この一撃を正面から受け止められたことはなかったのだ。
しかも、力を込めてもこの線の細い優男は微動だにしない。
顔に出すことはしないが、テンデはリーパーへの警戒度を一段上げた。
「なら次はどうだ!」
「っ……」
これまた大振りで単純な横払い。
今度は受け止められたとしても、その瞬間に蹴りを入れるつもりでいる。
大木すら倒しそうな斬撃だ。これを受け止められたら大したものだ。
だがこの攻撃は空振りに終わった。
大振りで予測しやすい攻撃をリーパーは屈むことで躱し、さらに鞘のついた剣で斬り上げた。
顎にでも当てて失神を狙ったのか、テンデが咄嗟に横に避けなければ本当にそうなっていたかもしれない。
「ッ、ガキだと思って油断したぁ」
「もう一度言います、降伏か……軍を退いてください」
「するかよ!」
本格的な戦いが始まった。
テンデは目の前の男を敵と認識し、殺すために剣を振る。
リーパーは防戦一方。しかし一撃もくらっていない。
斬撃はすべて避けるか受け止めるかし、たまに織り交ぜられるパンチやキックにも対応する。
大人と子供という戦いの図式を予想した周囲の兵士たちは、象将軍の実力を知っている。
将軍になれるだけあって彼の実力は本物だ。こんな状況で手を抜くこともしない。
なのに始まって3分以上続く剣戟に、相手の優男が何故無事でいられるのかと目を疑った。
敵だけではない。キラミルにシフォン、ミアでさえも驚いている。
1年生の修学遠征時に同じ班になったミアは、あの時リーパーの実力の一端を見ていた。
勿論それだけですべてが分かるわけではないことは承知の上だったが、これは予想外が過ぎる。
雑魚魔物を相手にするだけでは、彼の力の全容を見ることなどできるはずがないのだった。
「ぬぅ、やるなガキィ! 一朝一夕じゃねぇな!」
テンデの中にも焦りが芽生える。
まだ子供だと侮っていた自分を戒めるほどに。
攻撃を続けて、押しているのは自分のはず。それなのに相手には傷ひとつついていない。
だがここで焦って決着を急げば、良い結果にならないというのは経験で知っている。
逃げ道を封じ、堅実に追い詰める。象将軍がこんな学生に無様を晒すわけにはいかないのだ。
力強い斬撃が、ついにリーパーの持つ剣を包む鞘を砕いた。
真剣が晒され、殴るという選択肢も潰される。
「侮っていたのは謝罪しよう! だがお前から攻撃しないのはどうした」
「……殺し合いたくない、だけだ」
「は?」
テンデもこの返答は予想外だった。思わず手が止まってしまう。
隙ができた。しかしリーパーは斬りかからない。
その隙にバックステップで距離を取る象将軍。格上と信じて疑わなかった側のその行動に、兵士たちにどよめきが上がった。
こうして戦っている本人も、周りの者たちも感じ始める。
もしかしたらこの優男は、戦いに秀でた『戦の国』のさらに上澄みである将軍よりも、強いのではないかと。
リーパーは徐々に落ち着いていく。
状況と肩書に気圧されたが、実際に戦ってみたら敵の指揮官はこちらが一方的にやられる、というほど強くはなかった。
それどころか、いつでも自分が勝負を決められる状況ですらある。
幼い頃から、兄の背中を追いかけるように剣を握っていた。
文字通り毎日を鍛錬に費やし、兄と同じく恵まれた大量の聖剣氣を操るための修行も欠かさず、身体強化はおろか様々な技も今では容易く扱える。
子供がお気に入りの遊びをするように、リーパー少年は兄に憧れて剣の道に入り、今では別の理由で道を歩み続けている。
授かった才能と欠かさぬ鍛錬、そして彼の中にある『勇者』という存在。
それがリーパー・レイルシアというわずか18歳の男のすべてだった。
あと、彼の中にあるとするならば――
□□□□□
残り20人を切った本隊が、いよいよようやく敵本陣を目の前に捉える。
もう各々聖剣氣も尽きかけているし、体力も尽きかけている。
もはや敵将を討つというよりも、ゴールにたどり着いた時点でぶっ倒れそうだ。
「もう少しだ! 頑張れ!」
驚くべきことに、共にここまで来たアイリア生徒は全員無事である。
走れなくなった者を切り離してまでここまで来た無理やりの決死突撃。その中で全員が生き残るなど奇跡以外のなにものでもない。
「っ、ぐあっ!?」
だが奇跡の代償はやってくる。生徒が受ける運命だった攻撃が他の者に刺さったように、今も同じことが起きる。
敵も必死だ。自分たちが抜かれれば今度こそ本陣に到達されてしまうのだから、迎撃はこれまでで2番目に厳しい。
本来ならば1番厳しかったはずだが、いま本陣には別の事情で兵が集まっているためにこちらに向かってくるのが少しだけ減っていたからだ。
とはいえまさに多勢に無勢。今まで部隊を引っ張ってきた仮隊長もついに、突き出される槍に胸を貫かれてしまう。
「ラミスーーーーッ!!」
「馬鹿っ、立ち止まるな!」
「ダチなんだよ!」
初めて知った部隊長の名前。しかし今さら知ったところで、どうしようもない。
彼が倒れたことにショックを受けた男を、スーヤは制そうとするができない。
男2人は故郷を同じとする幼馴染であり、共に学園にも通い卒業して同じ騎士団に入った親友同士であった。
もはや人生の片割れのような存在だ。それが目の前で貫かれた。男の感情の爆発は、ちっぽけな黒髪小娘では止められない。
結局倒れた仮隊長も、彼の傍に寄る男も切り捨てた。
全員が2人から目を背け前を向く。足を止めた者がどうなるか、これまで散々見てきたのだから。
「そんな、あの人……!」
「走れ!」
構ってる暇はない。疲れ果てた体に身体強化で鞭を打って走った1秒後にはそこに敵が到達するような、超至近距離で絶賛囲まれ中なのだ。
「(【氷界】で一時的に凍らせるか? いや、そんな余裕は……いっそ周りの奴らを『吸う』か……?)」
勇魔大会の時のようにある程度余裕があれば加減もできただろうが、ただでさえ段階が上がるごとに制御操作技術にも高いレベルが求められるのが魔法だ。最上位魔法となればこんな状況では加減という言葉は存在しない。
しかしここでなんとかしなければ、死ぬのはこっちで、戦いは敵か味方かしかなくて、死ぬのはどっちかで――
「(何を今さら、人を殺すことに躊躇してんだよ……!)」
藍色の瞳が僅かに伏せられる。
既に何人も殺している分際だ。今も迎撃に放つ魔法はどれも致死の強さを持ち、【風埃】で一度に大量の死体の山を築いた。
それどころか、自分の存在そのものが、今さらだ。
ここに来る前にも、生まれた瞬間にも、スーヤ・ルーニャというものは屍の大地に立っているのだ。
この心がどれだけ揺れ動こうと、他人を害することが罪だという道徳観を抱こうと、事実は変わらない。
言い訳をして、自分は正しく在るはずだと慰めて、零してはいけないなにかを取り零すのか。
高潔に見せかけて、それで自分は満足するのか。
本心を明かす相手がいなかった少女は、いつしか自分自身の心すらも自分に向けて隠そうとする。
「……【吸収】」
この瞬間、スーヤは心を凪にすると決めた。
命の選別をすると決めた。
それは傲慢だ。
自分の主観で、刈り取るものと残すものを決めるのだから。
求められたのは『天災とも呼べる力』。
小さな体に宿された大きすぎる力は、小さな少女の小さな呟きによって大きく広がっていく。
□□□□□
激しい斬撃と、それをいなす剣。
それがピタリと止まる。
弾かれ軌道を逸らされた長剣は空を切り、鞘の砕けたただの剣が相手の首筋から数cmのところで止まった。
誰もが息を呑む。
誰もが予想していなかった。
ただのガキが、『戦の国』象将軍相手に一本を取るなど。
「な……っ!?」
「……」
「ッ、テメェ……! ふざけてんのか!」
テンデは激昂した。
自他共に認める実力があったからこそ、戦いを生業とする『戦の国』の中核――将軍位にまで上り詰めたのだ。
その実力で、負けている。
寸止めなどという、侮辱を受けている。
相手にその気があれば、簡単に首が飛んでいる。
剣士としても、象将軍としても、これはあってはならない屈辱だった。
「もうやめよう。軍を退いてください」
「ざけんなッッ!!」
戦場に立ったことのない、ヌルい世界で生きてきたガキに負けるなど、立場もプライドも何もかもが許さない。
怒りを乗せた斬撃を放つ。重たい長剣とは思えないスピードだ。
それすらもリーパーは剣を長剣に滑らせるように当てて逸らし、自身も一回転して、またテンデの首筋へと刃を向け、止める。
二度目の情けに、とうとう兵士たちから非難の声が飛んだ。
「大将、何やってんだ!」
「お遊びは終わりにしろ!」
「そのガキも女どもも殺せ!」
強さこそがすべて、勝った者こそ勝者というお国柄は、敗者に厳しい。
騒がしくなった周りを見て、ミアは勢いあまってこちらに斬りかかってくる者がいないか警戒する。
「レイルシア、あそこまで……兄が兄なら弟もということなのか?」
「す、すごい……あれ現役生徒なんですよね……?」
「ブロンズは両者の実力差を見抜いていたから奴を行かせたのか」
「ええっ!? そうなんですか流石ミア様……!」
「え、いや……ってなんで様付け?」
勝手に盛り上がっているのは敵だけではなかった。
本来なら生きた心地がしない状況だというのに、リーパーという強者の存在が味方である自分たちすら鼓舞するように感じているのだ。
無論、ミアはこれを予想したわけではない。
彼を前に出した時には、瞬殺されないまでもいい感じにやって本隊が来るまでの時間稼ぎのひとつでもできればいいと考えていたくらいだ。
あんなに戦いたくないオーラを出していた奴がこんな楽勝をしてしまうなんて、見抜けるわけがない。
「ぐ、オオオオォォオォォォォッ!!」
テンデが吼える。
本気も本気、自身の持つ最大の力を持って目の前の強者を排除することに全力を注ぐと決めた一撃を構える。
リーパーも構える。
なにか覚悟を決めたような瞳を宿し、地を踏みしめ、中段に剣を持ち、備える。
聖剣氣を持つ3人は、確信を抱いていた。
リーパーの強さは長年の鍛錬からくる体術や剣技の他にも、身体強化がある。
身体強化の度合いは、聖剣氣の保有量や操作技術によって決まる。魔法と魔力に通じるものがあるとミアは見ている。
彼の聖剣氣は非常になめらかなのだ。
一切の淀みなく、どこをどう強化すれば最大効率になるのかも理解している。
ただでさえ大量に持つ聖剣氣を適切に使えばどうなるのか、ひとつの答えと言えた。
それを3人は理解した。そして思う。そんな者が負けるはずがないと。
「行くぞ小僧!!」
これが最後の一撃だ。そう思わせる気迫が象将軍から溢れる。並みの兵士ならそれだけで萎縮し失禁するような殺気だった。
長剣が振られる。大木どころか岩すら砕いてしまいそうな一撃。
何の妨害もなく、息を整える時間もあった。万全な状態で放たれた攻撃だ。
聖剣氣持ちだろうとなんだろうと、当たれば死ぬ。
リーパーに避ける素振りはない。テンデは勝利を確信した。
今まで通り剣で受け流すつもりだろうが、それすらも凌駕するパワースイングだ。剣ごと砕いて、真っ二つにしてやる。象将軍にはそれだけの力がある。
そう、リーパーは避けない。
彼は避けず、剣を振った。
受け流すためではなく、防ぐためでもなく、斬るために。
「あ…………?」
勢いそのままに、長剣を握った右手が明後日の方向へと飛び、囲んでいた兵士を吹き飛ばす勢いで転がる。
急に押し寄せた喪失感にテンデの体はバランスを崩し、膝をつく。
「これ以上はもう言わない。降伏を」
右の肘から先を失った象将軍は、三度突きつけられた剣に、瞬きすらも忘れていた。




