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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第四章 剣雄編
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62 遁走のエレーナ・レーデン

 夢を見ている時、これが夢だと気付く瞬間がある。

 しかし夢を見ている時、どれだけ夢だと思えても、当人が気付かないこともある。


 焼け焦げた場所で、焼け焦げた何かに縋りつき、涙を流す少女。


 時間は戻らない。一度起こったことは、覆らない。

 花、波、日差し、家、雨、虹、山羊、リンゴの木――

 絶えず変わり続け、萌え、朽ち、続き、終わる。

 それが世界の絶対的な理であり、たとえ神であっても、それを超えるナニカであっても、変えることのできない事象。

 一度観測された事実は、宇宙に固定化してこびりつく。


 人々はそんなことを意識して生きていない。

 クォ・ヴァディスなど、暇人の問いかけにすぎない。


 そんな世界とは無縁で、宇宙も違って、恵まれた大気の惑星に生きる生命体は、幸福に不幸に生きられる。

 ただそこにあるものを享受し、あるいは拒絶し、今日の糧を考えていれば――考えていなくても生きられる。


 少女もまた、生きている。

 この世界を支配する残酷なまでに不可逆な事象に指をかけられ、引き裂かれ、こねくり回されても、生きている。


 少女は、死にたくなかった。

 貶されて、弾かれて、奪われて、それでも糧と生命を翳した。



 少女は、できることなら永遠にそこにいたかった。

 大切だったもの、大切な燃えカスを手放したくなかった。


 少女をこの場から動かしたのは、恐怖心。

 ここにいれば、いずれ誰かがやってきて、また奪おうとする。怖くて怖くて仕方がない。

 少女は灰を小さな手に擦り付けて、その場を去った。


 直後に降った雨は、少女の心を折った。

 濡れた手から灰は流れ落ち、土と混じり、二度と戻らない。

 死と同じく、絶えず流れる事象。


 少女は涙し、必死に土をかき混ぜる。

 落とした灰はどこだ、どうすれば手に戻る、どうすれば時間は戻る。


「もう戻らないよ。一度起きたことは、戻らない」


 少女には、その声に応える余裕などなかった。

 かけられた言葉を否定するように、土に混じり、軽い水流となった雨水がここではないどこかへ灰を流してしまっていても、足元を掬う。


「ない、ないの」

「そうだね、ない。もう、何も戻ってこない」

「やっ……やぁっ」


 否定したかった。

 何もかもが終わっても、何もかもを覆すことができる、何もかもが元通りになる。

 そんな理に逆らう夢を捨てられない。少女は子供だった。


 しかし、できなかった。

 何もかもは終わり、何もかもは覆らず、何もかもは戻らない。

 失ったものは、簡単に洗い流される。


「風邪をひくよ」


 頭と体を叩く雨がふっと消えた。

 気付けば声の主は目の前にいて、少女は傘に隠れていた顔を見ることになる。


「だれ?」


 その人物は名乗り、手を少女の頭に乗せる。

 慈しみがあったか、憐れみがあったか、少女にはわからない。



 □□□□□


 夢の中と同じような雨音を聞いて、ミアは目覚めた。

 いつ寝たのか、覚えていない。


「どれくらい寝てた?」

「んぃ……明け方くらいからだな」


 隣にいたボサボサ黒髪少女から、おそらく2時間くらいだろうということを答えられる。

 彼女の髪はどうやら湿気に弱いらしい。ボサボサ度合いがかなり増している。


「……ぷっ」

「おい」

「ごめんなさい。起きるわね」

「寝とけよ、まだ大丈夫だ」

「私は大丈夫。スーヤは寝て」


 連邦に集められ、敵を突っ切って本陣に殴り込み指揮官を叩けという無茶な命令を下された特攻部隊。

 67人いた人々は多くの犠牲を払い、目的を遂げることもなく、生き残った12人は今『檻の国』のどこかの洞窟で雨をやり過ごしていた。


 うち4人は深手を負い、応急処置はしたものの動ける状態ではない。

 早いところ病院に連れていかなければ、長くはもたないだろう。


 動ける8人は半々に分かれ、4人が四方に偵察に、残り4人が洞窟に残り怪我人を見ながら周囲を警戒。

 追手のことを考え、魔法使い2人は交代制で見張りをしている。

 【超速再生】を持つミアは死ぬことがなく、過労死という概念も無い。それでも疲れは溜まるようで、意図しない寝落ちをしてしまっていた。


「戻ったよ」


 西に向かって偵察に出ていたリーパーが帰ってきた。

 少し行ったところに村があるという情報を告げ、彼は座りこむ。

 象将軍を軽く下した男であっても、疲労には勝てない。


「っ、ちょっと」


 下ろした腰が重すぎても、リーパーは忙しなく指さした。

 その先には、衣服の一部をシーツ代わりに地べたに寝かされている、負傷者4人のうち1人。

 目立った活躍は無かったが、自分の身を守る分には申し分なかった、名前も知らない女性。

 彼女は既に息をしていなかった。

 ここまで来たのに、と思っても、時は戻らない。死は覆らない。


「……埋めよう」

「ああ……」


 スーヤが洞窟の外の土を魔法で抉り、死体を置き、土をかける。

 これで11人。まだ辛うじて生きている3人の負傷者も、いつこうしてやらなければならなくなるか。


 人が死んだ直後に会話が弾むわけもなく、沈痛な雰囲気が包み込む洞窟に偵察に出ていた者が全員帰ってきたのは、すっかり日が昇ってからだった。


「北に村を見つけた。軍がいる様子もない」


 元々は冒険者をやっているのだという筋肉質な男の報告以外、これからの指針は無い。

 ただ追手の姿も見られないというのも、希望ではあった。

 この『檻の国』そのものは既に反連邦によって陥落させられたが、こんな国境付近の村が占領されていないなら、受け入れてくれる可能性はある。

 医者がいるかは分からないが、安静にできるはずだ。


 一行は北を目指し、歩き始める。

 交代で怪我人を背負っての行軍速度は、単独偵察のそれと比べてはるかに遅い。

 追撃を警戒して森の中を進んでいるのも、拍車をかけている。

 足下は悪く、ろくに休めず、それでいて怪我人を早く安静なところへというプレッシャー。心身ともに限界を視界に収め始めている。


「あとどれくらいだ?」

「そうだな、この調子なら……大体陽が沈むか、もしかしたら夜になるかもしれねぇ」

「もう一日野宿は……保たんぞ」

「分かってる。だが街道は危険だ」


 難しい話をするのは、主にキラミルと筋肉男。

 なお過半数を占めるアイリア学園側の教師と最年長である彼が、牽引役を引き受けてくれていた。



 □□□□□


 途中で見つけた小川で足を止める。

 汗と土埃で汚れた顔を洗うだけで、精神的に少し回復する。水を飲めるのも大きい。

 だが魚はいない。食糧問題が浮上した。


 戦闘中に持ち運べる携帯糧食は既に尽きている。

 そんなことお構いなしに減る腹の言うことを聞かなければ、下手をすれば村に辿り着けないのだから、狩りをしなければならいのは必然だった。


 幸いにも冒険者がいる。さらに修学遠征での経験も、生徒たちの間ではまだ活きている。

 半分を残して、残り半分で方々に散って食料を探した。


「このキノコは大丈夫なやつね」

「そういえば旅をしてたって言ってたっけ」

「よく覚えてるわね……」


 何故か2人1組みたいになっているリーパーにそれを話したのは、1年生の修学遠征でのことだ。

 あの時も2人で休めそうな場所を探したり枯れ木を探していたものだ、と思わず耽りそうになるのを、ミアは頭を振って霧散させる。


 ここで「あの時はクレアやラルが狩りに慣れてて助かったよね」などと話を展開されようものなら、いまだ傷心が癒えないミアは漏れなく曇る。

 だがリーパーはそのことには触れず、黙々と食材探しに勤しんでいる。


「あっ、これどうかな? 食べられる?」


 ただでさえ目立つミアと、交友の広いクレアの破局は、噂になっていてもおかしくはない。

 実際に学園を出るまでに数日空いていたし、リーパーはそれを耳にした上で気遣っているのか、それとも単に話題に出さなかっただけか。

 どちらにせよ、ありがたいことだ。


「毒よ、それ」



 □□□□□


 食べて休んだことで、活力を得た。

 獣肉に野草にキノコ。どれも煙が上がらないよう魔法で焼いただけで味気の無いものだったが、腹を満たすことができるというのは前向きにつながる。

 再び歩き出す生き残りたちは、陽が落ちるまで歩き続けた。


「間に合いそうか?」

「もうすぐ森を抜けられるはずだ。そうすれば村まですぐ……待て」


 筋肉男が足を止める。


「今だから言うが、俺は冒険者をやりながらちょっとばかし危ない仕事もしててな。感じるか?」

「感じるって?」


 シフォンがきょとんと訊き返す。

 平和な生活をしてきた者ならば、浴びることのないもの。仮に冒険者だとしても、獣や魔物の放つそれとは違うもの。

 ドロリと粘ついたそれは、知性と意思を持った者のそれだ。

 ミアは小さく、それの正体を呟いた。


「――殺気」


 筋肉男は得物の小斧を構える。

 それを見た周りも、自然と臨戦態勢へと移行する。シフォンなど戦いが得意でない者に怪我人を預け、各々が武器を抜く。


「来るぞ!」


 木の陰から、茂みから、人が飛び出した。

 暗くなり濃くなってきた影に溶け込むような黒い装束。

 軽装ではあるが、各所に金属製のプレートをつけて最低限の防御力を確保した、実戦向けな装備。

 まったく同じものを着た者たちが、森を抜けるはずだった聖剣氣部隊を囲んでいる。その数は両手の指で足りないだろう。

 とても偶然の出会いとは思えない彼らは、既に刃を抜いている。


「追いつかれたのか! しかしなんで場所が!?」

「言ってる場合か!」

「どうすんだ!? 囲まれてる!」

「とにかく森を抜けるんだ! 走れ!」


 先ほど四方へ偵察に出ていた者の誰かが発見され、つけられていたのだろう。

 しかしそこに思い至っても、発見された者を責める暇はない。


 襲撃者は『戦の国』狼将軍の人狩り部隊。

 主に個人レベルなどごく少数を追い立て、狩る部隊だ。

 厳しく鍛え抜かれたレンジャーである彼らは、森を出る前に標的を仕留める気だった。


 その動きは素早く、障害物まみれの森の中でも木々の間を縫うように急接近してくる。

 1人が真っ先に接敵した。刺突用の剣を弾いて防いだのはリーパー。

 一瞬だけ鍔迫り合いのような体勢になり、瞬時に攻撃方法を変えてきた敵の攻撃も剣で防ぎ、蹴りを繰り出す。

 功を焦らない敵は、すぐさま退いて仲間と足並みを揃えた。


「馬鹿どもめ」


 スーヤの嘲笑めいた罵倒が飛ぶ。

 周りの木々がみるみるうちに生気を失い、次にバタバタと黒装束の部隊が倒れていく。


「吸収、だっけ……とんでもない魔法ね」

「死にたくないからな、出し惜しみはしねー」

「そう、まぁ、いいんじゃない」


 気持ちはよくわかる。ミアはそう言いたげに頷いた。

 誰だって死にたくない。このような極限状況で、相手の命を奪わず切り抜けようというのは絶対的な力を持った者か、よほどの馬鹿くらいだろう。


 悲しいことに、ミアは前者だ。

 しかし後者もこの場にいるんだろうな、と優男の方を見れば、案の定襲ってくる敵を殺そうとしない彼の姿があった。


「数が多い……スーヤはみんなを守って」

「オマエはどうすんだよ?」

「こういう時、囮も必要だと思わない?」


 スーヤの魔法は、その固有魔法が凶悪でもあるし、普通のものを使うにも強力だ。それを上手く使う技術も、彼女は持ち合わせている。

 走って森を抜けようと思えば、全員抜けられるだろう。


 だが怪我人を背負った者がまともに戦えるとは思えないし、敵も少数精鋭とはいえ数の差は恐ろしい。

 こちらは超人揃いであるが、疲弊している。人を殺し慣れた相手に全員が上手く立ち回れるはずもない。


 それならどうせ死なない自分が囮となって少しでも敵を引き付けられればいい、というのがミアの考えだった。

 適当に敵をいなして、魔法で攪乱して、後で合流すればいい。

 それくらいの手加減はできるつもりだ。


 しかしその考えは、左頬を貫く痛みに真っ白になる。

 数秒、ミアの時が止まった。


「二度と言うな」


 叩いた方も痛いだろう右手で、スーヤはミアの手を引く。


「スーヤ、あの」


 つい最近、同じ場所を叩かれたことを思い出す。

 学園で出来た繋がりの2人に、2人ともに頬を張られたと思うと、自分は何か愚かなことをしているのではないかと思えてくる。


 しかしミアとしては、最善とまでは行かないまでもベターな選択をとっているつもりだ。

 まさかスーヤが自分を心配して怒った……という可能性も思い付きはするが、まさかとかぶりを振る。


「(いや、でも、それ……?)」


 ボサボサ少女の小さい手は、大きさにそぐわない力を持って、ミアの手を握りしめている。

 身体強化を使っている、ミアとしても気を抜いたらズルズルと引きずられそうな勢いの中、離すまいという思いが伝わってくる。


「お前ら走れ!」

「2人がいないと俺達生き残れねぇよ!」


 この中で要と言えるのは、間違いなく魔法使いだ。

 特に全員、スーヤがいなければ全滅していたと思っている。

 そのスーヤが動かなければ、逃げるに逃げられない。


「……みんな固まれ」


 ほんの少しの怒気を垣間見させる呟きに、誰も反論せずに従う。


「固まったぞ、どうする!?」

「ミア様なんとかしてぇ~!」


 シフォンの悲鳴を聞いても、ミアは自分に振らないでくれとしか言えない。

 だがなんとかしなければならないだろう。目立ちたくはないが、ここは【氷界】でも使って敵を一網打尽に――


「(いや、少し凍らせて逃げた後に溶かしても、きっと追ってくる……そんな状態で村に辿り着いても意味がない……けど、殺すわけには……)」


 多少脅して退いてくれるのならそれでもいいが、相手は見るからに専門部隊で、プロだ。望み薄だ。

 魔法陣を描きかけた指が止まる。

 心を読める者がいれば、そんなこと言ってる場合かと怒鳴るだろう。

 それでもミアにとっては、殺人だけは忌避すべきものだった。


 そこでミアは、自分の手を握る少女の力が、より込められたのを感じる。


「ミア、あたし、なんとなく分かったよ」

「スーヤ?」

「【吸収】……」


 みるみるうちに、周囲から生気が消えていった。

 敵だけでない、森も動物も土も、何もかもから活力のようなものが消えていく。それを目で見て分かってしまうほどの変化。

 スーヤは周囲すべての生命体から、生きる力を奪っていった。


「あたしはさ、これまでろくに話し相手もいなくてさ、オマエとクレアが初めてだったんだよ」

「何が……」

「…………友達」


 言葉を噛みしめるように、スーヤは決意に満ちた目をミアに向ける。


「オマエを失うくらいなら、あたしは進んで人を殺す。あたしにとって友達は、そういうモノなんだって、分かったんだ。だから――」


 ズイッと顔が目の前にやってくる。

 身長差はあるものの、息のかかる距離だった。

 ミアは手の痛みを抗議するのをやめて、その藍色の瞳の中に灯る炎に見入ってしまう。


「死のうとするのはあたしが許さねーからな」


 爪が食い込んで、血が出た。

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