55 逃避のエレーナ・レーデン
学園長からの通達から出発までは5日。短いようで長い期間があった。
元々寮住まいの生徒たちは身辺整理をするにしても、家族に手紙を書くくらいだ。ミアに至っては手紙を書く相手もいないから、普段出かけるようなノリで寮を出ることになる。
その期間、ミアは学園に通うことはしなかった。
クレアに顔を合わせられない、会いたくない。好きで好きで仕方なかった分、彼女を思い出すだけですら心に多大なダメージが来るのだ。
思い出さないようにする、忘れるようにするといったことはできないので結局ダメージを受けているが。
そんな状態でまともに授業を受けられる気がしなかったし、なによりクレアと会うのが怖かった。
これから戦地に赴くのだから塞ぎこむのも仕方ない、みたいな捉え方をされているのか、生徒や教師たちが訪ねてくることもなく、大人しく5日間を過ごすことができたのは都合がいいと言えるだろう。
ミアがその5日間で何をしていたかと言うと、逃避であった。
まず1日目は、かつて旅の途中に立ち寄った『薬の国』に飛び、裏で流通しているイケナイ薬物を密売組織から盗んだ。買うと高い上に薄いのだ。悪いことをしてる奴から盗んでも大して心は痛まなかった。
『薬の国』は現代薬学に無くてはならない、連邦随一の薬草類の産地であり、医療への貢献は計り知れない。
決してイケナイ薬物を生業としているわけではない国だが、光あるところに闇があるのだ。
旅の最中に訪れた際に一番大きな密売組織は潰したはずにしろ、こういうのは得てして空席に後釜が座るもの。
その後で天柱教の聖地(『柱の国』のはずれにある)に行き、勇者アイリア個人を崇拝する派閥『人格派』が出している公式ショップで買い物をした。
実はちょくちょくその店には通っていて、常連に近い。この4ヶ月はめっきりだったが。
そして帰りの足で大陸残滓へと飛んだのだ。
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魔王城、その一室はミア――エレーナの部屋になっている。
そこには誰一人入ることを禁じられ、厳重に鍵がかけられている。魔王であるアデジアでさえ入れない聖域だ。
この2年でせっせと集めた勇者アイリアグッズがひしめく部屋の中で、蝋燭ひとつの灯りだけがエレーナを照らす。
現代のアイリア像は実物とは多少異なるが、記憶の中の彼を引き出す材料にはなる。
抱き枕を開発した人間は本当に頭がよかったんだぁと思いながらただただ横になるだけで2日は消費した。
何もかも忘れたかったのだ。
手元にはイケナイ薬物の原液が入った瓶。既に半分くらいなくなっている。
毒物による身体へのダメージすらすぐに回復してしまう【超速再生】では原液くらいでないと思うような効果は発揮されない。しかも気分がトんでハイになるという状態もすぐに収まってしまうので量が必要だった。
後遺症を気にしなくていいのはいいことであるが、その分快楽の享受も少ない。
要するにエレーナはアイリアグッズに囲まれる中で薬をキメ、引き篭もっていたのだ。
「……全然効かないじゃない。せっかくシーツ沢山用意したのに」
脳が焼き切れるようなクスリのアヘアヘタイムが思ったより短いことに落胆し、残りの半分は【転移】で海に捨てた。
涎とか他の体液が少々付着したシーツは……こっそり洗濯場に持っていけばいい。
エレーナは何度目かの悪態をついて仰向けになり、天井のアイリアと目を合わせる。
しかし、思い出すのはクレアのことばかりだ。
「…………死にたい」
同じ言葉を言う人は何人もいる。仕事が忙しい、上司がムカつく、友達や恋人と喧嘩した、家庭が冷えてる、大損した、色々な理由から死にたくなっても、本当に実践するのは一握り。
エレーナはその一握りの中に入るが、結局は死にたくても死ねない体だ。
死ねない自分が本当に憎い。死にたい原因を作った自分が本当に憎い。
そんな自分を好いてくれたクレアやアデジアに合わせる顔が無い。
「師匠、いるのだろう! 何故帰ったのに我に声をかけぬのだ!」
だというのにあの魔王は扉を叩いてくる。
彼が会おうとしているのはフラれたような相手だというのに、それでも踏み込んでくる。
彼はそういう男だ。色々なしがらみを無視して、まっすぐ邁進できる男だ。出会った頃と変わらない、いやそれ以上だ。
エレーナは扉まで這いずり、暗い声で応えた。
「うるさい」
「どうしたというんだ、説明してくれなければ分からんぞ」
「分かってもらう必要はないわ。放っておいて。後で話すから」
「そんな声を聞いて引き下がる我だと思うか?」
「今は会いたくない。誰にも。あなたにも」
「っ……そうか」
こうして簡単に引き下がってしまうところも、惚れた弱みというものか。
今アデジアと顔を向き合わせたら、話をしてしまったら、きっとエレーナは頼ってしまう。恋人と別れてすぐその空白を埋めるようなクソ女になってしまう。
クソ具合ではもう底辺を自負しているエレーナであるが、アデジアを使うような真似はしたくなかった。
まだ3日目だ、残りの日数でメンタルを立て直して、改めてアデジアに今回のことを報告しておかねば。
エレーナは一応魔王の指示で人類大陸に潜入している身なのだ。
クレアのことはともかく、ガラニカ・カンカリオに会いに行くことは話しておかなければ。
「(あれ、残りの日数って……2日? 実質1日……?)」
ふらふらと勇者ベッドに倒れ込み、勇者抱き枕を潰れるくらい抱きしめる。
そしてクスリの残りを捨てたことを後悔した。
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「酷い顔だな。美人が台無しだ」
「うるさい」
「師匠の持ってきたコーヒー、残ってるのがあったんだが、飲むか?」
「ええ」
「それで、何があった。聞いてよいのだろう?」
「……明日、連邦側として戦争に行くことになった」
「なに!?」
エレーナの予想通りの驚き方をしたアデジアは、立ちかけたいつものテラスの椅子に座り直し、顎に手を当てる。
おそらく彼の中でどうしてこうなったのかを処理しているのだろう。彼は単純ではあるが阿呆ではない。
「件の手紙のことか」
「ええ。私を知っている理由を吐かせる」
「まさかそれでそのようなツラになるわけではあるまい」
「……あなたって本当に」
普段から彼女を見ているこの男にとって、彼女を見抜くことは容易かった。
しかし当の彼女は、男に何もかもを話す気にはなれない。
恥ずかしいのもあるし、あれだけ悩んで決めた交際がもうご破算などと報告するのは恰好が悪すぎる。
こればかりはプライドどうこうというよりも、申し訳なさが先立ってくる。
「もういいでしょ。あなたに話すことじゃない」
「クレアか」
「だから、何も言わないで」
「喧嘩でもしたか。いや、喧嘩なら何日も戻ったりはしないな……まさかと思うが」
「何でそう察しがいいの!!」
心をつまびらかにされるのは気持ちのいいものではない。
ましてひび割れそうな小さな核をハリボテで繕った心を暴かれるなど、かつてのミアなら相手を黙らせるか逃げるかをしていた。
それを許さないのが、黙らせることも逃げることもできないのがアデジアという男だ。
ズカズカと人の心に入り込み、好きを隠すことなく、つい頼ってしまいたくなる男だ。
エレーナはそれをよく知っている。何度も折れかけ、言い訳をして彼と向き合うことを避け、この前はついに謝った。
「一瞬だったな」
「やめなさい。やめろ」
「まぁ人間からしたら4ヶ月というのは長いのか? いや、我が師匠に会えない日は1日ですら長く感じるから長いのか……いや逆だと短いのか?」
「やめろっつってんでしょ」
「いやぁ案外早かったなぁ! これはあれか、席が空いたというやつか? これは我期待してもいいやつか?」
「違う! もうっ、知らない」
茶化されてますます機嫌を悪くしたエレーナは拗ねてしまった。
こっちは真剣だというのにどうしてふざけられようか。いや、彼は彼なりに、エレーナを大切にしている。
茶化していると感じている時点で、意地悪ではないのだ。本当に意地が悪ければ、茶化さず本気で口説いてくるだろう。
「それは今回のことが片付けば解決するのか?」
「……無理よ。一度終わらせてしまったものを、離れてしまったものを元に戻すのは、本当に難しい。それにどうケリが付こうと、この先同じようなことが……危険を冒さなければならない時が来たとして、また同じようにしなければならないのは嫌」
結局は、ミア・ブロンズの先行きが不透明なことが原因だ。
何もしていなくても、エレーナを知る誰かが何かをしてくるのだ。
そんなことはありえない。1000年も経った現代で、エレーナ・レーデンを名指しされるようなことなど。
しかし起きてしまった。
起きてしまった以上、クレアに、今を生きる人たちを巻き込むことはできない。
ボーデットを討った時と同じように、過去は過去の者がどうにかすべきだ。
「師匠よ、師匠はもう死人ではない」
「……」
「今を生き、我らと、人間と共に生きている。生きているのだ。息をし、心臓を動かし、考え、笑い、泣くことができる。誰かを思い、誰かに伝えることができる。だから――」
「だから、どうしろっていうのよ」
そっとしておいてほしい、ちょっと魔族の役に立って消えたい。
当初抱いていた淡い願いは、しばらく叶いそうにない。
だからアデジアは、この魔王は、魔王としてではなく、やはりひとりの男としての言葉を告げる。
「だから前を向け。逃げるな。その細く小さな背を叩いてほしいなら、そう言え。エレーナ」
「……そういうところが、本当に……」
弱った心に――弱っていなくても、染みてしまう。
頼りになってしまう。背を借りたくなってしまう。
エレーナは負けた。自分を師匠と慕う美丈夫に。
もう何度目かは分からないが、相変わらず強い。負ける資格すら無いというのに、負ける。
欲しい言葉を欲しい時にくれるこの男に、負ける。
語りながらすぐ傍にやってきていた彼の大きな手を、彼女の小さな手が弱弱しく握る。
「……大丈夫だって、言って」
「大丈夫だ」
この先何が待ち受けているのか、自分は、自分のこの先はどうなってしまうのか。
押しつぶされそうな不安を、彼は一言で、力強い一握りで抱え込んでみせた。
それだけで、少しだけポジティブになれる。一歩でも歩き出せる気がする。
「まだ、前、向けそうには……ない、かもしれない……けど、向く時が来たら……あなたのおかげよ」
「なら重畳だな」
「ねぇ、私はあなたに、何かを返せない?」
「据え膳というやつか……!?」
「…………」
いや、そういうつもりで言ったわけではないのだが、本当に据え膳にしてしまうべきか。しかしそれは何か軽すぎやしないか。都合が良すぎではないか。不義理ではないか。誰に対しての?
エレーナがそんな葛藤をしていれば、見抜いたかのようにアデジアは「冗談だ」と一笑する。
「我は師匠に惚れている。我の物にしてしまいたいと思うのと同じくらい、我は師匠のやりたいことを応援したい。そのためには、今は我は邪魔であろう」
「じゃあ、少しだけ、こうさせて」
眩しすぎて、エレーナは目を閉じ、光源へと引き寄せられる。
頭を預けたその腹は硬く、逞しかった。
「ふ、ふふふ……」
「なによ」
「ご褒美というやつだな!」
こういうところを隠さないところも、眩しい。
いつかエレーナも、この生者の眩しさを得られるのか。答えはいまだに闇の中だ。
「(クレアは……クレアには、こうすることのできる相手は、いるのかしら)」
そう考えて、すぐに考えを霧散させる。
クレアはミアと違って友達がいて、家族もいる。故郷の村に帰れば、温かな実家が待っていることだろう。
きっとこの間にも、彼女を慰める人間は誰かしらいることだろう。テッテたちが気を遣っているのは想像しやすい。
少し羨ましかったが、エレーナは今自分を包む温かさに、これは自分だけが持つものなのだと、逃げ場はあったのだと、少しだけ満たされた。
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そして、アイリア学園から2台の馬車が出発する。
各々、葛藤があったのだろう顔ぶれが総勢7名。
たったの7名が、連邦の頼れる援軍だった。
基本的な使い方さえ分かれば常人の何倍もの力を得られる聖剣氣。
その扱いに長け、戦闘訓練も受け、もはや百人力と言える人材が、連邦から要請を受けた生徒たちだ。ただの兵士や騎士と同じ勘定に数えられない存在だ。
しかし、同じ存在は既に戦場に何人もいる。敵味方問わず。
1000年前の戦場とは何もかも違う。そのつもりでミアは馬車に揺られた。
「流石に緊張するね」
「そうは見えないけど?」
「隠してるだけだよ」
馴れ馴れしく話しかけてきたのは、リーパーだ。
相変わらず金髪碧眼の優男が板についているが、彼の言う通り、隠した緊張が少しばかり伺える。
「パルラス辺りはついてくると思ってたけど」
「彼女はお嬢様だからね。本人が行きたがっても親が許さないだろう」
「その割には、勇者の弟は止められなかったの?」
「止められたよ。聞かなかっただけさ。勇者はこういう時、行動するものだから」
本当にこの男はブレない。もしかしたら、入学当時に出会った時からそのままなのかもしれない。
彼には彼の確固たる信念があり、それに基づいて行動している。
勇者アイリアを真似しようとしているのかは知らないが、命を懸けるような戦場に行くまでに、彼にとって彼の勇者像は大きく、理想を理想のままで終わらせない強さも持っている。
ミアの彼への印象は、それを少しだけ羨ましいと思えるくらいには変化していた。
「馬車で3週間か……急ぎとはいえ、そんな距離にまで戦場は近付いていたんだね」
「リーパー、ひとつだけ忠告しておくわ」
珍しいミアからの言葉に、リーパーは興味を向ける。
これは毛嫌いしていたことへの詫び代わりか、それとも本心からか。ミアはそれを感じさせない無表情で窓の外を眺めながら、呟くように言い放った。
「戦場では当たり前のように人が死ぬ。だから何があっても、あなたが行くと決めたのだから、受け止めなさい」
ミアのやけに実感の籠った言葉に、リーパーは真剣な顔つきを向けることで返事とした。




