54 決別のエレーナ・レーデン
ミアが戦場に行くと決めた理由は、ガラニカ・カンカリオだ。
ウェンユェ・シンウーを差し向けてきたリャーヴェの筆頭。彼はどうしてか、面識のないエレーナ・レーデンを知っている。それもかなり詳しく。
どういうことなのか、単純に気になるし、場合によってはシャレにならない。いや、既に冗談で済まされるわけがない。
エレーナがそもそも人間社会に潜むことになったのは、人類が魔族を認知しているか、また認知していた場合どうするつもりか。というものを確かめるためだ。
幸いにも一部の人間を除き、もはや魔族というのは御伽噺になりつつある。
だがその一部の人間というのが厄介だ。信用と地位のある人間であればあっという間に魔族にとってマズいことになる。
それなのに、これでは台無しだ。
とはいえ反連邦組織リャーヴェ率いる勢力が大陸を二分しようというこのような情勢では、アデジアが言ったように数世代は他に目を向けられないだろう。
人類の魔族への大攻勢にまで発展する心配はないのかもしれない。
最悪、ガラニカを消せばいい。
だがそう結論付けようとしても、ミアの心にはヌルリとした何かが残る。
蜂起の狼煙として大統領を暗殺するなら、ウェンユェにエレーナのことを教えなくてもよかった。彼女に言うことをきかせるなどいくらでもやりようがあったろうに。
呼ばれている。
気になるだろう? なら会いに来い。そう言われている気がする。
すぐ会いに行けるならそうしていたところだ。しかし『戦の国』には1000年前にも行ったことはない。結局魔族軍はかの国の本土に侵攻する前に負けてしまった。
だから行くなら直接赴くしかない。
志願すればすぐ行けたはずだが、今まで行かなかった理由は、クレアだった。
彼女の告白から始まった蜜月と呼ぶにはプラトニック過ぎる甘い日々が、ミアの腰を重くした。
顔を覗けば照れ臭そうに笑うクレアを見ると、満たされた気分になり、他のことを忘れられそうになった。
たったひとりの人間のために、やるべきことをやりたくないと思うようになった。それほどに彼女の隣は心地よかった。
自分でも分かっている。これは逃避に近い。
連邦からの派兵要請はいい機会と言える。簡単に戦場の最前線まで行けるということは、ガラニカとの距離が縮まるということ。直接会うにしろどうとでもなるはずだ。
向き合うしかない。得体のしれない相手に。
そして、戦地に行くなら期間は長くなるだろう。
短くて一年以内、長ければ数年、はたまた事態が収まるまで。この学園を離れることになる。
クレアを戦いに巻き込むわけにはいかない。
彼女が怪我をすることですらミアは恐れているというのに、人と人とが殺し合う戦場なんかに居れば、下手をすれば死んでしまう。そんなことは耐えられない。
だが彼女の性格は分かっている。ミアが戦場に行くとなればなんと言うかすら、丸2年以上の付き合いだから分かるのだ。
「私も行く!!」
ほら、とミアは参った。
戦場に行くと表明した生徒たちが出てきた学園長室の前、待っていたクレアの第一声はそれだった。
まだ何も話してないのに、先に出た『行かない』生徒にでも聞いたのだろう。
リーパーやスーヤたちが気を利かせて先に去り、ミアは場所を移動し、空き教室でクレアとふたりきりで話をすることになった。
「駄目よ」
ミアはそう言うしかない。
「嫌、行くもん!」
「クレア」
「駄目って言われても行くから!」
「これは修学遠征や旅行じゃないのよ」
「分かってるよ! 分かってるから、ミアが危険なところに行くのに、私だけここにいるなんてこと、できるわけないよ!」
クレアの言葉からは、彼女の優しさを感じられた。
その温かさは、こんな状況でなければ頬が緩んでいるほどであるが、こんな状況なのだ。できるわけがない。
ただただ、困る。
「私はクレアについてきてほしくない……」
「……分かってる、それも」
おそらく、ミアの思いもクレアには筒抜けだ。
心配だから、戦いから遠ざけたいから、ついてくるなと言う。それを理解されている。
「でも、ミアが私のことを大事にしてくれるのと同じくらい、それ以上でもなんでも、私もミアのこと……!」
「心配はいらない……と言っても、あなたは聞かないでしょうね」
「そうだよ。分かってるでしょ」
「ええ。分かってる……分かった上で言ってるのよ。あなたはついてこないで」
ミアは胸の奥が痛むのを感じた。
強く言わねば、冷たく当たらねば、彼女は引き下がってくれない。
いや、それだけではおそらく足りない。優しく頑固な赤毛の彼女は、何を言われようと曲げようとしないだろう。
だからこれから自分が口にする言葉に、自分で傷つく。
「あなたは弱い。無駄死にするくらいなら、ここで大人しくしていて」
「っ、わか、ってる……私は、ミアほど強くないのは」
「分かってるなら、分かるでしょ」
「でも!」
「ああうるさい!」
苛立ちが口から漏れてしまった。
「あなたのことを思って、あなたのために言ってるのに、どうして聞いてくれないの! 今の私の気持ちが分かる!? こんなに苦しいのに、せめてあなたには平和でいてほしいの、分かるでしょ!?」
「聞かないよ! 分かってるよ! でも私は、恋人を黙って戦争に見送るなんてできない!」
クレアの言い分は予想できるものだった。
嬉しく思う。それほどまでに思われているのは。
予想できたからこそ、ミアは切り札となることを口にする。
「なら…………私たち、別れましょう」
「……は…………?」
クレアが固まった。固まってくれたと言った方がいいか。
誰もいない教室の時間ごと固まったような感覚さえあるほどに。
互いに無言のまま向き合い、1分が経とうという頃、ようやくクレアが震える口を開く。
「ミア、なに言ってる、の……?」
ミアは表情を崩さないことに精一杯で、すぐに口を開けなかった。
口の中が乾いたかと思ったら粘り気のある唾液が出てきて、活舌が心配になる。
それでも告げたことは貫かなければ。
「言った通りよ。私が恋人でなくなれば、あなたが愚かな行動をとらないで済む」
「ッ、ふざけないで!」
「ふざけてないわ。だからもう、私に構わないで」
「ミア、待って!」
これ以上は耐えられない。ミアは早々にこの場を去ろうとした。
引き留めようとするクレアが手首を掴んでくるも、引き剝がしした。もう彼女の顔を見られない。
自分が発した言葉なのに、胸が引き裂かれる感覚で顔が歪んでしまいそうだ。
冷たく別れを切り出した側が、こんな顔を相手に見せるべきではない。
「待ってよ!」
教室から出ようとした時、ミアは頭に柔らかい物が当たるのを感じた。
フワリとした、ポスッとした小さな丸い物。
それが何か気になって、足を止めてしまった。
足下を見れば、床に落ちて広がったハンカチが目に入る。よく覚えている。恋人になって初めて行ったデートでクレアにプレゼントしたものだ。丸めて投げたのだろう。
最初に「ならこんな物もういらない!」という意味で投げ返されたのかと思った。
別れると言ったのは自分だが、一方的で酷いという自覚はあるのだが、すぐにこんなことをされるといよいよ泣く。
ジワリと浮かびそうになった涙を止めたのは、投げた本人の叫びだった。
「決闘して!!」
一瞬だけ目を閉じ、涙を引っ込めてからクレアを見る。
怒っていた。
ミアは朝に弱く、起きない日などはよく「もー!」と怒られたことはあるが、その比ではない。
怒り心頭。
愛しい恋人は唇を噛み、涙を浮かべ、キッとミアを睨みつけている。
「は?」
「私が勝ったら、全部取り消して! 別れないし、ついていくから!」
決闘を受けるのは今回が初めてではない。この学園にはそういう制度があるし、生徒なら誰でも挑むことができる。
いや、できるからと、何故今なのか。
言って聞かないミアにくらいつく最後の手段として決闘を選んだ。少し考えれば分かることだが、ミアは呆気に取られてそこに辿り着かない。
「なにを……やめなさい」
「やめない! 私を納得させたいなら、決闘でそうしてよ! じゃないと一生付きまとう!」
まさかクレアがこんなことをしてくるとは、というのがミアの率直な思いだった。
決闘といえば、木の剣を使うとはいえ試合だ。
魔法を使ってはいけないというルールはない。実力差は圧倒的。
それなのに挑んできた。
決闘は断ることができる。
できるのだが、ミアはすぐに動けない。
その隙にクレアはミアの手を引いて廊下を歩き、たまたま歩いていた第2クラスの教師キラミル・ソトレイナスを捕まえ、すぐさま集会などに使うホールまでやって来させていた。
ホールには人影はなく、「どういうことだ」と首を傾げるキラミルとようやく我に返ったミアとの3人だけだ。
「決闘するので、立ち合いやってください!」
「え、おう。それはいいが……」
「ミア、するよ」
「待てプレトリア、決闘用の木剣はどうした」
「あ……持ってきてください!」
「……」
キラミルがなんとも言えない顔のまま出ていき、残されてやっと口を開けるミアが最後の抵抗を試みる。
「どうして……」
「言わなきゃ分からない?」
「やめて……」
「やめない。私怒ってるんだよ」
「できるわけないでしょう……私があなたと、決闘なんて」
「できないなら、私の勝ちだね。さっきも言った通りついていくから」
「駄目よ、やめて!」
ミアがクレアに手を上げられるわけがない。
好きなのだ。彼女のことが。好きな相手を傷つけることなど、できるわけがない。それをやっていたのは1000年前だけだ。
だがこのまま何もせずにいれば、クレアは強引にでもついてきてしまう。
それは傷つけるよりも恐ろしく、絶対に避けなければならない事態だ。
何があるか分からない戦場で、何を考えているか分からない相手と会って、そんな状況でクレアを守り切る自信はないのだから。
どうにかこの場を収める方法は無いのか。考えているうちにキラミルが戻ってきてしまった。
「ミア、持って」
もう、剣を取る以外の道は無かった。
「ハァ……言っておくがな、私も忙しいんだからな。決闘は遊びじゃない。やるなら正々堂々戦え。準備はいいか?」
最後の最後の抵抗のように長く頷かなかったミアだが、クレアに睨まれているうちに頷いてしまった。
それを見たキラミルが手を掲げ、開始を合図する。
「始め!」
先手はクレアだった。
腰の引けたミアのことなど露知らず、身体強化で一気に肉薄、鋭い斬撃を速攻で加えていく。
木剣同士がぶつかり合う乾いた音がホールに響くが、肉に当たる音はしない。
ミアは反射的に防いでいた。
「はぁぁっ!」
渾身の斬撃を受け止め、細いミアの腕が揺れる。
やはり聖剣氣持ちの戦闘能力は高い。
柄をしっかりと握っていなければどこかへ飛んで行ってしまうような攻撃がずっと続く。
異常個体の人間と戦っている気分だ。
ミアはこの期に及んでも躊躇していた。
勝とうと思えば勝てる。魔法でも使えばいい。
それができれば苦労しない。
「ミア、真面目にやって!」
斬りつけながら、クレアが唾を飛ばしてくる。
できるわけない、そう言いたいが、言えない。
「私は……」
「私のこと好きなら、ついてきてほしくないなら、ちゃんとやってよ!」
「っ!?」
ひときわ強い一撃、ついにミアの持つ木剣がすっぽ抜けた。
それを見逃すクレアではない。
参ったと言わせるべく、容赦のない攻撃がミアの肩を打つ。
広いホールに、初めて鈍い音が響いた。
「っ……」
痛みにミアの顔が歪む。
無抵抗のまま、綺麗に打たれたのだ。
肩の骨や鎖骨、上の方の肋骨も折れた。魔族の体でもこれだけの被害を受ける攻撃。それがクレアの力。
ミアは少しだけ、弱いと言ったのを訂正しようと思った。口には出さないが。
クレアもまさかそのまま受けるとは思っていなかったようで、多少の動揺が瞳に現れ、それを首を振って払い、気丈に言葉を発する。
「どう、参った?」
「……いいえ」
「痛いでしょ? 参ったって言って」
「言わない」
「ミア!」
クレアとて、好きでミアに剣を振っているわけではない。
自分の手で恋人を傷つけることを忌避するのは、ミアだけではない。
ミアを大事にしたい自分の本能を理性と言い訳で抑えつけ、この決闘を挑んだのだ。
参ったと言わせなければ、この戦いに意義が無いのだ。
「あなたを黙らせて、置いていく」
既に傷の癒えたミアは、驚くクレアを尻目に木剣を拾いに行く。
そして構え、真っ直ぐ赤毛を睨みつけた。
もうここまで来たら、折るしかない。頑ななクレアの心を。
「魔法は使わずに、あなたに勝つ。あなたが私よりはるかに弱いと分かってもらう」
今度はミアから攻め込んだ。
魔族の身体能力は、聖剣氣持ちにも引けを取らない。
素の状態のままでも、ミアはクレアを圧倒する。
「舐めないで!」
クレアも負けじと剣を振る。
先ほどよりも強くなった音たちが剣戟の激しさを物語り、やがて終わりが訪れた。
ミアが狙ったのは武器破壊。自身の力にものを言わせ、クレアの木剣を思い切り叩く。
手が痺れるほどの衝撃が伝わっているはずだ。それでも剣を落とさないのは、やはり彼女の頑固さ故か。
しかしいくら心を強くしようと、木剣の耐久性は変わらない。
何度目かの強かな打ち付けで、とうとうクレアの木剣はバキリと砕けるように折れた。
「なっ……!」
「終わりよ」
こちらもヒビだらけになった木剣を首筋に付きつける。
もはやクレアに戦う術は残っていない。
「っ、終わりじゃない!」
が、クレアは手を振り上げた。
虚を突かれたミアは、彼女の攻撃をまた防ぎ損なう。
乾いた平手打ちの音が、ミアの左頬を打った。
「ぁ……」
ジンジンした痛みに、思わず木剣を降ろしてしまう。
どうしてか、木剣で体を打たれるよりも強い痛み。
目を見開いてクレアを見れば、そこには先ほどまでの鬼気迫る少女はいなかった。
「っ、ミアの、バカ……ばかぁ……!」
クレアは一連の戦いで、ミアとの力量の差を思い知らされていた。
自分が打つ攻撃は捌かれ、いなされ、避けられ、防がれた。
相手が打つ攻撃は的確に自分の木剣を打ち、ついに破壊せしめた。
剣戟とは名ばかりの、一方的な戦いだった。クレア本人が傷ついていないのは、ミアが意図してのことだ。
意図できるほどに、それをやり遂げるほどに、差があった。
数分に満たない時間の中で、クレアは届かないと悟った。
「もうっ、嫌ぁ……!」
届かない相手に惨めに縋るのも、大事な人を傷つけようとするのも、耐えられなくなった。
なによりクレアの心を貫いたのは、その大事な人が発する言葉だ。
「分かったでしょう。あなたは弱い。私についてくることはできない。あなたに私を守る力なんて無い。これで私たちは終わりよ」
ずっと我慢していた涙が、溢れてしまった。
ミアから投げられる言葉のひとつひとつが、ふたりの関係を切っていく。
それは神経を切られるより痛く、冷たく、心を穿つ。
「(謝ってはいけない……)」
ミアは今度こそ、クレアの前から去る。
「終わりか?」
「はい。私の勝ちです」
「プレトリアは、それでいいか?」
「っ、グスッ……」
「……ブロンズの勝利だ」
勝利を告げた彼女に木剣を返し、ミアは寮へと戻る。
今日はもう授業を受ける気分ではない。
かくして4ヶ月という短い間の恋人関係は終わり、その間忘れることができていた自殺願望が、ミアの中で水を得た魚のように暴れ回る。
こんな思いをするのなら、最初から踏み込むべきではなかった。
後悔は尽きない。




