いいえ1-5 思うなかれ
クレアへの返答は、彼女の告白から2日後の夜というスピードで行われた。
ミアは月に数個という制限をかけたストリアを食べて英気を養ってから、クレアの部屋へと向かう。
扉をノックすれば、慌てた様子の彼女が出迎えてきて、すんなりと中に入れた。
「(クレアの匂いがする)」
普段から入り浸っているのだから当たり前なのだが、意識してしまうと五感がいやでもクレアを見つけてしまう。
まだ何も話してないというのに、既に赤面してしまいそうだ。しているかもしれない。
「考えたわ」
「う、うん……」
考えた。アデジアにも打ち明け、話した。
結果、ミアは自分が思った以上にクレアに心を占拠されていると分かった。
人間と魔族の寿命の違い、ミアの本来の姿や目的、そういうのは片隅に捨て置くことにした。
重要なものには違いない。しかしそれよりも好きだという思いが強くなってしまったのだ。
アデジアという無二の恩人よりも、人間の彼女を選んでしまった。
今だって罪悪感が胸を裂こうとしている。もうひとりの自分が常に非難を投げつけてくる。
お前はなんて奴だ。自分勝手が過ぎる。最低。謝っても足りない。
それに、いまだ燃え尽きない1000年前の恋心もまた、ミアを責めたてる。
既に終わったはずの恋が、逃すまいと心臓を雁字搦めにする。
二重苦に苛まれながらも、ミアは押し通った。
ミア本人ですら誤算だった。
平和に誰かと共にい続けることが初めてだったというのもあるのだろうか。
それがまさかこのような心の変化をもたらしてしまうとは。
いけないことだと分かりながら、それでも求めてしまうアンビバレントな心は、均衡を保てなかった。
ベッドに並んで座り、まっすぐクレアを見つめ、ミアは口を開いた。
「私はクレアのことが好き」
試験結果を待つよりも緊張していたクレアの顔が、一言で綻ぶ。
だがミアからの告白はここで終わらない。
「これは恋だと思う。でも私は、えっと、あれ?」
ミアが事前に用意した台詞はここまでだった。
彼女が行ったのは気持ちの確認であって、言葉の準備ではなかったから。
恋を自覚してから、クレアに早く伝えたいがあまり、どう伝えるかまでを失念していたのだ。
その結果出来上がったのが、数秒前までの勢いが完全に失われた情けない姿だった。
「ミア?」
「なんというか、軽い気持ちは嫌というか……私は、価値観がね、古くて」
思わず目を背けてしまう。
気持ちが先走って思うように言葉を紡げない。
余裕がない。
素直に好きだと伝えればいいのに、ただ好きだと伝えるだけでは思いのすべてはぶつけられない。
「…………」
ミアの中のプライドが、言葉を止めた。
『魔王の騎士』として恐れられ、目の前の少女より長く生き、これまでも余裕をもって接してきた今までの自分の像が、告白を妨げる。
クレアは黙って聞いている。
だから無言の時間が訪れても、催促することなく待っている。
このようにじっくり思いを打ち明けることが、ここまで恥ずかしくかっこ悪いことだとは思わなかった。
そうだ、いつだって本心を明かすのは恥ずかしいのだ。
「……ちょっと待って」
「ミア、いいよ。ゆっくりでも教えてくれれば」
クレアの手が、ミアの背中をさすった。
物理的な接近に、一瞬ドキリとする。
だが赤子をあやすような手つきに、彼女が妹を持つ姉だということを思い出し、腕に抱かれるようにミアも上体を傾かせ距離を縮めた。
甘えているという状況に、自身のプライドを少しずつ溶かす。
ゆっくり、ゆっくり、再び口を開く。
「私は、軽いのは嫌……一生私を愛してほしい……だから、私は、クレアと、そういう関係になるなら……ずっと一緒がいい……」
俯いたままぽつぽつと漏らす。
プライドという堰が徐々に決壊し、ひび割れからしみこんだ感情が口を伝って溢れ出る。
「だからっ、私とのお付き合いは、結婚を前提に考えて!」
言い切った。
言い切ってから、ミアは後悔した。
「(ばか、馬鹿……!)」
思いを伝えたことを後悔しているのではない。言いたいことは言った。
問題は内容だ。
いつもそうだ。愛するよりも愛されたいと願ってしまう。
相手に愛を与えるよりも、自分が享受したいという思いを優先してしまう。何年経っても変わらない自分勝手な本性に嫌気がさした。
クレアは今のを聞いてどう思っただろうか。
軽い気持ちで付き合おうと思っていたのなら、とんだ相手を引いてしまったことになる。
重すぎか、自分勝手か、幻滅されたら、失望されたらどうしよう。
ネガティブな自罰がこみ上げ、涙が出てきそうになる。
「だから、その……」
「そっか」
背中にあった手が、肩に回された。
かと思えば、少しの力で引かれ、ミアの頭がクレアの肩に乗る。
「ミアって重いんだね」
声色から表情を察することを忘れて、ミアはひとつ体を震わせる。
自分の中の最悪の想定が現実になったのかと怯える。
「でも、そっか」
「クレア……?」
肩の手が頭へと上がり、ふわりと亜麻色の髪を撫でる。
さらさらの髪は、訓練で少し硬くなったクレアの手を絡めることなく通す。
「初めて知ったなぁ。もうすぐ2年になるのに」
「……ごめんなさい。私は、私のことを話せないから」
少しだけ頭を肩に強く押し付ける。
避けることも引くこともなく、受け止められた。
「でも、この気持ちは本当で、だから……」
「じゃあ、しちゃう?」
「えっ?」
「その……け、結婚」
ミアはバッと顔を引き、クレアを見た。
その頬は赤く染まっており、声と同様、目も泳いで震えている。
「そんな軽く……」
「かっ、軽くないよ! ミアの気持ちを聞けてよかったって思ったし、ミアなら……って」
「嫌なら無理しないで、私が重いだけだから……」
「無理してない!!」
先ほどまで優しかった手が、力強くミアの肩を掴む。
逃がすまいという強い意志を感じられた。
おかげで真正面からクレアと対面することになり、ミアの赤面もバレてしまう。元々隠しようもなかったが。
「むしろ、ミアが私を好きっていうのが今も信じられないというか! ミアが言うなら結婚でもなんでもするっていうか! そもそも何で私の事好きなの!?」
クレアは軽いパニックになっていた。
酷い時には一日に何人からもアタックされていたミアが、誰もが綺麗だという美少女が、自分を好いている事実をにわかに信じられないのだ。
自分がミアと釣り合っていないという陰口を聞いても「そりゃあなぁ」という感想くらいしか抱いていなかったほどだ。そもそも比べるような存在ではない。それほどにミアの美貌は人並み外れていた。
そのミアが、だ。
「何でって、それ、は……可愛いところとか、一緒にいて楽しいところ、とか……」
「そ、そう……なんだ」
それきり、互いに目を合わせられないまま無言になる時間が続いた。
外からの音がやけに遠く、熱い呼吸音が部屋の中を支配している。
その状況が、誰の邪魔も入らずクレアの手の届くところにいるということが、ミアに安心感を与えた。
心の中にある自罰的な何もかもが、薄れていく気がしていた。
すべてを忘れてクレアの胸に飛び込むことができたら……引き寄せられ、我に返る。
「っ、け、結局どうなの? クレアは……私のこと……」
その言葉にクレアもまたハッとし、数秒慌てた後、覚悟を決めたように口を結ぶ。
「……私は、ミアが好き。ミアがそうしたいっていうなら、どこにだってついていくよ。だから、私と……おつ、お付き合い……して?」
「…………ええ」
「……抱きしめても、いい?」
「……して」
出会った頃から変わらない体が、成長して大きくなりつつあるクレアに包まれる。
頭を預けるよりも、肩を掴まれるよりも、距離が近い。
互いの呼吸が耳元で聞こえ、速い心臓の音を互いに伝え合う、静かな時間だった。
「ミア、好き」
「私も、クレアが好き」
2人の背中に回った腕たちが、言葉と共により締め付ける。
それはこのままひとつになれたらと言っているようだった。
ミアはそのままクレアの部屋で一晩を過ごした。
同じベッドで寝ることは何度もあったが、このような関係になってからは初めてだ。
舞い上がって夜が更けるまでクレアと他愛もない話をしたり、手を握り合ったり、眠気が騒ぐまで2人の時間に浸っていた。
そもそもミアは恋をしたことはあっても恋人ができたことはない。
恋人とはこういうものなのか、という新鮮な気持ちも大きかった。
ついに眠気に負け、どちらからともなく眠りの世界に堕ちていく。
そしてミアは夢を見た。
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クレアと共に寝ても、クレアの夢を見ることはなかった。
代わりに現れたのは、ふたりの少女。
ミアは夢の中とは思えないほどハッキリした意識の中、少女たちと対峙する。
どちらも暗闇の中にあって輝く銀髪と、宝石のような深紅の瞳を持っている。
ひとりは知っている。
見た目は10歳前後。何もかもを奪われた少女。なんの力も持っていなかった少女。
少女は、かつてのエレーナだった。
『魔王の騎士』として恐れられるよりもずっと前の、泣き虫の少女だった。
もうひとりも知っている。
感情の一切を押し殺した底冷えするような射抜く目、やつれているような、怒っているような少女。
隣に立つ少女が成長した、14歳ほどの見た目の少女。
魔王イムグに仕えた『魔王の騎士』、エレーナ・レーデンである。
「愚か者」
対峙する自分――ミア・ブロンズと名乗る亜麻色の髪に灰色の瞳を持つ少女は、ふたつ分の罵倒を受け続ける。
「あなたは死んでいる」
「1000年前に死んでいる」
「ここにいるべきではない」
「亡霊が生きようとするなんて」
「死者が生者と交わってはいけない」
「あなたが決めたこと」
「だからアデジアを諦めたのに」
「どの口が人間を愛するというの」
「裏切り者」
「浮気者」
「弱い女」
「馬鹿な女」
「シェリアに負けて」
「ミアに負けて」
「逃げるというの」
「恥じることなく」
「人間を」
「使って」
「自分を」
「慰めるだけ」
彼女らがなにかを言う度に違う場所に立っているのは夢だからだろうか。
交互に繰り出される言葉に、ミアは一切の反論をしない。いや、できない。
もうやめてと懇願することもできない。
自分を責めているのは、自分自身なのだから。
「あなたはクレアを見ていない」
「クレアを通して自分を愛したいだけ」
「あなたは誰も愛していない」
「愛しているのは自分だけ」
「何も変わっていない」
「愚かなまま」
「間違えたまま」
「祝われないまま」
「命を奪ってばかりいたあなたが」
「幸せを奪ってばかりいたあなたが」
「罪を押し付けていたあなたが」
「自分勝手なあなたが」
「「幸せになる資格なんてない」」
泣くことも逃げることも言い返すこともできないまま、ミアはすべてを胸の内側に刺す。
そうしてようやく、一言だけ発することができた。
「分かってるわよ……」
このまま闇に沈んでいけばいい。
もう二度と覚めることのない、自らを罰する夢の中で。
足から沈み、頭まで沈み、光など与えられない世界へ。
だがこれは夢だ。本当に行けるわけではない。
2人のエレーナ・レーデンも、実際に存在するわけではない。
だからこの腕たちも、ミアの後ろから伸びる、何本もの白い腕たちも。
ミアを護るように囲み、叱咤するように叩き、慈しむように包むこれらもまた、夢の産物に違いない。




