いいえ1-4 結ばれるとは
投じられた石がもたらした波紋が、ミアの水面を揺らす。
クレアの告白は、ハッキリ言えば意外だった。
これが親友なのだと、そう思える人間が、親友ではない、別の関係になりたいと言ってきた。
クレアの発した言葉を心の中で繰り返す。
恋人というのは、あの恋人だろうか。
かつて人並み以上に恋焦がれたことのあるエレーナがついぞ作ることのできなかった、あの恋人だろうか。
ぶわっと頭の中にクレアと限りなく近い距離にいる自分を想像する。
互いに笑い合い、睦まじく、手を繋ぎ、やがて別の場所も繋がり――
不意に自分を師匠と呼ぶ青年の姿がよぎった。
この間僅か1秒に満たない脳内世界である。
「え、あ……」
言葉が上手く出てこず、見開いた目をぱちくりと瞬かせる。
目の前にはクレア。それは変わらない。
なのに一瞬、誰か分からなくなる。
入学日に出会ってからこれまでずっと付き合っていた友人だ。
好きな色、好きな食べ物、好きな服装、好きな季節、沢山の好きを知っている上から出た新たな『好き』が、彼女をこれまでとまったく別人に映しているように見える。
「……迷惑、だった?」
呆けていると、不安そうな声が耳朶に触れる。
そうだ、クレアは告白をしたのだ。
冗談でここまで真剣な雰囲気を出してくる子でないことは、ミアが一番よく分かっている。
好きだと言われて、不快感は無かった。
クレアはいい子だ。その隣は居心地がいい。
ハッキリ言って、恋仲になってもいいと思う。
しかし告白とは一世一代のものだ(ミア調べ)。ここまで真剣にされて、『晩御飯?うんいいよ行こうか』みたいなノリで返すことはできない。
どうでもいい相手でないから、受ける側も同じだけの葛藤が生まれる。
「迷惑、では、ないわ……」
ミアはまずマイナスなすれ違いを無くそうと努めた。
世界は広い。異性を愛する者、同性を愛する者、色々といる。
古くから続く『愛の国』の思想は意外と人類に浸透しているため、よほど厳しい国でなければ同性同士で後ろ指をさされることはない。
ミアは別に同性を愛せないというわけではない。異性だろうが同性だろうが好きになったら好きだ。
というか異性にも同性にも恋したことがある。
クレアをそういう目で見れるかと言われたら、見れる。
だからクレアの告白が迷惑ではなく、不快でもないことを示した。
「えっと……」
「そういう目で見ていたのか」「びっくりした」「単純に嬉しい」
そういったことを言おうとしても、なにかが違うと感じて喉から先に出ない。
本当に意外だったのだ。予想だにしていなかった。
だからすぐに動けない。体も口も。
それでも無言を貫くわけにはいかない。
きっちりと答え、答え――
「か……考えさせて……」
逃げた。
言いたいことは何一つ言えず、逃げに徹した。
暖かいはずの部屋の中で、体が熱くなったり冷えていったりしている。
クレアが「うん……わかった」と退いてくれたのが救いと言えるだろう。
次の日ミアは外出すると言って大陸残滓へと物理的にも逃げた。
□□□□□
「ねぇアデジア、私告白された」
神妙な顔をして帰ってきたミアは変装を解くことも忘れてアデジアを驚かせた。主に言葉で。
実際には告白など入学してから数えきれないほどされてきたのだが、報告するのは初めてだ。
どれほど驚かせたかというと、おかえりのハグでもしてやろうかと躱されることを覚悟で近付いてきたアデジアが途中でコケたほどだ。
「師匠ーーーー!! どういうことだ!!」
「いや、どうしようかなって」
「どういうことなのだ!」
魔王とて世間知らずではない。告白という言葉の指す意味は分かるし、されたミアの反応からして一蹴したわけでもないと分かる。
肩を掴んで前後に揺らそうとも思ったアデジアは、側近たちの目があることを思い出し、咳払いをしてミアをテラスへと招いた。
魔王城に帰ってきて必ずと言っていいほど訪れる場所がこのテラスだ。
普段であればお土産と共にティータイムかコーヒータイムなのだが、残念ながらどちらもお出しされないようだ。
整った顔の口をへの字にしたアデジアが腕と足を組んで完全防御態勢になってから話を振る。
「それで、告白されたというのを我に言う理由はなんだ?」
「……さぁ」
「なんだそれは。というか相手は誰だ」
「……それが、クレア、なんだけど……」
「なに?」
アデジアは即座に勇魔大会の時に出会った赤毛の少女を思い出す。
ミアとは仲が良さそうだったし、彼女自身の口からもよく出る名前だったから憶えていたのだ。
その少女がミアに告白、というビジョンが想像できるようで、できない。
「それで、どうしたのだ?」
「保留にした。考えさせてって」
「意外だな。そういうのは断ると思っていたが」
アデジアは「考えるまでもないはずだが」と続ける。
「断るしかないのではないか?」
その通りだ。
ミアも頭では分かっている。
どうせ卒業まで、いや卒業を待たずとも、いつでもミアはこの潜入を切り上げてそそくさと帰ってもいい。
元々の『人類が今も魔族を認知し、攻め込もうとしているかを見極める』という目的は、たとえ達せられなくても人類同士の戦争によって数世代はうやむやだ。
そんな中でクレアを恋人にしても、虚しいだけではないか。
だがそんなことは最初から分かっている。
その上でミアは答えを保留にした。
ミア自身、クレアの告白に揺らいでいるのだ。
クレアを恋人にする、いいことだと思う。少しの間だけでも。
なにせこれまで恋をしたことはあっても実ったことはなかったのだ。夢を見たっていいじゃないか。という矮小な欲がミアにはあった。彼女はまだ心が若かった。
「それとも、良い返事をするつもりか?」
見透かされているか、アデジアが諭すような声色を出す。
「我としては師匠が我以外に思いを寄せるのは非常に、非常にいい思いはしないし、嫉妬もするが、それを抜きにしても、人間と番うのはあまりいいことだとは思わん」
「つ、番うって気が早くない?」
「価値観の違い、寿命差、そして師匠の正体。どれも無視できる問題ではないはずだ」
アデジアの言うことはもっともだ。
嫉妬すると自白しているとはいえ、真剣にミアの相談に乗っている。乗った上でまっとうに反対した。
それがミアにも分かっているからこそ、やはり悩みは解決しない。
「まぁ、クレアとやらが師匠とどこまでを考えているのかがまだ分からんがな」
「どこまでって……」
「例えば卒業するまでなのか、それとも我のように生涯を共にしたいと思っているのか」
ドキッとした。
この男はたまにさらっと大きな愛情を向けてくるから油断しているとクラッときてしまうのだ。
って、クレアのことを考える時間なのに別の男に目を向けてどうする。ミアはブンブンと首を振った。
「そうね……」
アデジアが挙げた2つのうち、なんとなく前者は嫌だなと思った。
どうせならそんな軽い気持ちじゃなく、生涯寄り添うくらいの気持ちでいてほしい。そうでなければ釣り合わない。どうせ始めるなら夢から醒めたくない。
ミアは重い女だった。
「それはまぁいいわ」
「何がいいんだ」
そこはクレアと要相談だ。
もし軽い気持ちだったのなら、重くさせるだけのこと。
「アデジア、私はね、本当のこと言うと恋人なんて出来たことないのよ。結婚なんてもってのほかだわ」
「ああ。うん? おう」
「さらに本当のこと言うとね」
ミアはテーブルに両肘をつき、手を組んで顔の前に持ってくる。
「クレアと結ばれたい」
「…………」
「分かってるの。色々ダメなのは。それにあなたにこんな話をするのも、よくないって……」
アデジアのあまりに痛そうな顔を見ていられなくて、視線を落としながら話す。
「告白されたとき、多分、あの時受けようとしてた。けど、あなたの顔が浮かんだ……悪いと思ったの」
言い方を悪くすれば、ミアはアデジアをキープ扱いしているようなものだ。
彼の思いを知りながら、彼と違う相手を思う。そんな不義理をはたらいているのだ。
「どちらも取ることはしないのか?」
軽々しく言ってくれる、とミアは小さな口をさらに引き締める。
アデジアのこの発言はその嫉妬と矛盾しているが、現在の魔族全体の話だと別に問題ではない。
1000年前の大陸崩壊で滅びに瀕した魔族は、とにかく子孫を残さなければそのまま絶滅していたかもしれない。
当時から相手に拘らずにとにかく全員で子作りをするという文化が生まれ、比較的安定してきた今でもそれは残っている。
多夫多妻という概念が基本になっているのだ。
なのでミアがクレアと付き合いながらアデジアと付き合う、ということ自体は現代の魔族にとって不思議なことではない。
「我はまぁ、本心を言えば他の者がいるのは気にくわんが、師匠がいいというのであれば別に強く否定することもないが」
「それはなんか、私が嫌かも……」
一方ミアは古い時代の住人だ。
結ばれるのはひとりにつきひとり、という考えだ。
これが王族や貴族であれば話は別だろうが、少なくともミアの感性は庶民だった。
「……なら、我のことは気にするな」
「えっ?」
「人間など100年も待たずして死ぬ生き物だろう。ならばそれを待てばいい」
ミアは目の前の男の懐の大きさに、思わず自分の矮小さが情けなくなった。
彼は『待つ』と宣言したのだ。
普段から好きを隠さない彼が、自分よりもミアの思いを優先し、譲った。
「ちがっ、くて……いや、その……」
「ふっ、その反応を見られただけでもよしとすべきかもしれんな」
「アデジアっ!」
「何故そっちが怒る」
「怒ってるのは私に! 私は、あなたにいつまでも応えないのに、人間に……!」
アデジアが大人な対応を見せれば見せるほど、ミアは自分が嫌になっていく。
自分の中の規律のようなものと、自分の心がぶつかり合っているのだ。
「人間と、そうなりたいって思ってる……! なれたらいいなって、あなたとだって……」
そんなことを気にせず、無責任にその場の流れに身を任せられたらどれだけ楽だったか。
本音を言えばミアはどちらも手から零したくない。
だが凝り固まってしまったものを溶かしていくには時間がかかり、まだ溶けきっていない。
「都合のいい奴を演じないでよ……」
「いや、演じさせてもらう」
おもむろに立ち上がったアデジアの影が、テーブルとミアを包み込む。
それは大きく、頼もしく見えた。
「エレーナが望むのであれば、我はいくらでも待つ。心変わりもしない」
「どうして……」
「好きだからだ。耐えてもいい、待たされてもいい、それで我の思いが届く時が来るのならな。それほどに好きだ、エレーナ・レーデン」
彼からの好きは何度も伝えられているが、これほどまでに心臓を鷲掴みにされるようなことは初めてだった。
彼の思いが報われる、そんな保証はない。
それはミアが今もっとも口にしてはいけないことだ。
しかし思わずにはいられない。
未来の自分の心など、どうなっているか分からないのだから。
きっとアデジアもそう思っているはずだ。
それでも、金色の瞳に宿る自身は揺らがない。
ならばミアにできることは、この男を裏切らないこと。
目覚めてからずっと、彼には良くしてもらっている。
返さなければいけないという義務感もあるが、ミアは本心から報いたいとも思っていた。
「というか、なんで私がクレアの告白を受けること前提で話が進んでるのよ」
「受けるのだろう?」
「……ええ、まぁ、そうね」
「だがもし師匠が悲しむことがあれば、その時は人間のひとりやふたり……」
「やめなさい」
「師匠の為に怒る権利くらいは持っているつもりだぞ」
「うぐ」
ともあれ、ミアの心は決まった。
決まっていた、と言えるかもしれない。
親友だと思っていた。これは親友に向ける情なのだと見誤った。
初めて会った時か、ボーデットの砦に助けに行った時からか、偽りの恋人になった時からか、『港の国』で語り合った時からか、勇魔大会の時か――
いつかは分からない、きっかけなどわからない。いつからかミアはクレアを好きになっていたのだ。
クレアの笑顔や、声や、手を、感じたい。
他の者ではなく、彼女のものを。
それは恋だった。
それを昨日、自覚してしまった。
恋に恋するのではなく、クレアを好きだと自覚し、たった今、まさしく確認してしまった。
理由をつけて否定しようとしてもダメだった。心の濁流は堰を超えて暴れている。
価値観は合わせていけばいい、寿命差も自身の正体も、どうでもいい。とにかく向こう見ずに恋を実らせたい。
会いたいと強く思ってしまう。
「……その顔を見ると数秒前の自分を殴りたくなるな。やっぱり反対だ!」
「っ、どういう顔!?」
「我はそんな赤いにやけ面を見たことはなかったというのに!」
「に、にやけ……!?」
この日、ミアは謝罪と感謝の意を込めて魔王城に泊まることにした。
魔族大陸にいるからか、彼の前だからか、久々の心からの安らぎは、得難いものとしてミアの心を癒した。




