いいえ1-3 編んだとして
2年生最後の休日、『柱の国』は冬の吐息に包まれていた。
大陸のこの位置には四季がある。夏と冬、あとその中間。
目覚めてから数度目の冬は、いまだ新鮮さを持って天魔族の肌を刺す。
道を行く2人。横を歩くのは見慣れた赤毛の少女。寒さからか頬までほんのりと赤らんでいる。
ミアとて同じだ。互いに毛皮の手袋で頬を包み合いたくなる。
天柱教の文化圏──つまりは人類大陸では冬は再生の季節だ。葉の落ちた木々の再生を事前に祝うことで未来の豊穣を祈願する祝いの季節でもある。
暦が新年を示すところからも、やはり新たなる一歩という季節にもなる。
学園も雪が降り始める前から雪解けまでの数ヶ月間は長期休みになる。
雪によって帰省が滞らないようにというものだ。
よってただでさえ減った学園の生徒はさらに減っていた。
クレアは例によって帰省しない組だったが。
学園に入って2度目の季節だ。ミアのやることは去年とあまり変わらない。
部屋に籠って小説などを読み、時間になったらご飯を食べ、クレアと出かけ、たまに大陸残滓に帰省する。
最初のうちは周りにそういうキャラだという印象を与えるアリバイ作りのためにやっていたが、途中から本気でダラけるようになり、アデジアに「ちょっと肥えたか?」と言われこのままではいかんと気を引き締めた。
今年はそのようなことがないようにしなければならない。
「へへへ、今年は一緒に行けて嬉しいな」
去年のこの日は、たまたま帰省して姿を消していた日だったので合わなかった。
人類文化によると今日は年に一度の『死の国の日』である。
死んで『死の国』へと行った魂が戻ってくるという、ありえない現象が起きる日だとか。
何故ありえないかというと、ミアは何回もその日を過ごしているはずなのに一度もひとりとして会いに来た者などいないからだ。
おそらく会いに来たとしても目が合った瞬間刺されるだろう。殺した人数を考えると針鼠になる。
クレアに連れられてきた礼拝堂は、人でごった返している。皆寒い中ご苦労様と言いたくなる光景だった。
「そういえばどうしてここに来たの? 会いたい人でもいるとか?」
「ううん、別に家族は死んでないよ。あ、ご先祖様とかそういうのは抜きで」
ならますます何故かと聞けば、「気分?」と答えられた。
気分で来ていいものなのかと首を捻る。
近くにいた修道女がたまたま話を聞いていて「身近な方でなくとも、『死の国』へと逝った魂に祈りを捧げることは褒められる行為ですよ」とお節介を焼いてくれた。
漠然としている。ほとんどノリみたいなものだった。
少し汗ばむほどの人の流れに任せて祭壇へと近づき、ミアは見様見真似で祈りを捧げるふりをした。
魔族として天柱教に本心から跪くことなどできないのだ。
案の定、ミアの元には誰も来なかった。誰の元にも誰も来ていない。
人間にとっては、これは年の最後を締めくくる重要行事と言うのだから、誰もが真面目に祈りを捧げているのは自然なことなのだろう。
祈りを済ませた帰り際、ひとりの老婆が「頼むから来てくれるな」と熱心に祈りを捧げているのを見た。
誰への祈りかは知らないが、来ないことを願うなんてよっぽど仲が悪かったのか。
ミアはどうしても気になって話しかける。
「息子と孫が戦争に行ってるんだよ。ここに来ないってことは、死んでないってことだから今日は安心だね」
なるほど、となった。
もしかしたらここにいる何割かは、同じように来ないことを望んでいるのだろう。
連邦と反連邦勢力との戦争は、今も続いている。
予想だにしなかった強力な軍の前に、やはり戦況はよろしくないのだ。
今日は来なかったとしても、明日以降は?
『死の国の日』は年に一度。一年は短いようで長い。その間に死んでしまっても、確認できるのは一年後だ。
老婆の言い分は、ある種の自分への暗示にも似たものだった。
あと何回、こうして穏やかに祈ることができるか。人々はより天柱に助けを求める。
ふと、1000年前も同じだったのだろうかと思う。
しかしすぐに首を振った。自分に馳せる資格など無いと知っている。
かつて木くずのように命を奪い、同じように祈っていた人々の希望を摘んだのは、他ならぬ魔族なのだから。
そしてかつての自分は、敵のことなど考えることはしなかった。
「敵、ね……」
「ミア?」
この戦争はどうして起きたのだろう。
何故、反連邦組織は反連邦なのだろう。
ゆったりとした時間は、考えなくてもいいことを考えさせる。
「ミ、ア!」
ぽふっ。両頬が柔らかい毛皮に包まれた。
少女の目が、少女の目と合う。
「ぼーっとしてないで、早く出よ! この後ご飯食べに行くんでしょ」
「……そうね。何食べるんだったかしら」
「アジュラジャウだよ」
ミアは脳裏に魚が丸々一匹入った鍋を浮かばせる。寒い日にもってこいの料理だ。
「そうだったわね」
「来年にはもっと高くなってるかもなんだから、今のうちに食べとかないと」
「今で2000ダラウだっけ……もっと高くなったら軽々しく手が出せなくなるわね」
「そうそう。あー早く戦争終わらないかなぁ」
結局、戦争は様々な形で日常を寝食してくるのだ。
ミアは、『戦の国』――ガラニカ・カンカリオの見えざる手が、足元から忍び寄ってくる感覚に襲われた。
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アジュラジャウは美味しいが熱い料理だ。
ボコボコと一人分の鍋でやってくるそれは、そのまま口をつけてしまえば火傷してしまう。
メインの魚とサブの野菜を小鉢に分け、スプーンではふはふと戦うミアを見て、クレアは口元を綻ばせる。
出会った頃から、ミアは少しずつ変わっている。
誰も寄せ付けないような雰囲気は柔らかくなり、彼女自身、周りを見るようになった。とクレアは思う。
内に秘めていた温度が、徐々に外側へと漏れだしている。
悪い言い方をすれば、クレアはそれが気にくわなかった。
自分だけが持っていた宝石が、誰彼構わずベタベタと触られていくような感覚が嫌だった。
その感情を持つのはいけないことだと自戒もした。
レンファンのことだって責任感からの行動だったし、ナギサという少女のことはよく分からないが特別なにかあるような様子はない、と見える。
ミアのことを理解したつもりでも、少しすれば何も分かっていなかったことが浮き彫りになる。
この2年弱の付き合いでそれを何度も痛感している。まるで底なし沼だ。
クレアは彼女の過去を気にしないことにした。
共にいる今だけがすべてだと思うことにしていた。
それでいいはずだった。
なのに、今じゃ足りない。
一緒にいればいるほど、もっともっと、心がそう言ってくる。
ミアは凄いのだ。
とても珍しい聖剣氣と魔力の両方を持っていて、勇魔大会で代表にも選ばれた。
その凄さはもはや疑う余地はない。容姿もあって誰もがミアを見る。
はじめは隣を歩いているつもりだったが、彼女はひとりで、どこか遠くへ、先へ先へ、手の届かない場所へと行ってしまう。
そう思わずにはいられない。
ミアの隣で快活であると同時に、裏に持つ執着と独占欲に戸惑う。それが今のクレアだった。
「(私は今、どこにいるんだろうなぁ)」
嘘の恋人、親友、同級生。
立ち位置の表現には困らない。
だがどれも違う。
求めるのはまた。
「(好き、に……なっちゃったんだ)」
この関係が始まって間もない頃は、こんな感情は抱いていなかった。
しばらくして、抱きそうになるのを否定しようとした。
しかし否定することも肯定することもなく、今までだらだらと続けてきた。
ミアの隣という対外的ポジションを維持する生活は、気持ちを大きくしていった。
この感情が生まれた瞬間はもはや知らない。
大きくなった自分の気持ちを見てみたら、そうなっていたのだ。
いつも自分と一緒にしてほしい。
他の子とべたべたしないでほしい。
どこかへ行かないでほしい。
そういう色々な思いをひとまとめにした言葉が、『好き』なのだろう。
だから自分はミアのことが好き。いや、ずっと好きでいたのだ。言葉にしなかっただけで。
友情や親愛ではない、恋愛の、その人を思い焦がれる、『好き』なのだ。
伝えたい。この思いを。
伝えて、受け入れてもらって、できればミアにも同じ思いを抱いてほしい。
嘘ではない、本当の恋人になりたい。
他の誰かのものでなく、自分のものになってほしい。
遠くへ行ってしまわないように、繋ぎとめたい。
そのために、思いは言葉にして伝えなければ。
元々クレアは真っ直ぐな性格だ。
下手な小細工はしない。伝える方法はやはり真っ直ぐ。そして、早く。
「ねぇミア」
ミアの自室に戻り、2人で他愛のない話に興じていた時、クレアの勇気が固まった。
「なに?」と熱いコーヒーを飲んでいたミアも、クレアの改まった態度にカップを机に置く。
「私、ミアのことが好き」
どんな表情をしていたのか、クレアは覚えていない。
意を決した勇ましい顔だったか、今にも泣きそうな情けない顔だったか。
「ミアに恋してる。恋人になってほしい」
それでもクレアは、曇りなく伝えた。
『死の国の日』、雪が降りそうで降らない、静かな夜のことだった。




