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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第三章 舞台編
65/212

52 介護のエレーナ・レーデン

 ミアが今のレンファンのようになったのは。封印から解き放たれて間もない頃。


 最初は何もせずただ虚空を見つめるばかりだった。

 何かを考えるだけで取りこぼした何もかもを思い出し、それだけで頭がおかしくなってしまうから、防衛本能が何も考えないようにさせるのだ。


 時間が経って少しだけ余裕が出てくると、何かを責め始める。

 自分か、原因か。とにかく何かのせいにする。

 ミアはその時、自分のせいにした。自分以外はもう、遠い時間の彼方へと行ってしまっていたから。


 レンファンは、すべてをミアのせいにした。


「なんでッ、なんで! なんで死なない!」


 頭を潰されて血と中身が飛び散っても、首をへし折られて引き千切られても、ミアはすぐに元通りになる。

 レンファンの望む死は、残酷なまでに訪れない。


 ミアはそれを、ただただ無言で受けた。

 抵抗もせず、痛みを受け入れた。


 肉親を手にかけられたのだ。仕方ない。

 憎しみをぶつける相手がいて、実際にぶつけられるのなら、それはまだ幸運なのだ。


「なんで……っ、なんで殺したぁ……! なんで!!」

「…………」


 ほとんど飲まず食わずだったのだろう。

 首を絞める力が抜け、涙の枯れた瞳がミアのそれに近付く。


「彼女は、あなたに殺されるしかなかった」

「お前が殺したんだろ!!」


 叫び続けて声も枯れている。

 それでも、目から、声から、全身から、溢れ続ける憎悪は止まる気配がない。


 思わずミアは口を開いた。


「ホント、馬鹿よね。あの女」


 大切なら、2人でどこかへ逃げればよかったのに。

 彼女が言えば、レンファンも付いて行っただろうに。

 流された結果が、自身の死だ。

 きっと何もかも遅かったのだ。


「貴様……!」

「ウェンユェ・シンウーは、あなたを守るために、あなたに殺されることを選んだ。これを馬鹿と呼ばずして、どう言い表すの?」

「…………は?」


 意味が分からないという顔をしたレンファンをどかし、立ち上がる。

 床を一瞥すれば真っ赤。掃除が必要だ。

 制服もまるで戦場帰り。幸い破けてはいないため、洗うだけで済む。


「あのままいけば、魔法が解けると同時に勇者や騎士たちにやられていたでしょうね。身内のあなたも疑われ……あるいはその場で庇ったりして、同じ末路を辿る。けどあなたはこうして生きていて、自由の身。何故か分かる?」


 先ほどの言葉を噛み砕くのにまだ時間を要するのか、レンファンの反応はいま一つだ。

 それでもミアは続ける。


「あなたの叔母が、あなただけでも生きていられるようにするためよ」

「……どうして……」

「あなたのことを愛していたからでしょう」

「愛していた? 私を……?」

「自分の命など惜しくないくらいに、あなたを愛していた。そうじゃなきゃなんなのよ」


 レンファンが完全に停止した。

 この時間だ。まだ騒音を出すとなると、帰ってきた他の生徒に聞かれる。

 都合がいいと言えばいいのか、とにかく止まってくれたのはありがたい。


「掃除はしておいてあげる。明日も来るから、勝手に死ぬんじゃないわよ」


 彼女のショックは大きいはずだ。

 ミアもかつては何度も自殺を試みた。

 人間であるレンファンが本気で同じことをすれば、普通に死ぬだろう。

 後追いで死なれては、ミアとしても寝覚めが悪い。


 それから数週間、ミアはほぼ毎日、休学ということになったレンファンの部屋へと通った。



 □□□□□


 ほとんどはボーッとしているだけだった。

 一応持ってきた食事には手を付けるし、トイレにも行っている。大丈夫な方だろう。

 最初の方は食事も食べさせ、下の世話も必要なほどだったが、これはミア自身も覚えがあったため責めることなく淡々と掃除をしたりシーツを替えたりした。


 ある日は首を吊っていた。

 死んでいなかったのが奇跡のようなタイミングだ。彼女が異常個体で頑丈なのも一助になっていた。

 とはいえ目の前でこのような光景が起こるのは心臓に悪い。


 ある日は暴力を振るわれた。

 仇を殺そうとする元気がある日もあるのだろう。

 ミアは何をされようと無抵抗を貫いた。


 何かしらのアクションがある日には、レンファンは泣いていることが多かった。

 その度にミアは胸を貸そうとしてやめた。

 レンファンとしても絶望の原因である人物の胸で泣くなど屈辱的だろう。

 だから見ることしかできない。

 殺しておいて、都合よく慰めることなどできやしない。

 できるとすれば、他の人物。

 だがそんな人間はいない。事情を知るのはここにいる2人だけなのだ。



 □□□□□


 クレアは日に日に表情が深刻になるミアを見て、焦れていた。

 ここ数週間、ミアはずっとレンファンの部屋に通っている。

 それほどまでに心配なのか。と驚いた。

 ミアはレンファンを少し迷惑に思っている。というのがクレアの見立てだったのだ。


 ミアとしては実際それは否めなかったが、放っておけない事情が出来てしまった。

 それをクレアは知らない。


「ねぇミア、今日も行くの?」

「ええ」

「……私も」

「駄目よ。今のレンファンは不安定だから、会わない方がいい」


 ミアはレンファンを断固として人と会わせようとしない。

 それなのに、ミア自身は会いに行っている。


「(なに、それ……)」


 少しだけ、もやもやしたものが心に溜まった。



 □□□□□


 ミアの心は、段々と疲れていった。

 介護疲れとでも言うのか、会えば無視されるか罵倒されるか暴力を振るわれる。

 甘んじて受けることを選んだのは自分だ。しかしそれでも疲れは溜まる、


 加えて、ウェンユェをこの手にかけてしまったこともまた、ミアの心を蝕んでいた。

 人を殺したのだ。

 行為自体は、数えきれないほど繰り返してきた。

 しかし目覚めてからは、生き方を変えてからは初めての人殺しだ。

 相手が望んだこととはいえ、奪ったのは自分。

 罪の意識が両手を痺れさせる。


「レンファン、入るわよ」


 もう何度目かの、彼女の部屋。

 かつて部屋を彩っていた可愛らしい小物などは、引き裂かれて見る影もない。

 明らかに精神に異常をきたした者の部屋は、ミアが掃除していなければもっと酷い有様だっただろう。


 彼女がいつも持っている香袋の匂いが、この部屋に不自然な芳しさを漂わせている。


 どうやらレンファンは寝ているようで、枕に顔を半分埋めながら寝息をたてている。

 ミアは少し安心しながら夕飯を机に置き、椅子に腰かける。


 こうして静かな時間を過ごしていると、どうしても思い出す。

 記憶の彼方へ消えていてくれた、あの感触。

 どれだけ手を拭っても消えてくれない、鈍い思い出。


 胸の奥が痛い。

 奪ったのだと、どうしても自覚してしまう。

 自己嫌悪が消えない。


「(ああ、だめ……思い出しちゃだめ)」


 ウェンユェの命を奪った記憶を呼び水に、かつての記憶が次々と蘇る。

 血飛沫、怒号、悲鳴、殺気、殺気、殺気――


 あの時は魔王がいた。魔王にさえ従っていれば、殺すだけの人形でいられることができた。

 けど、もう魔王はいない。イムグはいない。

 誰のせいにすることもできない。


「(消えろ、消えろ、消えろ……)」


 両手で顔を覆い、別のことを思い出す。

 楽しかったこと、そう、学園生活。クレア、クレア。


「ん……」


 長いこと自分の世界に入っていたからか、レンファンが目を覚ますほどの時間が経っていた。

 既に窓の外は暗く、廊下の遠くからは人の声がする。

 当然、持ってきた食事はとっくに冷めてしまっている。


「最悪……」

「悪かったわね」


 こすりながらも開かれた目は鋭く、ミアを射殺さんと睨んでいる。

 もはや慣れたものだ。


「想像したことありますか? 大切な人の仇が、毎日毎日毎日毎日……目の前に現れるのを」

「……」

「…………あるかって、聞いてるんだよッ!」


 いつものように殴られ、壁に叩きつけられる。

 隣の部屋の住人が帰ってきていないことを祈るばかりだ。


「うっざいんですよ……! 私を苦しめたいなら回りくどくしないで、いっそ殺してくださいよ! 私はもう……!」

「……」

「っ……返せ、かえっ、返してよぉ……! おばさまを返して……!」


 レンファンはミアの首を腕で押さえつけながら、嗚咽を始める。

 それでもミアは何も言えない。彼女とて返せるものなら返したいし、死ねるものなら死にたい。


「……私は――」

「なにしてるの~?」


 不意に、レンファンの背後から声が聞こえた。

 高く、甘い声。


 同時に風切り音と共に、大きな鎌が振るわれる。


「ッ、馬鹿!」


 ミアは咄嗟にレンファンを突き倒し、大鎌の刃を腹で受け止めた。

 大鎌の持ち主は、意外そうな顔で「あら」と口を開けている。


「マァゼ、なんであんた、ここに……!」

「えー? だってお姉さますっごく困ってたからぁ、その人間が悪いのかな~って」

「あなたは、確か魔法学園の」


 マァゼが大鎌を消し、空洞になった傷からおびただしい量の血が流れる。

 すぐに塞がるため、不死同士では特に気にすることではない挨拶のような傷だが、床が殺人現場になった。


「あー! マァゼのこと殺しかけた人なのね!」

「レンファン、何したの?」

「この子、アイリアの人たちもシェリアの人たちも気絶させてってとっても強かったのね」

「……何してたかはまぁいいわ。マァゼはなんでここにいるのよ」

「お姉さまにお別れを言いに来たの!」


 明るく言う彼女が纏うのは、シェリア魔法学園の制服ではなく、天使が着る修道服のような衣装だ。マァゼの正装とも言えるだろう。


「もうこっちに居る意味ないから~、戻ってくるようにって主天使様が」

「そう……って、言っていいの!? レンファンいるんだけど」

「別にいいのね。元々バレてもよかったし」


 主天使というワードにピンときていないレンファンを置き、お別れの挨拶とやらに来たマァゼ。

 そういえば、とミアは疑問に思う。

 何故マァゼはシェリア生徒としてあの大会に出たのか。

 天使である彼女は気まぐれなところもあるが、行動まで気まぐれにはできない。


「マァゼは主天使様に言われて、人間のあの学園に入ったのね。で、代表になったの」

「いよいよ意味が分からないのだけど……どうして?」

「さぁ?」

「『さぁ』って」

「大会で大暴れすればそれでいいって言われたから、マァゼはそうしただけなのね」


 さらに意味が分からなくなった。

 基本的に不干渉である天使が人間の催しに参加し、まして大暴れなど。

 それもあの主天使の命令となると、一層意図が読めなくなる。


「他に調査があったとか?」

「ないの」

「そう……」


 さて、とマァゼは窓へと足をかける。

 どうやらここから入ってきたらしい、窓は既に開いていた。


「じゃあお姉さま、また会いましょ! 今度はお姉さまとデートしたいの」

「時間があったらね」

「うん! あっ、お姉さまは戦争行くの?」

「行きたくないけど……」

「そっかぁ! お姉さまが行ったら終わっちゃうものね! じゃあまたなの~!」


 そう言い残し、マァゼは黒い羽を広げる。

 本当に誰に見られてもいいのだろう。憚ることなく翼をはためかせたマァゼは、夜とはいえ見上げればじゅうぶん認識できるほど無遠慮に飛び去った。


「あの人……なんなんですか」

「……忘れたらいいんじゃない」


 毒気を抜かれたレンファンは、その日は特に何もすることなく大人しかった。

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