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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第三章 舞台編
63/208

50 Show must go end 4

 槍のような鋭い拳が頬を掠め、私はピリリとした痛みと共に血を流した。

 『槍拳』とは、よく言ったものだ。

 手が槍なら、足は剣か。

 どうやら下半身が柔軟らしいレンファンの蹴りは、思った以上に速く、思った以上に届く。

 躱したと思っても、深々と切り傷を与えられてしまう。


 胸を貫いたままの魔力剣も、痛いものは痛い。

 この痛みが無ければすぐに【舞台】に取り込まれてしまうから、抜くわけにもいかないし。

 もうとにかく体中が痛い。

 それだけレンファンの攻撃は速く鋭い上に当ててくるのだ。


「くっ……!」


 反撃は……するべきなのだろうか。するべきなのだろうけど、レンファンの頑張りで引き離されたウェンユェは心配そうな顔をしている。

 私じゃなくて、レンファンを。


 この事態を収めるためには、ウェンユェを殺すしかない。どういうわけか彼女自身もそう願っている。

 だがレンファンはそれを知らない。

 叔母を傷つけようとする私という敵を排除したがっている。


 ……私のやることは変わらない。


「【風縛】!」


 風の圧力で身動きを取れなくする魔法を放つ。

 すぐにレンファンの動きが鈍くなり、止まる。


 【転移】でウェンユェのもとへと移動し、魔力剣を出す。

 凶器を前にしているというのに、彼女の顔はどこかほっとしていた。


「……どうしてあの子に何も言ってないのよ」

「言ったら反対されるから、かしらね……それよりもありがとう。レンファンを傷つけないでくれて」


 ふと周りを見れば、闘技場を包み込む黒い魔法空間そのものが、なにやら軋んでいるようにも見える。

 思えばレンファンに乱入されたとしても、【舞台】ならば簡単に彼女を別の場所に追いやることもできたはずなのに、やっていない。

 もしかしたら、もはやそんな余力すら残っていないのかもしれない。

 彼女の魔法はそろそろ限界のようだ。


 いくら強力な魔法でも、扱っている術者はひとりの人間。

 これほど長時間にわたって使い続けていれば、魔力切れは当然のことだろう。


「このまま待っていれば、何もしなくてもあなたは終わりだと思うけど」

「それは駄目よ……見せなければならない、私の最後の舞台が……まだあるの」


 ウェンユェが懐から取り出したのは、青い液体の入った小瓶。

 それを飲み干せば、魔法空間が力を取り戻したように感じる。


「ほんの少しの……延命のようなものよ。保険に持っておいてよかったわ」


 今さら延命したところで、間もなく死ぬのだから関係ないだろう。

 いや、私が時間切れに逃げるのを塞いだのか。

 私は今度こそウェンユェを斬ろうとし、何故かウェンユェの手で制された。


「使うならこれを」


 上から1本の剣が降ってきた。それは私とウェンユェの間に突き刺さる。

 柄に色とりどりの宝石が埋め込まれている。宝剣というやつだ。


「それは『拳の国』に伝わるものでね。どうせなら、ね?」

「はぁ……」


 宝剣を引き抜いてみると、それなりに重い。人間ならば、それなりに力のある者でないと振り回せないだろう。

 というかそもそもこれ振り回す用じゃないし。

 こういうところまでカッコつけたがるのは、やはりこれも含めて彼女の『舞台』ということなのだろうか。


 私はゴツゴツとした柄を握りしめ、磨き抜かれた刀身を前へと向ける。

 あとはこれを前に突き出すだけ。

 それだけなのに、やはり手が重い。

 瞬時に自覚した。決意が足りないのだ。


 すぐに突き刺せば終わったはずだった。

 僅かな逡巡をしてしまったからか、私は背後からの奇襲への反応が遅れる。


「さっ、せ、る、かぁぁぁぁ!!」


 私の視界と意識が消える。

 それは一瞬のことだけど、頭を吹き飛ばされたのだと気付いたのは倒れ込んでからのこと。


「レンファン、どうやって……!」


 『刃蹴』とやらではなく、普通の蹴りで頭を粉砕されたらしい。

 彼女は【風縛】で拘束していたはず。魔法を解いた覚えはない。どうやって……


「ちっ!」


 考えていても仕方ない。もう一度。


「っ、……あぁぁぁぁ!!」


 信じられないものを目にした。

 ただの人間が、私の【風縛】を受けながらも強引に動いている。

 身体強化ならば可能なのか。いや、強化していない。聖剣氣が見えない。

 つまり彼女は、聖剣氣を使わずに自力で私の魔法を突破していることになる。

 馬鹿な、人間がこんなことを。と思う私の頭に、ひとつの単語がよぎる。


「異常個体……!」


 1000年前に度々確認された、人間離れした力を持つ人間のことを魔族は『異常個体』と呼んでいた。

 聖剣氣も持たない常人のくせに、魔族と同等以上並みの身体能力を持った人間。または異常な魔力量や知能を持つ人間を指した言葉だ。


 思い返してみれば、レンファンは今まで聖剣氣を使わずに私に攻撃してきていた。

 身体強化もせずに私を圧倒していたのは、彼女が異常個体であるからだ。


 そりゃそうか、昔もいれば今もいる。

 レンファンがたまたま異常個体だったという話。

 別にどうでもいいことだ。それが私を殺す勢いで襲い掛かってくる以外は。


「やらせるものかぁぁ!」

「レンファン、あなたウェンユェが何をしようとしてるのか分かって――」

「だめ、ミアちゃん!」

「アンタも黙ってるからややこしいんでしょうが!」


 【風縛】を重ねがけし、レンファンを上下左右から捕らえる。

 だがそれはやはり、動きを完全に止めるに至らない。


「(ならば……!)」


 威力の調整に悩むが、もっと強力なものならばいけるか。

 異常個体ならちょっとやそっとじゃ死なないだろう。全身の骨が折れるかもしれないが、ここは黙っていてもらう。


「【風墜】!」


 まるで自重が増したようにレンファンの姿勢が崩れる。

 呻きながらも立っていられるあたり、やはり彼女は特別だ。


「ああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

「なっ……!?」


 私は驚きに動きを止めてしまった。

 そうだ、彼女は異常個体であると同時に、聖剣氣を持っている。

 身体強化を使えるのだ。


 レンファンの体を白いものが包み込んだかと思えば、瞬きする間に彼女は消えていた。

 何かが私のすぐ横を通り過ぎるように風が切られ、少し遅れて私に違和感が生じる。


「ぁ……」


 私の首が、斜めにずり落ちていった。


「……『刃蹴』」


 レンファンの静かな声が聞こえてきて、私はすれ違いざまに脚で斬られたのだと悟る。

 【超速再生】のおかげですぐに治るが、私の目で捉えきれず、ましてや反応もできない攻撃に、私とレンファンの形勢は簡単に見えた。


「【雷撃】!」


 放つ雷も、足元が見えないほどの歩法で躱される。

 これ本気で相手してもまともに勝てないと思う。

 もう死なないようにとか手加減とかできる場合ではないかもしれない。


「はぁぁぁぁぁ!」


 次に突っ込んできた時にはもう身体強化は解いていたようだったけど、それでも速い。

 どれくらい速いかというと、繰り出される攻撃を避けられない。

 魔法を紡ごうとする指や口は、動かす前に折られたり殴られたり、とにかく一方的。


 なんでやりたくもない人殺しをさせられそうになって、いざやろうとなったら邪魔されるのか。

 この2人からの理不尽に、段々とイライラしてきた。


「これでッ、『槍拳』!!」

「ッ!」


 私はなけなしの聖剣氣を体中に巡らせる。

 身体強化――しかしそれが発動するより前に、レンファンの拳が私の胸を穿ち、貫く。

 それでいい。よし、今だ。


「ぐ、ふっ、つ、かまえた……!」


 これまで掴む前に引き抜かれていたレンファンの腕を、ようやく掴むことができた。


 天魔族たる私が、聖剣氣で上乗せしないと追いつけないレンファンの素の身体能力。

 まったくもって屈辱的な話だが、上乗せしてしまえば、いくら異常個体の彼女の動きといっても対応できる。


 彼女が常に身体強化していれば、こうしても捕まえられなかったかもしれない。

 おそらく、彼女は強化した自分の力を制御しきれないのだ。私でも未だに使いこなせはしない。

 いくら強いとはいえ、彼女はまだ子供。今年入学したばかりのひよっこだ。

 感情に身を任せた勢いのある戦い方も、彼女の未熟さ故の強さなのだろう。

 速すぎて見切ることは困難だが、単調。だから能力面で追いついてしまえば、捕まえられる。


「なっ!?」

「……【氷結】」


 私に触れていた個所から、すぐさま氷で覆われていく。


「【氷結】、【氷結】、【氷結】――」

「くっ、このっ!」


 パキパキと音を立て、レンファンを包む氷。

 腕を振ったりすればすぐに砕けるけど、多重に発動した魔法は単純なゴリ押しで私たちを包み込む。


 数秒もしない内に、私の口の周りを残して私たちは封印されるように氷漬けとなった。

 とてつもなく寒い。芯まで冷えてしまう前にさっさと済ませなければ。


「【転移】」


 残った口元を震わせながら、私は自分だけ氷から脱出する。

 中に残されたレンファンは腕を伸ばしたままの体勢から動いていない。


「これで……」


 ようやく。いや、ついに。

 宝剣を構える。


 疑問は残っている。

 だが答えてくれそうもない。

 彼女の真意は分からないまま。


 【舞台】はすっかり静かだ。

 黒に包まれた空間。誰も彼もが止まっていて、赤い幕たちだけが私たちを取り囲む色となっている。


「ひとつ訊かせて。これだけ凄い魔法が使えるのに、レンファンに何も教えず、しかも御しきれていなかったのは何故? その気になれば、最初から拘束だってできたでしょうに」


 ウェンユェとレンファンは、決定的なところですれ違っている。

 自分が死のうとしていることを伝えないウェンユェも、彼女のためなら本人の言葉すら聞かず何でもする勢いのレンファンも。


 それでもウェンユェには【舞台】という他者を意のままに操れる魔法がある。

 それなのに、レンファンに『役』とやらを刷り込むこともなく、暴れられてもオロオロするだけで対処しない。

 殺してほしいというのは本気のはず。なのにそれを邪魔するレンファンには何もしない。

 せいぜい幕の向こう側に追いやっていたくらいだ。


 そんな疑問をぶつけてみたが、ウェンユェは少し意外そうな顔をしていた。

 まるで「そんなことを思いつくなんて!」と言わんばかりに。


「……ふふっ、私がレンファンに手を出すことはありえないわ。ええ、ありえない」

「そう……」


 穏やかに愛おしむようにそう告げる彼女に、私は2人が主人と駒なのではないと悟った。

 悟ったところで、私の手の震えは止まらない。

 訊かなきゃよかった。


 殺す相手は、意思を持った人間だ。今日までの私の知るよしのない人生があり、明日からも生きていけるはずだった人間だ。

 それを念頭に置いてしまった私の覚悟は、クレアを盾にされたからといって完全に決まってくれるほど冷血なものではない。

 あの痛い感覚を、また味わってしまう。


 誰かを殺すのは悪いことなのだ。


 けど、やらなくてはならない。

 私が、私自身の意思で、殺す。



 一歩、二歩、踏み込む。

 ウェンユェは動かない。


 宝剣を前に突き出す。

 そこにある、彼女の胸を目掛けて。

 豪奢な赤い民族衣装に切っ先がめり込み、さらに入っていく。


 少しの肉の抵抗感の後、刃は滑るように反対側へと到達。そのまま突き抜けた。


 魔力剣はもっとダイレクトに刺したり斬ったりした感覚が手に伝わってくるけど、ゴツゴツとした柄から伝わってくるものは、もっと鈍いものだった。


 【舞台】が軋む。


 ウェンユェは化粧越しに血の気の少なくなった顔に笑みを浮かべ、小さく囁いた。

「ありがとう」と聞こえた気がした。


 思わず剣から手を放してしまう。

 手はまだ震えている。


 貫かれたウェンユェは最期の力を振り絞るように、倒れることもせず立ち続ける。


「っ!?」


 私の体が勝手に動いた。

 何かに操られるように、私は自分の胸の魔力剣を消し、その場に倒れ込む。


「え……」

「あなたの最後の役は……そこ、で、見届ける、こと……口裏、合わせ……よろしくね……っ」

「っ、まさか!」

「これ、も……返すわ、ね……」


 次にやってきたのは、途方もない苦しみ。

 思わず大声で呻いてしまった。


 これは、リセ・トロイから受けた毒だ。

 ウェンユェに治してもらったはずの。

 ああ、治してもらったのではなく、【舞台】の力で苦しくなくしていただけなのか。

 魔法が切れるから、毒の苦しみもこうして戻ってきてしまうのか。


 私はこの魔法の突破方法を、『痛みを得ることで意識を上書きする』ことだと思っていた。

 そうやって突破したはずだった。

 でも違ったのだ。


 この魔法には、突破方法なんて無かったんだ。

 ウェンユェは私に『自分が正気だ』という役を刷り込ませていた。

 すべてが掌の上だった。


 でも、何故?

 解除不可能なら、何故、私に私の意思で殺させた?

 分からない。

 痛みと苦しみに囚われた思考では、何も、分からない。


「さぁ……私の可愛い……レン、ファン……」


 氷がひとりでに砕け、パラパラと降る破片の雨の中を、レンファンが歩む。

 その目は虚ろで、他の人々と同じ。

 レンファンは物言わぬ人形のように、ウェンユェに近付き、そして刺さった剣を持つ。


「これ、で……あと……は……もう……」


 赤い幕が消えていく。

 黒い空間が消えていく。

 人々の目に光が戻っていく。

 空の色が戻っていく。


 【舞台】は幕を下ろすというよりも、消え去った。

 最初から、そこには何もなかったかのように。



「おば、さま……?」


 レンファンの顔の驚きの色は少なかった。

 目の前で何が起きているのか、何も分からないようだ。


「おのれ、レンファン・シンウー!! 育ててやった恩を忘れ、私に仇なすとは!」


 誰もが見惚れる舞台女優の、気迫溢れる叫びだった。

 正気に戻り、周りを認識できるようになった人々がウェンユェに注目する。


「おばさま、なに、を……」

「恨んでやる、恨んでやる! 連邦の犬め!! 貴様のせいで、私は……っ、私の……」


 だが、既に力尽きようとしているウェンユェは、もはや限界だった。

 無理に叫ぶものだから、咳をすれば血が舞い、体が震える度に足下の血だまりは広がっていく。


「裏切り、者がぁぁぁッ!!」


 恨み節と共に伸ばされた手は、憎悪など欠片も感じられない慈愛に溢れた手つきで、レンファンの頬に触れ、その白に赤を残した。



 □□□□□


 この日、勇魔大会は突如発生した大統領暗殺事件によって、歴史に残るような日になってしまった。

 死亡者は、大統領のロフ・カベリーンゲンと、主犯であるウェンユェ・シンウー。

 怪我人は、各校代表として大会に出ていた生徒たち。

 私も怪我人のひとりとして、駆けつけた医療班に運ばれた。


 その途中で、私は四角い眼鏡をかけた緑髪の男――ルスト・シンギーに見下ろされた。

 確か彼は、勇者と共に行動している……つまりは勇者の側近のような立場だ。


「どういうことだ?」


 こっちの台詞だ、と言いたいが、おそらく私は答えられる。

 未だに苦しい胸を押さえながら、私は言われた通りに『口裏合わせ』をする。


「レンファンが、やった……彼女を……ウェンユェ・シンウー、を……刺して、止めた」


 『下手人であるウェンユェ・シンウーは、その姪レンファン・シンウーの手により討伐された』

 おそらく、ウェンユェは望んでいたのは、こういう結末だ。

 そこに何故か私という要因が紛れ込んでいたが、多分これが正解。


「……そうか」

「レンファン、は……今、不安定……! だから、そっと……」

「覚えておこう」


 それだけ言って、冷たい雰囲気の彼は終始一貫して冷たいまま立ち去った。


 なにがレンファンがやった、だ。

 やったのは私だ。奪ってしまったのは、殺してしまったのは私だ。

 でもそれは、胸の内に秘めるしかない。

 口に出してしまえば、ウェンユェの最期の願いに反することになるから。


 ……どうして、ウェンユェのために?

 そこまで親しかったわけではない。会ったのだって、たったの2回だけ。

 それなのに、命を捨てた彼女の行動を無下にしたくないと思うなど。


 まだ『役』が刷り込まれているのだろうか。いや、術者が死んで魔法も消えた。そんなことはないはずだ。


「ミアー!!」


 クレアが心配そうな顔をして走ってくる。


「大丈夫!? どこが痛いの!?」

「……色々」


 心配してたのはこっちだっての。

 色々と覚えているはずなのに、それを置いて真っ先に私に駆けつけてくれるなんて。

 ……よかった。元気はあったみたい。


「心配してくれたの?」

「えっ……そりゃ、心配はするよ!」

「そう……優しいのね」


 きっと、私は本当にお人好しになってしまったのだ。

 だからウェンユェにも……


 その原因は、きっとこの子だ。

 そう思うのが、自然な気がした。

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