46 Show must go end 1
【朝・王女寝室】
私の寝室は寝起きの五感を癒してくれる。
ふわりと香る花のフレグランス、遠くから聞こえるささやかな鳥のさえずり、目を開けてすぐに見える意匠を凝らした天蓋と天井、つるつると体を包むシーツ。
寝起きの味覚は捨ておくとして、それ以外が極上の目覚めとなっている。
朝の陽射しが、カーテンの無いガラス窓に濾過されて私の頬を撫でる。
それが私の目覚まし。行儀よく瞼を開け、ベッドの天蓋と、部屋の隅に控える侍女が私の目覚めを出迎える。
「おはようございます、ミア様」
「おはよう、クレア」
それだけを言い合って、私の侍女である赤毛の少女がベッドへとやってくる。
彼女の一日は、私よりも早く始まる。
私が目覚めるより早く起きて、私が目覚めない内に仕事をして、私が目覚めないように部屋に入って、私が目覚めるのを待つ。
そして、私の一日が始まり、彼女の一日と混ざりあう。
私が物心ついたときから傍にいるおてんばだった彼女は、今ではすっかり口数も減ってつまらなくなってしまった。
けど、彼女は変わっていない。それを確かめる術は、いくらでもある。
「っ、ミア様っ」
私を覆うシーツをどかそうとしたその手を掴んで、グイと引けば彼女は私の上に倒れ込む。
体重をかけるわけにはいかないからか、空いた手をベッドについて踏ん張っているようだけど、王族御用達の特注ベッドはその腕すら簡単に飲み込んで、私たちは重なる。
すぐさま立ち上がろうとするクレアの両腕を掴んで広げ、私たちは腕を広げた状態で距離を無くした。
抵抗してどこうとする幼馴染の息遣いを耳に感じながら、私は腕を彼女の背中に回す。
指先を服に這わせ、背骨をたどるように滑らせると、非難めいた視線と言葉が私の顔を洗った。
「ちょっと、ミア……っ」
「私、朝ご飯が食べたいわ」
「用意してあります……着替えて、参りましょう」
「そうね、着替えるまでもなく、用意してあるわね」
キッチリ着こまれたメイド服の襟に隠れた首と、耳の狭間。
そこに舌を這わせると、つまらない時よりも数段高い声が私の耳を通じて微睡から解放してくれる。
私の口はそのまま上へ、ぷっくりとした耳たぶへと吸い込まれる。
首を回して逃げようとしても無駄。唇だけで私は朝ご飯を食む。
なんと、味覚も満たされた。
別に何の味がするわけでもないけれど、彼女の耳は甘く感じる。
息遣いが私の側頭部を素通りして枕へと吸い込まれる。
ああ、流石にこれだけで鈴を鳴らしてくれるわけではないか。
じゃあ、もう少しだけ奥まで口に含み、傷つけないよう歯をたて、挟む。
「――っ」
彼女の喉から、楽器のような高い音が鳴った。
辛うじて声として発していない、その程度の反応に私はますます気をよくして、無意識に抱きしめる力を強くする。
「みあ、も、だめ……っ」
抵抗する手段としてもっとも有用であるはずの彼女の両手は、私の両肩に添えられているが、私たちを引き剝がすほどの力は込められていない。込められないのだ。
「服が、しわっ……」
「寝相の悪い私を起こすのに、あなたは苦労しているのよ」
耳たぶから口を離し、舌を伸ばせばにゅるりと入ってしまいそうなほどの近距離で、私は形の良い彼女の耳にささやいた。
吐息交じりの声は、今度こそクレアの短い嬌声を引き出すことに成功し、私は満足する。
背に回した手を投げ出し、全身の力を抜く。
これでクレアはいつでも起き上がることができる。
けど、数秒だけ、私たちの重なりは続いた。
どこをどうすれば彼女がふやけるかを知っているから、これだけで簡単に脱力はしないことも知っている。
だからこの数秒は、彼女の意思だ。
たった数秒でも彼女が私から離れないことに、私は彼女にとって必要な人間なんだという小さな自尊心が満たされた。
いや、本当に必要なのは、主である私の方か。侍女がいなければ、私はこれから着替えることもできないのだから。
「お戯れが過ぎます……」
つまらない声に戻った彼女が起き上がり、服の皺をチェックしている。
またもや悪戯心に手を動かされそうになるも、私は強い意志で欲望を抑え起き上がった。
「着替えさせてちょうだい」
ふわふわのナイトキャップをとり、なめらかな寝間着を脱ぎ、私は傷もシミもなにもない体を朝日に晒す。
今日も一日、私は生きている。
【朝食時・食堂】
なんてことの無い朝。
人前に出て恥ずかしくない最低限の身支度をしてもらった私は、クレアを侍らせて母の待つ王族用の食堂へと赴く。
今日の朝食は……昨日と同じ、ただの最高級食材をただの宮廷料理人が調理したただのメニューだ。
「ミア、今日は嬉しい話があります」
私が席に着くのを待って、母が口を開いた。
既にご飯が目の前にあるというのに、こうした話があるときは終わるまで食事にありつけない。
「お母さま、話って?」
「あなたの婚姻が決まりました」
私は誰にも気づかれないように驚いた。
もし何かを持っていたら落としてしまっていただろうから、食事中じゃなくてよかった。
「………………そう」
そう、としか答えられない。
このお母さまの顔が明るいのは、他国のいい感じの王族と私の結婚が決まってわが国も安泰だという感情の表れだ。
王女である私の結婚を、王妃である母が喜ぶ。なんてことはない、当然のこと。
私は私の意思など関係なく、顔も知らない国名しか知らないようなどこかの王子様に嫁ぎ、両国の関係を強くし、世継ぎを産んで、旦那様の自慢の妻になる。
王族の女に生まれた者にとって、それが当たり前。そういう風に教育されてきた。
だけど、私の心は窓の外の空とは正反対。気を抜けばこの心が顔に出てしまう。それは避けないと。だってお母さまの前で、めでたい報告の前で、こんな気持ちを出すわけにはいかない。
「お相手は――」
その後の母の言葉に、どう返したかは分からない。
話が終わって朝食を食べたはずだけど、味なんて分からなかった。
ただ、目の前にあったものを行儀よく食べた。食べたという行為だけを覚えている。
【朝食後・王女私室】
「ミア様、この後の予定ですが、まずは城下で行われる展覧会への出席、昼食後にバール侯爵令嬢との茶会を――」
「ねぇ、クレア」
頭に叩き込んだ私のスケジュールを諳んじるクレアの口は、私の言葉で簡単に止まる。
「私、結婚するのよ」
「はい。私も初耳でございました。大々的な発表はまだ先でございましょうが」
「……それだけ?」
「従者として、お祝い申し上げます」
「っ、それだけなの!?」
やっと吐き出せる思いに沸点が低くなっているのを自覚しながら、私は机を叩く。
全力を込めたはずだけど、元々非力な私には天板にヒビを入れるどころか、それらしい音を出すことしかできない。
「結婚するのよ! 顔も知らない人と、結ばれろと言われたのよ!」
「それが第一王女であるミア様の責務で――」
「そんなことじゃなくて!」
クレアはいたって冷静だ。私だけが肩で息をするほどの怒りを発散しただけ。馬鹿みたい。
「クレアは……私がっ、誰かに貰われて……いいの?」
「…………」
「まだ小さい頃、あなたは言ってくれたわ。私のためならば、夜空の星をひとつ掴んで髪飾りにもしてみせると。今の私は、どこかの国の王子の飾りにされる星よ。誰かに掴まれて、人形のように愛されて、子供を産んで、そうして私は、夜空を知らぬ飾りになるのよ。あなたはそれでもいいの?」
「……私から申し上げる言葉は、変わりません」
それだけ言って、クレアはずっとつまらないままで、淡々と今日の予定を述べるのみ。
もう一度だけ彼女の名前を強く呼ぼうとしたけど、私はその素振りだけ見せて声は出なかった。
【暗・独白】
「ああ、ああクレア、どうして。あの時の約束は嘘だったというの? とうに忘れてしまったというの? 私はあなたの言葉を胸に、何があっても添い遂げると、誓っていた私たちは、もういないというの? いつまでも共にあろうと、あの天に瞬くユリスとクラバスのように、時の流れに負けぬふたりでいようと……あの時の誓いは……ああ、クレア、クレア……私の大切なひと」
思いの丈を大仰に振り撒く。
誰に聞かせるわけでもない。いや、聞かせる相手はいる。この舞台を見る観客たちに、私を理解してもらわないといけない。
「いつか来ることは分かっていたのに……ミア様、ミア、ああミア、忘れるはずもない。あの日、私たちは誓い合った。いつまでも共にあろうと。あの天に瞬くユリスとクラバスのように、時の流れに負けぬふたりでいようと……でも、現実は非情だ。現実は非情だ。私は無力で、助けを求めるあなたを救う手を、差し伸べるなんて……! 許して、ミア、ミア、私の大切なひと……」
クレアもまた、その胸の内をさらけ出す。
それは私には聞こえていない。どこまでもすれ違い、そして、私たちは、次第に言葉も少なくなっていく。
【相手王国・王子私室】
「ククク……ついにあの国の王女を娶ることが決まった。父上は賢くいらっしゃる。婚姻の直後に、あの王国に攻め入ってわが物としようなど、恐ろしくいらっしゃる」
私の知らないところで、私の知らない人が言う。
「だがその恐ろしさ、憧れる! 聞けばかの王女は月の映る水面のような美しさというではないか。すぐに亡国の姫君になる身、この俺の所有物として可愛がってやろう! せいぜい強い子を産み、俺を立てる道具となるがいい!」
私はそんな思惑など知らないから、何も知らない小娘として迎えの馬車を待つ。
両国の王族の婚姻が大々的に発表され、民衆は万歳を唱える。
私はそれを、貼り付けた笑顔で応えるのみ。
ああクレア、どうして何も言ってくれないの。
【昼・王女私室】
今日は私が嫁ぐ日。この城にいられる、最後の日。
私は身一つであの国へ行く。持っていけるのは嫁入りの道具と衣服に装飾品、ただそれだけ。
私を世話するクレアを筆頭とした侍女たちは、この城に置いていくことになる。
「お美しゅうございます」
「……そう。それだけなのね」
「ミア様の美貌を讃えるならば、この舌が千切れるまで唱えましょう。しかし、間もなく迎えがいらっしゃいます」
「……どうして、言ってくれないの」
この日が近づくたびに、クレアは目に見えて傷ついたような表情を浮かべることが多くなった。
きっとあの朝食の場で私の様子が変わったことに、彼女だけが気付いていたはずだ。
幼い頃から一緒にいた。だから分かってしまう。
クレアは強がっているだけなのだと。
「あの馬車に乗ってしまえば、私とあなたはもう二度と会うことはできない。それを認めるの!?」
「私はっ……! 侍女です! 私にはっ、あなたに向ける言葉を、あなたへと差し伸べる手を、持っていない!」
「嘘よ! ならばどうして、そんなに震えているの!」
そこで自分の異変に気付いたのか、赤毛の彼女は胸に手を当て、つまらない声を出す努力をやめる。
「私だって、離れたくない! ミアとずっと一緒にいたかったよ……でも、叶わないの。約束を破ることなんて、私だって耐えられない!」
おてんばだった頃の口調に戻った本物のクレアに負けないよう、私も大声を張り上げる。
「だったら言いなさいよ! 行くなと! この手を引いてみなさいよ!」
私が差し伸べた手は、『助けて』と、『この誰もが不幸な結末を知る婚姻を台無しにして』と、動作を持って伝えてくれる。
けれど、クレアはその手を掴まない。
彼女の手は、決して前に出されることはない。
「っ……さようなら、ミア」
「クレア!」
部屋から出ていったクレアを追いかけることもできず、私はその場に泣き崩れた。
【夜・馬車】
「さぁ妃よ、もっと近くに寄れ」
「ぅ……」
王国領を抜け、夜道を走る馬車に揺られるのは、私と、私の夫となる王子。
初対面だというのに距離の近い彼に、私は身を強張らせる。
肩を抱かれ、私は大げさに跳ねた。
「わが国の式は盛大で、わが国での生活は優雅そのもの。元居た国のことなど、すぐに忘れることだろう! まぁ、その国も残り僅かな命であるがな」
「どういうことですか?」
「わが国の国王は大陸全土を手中に収める男よ。貴国のような小国は残しておく価値もない。美しいお前だけをいただき、あとはすべて滅ぼす! 式と共に宣戦布告をするつもりだ」
私は顔を青くして立ち上がろうとし、肩に回された手に阻まれた。
先ほどよりも近い。まるで睦言を交わすような。
「いやっ、離してっ」
「抵抗するな。お前はわが妃として、未来の王妃として、ただそこに居ればよいのだ!」
「いやっ、やめ、誰か……クレアっ」
その瞬間、馬車がひときわ大きく揺れた。
衝撃はそれだけではなく、ズシンと大きな音を立てて牢獄への船が横倒しになる。
「ぐあっ、なんだ!?」
「ミア!」
「クレアっ……!」
「こっち、早く!」
馬車のドアを開けて入ってきたのは、私の求める彼女だった。
迷わず差し伸べられたその手を掴み、私たちは馬車から解放される。
「待てミア! まさか逃げるのか!」
「私は……私は、あなたの物にはならない! 自分の心に従うまでよ!」
「クッ……ええい何をやっている、追え! 決して逃がすな! 抵抗するようであれば殺せ! 俺の物にならぬなら、望み通りにしてやろう!」
【夜・森】
あれからどれだけ走っただろう。
追手が迫り、何度も襲われた。その度にクレアは、私を守って戦ってくれた。
「ああ、クレア、なんてこと……!」
「これくらい……大丈夫だよ」
私を救ってくれたその手は、既に赤く染まっている。
それは返り血ではない。脇腹に受けた傷のせいだ。
「逃げないと……クレア、お願い、死なないで!」
【夜・湖】
夜空を反射する湖の畔に辿り着いた私たちは、そこで足を止め、2人して膝をつく。
「ああっ、もう追手が……! クレアお願い、私を置いて逃げて!」
「そんなこと、できるわけないでしょ! もっと早く、この手を取ればよかった。私は臆病だった。怖かったの……約束を果たせないことが。でも今は怖くない。ミアのためなら、この命は惜しくないんだよ」
もうクレアの命は長くない。
私のために戦って、傷ついて、ついにその時が近づいてきてしまった。
「泣かないで、ミア。私は、ようやく自分の心に従うことができたんだよ」
「っ、でも……っ」
「ああ、私のミア、泣かないで」
涙で霞んだ視界で、クレアの顔がよく見えない。
彼女は笑っているのか、それとも私と同じように泣いているのか。
「……ねぇミア、見て。この湖はまるで夜空だね」
「ええ、そうね……月と星を反射して……とても綺麗」
この僅かな蜜月は、迫りくる追手の足音に、いとも簡単に奪われてしまう。
そんなこと、認めない。
私は、この子以外の物にはならない。
誓ったのだ。いつまでも共にあると。
「きっと、いま私たちの考えていることは同じなのかもしれない。ミアはきっと、約束を忘れていないから」
「もちろんよ。私も、あなたが約束を果たしてくれるというのであれば……この命は惜しくない」
どちらからともなく、私たちは湖へと身を投げた。
クレアは水面に映る星のひとつを掴む素振りをして、それを私の頭へとつける。
「ああっ、クレア」
「ミア、私たちはいつまでも――」
そうして星の髪飾りを頭に輝かせる私は、冷たく暗い水底で、彼女と永遠にひとつになった。
万雷の拍手が舞台を包み、幕は下りていく。
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「どうかしらミアちゃん?」
「クソつまらないわね」
王女でもなければ心中したわけでもない私は、虚ろな目をしたクレアと抱き合いながら、そう吐き捨てた。




