45 大会のエレーナ・レーデン 8
マァゼが去ってから少しだけ経った。
彼女がスーヤたちの場所へ赴き、戦いを繰り広げている間にも、ミアは意識を失った白服2人の傍でもがいている。
ミアが毒で死ぬことはない。
毒が引き起こす細胞異常や死滅などは【超速再生】で破壊された場所から回復する。
しかし苦しみはそのまま。毒が根負けして消えてくれるか、体が順応してくれるのを待つしかない。後者はそうそうできることではないが。
手っ取り早いのは患部を切除すること。毒の回った部位を取り除けば、【超速再生】で無事にすぐさま元通りだ。
しかし衆目のあるここでは、そんなことはできやしない。
胸とか腹とかなら、うつ伏せになってこっそりできたかもしれないが、あの幽かな雰囲気の小娘に無遠慮にベタベタと触られ、既に毒は全身を蝕んでいる。
もし主天使が目の前にいたなら【天墜】で消滅させてくれと頼んだだろう。
「う、ぐっ……!」
いまだに立つどころか、上体を起こすことすらままならない。
無理やり腕に力を込め、路上を這う。目指すはこの毒の元凶、リセ・トロイ。
彼女を起こして解毒してもらうのが一番早い。
ルール違反かどうか分からないが、多分褒められた行為でないことは分かっている。
敵に馬鹿正直に「苦しいから助けろ」と言うのはなんかアレだ。
それでもこの毒による苦しみを長時間享受してやるようなマゾヒズムをミアは持ち合わせてはいない。たとえ誰にどう見えようと、それが恥だとしても、この苦痛と天秤にかければ惜しくはない。それほどの強い毒。もたらされる苦痛は、ミアの心までもかきむしる。
むしろ今まで悶え耐えてきたのを誉めてほしいくらいだ。けどもう限界だ。痛すぎるし苦しすぎる。
「ぐ、っ、この……!」
石畳をひとつひとつ掴み、崖を上るように這い進む。
もう少しで眠る少女に手が届く、肩を揺さぶるか頬をはたくか、どちらも行動に移そうとミアが考えている時に、それは起こった。
今まで動かない青だった空が、ふっと黒く染まったのだ。
異変はそれだけではない。まるで影が意思を持ったかのように、周りの建物も、地面も、何もかもが黒く染まっていく。
すべてが黒に包まれ、一瞬の浮遊感におそわれる。
【潜土】で地中に呑まれた時と同じような感覚だった。天も地もない、上下左右という意識すらなくなった世界。
ミア自身、またソーギスかと思ったが、彼は少し離れた場所で同じように何もない空間に漂っている。意識を取り戻してルール違反をしてまでミアに攻撃したわけではないようだ。
となると、考えられるのはひとつ。
ウェンユェ・シンウーの作り出した魔法空間が終わるのだ。
□□□□□
闘技場を支配していたのは、先ほどまでの興奮や熱狂ではなく、困惑だった。
ウェンユェの従者が使う、遠くを見ることのできる魔法【遠望】で作られた窓は、マァゼがスーヤとグダンに飛び掛かり、スーヤが【炎柱】で応戦するというタイミングで消えたのだ。
「なんだぁ! 何も見えねーぞ!」
誰かがそう言えば、堰を切ったように観客からは不満が飛ぶ。
それは一般客はもちろんのこと、大統領や各来賓のお歴々も「どうした」いう顔でウェンユェの方を見る。
司会と実況を務める男が代表してウェンユェに語りかけると、彼女は誰もに持て囃される花のかんばせを崩すことなく、にこりと笑って流した。
「失礼、どうやら彼女は魔力切れのようです。いま魔力回復薬を飲ませます」
従者の女性は懐から青い液体の入った小瓶を2つ取り出し、立て続けに中身を飲み干した。
魔法協会の研究室が努力の末に開発した謹製の薬。魔力が凝縮されたそれは味こそ要改良だが、1本だけでも使い果たした魔力を回復させるほどの代物である。
無論、値は一般市民どころか貴族すら飛び上がるような価格だがウェンユェにとっては惜しくない金額だ。
「……ご主人様、いつでも可能です」
「そう。レンファンも動く頃合いね」
従者の言葉にウェンユェが頷く。
自分の魔法空間内のことは認識できる。可愛い姪が激闘の横で魔法学園の3人を気絶させるのを確認し、彼女は椅子から立ち上がった。
まだ残っている者もいるが、あの子に任せれば全滅させてくれるだろう。
「皆様、大変失礼いたしました。どうやら試合に決着がついたようです」
その言葉に、観客は「はぁ?」という言葉を漏らした。
勝敗が決するという、一番の盛り上がりどころが見られないどころか、ウェンユェだけは見ていたかのようにそうのたまうのだ。
血気盛んな客(主にアデジア)などは、今にもふざけるなと怒鳴りそうだ。
実際、誰よりも勝敗を気にするシェリア魔法学園の老婆は、唾を飛ばした。
「お前、どういうつもりだい! ついたらついたでさっさと見せないか!」
「皆様の落胆と怒りは重々承知です。代替にならないことも承知の上ですが、これより試合よりも面白い催しをご覧に入れてさしあげましょう」
ウェンユェがスタスタと歩く。豪奢な赤い民族服を揺らしながら、向かう先は大統領の観戦スペース。
大統領の傍に控えていたリーザックとルストがすぐさま警戒する。
ここで大統領に何かしようものなら、護衛の彼らが確実に首をとりにくることだろう。
「皆様は舞台に何を求めますか? 勧善懲悪の英雄譚、心が引き裂かれるような悲恋、溜飲を下げる復讐劇、どれも素敵ですね。私はどれも好きです」
一歩、また一歩と踏み出す度に、ウェンユェはこの場にいる者の目を惹きつけた。
絵画や彫刻がそのまま歩いているような美しさに、困惑より見惚れる者もいた。
「現実とはままならないものです。決まった役も、台本も、何もない。しかし私には、"舞台"を作る力がある――」
幅広の袖から覗く右手が、天に掲げられる。
その動きは、周りの視線を手に集め、彼らの目にひとつの黒い球体を見せる。
拳ほどの大きさのそれは遠目には見えないが、近くにいる者にははっきりと認識できる。
「私が現実という舞台に望むのは、私という人生の完成。時と運命で構成されたこの糸を綺麗に結ぶこと。あなたたちにも、それをお見せしましょう。まともな意識が残っていれば、ですが」
その瞬間、黒い球体は瞬く間に広がった。
一瞬のうちに客席を、舞台を、闘技場すべてを包み込む。
観客たちは何が起こったか分からないが、外から見れば異変は一目瞭然だった。闘技場全体が突如として黒い球に覆われたのだから。
それは外にいる人々を震撼させ、すぐさま騎士たちが駆けつけた。
しかし彼らは闘技場全体を覆った黒に阻まれ中に入れず何もできず、うろたえるばかりだ。
「……流石、勇者ですね」
ウェンユェは冷汗がこめかみを伝う感触と共に、首に触れる冷たい感触を味わった。
球体が広がる前の一瞬の間に、勇者リーザックは彼女の首を飛ばす直前までの行動を終えていたのだ。
危なかった。この剣が振り抜かれる前に魔法が発動してよかった、とウェンユェは安堵の息を漏らす。
彼女が生きているのは、勇者の手が止まったからだ。
勇者だけではない。魔法陣を描いたルストも、何が起きるのか想像もできなかった他の者たちも、誰もが止まっている。
巨大な球体の内にあるこの世界で、ウェンユェと彼女の従者だけが動き、大統領のすぐ近くへとやってきていた。
「ご主人様、首に傷が……すぐお隠しします」
「ありがとう。それが終わったら早速始めましょう」
従者がテキパキとした手つきで、傷をメイクで隠す。
終われば、彼女がウェンユェに手渡したのは一本のナイフだった。
「では、始めます」
「ええ」
魔法陣が描かれる。
固有魔法には明確な強弱の判断がつけにくい物が多いが、この従者が使う【遠望】は、誰もが強力な魔法だと言うだろう。
魔法の才能に恵まれていれば、大陸の端から端まで見ることのできるこの魔法で、斥候という役割など不要になるほどに。
さらに遠くを見ることができるのは術者だけではない。窓を浮かばせるように第三者も見られるし、窓の出現箇所も思うがまま。
そして彼女の魔法の才能は、恵まれていた。
「皆様、突然の無礼をお許しください」
ウェンユェは語りかける。誰にでもない、誰かに。人類大陸に住まう誰もに。
□□□□□
『私は『拳の国』元首、ウェンユェ・シンウーと申します。私の舞台を観に来てくださった方も、あなた達の中にはいるのでしょうか』
人類大陸に数多ある国々、街、村、その上空に、無数の窓が出現した。
国も職業も身分も関係なく、誰もが動きを止め、突如現れた異変に空を見上げる。
大陸中の視線が、窓に映る人物に注がれた。
『先に断っておきますが、これは幻覚の類ではありません。私は今、『柱の国』に来ております。魔法で大陸全土の国々に、これが見えていることでしょう』
窓に映るのは、誰もが息を呑むような美しい女性。
彼女の隣に立つのは、誰もが知るような老人。
『この方の説明は……必要かは分かりませんが、一応しておきましょう。現連邦大統領、ロフ・カベリーンゲン。今からコレで絶命する方です。血が出て人が死ぬ光景なので、苦手な方は見ないことをお勧めします』
遠く離れた人々のどよめきが見えているかのように、ウェンユェはニコリと笑い、手に持ったナイフを大統領の首に突きつけ、そして差し込む。
首からドクドクと血を流す老人の目は虚ろであり、悲鳴のひとつもあげない。
『彼が無反応なのは、私の魔法でそうさせているからです。何も感じないまま、彼は死にます。死ぬ瞬間に苦痛を感じるのは酷というものですからね』
ナイフを引き抜き、また刺す。また引き抜き、刺す。
骨が断たれ穴だらけになった首は頭の重さを支えきれず、虚ろな表情のまま落ちた。
『あら』
よいしょ、とまるで荷物を持つかのように、ウェンユェは大統領の頭を掴み、持ち上げる。
死人の生首を持つ美女が窓に映され、人々の目が見開かれた。
『はい。大統領は死にました』
どこかの国の誰かが悲鳴をあげた。そんな光景が、おそらく大陸中で起きている。
『では改めて自己紹介をしましょう。私は反連邦組織『リャーヴェ』のウェンユェ・シンウー……大陸を、人類を蝕む連邦を打倒すべく、まずは大統領を殺害させていただきました』
『柱の国』でも、この異変は誰もが目撃していた。
闘技場の周りには騎士団が集まり、どうにか中に入れないかと四苦八苦している。なにせ中にはトップクラスの要人である大統領がいるのだ。
その大統領が殺される場面は、もちろん彼らにも映し出された。
指揮をする人間が「なんとしても大統領をお救いしろ!」と檄を飛ばす中、彼らは希望を打ち砕かれたように空を見上げる。
『重ねて申し上げますが、これは幻覚でもなければ嘘でもありません。大統領は今、私がこの手で殺しました。この『柱の国』の闘技場の外にいる方々にも見えているでしょう? なんなら首を外に投げましょうか』
彼女は変わらぬ笑みをかんばせに浮かべながら、【烈風】の魔法陣を作り、大統領の虚ろな首をふわりと飛ばす。
その首は闘技場の外の通路にぽとりと落ちた。雑踏の中、すぐには誰も気付かないような、道端のゴミのように。
それを誰かが見つけ、悲鳴をあげた。
すぐさま騎士たちが駆けつけ、驚愕に顔を歪める。
「なっ、ゆ、勇者は何をやっているんだ! 大統領の傍にいたはずだ!」
彼らは勇者どころか誰も彼もが闘技場の中で停止していることを知らず、子供のように喚くばかり。
『この大陸には、我々と志を同じくする人々がいます。あなた達に告げましょう。立ち上がるのです。連邦制によって大切なものを奪われた人、求めるものをなくした人、あなた達にも力があるはずです。あなた達は何でもできる。できないはずがありません。私もこうして大統領を殺すことができた。できるのです。あなた達を縛るものはない。あなた達は自由なのです。さぁ、思うままに、取り戻しましょう、未来を』
誰もに、誰かに、祈るように、諭すように、励ますように、彼女は言った。
そして窓は消え、人々は混乱に包まれる。
もしかしたら、この言葉は誰にも届かないかもしれない。
しかしウェンユェには確信めいたものがあった。
この連邦という体制は、確かに平和を維持し続けた。だが万人が歓迎しているわけではない。もはや呪縛に等しい1000年変わらぬ人類の体制を変えたがっている者は確かにいるはずだ。
そしてその誰かに届くよう、こうして大陸全土に伝えた。
種はどこにでもあった。水は撒かれた。
そして始まるのだ。連邦を打倒する時代が。
□□□□□
「お疲れさまでした、ご主人様」
「ありがとう。あなたも疲れたでしょう」
「……少しだけ、です」
「魔力回復薬を飲みなさい。もう幕は上がった……ここからが、私の本番よ」
気遣いながら、ウェンユェは客席の階段を降りていく。
視線の先には、空間圧縮が解除された中央の舞台。
そこには白と黒の生徒たちが、1人を残して一様に倒れている。
ウェンユェはどこかから吊り上げられ、そこへと飛んだ。
「あら、ミアちゃんはやらなかったの?」
「はいおばさま。既に毒で行動不能だったので」
「っ、ぁ。ぐぅぅ……!」
誰もが停止した世界で、ミアには意識があった。
自分を見下ろす美女は先ほどその手で大統領を殺害し、その隣に立つ姪はそれに動じることなく冷たい目を自分に向けている。
美女が語った内容も聞いていた。舞台? 反連邦? 突然のことすぎて現実感が無いが、彼女の血に濡れた手を見れば、いやでも現実だと思い知らされる。
圧縮空間が解除され、黒一色の世界を経て戻ってきたミアにとっては、起きたことすべてよりも、それどころじゃない毒の苦しみに意識のほとんどが持っていかれている。
「いま治してあげるわね」
ウェンユェがしゃがみ、ミアに手をかざす。
すると今まで体を蝕んでいた毒が嘘のように消えた。
「これは……」
「助けてあげるのが遅れてごめんなさいね。もう苦しくない?」
「っ、あなた、なにを!」
ミアがすぐさまその場から飛び退く。
と同時に、目の前には殺意を隠そうとしないレンファンが迫った。
「刃蹴」
「なっ!?」
久しぶりに会ったような後輩の脚が消えるように動く。目にも留まらぬとはこのことだろう。
次の瞬間、ミアは自分の両腿から血飛沫をあげる切り傷に呻いた。
とても立っていられず、膝立ちになる。
さらにレンファンの踵が肩を踏み、強引に前倒しにされた。
傷口はすぐに塞がったが、突然の攻撃による動揺は隠せない。
「ぐっ、レンファン……! あなた!」
「黙りなさい。抵抗は許しませんよ、先輩」
先輩、そう呼ばれることには慣れ始めていた。
顔を合わせれば甘えるようにそう呼ばれてきた。なのに今は、同じ単語だというのにまったく別の呼び方をされている気分だ。
試合が始まる前まで腕を絡めてきていた後輩は、冷たい表情で、苛立ちと憎しみを覚えたような目で、ミアを踏みつけ見下ろしている。
「レンファン、だめよ。主演を乱暴に扱っちゃ」
「……ごめんなさい、おばさま。でもやっぱり反吐が出ます。演技とはいえ、おばさま以外に愛情を持つなど……」
「それでもやり遂げたのでしょう。偉いわ、レンファン」
「おばさま……」
這いつくばりながら見上げ、ウェンユェが姪を後ろから抱いているのを見た。
さらに周りを見れば、誰もが虚ろな目をし、呆けているように見える。
どういうことだと聞きたいことは山ほどあった。
「……さっぱり分からないけれど、ひとついいかしら?」
「なにかしら、ミアちゃん」
「この無礼な足は、いつまで乗っているのかしらね」
ミアは指先に描いた魔法陣をレンファンに向け、放った。
同時に足がどけられ、自由になる。
放たれた【雷撃】は、叔母を抱いてその場から飛び退いたレンファンには当たらなかったようだ。
「大丈夫ですか、おばさま」
「ええ。ありがとうレンファン」
ミアは内心で舌打ちをする。
避ける間も与えなかったつもりで威力を絞ったが、まさか避けられるとは。
そして今の動作だけで分かる。身体強化を抜きにしても、レンファンの動きは間違いなく常人離れしている。他のアイリア生徒でも今のを避けることなど難しいはずだ。まして彼女は1年生。
まぁ、疑問を抱いても仕方がない。避けられた。ただそれだけのこと。まずは他にも聞かなければならないことがある。
「あなた達、どういうつもり?」
「意識があったなら、私の言ったことはすべて聞いていたのでしょう?」
「ええ。別にあなたの言い分はどうでもいいけれど」
嘘ではない。どうでもいいというのがミアの本音だ。
正直驚いた。あの勇者に守られた大統領が、人類の頂点に立っていると言っていい男がいとも簡単に殺されたのだ。さらにそれをやったのが、温厚だと思っていた知り合いだった。
だがそれだけ。驚きはあったものの、理由を問いただそうとも責めようなどとも思わない。
人間同士が殺し合おうが、反連邦組織がどう動こうが、魔族たるミアにはなんの関係もない。
ただ、ミアがこのまま「じゃあ帰ります」などと言える状況でもない。
「大統領を殺して、反連邦を表明して、これからどうするつもりなのかしら。外じゃ今頃騎士たちがひしめいていることでしょうし、逃げ場なんて無いんじゃない?」
「ああ、そうねぇ……じゃあ、ここにいる人たちを人質にでもしようかしら」
今日の夕飯を決めるように、ウェンユェは平穏に微笑んだ。
その発言に、ミアの眉がぴくりと動く。
「――というのは冗談で、私は舞台を作りたいの。私を完成させてくれる、あなたが主演の舞台を」
「はぁ?」
言っている意味が分からなかった。そもそも理解させようとも思っていない喋り方だ。
ウェンユェ自身も承知の上なのか「すぐに分かるわ」と言うと、ミアに指を向ける。
「さっきは毒で苦しんでいたから、私の魔法が効かなかった。でも今は大丈夫。安心して。前にも言ったように、あなたはきっと姫が似合うから。ああでも、メイドもいいわね……」
何か来る。身構えたミアの意識は、簡単に真っ白になった。
「さぁ、あなたの役は――」
声が聞こえる。生まれ変わる。
過去が、現在が、未来が、書き換わる。




