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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第三章 舞台編
54/212

43 大会のエレーナ・レーデン 6

 人の形を保ったまま、体の内側がぐちゃぐちゃに溶けて混ぜられたような。

 経験すらないというのに、自分の腹が妊婦のように膨らんでそのまま破裂しそうな。

 そんな錯覚。


 咄嗟に生み出された猛毒は、常人であればものの数秒で死に至るようなものだった。

 そんな毒が、ミアを襲っている。


「その2人、とーっても強かったのね。身体強化だけじゃなくて、武器に聖剣氣とか纏ってたら負けたのはマァゼの方だったかも。あ、でも負けないけど!」


 それでも感覚系に作用する毒でなかったというのは、幸運だっただろう。

 マァゼの言葉も、倒れているのがオーソーとリレルであるというのも、気を抜けば遠くへ飛んでいくような意識の中でなんとか認識できている。


「これでお姉さまと2人きり……って言いたいけど、その様子じゃむりっぽいのね?」

「ぁ……ぎ……っ」

「まぁ、とっても苦しそう! ああでもマァゼにはお姉さまを救う手段が無いの!」


 ケラケラと口角を上げているその様は「少しは本気で心配しろ」と言いたくなるが、口に出せるほどの元気などあるわけがない。


「だから今のところはおあずけを我慢するのね。戦っても戦いにならなさそうだしー」


 そしてマァゼは背を向ける。


「だからお姉さまが治るまで、他の人間で遊んでよーっと!」


 姦しい少女が去った路上は静けさを取り戻す。

 ミアはその背中を追おうとし、起き上がるべく体に力を込め、また血を吐いて倒れ込んだ。



 □□□□□


「貴様ーーーーーー!!!!! 顔覚えたからなぁ!! 生きて帰れると思うな下郎がぁぁ!!」


 観客席から飛び出さんばかりの勢いで怒りを露わにするアデジア。

 ミアがリセとソーギスを相手にしている時の彼の反応がこれだ。

 毒や針で傷つくミアを見て、アデジアは居ても立っても居られなくなり、飛び出そうとしてナギサに止められるという光景になっている。

 周りの観客はドン引きしていた。


 そして時間が進み、ミアが2人を下し、倒れたところでナギサは気付く。

 今まで遠目からだったから思い出すことができなかったが、地に伏せるミアを見下ろす銀髪赤目の少女が窓に大きく表示されたことにより、ナギサは『港の国』での出来事を思い出す。


「え、なんで……!?」


 その頃、離れた席にいるクレアも、あの天使の島でのことを思い出す。


「あれ、あの子……!?」

「んー?」

「クレアどしたん?」


 友人らは気付いていないのか、あの特徴的な銀髪はそうそういないというのに。


「「なんで天使がここに!?」」


 その問いに答えが出るかは、天使にしか分からないだろう。



 一方で、アイリア学園の学園長であるラビスは、少しだけ眉間の皺が深くなる。

 彼の心配は生徒の安全にあり、先ほどリセが行った毒攻撃は明らかに危険だ。

 キスノが放った【炎墜】はまだ容認できる。あれくらいであれば、聖剣氣を持つ生徒が死ぬようなことはない。


 しかし隙間を縫うように毒という手段を使われたのは予想外だった。

 固有魔法であるから文句も言えない。

 言ったところで、隣に座る老婆は「やられる方が悪い」と跳ね返すだろう。


 祭りではあるが、過去には大怪我をしたという事例もある。御前試合である以上仕方のないことだ。

 大統領の前であること、大陸有数の大きな祭りであること、無理をしてでも目立ったりいいところを見せたりしたいという考えは、誰にでも浮かぶだろう。

 それでもラビスは生徒の安全が第一だと考える。臆病だと言われようと、貴重な聖剣氣持ちを預かる機関の長としての彼の信念はそこにあった。


「おやおやぁ、そちらの生徒はもう3人しか残っていないですなぁ?」

「そちらの生徒たちの頑張りが結果に反映されているのでしょう。よくお育てになりましたね」


 アザルの挑発にも動じず、ラビスはこともなげに返す。

 期待した反応でなかったからか、アザルは舌打ちと共に話しかけるのをやめ、まもなく来るであろう勝利を楽しみに待つことにした。

ミアとかいう魔法使いがいるのは予想外だったが、既に死に体だ。それに自分の育てた生徒ならば、あのルーニャ家の娘であっても勝てるはず。アザルはそれを信じて疑わない。それほどまでに厳しすぎるほどの教育を施していたのだから。



 学園長たちが座る席から来賓席を挟めば、大統領の特別スペースがある。

 今回は例年にも増して激しい戦いが繰り広げられており、大統領ロフ・カベリーンゲンは宙に浮かぶ窓を見ながら「ほう」と声を漏らした。


 そのすぐ横には勇者の席もあり、勇者リーザック・レイルシアは終始無言、無表情でただただ窓を見つめている。


 広い観戦スペースにはこのふたつの椅子のみ。

 大統領の近くには、不自由がないようにと使用人が多数控えているが、勇者の席の傍に立つのはただひとりだけだ。


 勇者と同じ年齢だろう、眼鏡をかけた青年、ルスト・シンギー。


「どう見る?」


 彼はリーザックがこちらに振り向いてまで話をしないと分かっていながら、その背中に話しかける。

 そして返事が返ってこないわけではないほど、リーザックが自分に対して一貫として無口でないことも知っている。


「……気になるのか?」


 しかしリーザックがわざわざ目線を動かしてこちらと会話をしてくるのは予想外だった。

 いや、思えば誰かを気にすること自体が自分らしくないなとルストは思う。


「いま毒を受けている生徒には見覚えがある」

「アイリアの生徒か」

「かなりの実力だろう。底が見えん」


 同じ魔法使いとして、この試合でミアが放った魔法を見ればだいたいの実力は分かる。

 ……はずなのだが、ルストは彼女の実力を測りかねた。


 明らかに手を抜いているのは分かる。

 それに粒ぞろいである今回のシェリア生徒と真正面から魔法をぶつけ合って余裕で圧倒しているあの魔力量はでたらめと言ってもいい。

 おそらく、本気を出したら相手を殺してしまうと分かっているのだ。


 それに加えこれまでの戦いで、彼女は絶対に怪我を負わないように立ちまわっているように見える。

 ソーギスに針を刺された時などは分かりやすく「しまった」という顔もしていた。

 臆病な性格というわけではなかろうに、やはり真意は見えない。


「分からんな……」

「そうか」


 リーザックからの返答は、予想通りなんの興味も湧いていないことを教えてくれるものだった。

 それについてルストが今さらどうこう言うつもりはない。


「まぁ、それよりもあのマァゼとかいう奴。あれは分かりやすいが、異常だな」


 今度は返事すらないが、ルストの目は苦しみ悶えるミアよりも、戦いそのものを楽しんでいるかのようにはしゃぐマァゼに注がれる。


 こちらも相当な実力者であり、それを隠すつもりもないらしい。

 相手を殺さないようにしているようだが、殺さなければ何をしてもいいと言わんばかりに暴れていた。

 先ほどリレルのトンファーを顔面に受けながら彼女の首を掴み壁に叩きつけたときであっても、マァゼは笑顔を浮かべていたのだ。


 というよりも、身体強化をした相手と近接戦で普通に勝ってしまうのはいくらなんでもあり得ないだろう。

 手傷を負っていたとはいえ、オーソーが槍を繰り出すよりも先に蹴りで彼を数軒先まで吹っ飛ばした時点でおかしかった。

 その後は壁に叩きつけたリレルを、追い打ちと言わんばかりに殴りまくっていた。

 ただの人間が腕力で勝てるはずがない。ならばマァゼはただの人間ではないだろう。


 ルストは警戒する。

 あの幼い少女にしか見えない奴は何者なのか、と。


 どよめきが観客席に流れる。

 どうやらスーヤ・ルーニャが戦っている方で何かあったらしい。ルストはそちらにも目を向けた。


 そしてリーザックは、マァゼもスーヤも見ていない。

 その濁った眼は、血を吐きながらも必死に立ち上がろうともがくミアに向けられていた。



 □□□□□


 5階建ての建物が崩れる。

 スーヤはガラガラと音を立てて落ちる瓦礫を【風砲】で弾きながら、足元から近付く魔法を跳んで回避した。


 カンジスは【魔縄】、ドレッドは【隆起】。

 この2人は自らの固有魔法を明かしていたが、残るセイドは明かしていない。

 だが彼はおそらく使っている。自らの固有魔法を。


 建物を崩したのも、セイドの仕業だ。

 とてつもない力、それも恐ろしく速い。

 遠く離れていても、彼の魔法から逃げきったという感じがしない。


 3人からの絶え間ない魔法攻撃。

 【魔縄】が腕や足に絡もうとし、【隆起】が姿勢を崩そうとし、反転陣対策の口頭魔法が飛んでくる。

 身体強化とAMフィールドが無ければ、いとも簡単に袋叩きにされていただろう。


 しかしスーヤの顔に焦りはない。

 それどころか、焦れているのは3人の方だ。


「なるほどな、衝撃か」

「おや、気付きましたか」


 これまでの戦いで、セイドの固有魔法にもだいたいのあたりはついた。

 目に見えないが、特別何か異常があるわけでもない。

 AMフィールドに当たる彼の見えない魔法は、おそらく衝撃波。

 それに、衝撃は伝わるもの。中には地面や壁を伝ってスーヤに届かんとするものもあった。


「ご明察。私の固有魔法は【衝撃】。当たれば痛いですよ、あの伯爵家の小僧もご覧になった通りです」


 その言葉通りであれば、聖剣氣持ちすら気絶させられるほどの威力がある。

 AMフィールド無しでそれを真っ向から受けるのは避けたいところだ。


「天柱は与えた、真偽を見極める眼を……」

「さっきの圧にはビビッたが、逃げ回ってばかりとは拍子抜けだぞ!」


 カンジスは相変わらず経典文をブツブツと言っているし、ドレッドはもどかしさを隠そうとしない。

 『たった3人ぽっちであたしに勝てると思ってんのか?』

 これは挑発ではあるが、強がりではない。スーヤは「まぁまぁ」と肩を竦めると、AMフィールドを消す。


「……? どういうつもりですか?」

「もう張る必要がないからな。少しは遊べると思ったが……やっぱダメだったな。時間切れだオマエら。凍傷に気を付けろよ……【氷界】」


 その口頭魔法と共に、3人の目が見開かれる。

 氷の最上位魔法【氷界】。

 術者を中心に、すべてを凍り付かせる、まさしく氷の世界を作り出す魔法だ。


 使える者も限られる最上位魔法、それを口頭で扱える者など、シェリア魔法学園にいる彼らでさえ見たことがない。


 口からでまかせのブラフかとも思ったが、スーヤの周りから何もかもが氷に包まれていく様を見ていると、嫌でも思い知るしかない。

 目の前の光景が現実であると。

 スーヤ・ルーニャは、自分たちとはまったく違う次元の魔法使いであると。


「くっ、AMフィールド!!」


 セイドはAMフィールドを張ることで防ごうとし、それが誤った選択だと理解した。

 AMフィールドの減衰能力は本人の魔力に依存する。元の魔法が強すぎても、大した減衰効果は見込めない。

 つまり、いま足から凍っていく彼は、強すぎるスーヤの魔法に、魔法使いとしてこの上ないほどの敗北を喫しているということだ。


 ドレッドは【隆起】で【氷界】の効果範囲から逃れようとしたが、スーヤの魔法は上空にも影響を及ぼしていた。

 上に逃げるのも間違いだったのだ。

 盛り上がった地面が下からどんどん凍っていき、ついにドレッドすら凍り付かせる。

 苦し紛れに【炎柱】で自分ごと氷を溶かそうとしたが、その炎ですら凍り、彼は力の差を痛感しながら動けなくなった。


 カンジスは【魔縄】を自分の周りにギチギチに張り巡らせ、球体のようにし、そこに閉じこもることでなんとかしのいだ。

 ……かと思われたが、【魔縄】が瞬時に凍り付き、バラバラと崩れ落ちたのだ。

 そしてなす術なく、最後まで経典の内容を呟きながら凍った。


「脱出は不可能だ。長く凍らせてたらマジで死ぬから、とっとと脱落にしてやれよ」


 おそらく聞いているであろう空間の外に向かって語りかける。

 上空の窓から3人の名前が消えるのを確認してから、スーヤは彼らを解放した。


「くっ……やはり、流石ルーニャ家といったところですか……!」


 白い息を吐き凍えながら悔しがるセイドたちを、スーヤは無視する。

 最上位魔法であっという間に相手を制圧する、一方的な展開だった。

 そんな芸当ができたのは、確かにルーニャ家の力であるのは確かだ。しかし、スーヤはそのことに触れない。


「さて、あと1人か」


 遠くから見たら、町の一角が完全に凍り付いたように見えるこの光景の中、スーヤは自分の息が白くないことを自嘲した。

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