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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
第二章 天使編
29/212

24 崖際のエレーナ・レーデン

 

 『港の国』の冒険者組合。その頂点ともいえるマスターと呼ばれる人物の耳にも、昨日の事件のことは入ってきていた。

 目撃者の証言から、現場にはナギサらしき冒険者の少女の姿もあった。

 彼女の保護者という立場であるマスターのもとにも騎士が訪れるのは自然な流れだった。


「――では、今日はナギサ・バーガーバーガーさんの姿は見ていないと?」

「ああ。昨日はおたくらが持ってきた緊急依頼の報告に帰ってきて、その後は飯に行くと言ってたきりだ」

「そう、ですか……分かりました」


 マスターには話せることがない。聴取もすぐに終わった。

 彼は溜まった書類を乗せた机を見ながら、パイプを吹かす。

 煙が目の前をゆらめくさまは、思考にふけるのにちょうどいい。


「(ナギサが通り魔に襲われた……か。まぁアイツなら大丈夫だろうが、帰ってきてないのは気になるな)」


 ナギサの持つボックスの力の一片は、マスターも知っている。

 これまでも彼女は危険な冒険者稼業を、大きな怪我も無くこなしてきた。それはあのガンサーベルやボックスの力によるものだ。

 そこいらの誰かに襲われても、心配はいらないだろう。


 ならば何故帰ってこないのか。

 失踪か誘拐か、騎士たちはそれすらも掴めていない。


「あの馬鹿……」


 マスターには、ナギサと同じ年頃の娘がいる。

 初めて会った時から、自分の中の父性のようなものが、ナギサを保護対象としてきた。

 大人として、心配しないはずがない。


「戻ってきたら説教だな」


 いま自分が吹かす煙のように、いつの間にか消えてくれるなよと思うマスターであった。



 □□□□□


 それは突然の訪問。

 生徒はおろか、教師ですら泡を食ったような事態になるものだった。


 天使が人前に姿を現すのは、裁きを下すときだけ。

 世界の秩序を乱し混乱を生む源を排除する。それが天使の使命。

 天使自身がそれを掲げているし、人間もそれを知っている。


 その天使が、わざわざ人間社会に降り、訪ねるなど――ましてや自らの領域に招待しようなど、歴史的にも無い出来事なのだ。


 そもそも天使自体、経典の中に描かれる存在。

 歴史的にも天使が記されるのは、最新のもので約100年前。

 反連邦を掲げる組織が決起した『ヨモド事変』、その出来事の中で天使がクーデター派の首領を討ち取ったという記録が最後。

 寿命が100に届かない程度の人類の中に、天使を実際に見た者はもう生きてはいない。


 書物と口伝の産物。『天使』と言われて人類が想像するのは、そういうものだった。


 それがいま、『港の国』の宿舎を訪れ、天使の島に招待すると言っている。

 この場にいる人間は、目の前で起きている光景を信じられない。


「天使……って、天使?」

「はい、キラミル・ソトレイナス。我らは天使。あなた達人間が崇める女神の使者」

「にわかには信じられんが……」

「ギルベルト・ファーソン、あなたは目にしたものを信じればいいのです」


 天使を名乗った者たちの腰辺りから、鳥のものに似た黒い魔力の翼が出現する。

 それはまさしく経典や絵画に描かれるのと同じ、高貴な黒を纏う使者、天使であった。


「わ~! どうやってるんです~? それ」

「天使は魔力を自在に扱えます。それは天使にのみ与えられた祝福、地上の者たちを見下ろし、裁きを与えるための力。これで我々が天使だと分かってくれましたね?」

「すっごい上から目線~」

「無知故の無礼、今は赦しましょう。ローリス・フィリス」


 ギルベルトは冷静に状況を見る。

 なんの先触れも無い接触。何者かの不敬ないたずらかと疑うことはできるが、身に着けている修道服や教会の紋章は偽物にしては出来が良すぎる。

 それにあの黒い翼、40年間生きてきたギルベルトも初めて見るものだ。


「それで、本当に天使だとして、何の御用で?」

「言ったでしょう。あなた達を、天使の島に招待しようというのです。ここにいる聖剣氣を持つ者たちを含めて、ね」

「天使の島って~?」

「我々が住む島ですよ。今はこの『港の国』の沖合いにあります」

「(今は……?)」


 何か引っかかる言い方だが、要は招待するからついてこいということだ。

 そんな提案に二つ返事で「はいわかりました」とは言えない。


「何のために、と聞いていいですかな? 人前に姿を現さない天使が、何故いま学園に興味を抱くのか」

「気まぐれ、と言っていいでしょう。すべては天使長様のお考えです」

「え~……」

「すみませんが、我々にも我々の予定がある。ここに滞在している時間も限られているし、簡単に生徒全員を連れまわすわけにはいかない」

「ああ、そのようなことはそちらで処理しなさい」

「……なに?」

「我々の招待を、人間が断るはずがありません。人間の都合は人間でなんとかしなさい」


 ナメた態度だった。

 硬骨漢で知られるギルベルトの眉間に皺が寄る。

 キラミルは彼の陰に隠れるように、存在感を消し、ボソッと呟く。


「何様のつもりだ……」


 天使たちは聞かなかった振りをした。


「難しく考えることはありません。あなた達は我らの島に来てもらうだけ。人類の誰もが成し遂げたことのないことなのですよ。光栄に思うべきです」

「しかし……」

「断ることはできません。準備の時間を差し上げましょう。明日の一の刻に、港に来なさい。我々の船で送ります。必ず全員を連れてきなさい。それでは」


 一方的な話を終え、天使たちは翼をしまい背を向ける。

 何か声をかけようとも、彼らは去る。それほどに反抗を認めない態度であった。



 □□□□□


「なに、あいつら……」

「まぁまぁ~、飴食べます~?」

「いらんわっ」

「ハァ……フィリス先生、ソトレイナス先生。いかがします?」

「いかがって~……行くしかないのでは~?」

「とりあえず私は午後の訓練を見てくる。明日のことは2人の決定に従うよ」


 キラミルが退席し、ラウンジスペースにはローリスとギルベルトだけが残される。

 といっても、この場にいる者だけで決めていいものか。2人は頭を抱えた。

 ただでさえ現実かどうかも怪しい存在が現れ、現実とは思えない提案をしてきた。


 天使の住む領域、そんな場所に行ったことのある人間はいない。

 長い人類史の中でも初めての出来事。それがこんな、なんでもないような日に訪れるとは誰も思わなかったのだから。


「まぁ~、本当に天使様なら~、すごいことですよね~」

「本物だとしても、意図が分からん……これまで姿を現さなかった天使が、どういうつもりなのだ」

「気まぐれ、って~言ってましたよね~。今年の子たちってばすごい幸運~」

「まぁ……確かに幸運でしょうな。普通に生きていればまず巡り合えない」

「深く考えずに~、見学のつもりで行ってみます~?」

「しかし……!」


 修学遠征中のカリキュラムは、天候などのことも考え余裕をもって組まれている。2、3日程度であれば急遽なにかを挟んでも問題はない。

 『柱の国』を遠く離れたここでは、様々な事に臨機応変に対応できる権利が教師にはある。予定外の出来事が起きても、どうするかは教師たち次第。


 天使の誘い。普通の人間であれば涙を流して喜ぶところだ。

 それを鵜呑みにできないのは、ギルベルトの教師としての責任感からだった。


 懸念しているのは、生徒たちに何かあることだ。

 ただの人類非生存圏であれば、ある程度の予想はつく。しかしこれから向かおうとしているのは、誰も足を踏み入れたことのない領域。


 天使は人智を超える存在だ。彼らの島とやらに行って何があるのか。

 別に何かされるわけでもないだろうとは思えるが、どれだけ考えようと何も予想がつかないというのは、子供を預かる大人の立場として不安がある。


「生徒たちに何かあれば……」

「あの子たちも強くなってきてますから~、きっと大丈夫ですよ~」

「フィリス先生が羨ましいですな。俺もそれくらいどっしり構えられれば」

「へ~?」

「いや、なんでもありません。俺は教会に行ってきます。司教様の意見も聞いてから結論を出しましょう」



 □□□□□


 その日の夜、食堂にて生徒たちはそれを聞いた。


「明日は急遽、全員でとある場所に行くことなった!」

「明日はなんと~、天使の島に連れてってもらえるそうで~す!」


 ミアは飲んでいたコーヒーを吹いた。

 生徒たちの反応も似たり寄ったりで、急にどうしたのだとざわめき出す。


「先生ー! 何言ってんスか?」

「突然冗談ですかー?」

「気持ちは分かるが、これは我々で話し合って決めたことだ」

「なんかね~、急に天使だって人たちが来たの~。私たちを~天使の島に招待するんだって~」


 はぁ? という反応は当然。自然な反応だ。

 だが教師たちが口を揃えて揶揄っているわけではないということが、生徒たちの興味を惹く。


「俺が教会に行って確かめたが、間違いない。本物の天使だったようだ。司教様に保証されたぞ」

「天使って実在するんだ……」

「凄い事じゃね? 俺らマジで天使にお呼ばれしたのか?」

「すっげー!」


 敬虔な信徒でなくても、人間は天柱教に属するもの。

 天柱教の中でも天使という存在に目をかけられたという事実に興奮しない者はいない。

 夢のようなイベントに全員が色めき立ち、中には喜びを隠そうとしない者もいた。


「そういうことだ! 明日の一の刻、港に向かう。天使はくれぐれも全員で来るようにと言っていた! 寝坊するなよ!」

「信じらんねぇ……! こんなのアリか!」

「ど、どうしよう! 天使様に会えるなんて……!」


 そしてギルベルトが解散を伝えるが、興奮冷めやらぬ生徒たちは思い思いに話を始める。

 その熱狂の中、ミアは生きた心地がしなかった。


 ナギサを狙う天使の思惑。それが分からない限りミアがナギサを天使に渡すことはないし、ナギサ自身も拒んでいる。

 マァゼが何かをを報告していれば、こういう接触があり得るとは思っていた。

 教師や生徒全員も巻き込まれるとは思わなかったが。


「(ともあれ、これで天使長とやらに話を聞ければ……)」


 と、ひとつの懸念が頭をよぎる。

 天使たちがエレーナ・レーデンのことを既に知っているかどうか。


「(マァゼ、私の正体まで伝えてるかしら……伝えてるかも……ああやっぱりあの時バレたのがぁぁ……!)」


 もう遅い後悔だった。

 AMエリアを使われた時点でミアは詰んでいた。あれを使われると、変装や【転移】といったオリジナルでない魔法が使えなくなる。

 あれの存在をすっかり忘れていたミアの失態とも言えた。


 今になってもミアは自身の行動が軽率だったと思っている。

 いくら天使が相手だったといっても、やはりムキになって戦ったのは悪手だった。

 教師や生徒全員の前で「コイツは魔族だ」と大暴露されるかもしれない。

 そんなことになってしまえば、これまで慎重を期してきた彼女の苦労が水の泡になるどころか、潜入だなんだと言っていられない状況になる。


「(私のバカバカバカバカ……! なんでこういう事態を予想できないの! 天使が人間にこんな接触してくることも、予想できるわけないじゃない!)」


 それもこれも、ナギサという会ったばかりの少女を気にかけたせいだ。

 既に『港の国』にいない彼女を思い出し、心の中で呪詛を送る。

 同時に、あの場面でナギサを助けることを選んだ自分も恨んだ。


「(……くよくよしていてもしかたがない、か。すべては天使の出方次第。どうなってもいいように覚悟はしておきましょう)」


 天使は使命を果たすことを何よりも優先する。

 そこから考えるに、この招待とやらもナギサを捕まえるために必要だと判断したのかもしれない。

 つまりは、ナギサを庇ったミアを自身の領域に引きずり込むため。


 天柱教を自らの根幹に植え込まれている人間が、天使の誘いに乗らないはずがない。

 誰だって自分の信じるものの化身を前にしたら跪くものだ。

 そしてミアもまた、こうした場に流されるしかない。

 全員で来いと言われている故にミアも逃げられない。無理に逃げた方が立場や状況が悪くなると容易に考えられる。


「(天使……どこまでも邪魔な害虫め……!)」


 ナギサと出会った不運、マァゼと出会った不運、自分のやらかした選択ミス。

 それらすべてを天使のせいにすることで、ミアは心の安定を保った。



 □□□□□


 翌朝、それほど久しぶりともいえないが、久しぶりにミアはクレアに起こされていた。

 今日は寝坊できないということで、責任感の強いクレアはわざわざ起こしに来たのだろう。


「ミア、起きて!」

「うぅん……」

「ミア……」


 そして相変わらず目覚めが悪いミア。

 半覚醒の朦朧とした状態で、肩を揺さぶるクレアの手を払おうとする。いつもの光景だった。


「ミアー……もう、起きないの?」

「んぅ……」

「……起きないなら」


 不意に、ミアは圧力のようなものを感じた。

 実際に何かを押し付けられているわけではないが、すぐ目の前に何かがある。

 頬にブラシのような何かが触れ、くすぐったい。


「ん……」


 顔の前に、息遣いと体温があった。

 吸って吐く呼吸の音。息が顔に当たり、多少の不快感が目を開かせる。


「くれ、あ……?」

「起きた?」

「ぇ……?」


 目を開けば、外の眩しさを感じるよりも先に、クレアの顔があった。

 ベッドで横になるミアの上に、クレアが四つん這いでいる。

 数cmしかない2人の距離。寝ぼけるミアでさえも、その不自然さは分かる。


「なに、してるの?」

「お、起こしてる……」


 口が動くだけで触れてしまいそうな距離。

 顔をまじまじと見ることで、先ほどミアの頬に触れたのはクレアの長い睫毛だったのだと分かった。


「ちかい」

「……ごめん」

「どいて」

「うん……」


 クレアの不自然さにすっかり目を覚ましたミア。

 ここまでさっと覚醒したのは、入学して初めてかもしれない。


「どうしたの急に?」

「う、ううん。なんでも」

「そう……?」

「きょ、今日は寝坊できない日だし、早く着替えてね」


 早口でまくし立てると、クレアはさっさと出て行ってしまった。

 ちょうど一度話をしようと思っていたミアだったが、止める暇もない。


「……なんだったの?」

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