20 遭遇のエレーナ・レーデン
「ねぇクレア、次船乗らない?」
「いいねー! 沖の方とか行ってみたい!」
クレアは友人らと共に海を満喫していた。
街に隣接する浜辺はビーチリゾートとして有名だ。常夏であるこの地域にはシーズン関係なしに人でごった返している。
初めての海ということもあり、生徒たちは浮かれ放題だ。
生徒だけでなく引率の立場であるローリスも、監督の名目で水着に着替え生徒たちと共に遊んでいる。
ひと泳ぎ終えたクレアは、引き締まった肢体を震わせ水を落とし、友人らの待つ陸へと向かった。
スレンダーな肉体美を惜しむことなく披露するビキニタイプの水着に釣られ、同じ年ごろの少年がナンパしてくることもあったが、他の生徒たちがブロックすることもあり、ほいほい誰かについていくという事態にはなっていない。
「それにしても、ミアさんも来ればよかったのにね」
「ねー。彼女の水着姿なんて滅多に見られたないのに」
「でも毎晩部屋に行ってるくらいだし、水着よりもっと凄いのを見てるのかも……」
「っ、クレア……! まさかもう大人の階段を……!」
「ええっ!? そんなことないよ!」
高嶺の花の恋人という立ち位置は、冷やかされることが多い。
もう慣れたものだが、本当の恋人でもないのに恋人らしく装うのはクレアにとって後ろめたい。申し訳なさを感じながら話を合わせる。
「今頃ミアさん、街の男たちにナンパされてたりして」
「学園でも似たようなものだったから、普通にあしらってるんじゃない?」
「恋人なら一緒に街を歩けばいいのに~クレア放ったらかしでかわいそう!」
「あはは、別にそんなにベタベタすることなんてないよ……」
適度にラブラブを演じながら、適度にラブラブになりすぎないよう演じる。塩梅の難しいことだ。
今だけはミアの何にも流されないような態度が羨ましい。
「ホントに~? クレアもう冷められてたりしない? 都合のいい時だけ頼られてあとはポイ捨てとか~!」
「あ、あはは……ないない。ないって。むしろ信頼してるから別行動っていうか――」
友人の何気ない気遣いは、クレアの心の奥を射ていた。
恋人としてではない、本来の友人として、クレアはミアとの関係に少しばかりの不安がある。
クレアとミアの距離感は、別にどちらかを掴んで離さないものではない。
2ヶ月の間に、互いに肩ひじ張らなくていい友人という間柄を構築してきたはずだ。
ミアに振り回されることが多いにしろ、それは彼女がクレアを信頼してくれているからだと思っている。
だからこそ気になることもある。
「(別に何かしてほしいってわけじゃないけど……ミア、全然自分のこと話さないんだよね)」
学園に来る前は大陸を旅していたということは聞いている。しかしそれ以前や彼女自身のこと、卒業したら帰るという実家のこともなにひとつ、クレアは知らない。聞いてもはぐらかされる。
友達という言葉に定義は無いと思っているが、どちらかというとあけすけなクレアと隠し事の多いミアでは、どうしてもフェアではない気がする。果たして向こうがどう思っているのかがよく分からない。それが不安につながる。
私たちは本当に友達なのか、いま言われたように、都合のいいお世話係としか思われてないのではないか、と。
「(っ、気にしちゃダメダメ! 私らしくもない!)」
クレアは己を恥じた。
ミアが何もかもをクレアに話す義理はない。それなのに「教えてくれない」とへそを曲げるのは自分勝手だ。
「(……でも知りたいっていうのは本当)」
それでも友達のことを知りたいというのがクレアだった。
では何故ミアのことを知りたいのか、気になるのか。
好奇心などでもなければ論理的な答えもない。欲求だ。素直な気持ちで――
「って! それじゃあ好きみたいじゃん!」
「うわっクレア何?」
「どしたん?」
「えっ!? あ、あははー! なんでもない! 今頃ミア何してるのかなーって!」
「おうおう、おアツいこと~」
クレアは同じ街にいるというのに、ミアが今どこで何をしているのか知らない。
自分は昨夜、教えたというのに。
身勝手に心が不平等だと思ってしまう。
「む~……! なんかむかむかしてきた」
「どうした急に」
「情緒不安定か」
「そんなんじゃないよ! ほら早く船のところ行こ!」
「(別にいいしー! 私は私で楽しむし!)」
□□□□□
それは鎌だった。それも大きな、人の身長ほどある柄と幅広の刃。
黒一色の大鎌。ミアはまさかと口に出してしまう。
「ぐ、カフッ……魔力、武器……!? ぐ、ぎ……ぁ!」
腹に突き刺さった大鎌をわざとグリグリと動かしながら引き抜いたのは、教会にいるような黒い修道服を着た幼い少女だ。
しかもただの修道服ではない。動きの邪魔になる部分は切り落とすなど戦闘に重きを置いた改造が施されている。明らかにカタギの者ではない。
その口から、甘ったるい声が発せられる。
「あはははぁ! 外しちゃった。殺しちゃった! でも仕方ないの」
修道服の少女は、人殺しなど悪くもなんともないことだと言わんばかりに笑う。
細められた目から覗く深紅の瞳は、既に死んだと思っているミアから完全に外れている。
目の前で人が大鎌に貫かれるという光景を目にしたナギサは、腰が抜けて動けなくなっていた。
危険と隣り合わせな冒険者であっても、彼女は基本ソロ。自身を確実に守ってくれる道具があるから、人が死ぬということに現実味を感じられないのだ。
「ぁ……! あ……っ!」
「AMフィールドの突破は難しそうだし、直接でいいのね。どうせ人間だし――」
今ここにいないスーヤよりも少し年上に見える程度の幼い少女がナギサに手を伸ばし、無防備になる。
傷の塞がったミアは、倒れたまま魔法陣を構築した。
「ねぇ」
声をかければ、伸ばされた手がピタリと止まる。
ミアの掌には【雷撃】の魔法陣が浮かんでいた。
殺さないよう気絶を狙った威力の雷が修道服へ飛び、少女は短く「ギャッ」という悲鳴を上げて倒れ伏す。
悪漢成敗。ミアは何事もなかったかのように立ち上がった。
「まったく、通り魔ってどこにでもいるのね」
「ええぇぇぇぇ!? あ、あなた今死んで……」
「あ、でも教会の人間に追われるってことはお尋ね者はあなたの方?」
「ねぇあなた! お腹どうなって……って、塞がってる?」
心配しているのか好奇心旺盛なのか、ナギサは飛びつくようにミアの腹を確認した。
血に染まりバックリ切り裂かれているワンピースは目も当てられないが、体には傷ひとつ無い。【超速再生】を知らないナギサにとっては何が起こったのか分からないだろう。
「とにかく私は行くわよ。もうこういうのに巻き込まれるのは御免なの」
「あっはぁ~」
「ッ!?」
馬鹿な、と思った。間違いなく気絶させるほどの威力を浴びせたはずだし、くらったはず。
【雷撃】はミアの得意とする魔法だ。加減を間違えるなどということはない。
「驚いたぁ。魔法が使える人間だったなんて……人間なの? さっきの手ごたえは本物だったけどぉ」
「そっちこそ、あれで気絶しないなんて人間とは思えないけど」
パサパサと服についた埃を払う仕草をするその銀髪赤目の少女は、どことなく変装魔法を施す前のエレーナを彷彿とさせる。
くりくりと丸い目をはじめとした子供らしい顔つきは、美人に分類されるエレーナと違ってはいるものの、もし自分がいま変装を解いたら姉妹に見えるかもしれないとミアに思わせた。
「(……鎌が消えてる。やはり、魔力武器……)」
「マァゼの邪魔をするならぁ……あなたも敵ねー?」
ミアは考えたくない結論につこうとしていた。
マァゼと名乗った少女の使う大鎌は、ダメージを受けると霧が晴れるように消えてなくなった。その現象は魔力剣と酷似している。おそらくは同じもの。
エレーナ・レーデンの使う魔力剣は、本人こそ『魔力剣』と呼んでいるが、その気になれば槍や槌など別の形をとることもできる。魔力弾も同じ分類に分けられる。
それらは共通して『魔力武器』と呼ばれる。そして魔力武器を使うのは、世界でもたったひとつの種族だけだ。
「天使に逆らう愚か者にはぁ、裁きが必要なの」
マァゼの腰辺りから修道服の上に魔力で形成される翼。
ミアには使えないが魔力武器と同じ要領で作られた、人の形をしながら飛行を可能とするもの。
紛れもない、天使であることの証明だった。
「なんっでこうなるの……!」
ミアは自らの不運を呪う。
ボーデットの言葉通り、天使はいた。
関わり合うつもりなどなかったのに、もらい事故のように何かに巻き込まれた。最悪だ。
天使は人の意見を聞くことはない。秩序の維持者を自称しその実は傍若無人。
己の使命とやらに忠実で、自己中心的な考え方をする種族だ。
今さら見逃してくれるわけがない。やられたからやり返したという過程だとしても、天使に危害を加えてしまったのだ。
封印から解かれてはじめて犯した最大のミスだった。
「まずは邪魔な魔法使いからね!」
再び大鎌を形成し、斬りかかってくる。
標的は分かりやすくミア。ナギサはいまだ地面にへたっている状態だから向かうことも逃げることもしないと判断したのか。
「冗談ッ……!」
自身の攻撃が当たると確信したかの大振り。ミアはその隙を見逃さない。
敢えて踏み込み、懐に飛び込む。
片手で鎌を振りかぶる腕をおさえ、もう片手をマァゼの腹に這わせる。
近付いてくるのが意外だったのかキョトンとするマァゼ。防御される前に【風砲】の魔法陣を構築、発動させれば、ミアの掌と修道服の間に空気の塊が出来上がり、解放される。
ドンという重い音が響き、指向性を持つ圧縮された空気の爆発にマァゼが吹き飛び、壁に叩きつけられる。
反動でミアも後方に飛ばされるが、こちらはしっかりと受け身をとった。
ミアは涼しい顔をしているが今のはかなり無茶な使い方で、普通なら腕が二度と使えないような粉砕骨折をしてズタズタになっている。傷ができたそばから回復する【超速再生】が無ければ行えない離れ業だ。
「ちょっと、今どういう状況なの!」
「わ、分からないよ! 突然その子が襲ってきたんだから!」
「天使に追われてるのよ! 何かやらかしたんでしょ!」
「何もしてないよー!」
呆然とするナギサに問いかけるも、彼女自身も何がどうなっているのか分からないようだ。
ミアにとって、ナギサは天使に追われる名も知らない少女だ。とっととお別れしたい気持ちで溢れている。
天使も【超速再生】には及ばないものの、再生能力を持っている。常人なら軽く死ねる内蔵ダメージを負っているはずのマァゼは、ケロッとした顔で復活した。お別れする機会を逃した。
「いったぁい……」
「ねぇ、マァゼって言ったかしら。この子差し出すから見逃してくれない?」
「えぇぇぇっ!? 助けてくれないの!?」
「当たり前でしょう! そもそも天使と敵対なんてしたくないのよ!」
「あははっ、だめー! こんなに遊べるんだから、死ぬまで付き合ってもらうの!」
大鎌が振るわれる。ガガガッと地面や壁を削るそれは、ミアの魔力剣と違って割れも欠けもしない。
相当な魔力が圧縮され込められている。
「くっ、これは……!」
「あはははははっ! もっと避けてみせて!」
マァゼは翼を使い低空で浮遊しながら様々な姿勢から次々に大鎌を振っている。翼は浮遊と同時に姿勢制御にも使われている。攻撃後に姿勢を直す必要が無く、ノータイムで次の攻撃を行えるのだ。
しかしその戦い方は周りを巻き込みすぎる。
ここは人通りのまったくない路地裏などではない。地元の店屋が並ぶ通りだ。通行人だっていた。しかしそれを認識していないようなマァゼの攻撃に、皆パニックになって逃げだした。周りには見物人すらいない。
彼女の周りは大鎌によって至る所に抉り取ったような跡が出来ていた。
しかしナギサの周りだけにはそれが無い。ボックスが出す被膜が彼女を守っているのだ。
ミアもそれを真似るようにAMフィールドを構築するが、少しの時間差をもって突破された。
本来はあくまで減衰することしかできないものだから仕方ないのだが、ミアには軽くショックだった。ミアの作ったAMフィールドを破るということは、ミアが注ぎこんだ以上の魔力が大鎌に使わていることになる。
それでもAMフィールドは、攻撃を回避するのにじゅうぶんな時間を稼いでいる。結果的にミアは一撃もくらっていない。
「あはぁ、またAMフィールド……魔法使いはこれだから面倒なの」
マァゼが翼と大鎌を消し、地面へと降り立った。
戦闘スタイルを変えるつもりだろうが、その切り替えタイミングを狙わないほどミアは親切ではない。【風縛】を撃ち込んで動きを止めようとしたが、マァゼの動きの方が速かった。
一瞬のうちに距離を詰められ、ダァンと足を踏まれる。
それだけでも足が潰れ、痛みにミアが顔を歪めるが、それ以上に足が引き抜けない。踏まれたことによってマァゼの腕の届く範囲から逃げられないのだ。
「マァゼはね、魔法が無くても強いの」
互いに固定された位置からの、一方的な素手での打撃。
魔法に頼る魔法使い相手ならば、AMフィールドの影響を受けない物理攻撃は有効だ。
マァゼのパンチや手刀は速く、魔族のミアをもってして辛うじて防ぎきれるほどであった。
天使と魔族の身体スペックはだいたい同じ。それ故の拮抗した攻防であったが、それがマァゼの疑念を生んだ。
「やっぱり、あなた人間じゃないのね。とっくに死ぬと思ってたけど、これじゃ他の奴らが来ちゃうの」
マァゼの引き起こした騒動は、既にこの一帯を騒がせる事件になっている。
彼女の口ぶりからして、この街にいる天使はマァゼひとりではない。増援が来て複数の天使を相手取るのは避けたい。否応なしに本気で戦わねばならない事態になってしまうし、騎士あたりが駆けつけてしまったら本気を人間の衆目に曝してしまう。
「っ、あなた! 逃げるわよ! こっちに来て、服の裾つまんで!」
「えっ!? は、はいぃー!」
「逃がすと思うのぉ?」
こうなったら【転移】を使うしかなかった。
後先はともかく、今は一時でも逃げた方がいい。
『失われた魔法』を晒す危険性も、この際二の次だ。
意識を分散させ始めたせいで、マァゼの打撃が決まるようになってきた。
痛みを堪えながら機を窺う。
「あはっ、隙あり~!」
マァゼの右腕がミアの腹に突き刺さった。
比喩表現ではなく、実際に指先が背中を突き抜け飛び出ている。
ミアはその硬直を狙い、マァゼの首を掴んだ。
「ア?」という間の抜けた声を聞きながら、ミアは指に力を込め、細い首にブチブチと食い込ませる。
1秒もしないうちに、マァゼの首を抉り削った。血が噴水のように飛び出し、目の前の天使から全身の力が抜ける。
胴体を貫いていた右腕もズルリと抜け落ち、天使は地に伏す。
「ちょ、血! ひぃぃぃぃ!」
「ゴフッ、い、ま……!」
悲鳴をあげるナギサをよそに、【転移】の魔法陣を構築。
この場から消えるその瞬間、ミアは足首を掴まれる感触を味わった。
「しまっ――」
「あはぁぁ~!」
振り払う暇もなく、ドウンという特有の音と共に【転移】が発動した。




