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自分は楽器を作り続ける人間だ。メリルは自分をそういう人間だと思っていた。だから、それ以外の事は、出来ればやりたくなかった。
楽器を作っていないときは、その全てを琥珀色の液体で押し流す。
勝手に作られた名声も、列をなして押しかけて来ては教えを乞う人間も、工房の運営も、それにかかわる雑事も、何もかもを琥珀色で染めて来た。
ただ、楽器を作っていたかった。
木を前にすれば、ただの職人に戻れる。木と向き合い、その声を必死に聞き取って、その手応えだけが自分を自分でいさせてくれる。本気でそう思っていた。
ずっと、そうしていたい。それ以外の事は自分を鈍らせるのだ、と。
それなのに。
メリルは、エミエルの視線を全身で受けながら、彼女が耳をそばだてる気配を感じながら、木を削る。
この子に見せたい。
この子に聞かせたい。
この姿を、あの音を、自分が今まで見てきたもの、聞いてきたもの、その全てを。
木を削る度に、エミエルの耳が小刻みに動くのを感じた。
聞いている、もしかしたら自分の心音までも。
そう思えば、エミエルを見出したことは間違いではなかった。その事だけには確信があった。
「少し休憩にしよう」
太陽が天頂を通り過ぎて、西に傾き始めたころ、メリルが大きく息を吐いた。その言葉を合図に、緊張の糸が少しほどけたのか、立っていたエミエルの耳は折り垂れる。彼女は立ち上がると、すぐにお湯を沸かし始めた。
彼女の後ろ姿を見ながら、メリルの頬が少しだけ緩む。以前なら、楽器作りに没頭したまま夜になっていたなんてことは珍しくなかった。何も飲まず、何も食べず、何かに追われるように楽器へと一心不乱に向かっていた。
けれど今は、こうして弟子の出す茶を楽しむ余裕さえある。それが自分でもなんだかおかしかったのだ。
エミエルがティーカップをソーサーに置く音だけが、工房の中に響く。何を話すでもなく、ただ、お茶を飲みながら過ごす時間。目の前の少女は、時折外の音に反応しているのか、耳を立てる。
もしかしたら、外の音ではなく、工房の音を聞いているのかもしれない。
木が湿気で微かにしなる音や、工具が自ら放つ音楽。
もし、作りかけの楽器が語りかけてくるとしたら?
そんな音を聞き取ることができているなら、それはどれだけ稀有なことだろうか。
それは、メリルがいくら望んでも手に入らない、まるでガラスの靴――
思わず自嘲気味に笑ってしまう。そんな彼女に気づいて、エミエルが首を傾げていた。
――無言の静寂が、二人を包む。
だが、彼女も少女もそれを拒まない。
窓から差し込む紅が、テーブルの上に影を落とす。暖炉の薪が一つ跳ねる音がした。
メリルがエミエルを見れば、少し体を硬直させて、ぎこちなくお茶を飲むエミエルに、彼女は目を細めた。
弟子も悪くない。
また自嘲すると、やはりエミエルは首を傾げるのであった。
「あの、先生」
エミエルが不意に口を開いた。静寂を破った事を申し訳なさそうにしながら、ちらちらと上目遣いにメリルの様子を窺っている。
「なんだ?」
「あの、ドルチェ・リートって知ってますか?」
「ドルチェ?」
珍しいものをみるように、メリルはエミエルを見る。エミエルは、聞いてはいけなかったのかとあたふたとし始めた。
「ドルチェがどうかしたのか?」
メリルが音もなくカップをソーサーに置くと、ゆっくりと脚を組んだ。エミエルはその所作にほっと息をつく。
「この間の講習会のことなんですけど……」
初めての講習会で、右も左もわからないエミエルに声をかけてくれた少女の事を話し始める。
「ちょっとまて、それは本当にドルチェの人間なのか?」
「はい、何か困った事があったら言ってくれ、って」
「ほう……羽ペンを貸しただけで、そんな殊勝なことを言える人間が講習会に?」
「はい! それにとっても……あ」
「どうした?」
エミエルの耳が勢いよく立って、微かにドアの方へ向く。
「お客様です、先生」
話の途中だったが、エミエルは工房の外の音を拾ったようだった。
一瞬で立った耳とは真逆に、気が抜けた表情を晒した少女が、すぐに我に返って告げる。そして何かを思い出すように眉を吊り上げながら虚空を見上げた。
これもまた、エミエルがやってきてからの大きな変化だった。
メリルが作業に没頭していると、来客の知らせも彼女には届かないことが普通だった。けれど、少女の耳は来客の知らせをしっかりと聞き取ってしまう。そしてその表情や反応から、どんな来客なのかも読み取れることも少なくなかった。ただ、今の彼女の表情は大分複雑で、読み取れることは少ない。
「ん? 来客の予定はないはずなんだが」
工房の二重窓の外から差し込む光が、やや赤みを帯びている。メリルが作業用ベストのポケットから懐中時計を取り出して見ると、短針は4を指していた。
こんな時間に来客があるというのも珍しい、とメリルが立ち上がると、エミエルも後に続く。
作業場を出て玄関扉の前に立った時、ふと横目で少女の顔を見ると、腑に落ちたという顔をしていた。その様子にメリルもまた首を傾げ、扉に手をかけた時、ドアノッカーが叩かれる。
「こんにちはぁ」
同時に柔らかい声がドア越しに聞こえてくる。
「げっ!?」
その声に、メリルは思わず声を上げて顔をしかめてしまった。伸ばしていた手は蝋のように固まっている。そんな彼女の様子を訝しく思ったエミエルが顔を覗き込んでくるが、メリルは固まったままだった。
「先生? 開けますよ?」
一瞬首をかしげるも、これ以上客を待たせるわけにはいかない、とエミエルが扉に手をかけた。
「まっ、まて!」
メリルの制止も間に合わず扉が開かれる。その先にあったのは、天使のような笑顔。その後ろから覗くのは、先日出会ったばかりの、アリエッタの期待に満ちた顔だった。




