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――講師の声が、講堂の乾いた木の肌を打つように響く。
誰もがその声を注意深く聞き取り、ペンが紙の上を走る音が聞こえてくる。
ふと、隣の少女を見やると、何でもない時にピクリと身体を震わせ、その度に耳が微かに動く。
ちゃんと講師の話を聞いているのだろうか――
そんな疑問が脳裏をよぎって、眉間にしわが寄る。
この講習会には大小様々な工房の弟子たちが集まっている。修行年数もまちまちだが、皆同じなのは、必死で講師の一言一句をものにしようとくらいついているということ。
一日でも早く木に触り、鉄に触り、自分の音を奏でる楽器を作りたい。皆そういう思いで来ているのだ。
アリエッタだって例外ではない。父の勧めで、街でもトップを争う老舗の工房『ドルチェ・リート』に新弟子として入って三年、必死で先輩たちに食らいついてきた。
自分も、誰もが必死でマイスターを目指してここにいる。
それなのに、隣の少女は時折ピクリとしては、ぼんやりしているようにさえ見えた。
ペンを握る指に、無意識に力が入っていた。
構ってる場合じゃない、そう思ってペンを走らせる。
――次の瞬間、羽の繊維が微かな悲鳴を上げるように鳴って、その音と共に白の軸は縦に引き裂かれ、先端の黒だけが涙の様に零れ落ちた。
「っ……」
思わず息を呑むが、それは誰にも聞こえる事のない小さなため息のようなもの。
彼女は一度小さく深呼吸をすると、ペンケースから新しい羽ペンを出そうとした。
だが、間の悪い事にメンテナンスに出したままだったことを思い出して、今度こそため息をついてしまった。
心の中で「仕方ない」と呟いて、講師の一言一句を胸に刻もうと決めて、声を張り上げる講師を見据えた。
「あの、よかったら使ってください」
その時、隣から囁くような小さな声と共に、羽ペンが差し出された。
それは、彼女が使っていた真っ白な鳥の羽とはまるで違って、少しくすんで灰色になっている。染み込んだ皮脂が光を鈍く反射していた。
「えっ……」
その羽ペンを見た時、何故か受け取ってしまっていた。けれど、すぐにハッとする。
「で、でも、あなたは……」
「あたしは、もう一本ありますから」
小さく微笑むと、少女は灰色にくすんだペンを取り出して見せた。
その微笑みに、すっかり毒気を抜かれた気分だった。
ほんの少し前まで、その少女に憤慨していたというのに。
「あ、ありがとう……」
少女は、その言葉に嬉しそうにまた微笑むと、けれどすぐに真剣な目に変わり前を向く。つられるように、彼女もまた、その羽ペンを握って前を向いた。
その羽ペンは、正直使い心地がいいとは言えなかった。それでも、何度も自分でメンテナンスをした跡が残っていて、大事に使われていたことだけはわかる。それは何故か暖かさを感じて、同時に、その使い込まれた跡こそが、彼女の真剣さを物語るようだった。
講師の話を書きとめながら、アリエッタは、少女――エミエルと言ったか――への自分の評は間違っていたのではないかと思い始めていた。
「今日はここまで」
その声と同時に、一瞬の静寂が訪れる。
次の瞬間には、講習会に参加していた全員が席から立ち上がった。
一種異様な光景に、一瞬しどろもどろになりながらも隣の席の少女も遅れて立ち上がった。
「ありがとうございました」
一同が示し合わせたかのように斉唱し、深々とお辞儀をする。
少女も一拍遅れて礼をしていた。
「励むように」
通る声が皆の頭に掛かると、そこでようやく顔をあげる。
「質問があるものは、後で私のところまで来てもいい」
そう言い残して、講師は退出していった。
先ほどまでの静寂が溶けて、講堂がにぎやかになり始める。会話をするもの、退出するもの、これまでの話をまとめるように机にかじりつくもの、様々だ。そんな光景に、またも驚いているのか、たぬき顔の少女は辺りを落ち着きなく見まわしている。
「……ありがとう。助かったわ」
彼女は、借り受けた羽ペンについたインクを丁寧に拭き取ると、まだキョロキョロとしている少女に声を掛ける。
「あ……はい!」
振り返った少女は、太陽の様に笑う。その眩しさに、一瞬目を細めてしまった。草原を駆け抜けた後のような香りがしそうな、太陽の恵みを一身に受けたような笑顔は、街の人間からは感じた事のないものだった。
「アリエッタ」
「え?」
「私、アリエッタ=クリーゲル。ドルチェ=リートの弟子よ。よろしく」
「あ、はい! よろしくお願いします! エミエル=クロイツです! プレセアでお世話になっています!」
何がうれしいのか、エミエルは草原一面に花を咲かせるように笑った。
その屈託のない笑顔に、何故か気圧されてる気がして、彼女は少しうつむく。
「知ってる……その、何か困ったことでもあったら、言って。私、借りは作りたくない方だから」
アリエッタは早口でまくし立てると、エミエルの言葉を待たずに踵を返す。その背中にエミエルの声が聞こえた気がしたが、逃げるようにして講堂を出た。
廊下に出た彼女は、小さくため息をつく。
そっと講堂を覗くと、エミエルが追いかけてくるでもなく、ただ困惑した様子で、また辺りを見回していた。
次の講習会でも会えるだろうか。
ふと浮かんだ考えに、アリエッタの頬が一瞬熱くなって、打ち消すように頭を振って歩き出す。
それでも、彼女はどこか晴れやかな顔で、『ドルチェ・リート』への帰路を歩むのであった。




