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第7話 『やだ。もっと適任がいるもん』

『ベランダがあって助かったぜ』


 実家から送られてきた荷物を解く。プチプチシートのカサカサとした音と、どこからともなく聞こえてくる天蛙の鳴き声が絶妙にマッチしているのは、一体何故なんだろう。

 夜になると虫の声すら全く違ったものに感じられる。


『それ何ですか?』


 既に眠たそうなたなてが、あくびを殺しながら聞いてくる。


『ああ、望遠鏡だよ望遠鏡。かっこいいっしょ』

 

 蛍光灯に照らされ、白い円筒が艶やかに輝く。物を大切にしない俺が、唯一といっていいほど丁寧に扱っているのがこの望遠鏡だ。


『立派なものを持ってるんだな』


 空も覗き込んできた。


『去年の夏はバイトめっちゃ頑張ったからなあ。それなりのものを買えたぜ』


 組み立てを終え、ベランダに白のボディを出す。外に出ると様々な種類の虫の声が鮮明に耳に入ってくる。

 雰囲気に浸る。夜のひんやりとした空気に体が溶け込んでいく。目を閉じと全ての境界線があやふやに夜の闇に混ざっていく。


『浸っているな、昭』


 現実に戻された。


『うるせえよ、せっかくの田舎なんだし、少しは味あわせろ。お前らだって、この夏が終わったら当分は都会生活だからな』


 おれひとり耳に違和感を覚えた。


 『うわうわうわうわ!』


 耳の中で何かがゴソゴソ動いている。あまり深いところではないのが、唯一の救いだろうか。


『昭、落ち着いて。リラックス、リラックス』


 急いで部屋に戻って耳をいじくる。なんとか羽虫のような小さな虫を出すことに成功した。


『カブトムシならまだしも羽虫は気持ち悪い。ベランダは開けるな』


『でもなあ、天体観測を楽しみに俺はこの田舎に来たんだぜ? あんまりだろ』


『とりあえず、電気を消してからベランダに出てみようか。光に寄ってきてるだろうし』


 なる姉に言われた通りに、電気の紐を引っ張る。カチンと音を立てて、部屋から明かりが消えた。

 一瞬、周りの音が大きくなった気がする。視界が悪くなった分、意識を聴力に割いているのだろう。

 カエルの鳴き声も足元で鳴いているみたいに近くに感じられた。


『蛙はもっとゲコゲコ鳴くものだと思っていたが、こいつらは品があって好印象だ』


闇の中、空の声が聞こえる。


『ゲコゲコ鳴くのは天蛙でしたっけ?』


『うん、ニホンアマガエル』


 なんて話していると、何かのスイッチが入ったのか、突然の蛙の合唱が始まる。


『うわ、うるせえな』


『品がどこかへいってしまった……』


『落ち着きませんか? この鳴き声』


 やっぱりたなてはどこかズレたところがある。


 少し経った後、ベランダを恐る恐る開ける。虫たちは、明かりのついている他の部屋に飛んでいったようだ。改めて望遠鏡をセットする。


 目が慣れると、思ったより明るいことに気づいた。月が出ていないのにやけに明るく感じる。


 田んぼや山並みが星明かりに静かに照らされて、凪いでいる海を見ているみたいだ。


『星を見るのかと思ったが、なんで下ばかり見ているんだ?』


『地面も綺麗だったんだよ、焦らせんな』


 耽っていたのが恥ずかしくなって、急いでファインダーを覗き込む。お目当ての土星は……南の方だったっけ。角度が全然違うな。


 順序が逆になってしまった。一度目を離し、鏡筒の角度を調節。再度ファインダーを覗く。

 諸々の調節が終わりピントが合うと、土星がくっきりと見えた。流石に東京で見たときよりも鮮明に映っている。


『綺麗に見えますか?』


『ああ、たなても見るか?』


『良いんですか? 是非見たいです!』


場所を交代してやると、子供のように、はしゃいで望遠鏡を覗く。思いっきりボディに頭をぶつけたのでぎょっとしたが、イマジナリーなので問題なしだと気づく。なんとも都合がいい。


『輪っかが凄いです! 輪っかの中にも黒い輪っかが!』


俺よりも興奮していて、釣られて嬉しくなってしまう。


 続いてなる姉が代わって覗き込み、やはり感嘆の声を漏らしていた。

 ふと後ろを見ると、空のなんとも言えない表情が星明かりに照らされていた。遠慮しているのだろうか?


『空、お前も見なくていいのか?』


 俺の問いに対し、空は少し申し訳なさそうな顔をする。


『ああ……な。昨日、お前には酷いことを言った。今でもすべてが間違いだったとも思っていないが、そんな今の立場で、望遠鏡を貸してくれというのは虫が良すぎる』


意外な言葉に、思わずなる姉と顔を見合わせる。暗いながらも、驚きの表情がしっかり見えた。


『お前だって、貸したくないだろう? 私もお前が苦労して買ったものを使うことはできない』


 どうしたものか。空たちの事情も分かっているので、昨日のことは正直なんとも思っていなかった。むしろ、なんだかんだで共に行動してくれたことに感謝すらしていたくらいだ。


 俺の望遠鏡を使わないという意思は固そうだし、どうしたものだろうか……。

 と、名案を思いつく。


『んじゃあさ、俺の天体望遠鏡をコピーしろよ。そしたら俺のじゃないだろ?』


『それでも、だな……』


 渋る空の肩を、ぽんぽんと「たなて」が叩く。


『ご厚意はもらっておかないと、失礼です』


 空は少し間を置いた後、こくこくと頷いた。


『それじゃ、私がコピーしちゃうよ。望遠鏡は中の構造が複雑だから、まだ空ちゃんには難しいだろうから』


となる姉が、すぐさま二つ目の望遠鏡をコピーで作り出す。空に何か言われる前に先手を打った形だ。

 

 というか、あれだけ頑張って手に入れた望遠鏡が簡単にコピーされてしまった。本物ではないのは分かっているが何一つ変わらない姿が隣に並んでいるのは複雑でもある。


『済まないな……』


『そこは「ありがとう」で良いんだぜ、空』


空が望遠鏡をいじり始める。カチャカチャと動かすが、そんな方法ではいつまで経っても見られないだろう。


『なるこ、何から何まで悪いが、使い方を教えてくれないか』


 空がなる姉に体を向け頼み込むが、


『やだ。もっと適任がいるもん』


 と俺の方を見て笑いかける。やられたと思った。ピントが合った状態でコピーしなかったということは、最初からその予定だったんだろう。


 少し気まずく空の方を見る。と、ペコリと頭を下げられた。


『昭が良ければ、使い方を教えてほしい』


 音もなく風が吹きこみ湿った草の匂いに包まれる。


『ああ……頭下げんなって。ほら、教えてやるからさ』


 頭を上げた空は、今まで見た中で一番柔らかい顔をしていた。


…………


 手取り足取り、使い方を教える。空は真剣な表情で手を動かしていく。こいつは不器用なところがありそうなので、ゆっくり丁寧に教える。


『赤ちゃんに触るときくらいに、丁寧に扱うんだぞ』


 特に何かを考えたわけではない。だが、その言葉を発した瞬間、脳内に感じたことのない衝撃が走り、思わず倒れ込んでしまう。遠くに、なる姉たちの呼ぶ声が聞こえた気がした。


…………


『昭、望遠鏡はね、赤ちゃんに触るときくらいに、ゆっくり、優しく触るんだよ』


…………


『昭! 昭!』


 誰かが俺を呼んでいる。


『お母、さん?』


『昭、目を覚ませ! こいつはなるこだぞ!』


 意識が鮮明になる。三人とも心配そうな顔をしていた。なる姉は、俺の手を握ってくれていたようだった。


『あ、ごめん。なんかふらっときちったわ』


『謝ることじゃないよ。大丈夫? 頭打ってない?』


『ああ、問題ないよ』


 と言いつつ、まだくらっとする頭を押さえながら、電気をつける。「ブーン」という音を立て、部屋に明かりが戻ってきた。


『昭くん、本当に怪我とかしていませんか? なんで倒れちゃったんですか?』


 たなての質問に、なる姉が割って入る。


『多分、望遠鏡のコピーの負担が重かったんだよ。構造が複雑だから』


『まあ、こんなデカいのコピーしたのは初めてだしな……』


だが今まで、疲れることはあれどいきなりぶっ倒れるようなことはなかったんだが……


『私のせいじゃないか……本当に済まない』


『いや、問題ないって。というか、俺、変なこと言ったよな』


『ああ、なるこを見て「母さん」と言っていたぞ。似ているのか?』


『似てるも何も、顔すら知んねえよ』


 俺の言葉を聞いた、たなてと空の顔が凍りつく。


『顔すら知らないって……』


『俺が物心ついたころには行方不明になってたからな。しかも父さんと喧嘩別れでもしたのか写真の一枚すら残ってないし。だから記憶なんて一切ないと思ってたんだけど……』


 なんで今になって、当時の幼かった頃の記憶なんて思い出したんだろうか……。


『なる姉に似てる……ねえ』


 ぼんやりとさっき見た顔は覚えているが、似ていたか?


 夢でみたあの人と見比べようとなる姉に目を向ける。 

 突然、心臓を掴まれた気がした。それほどまでに、彼女が今まで見たことのない顔をしていたから。



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