第5話 『私、寝相が悪いのでしょうか?』
気付くと螺旋階段を登っていた。打ちっぱなしのコンクリートの世界。無機質な足音だけが響く。
ここは何処だろうか。下を覗き込んでも、もうかなり登っているのか、底が見えない。
足を止め、大きく深呼吸をする。妙に乾いた空気が肺を満たしていく。少しは落ち着いた気がした。
しかし、足は一人でに階段を登り続ける。
止まらない。ただ重苦しさを感じながら、足が勝手に動いていく。
苦しい……。
…………
息苦しさで目が覚めた。まだよく開かない目を凝らした視線の先には――
足……?
『うおっ!!』
思わず体が弾かれたように飛び起きる。足の主もその衝撃で目を覚ましたようだ。
『……おはようございます。ふぁーあ。お布団、気持ちよかったです』
たなてはまだ眠たそうに欠伸をした後、ぐいと背伸びをする。
淡い緑の日差しをその身いっぱいに受け、鳥の囀りと共に起床するなんて、字面だけ見れば気品すら感じられるのだが、今の彼女には似つかわしくないものに感じられた。
とはいえ空想の存在である故に、その光を透かしながらもその光を受け、影を作らない姿は特有の神々しさがある。
『なんでお前の足が俺の腹に乗ってたんだ?』
『私、寝相が悪いのでしょうか?』
と、目を擦りながら悪びれずに呟く。
『そもそも、俺とたなての間には、なる姉を挟んで寝ただろ?』
気を取り直し、状況確認。
『あれ……なる姉さんの布団が移動していますね』
確かに俺の隣に敷いてあったはずのなる姉の布団が、いつの間にか玄関ギリギリに位置している。
『大方、寝相に耐えかねて深夜に避難したのだろう。昨日、夜遅くにゴソゴソやっていたからな』
騒ぎで目が覚めてしまったのだろう。空が目をこすりながら説明を加える。
『にしても、なるこはまだ起きないのか? これだけ騒がしいのに……意外だな』
『確かにそうですね。なる姉さんって、真っ先に起きるタイプだと思ってました』
まだ布団の中に丸まっているなる姉に視線を向
ける。
『なる姉は結構寝坊するぞ? 昔はそんなことなかったんだけど、今じゃすっかり眠り姫だ』
『眠り姫、ですか』
そう言いながらたなてがなる姉の頬をぷにぷにつつく。しかし全く起きる気配はなく、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。
『四月に入って勉強が難しくなったら、眠ることが増えてなあ。困っちゃうぜ』
それだけ勉強を頑張っているということなんだろう。あんなに賢いんだ、その分眠らないと帳尻が合わないのも頷ける。
『なる姉さんも一緒に勉強しているんですね』
『なる姉もというよりは、なる姉だけだな。テストもなる姉しか解いてない』
『自分の空想にカンニングとは、見上げた主じゃないか』
空が横槍を入れてくる。
『まあいいだろ、大別すればなる姉の実力は俺の実力だし』
『なるこのことをどう思っているのか、よく分からんな。都合のいいカンニング道具か? なるこは。反吐が出る』
『穿った見方が過ぎるだろ。テストお助け人くらいに言え』
全く……。いちいち噛み付いてくるやつだ。
『でも、なるこさんが疲れてしまうなら、昭さんも勉強する必要があるのではないのでしょうか?』
『はーあ』と思わずため息をついてしまう。流石の俺でも、その考えが浮かんだことくらいはある。
『高校受験の時、なる姉が意気込んでトップ高に受かっちゃったから、俺如きが勉強したところで……って感じ。授業も全然ついていけないし』
俺だって、ただサボっているだけではない。
『なる姉さん、頭良いんですね』
『ああ、なる姉が受ければ学年一位は安定して取れる。ちゃんと起きてれば凄い人だよ』
自分で言っていて、改めてなる姉の凄さを実感する。実際周りの友達は勉強で頭を悩ましているわけだから、俺は恵まれているな。
そんな話で盛り上がっていると、なる姉もやっと起きてきて、『私の話してるの?』と半分開いた目で会話に混ざってくる。
『ああ、なる姉は寝坊助だなーって話してたところだ』
『ええー、陰口?』
『いや、褒めていました。なる姉さんは、やっぱりなる姉さんですね!』
『……?ちょっとよく分かんないかも?』
たなてのフォローは……響いていない様子だった。
『昭、今何時?』
『八時くらいかな』
『そろそろ朝ごはんの時間じゃない? 昨日お爺ちゃんが言ってたよ』
『んじゃ、歯、磨いとかないとな』
歯磨きのために洗面所のドアを開け、蛇口を捻ろうとする。
『昭、邪魔だ。もっと奥にいけ』
と、空が狭い脱衣所に入ってくる。
『私も今、歯を磨いてしまいたいです。とりあえずは未使用の歯ブラシだけ見せていただければ大丈夫なので』
たなても続いて入るものだから、軽く押し合いへし合いの様相を呈してきた。
『別にお前ら、磨かなくても虫歯になんねえだろ』
『磨かないと気持ちが悪い。つべこべ言わずにどけ』
さらに押し込まれ、無理な体勢になる。鏡を見ると、俺一人が変な体勢になっていた。馬鹿らしいな。
思いきって空に重なる。どうせ透ける。
『うわ……』
『ん!』
視界と触覚の不一致。あまりの気持ち悪さに、すぐ体を離す。
『重なってくるな、気色が悪い』
俺と空が言い合っているうちに、横からバールが伸びてくる。ひょいと先端に備え付けの歯ブラシを引っ掛けると、たなてはそそくさと出て行ってしまった。
これからの朝は、うんざりしたものになりそうだ……。
…………
下に降りると、昨日聞いた通り、既に婆ちゃんが朝ごはんを作ってくれていた。
『昭、好きなだけ食べていいからね』
旅館で大量に作る朝ごはんを頂く形だ。必然的に味も客と同じ物を食べれることになる。昨日の晩飯はとても美味しかった。
自分で味噌汁とご飯に適当なおかずを数種類選んだ後、席につく。
まだ旅館の朝食時間としては早いのだろう、お客さんはあまり見当たらない。ぞろぞろと連れがいる関係上席が空いていて助かった。
味噌汁の香りが鼻腔をくすぐる。それを合図にお腹が鳴る。
『頂きまーす』
『少し待て! コピーさせろ!』
せっかくの朝ごはんに水を差される。
『まだ終わってないのか?』
横を見ると、空が必死な顔で手をかざしていた。
コピーってそうやるものなのか……?
なる姉とたなての前には、既にご飯が並んでいる。
『早くコピーしろよな……』
『コピーと言われても、そんなの経験がない……!』
目の前に朝ごはんを並べて食べないでいると、いかにも怪しい。仕方がないのでスマホを取り出して写真を撮るふりをする。
段々二階から客が降りてくる。常連なのか慣れた手つきで朝食セットを作り終えると迷わず席に座る。お気に入りの席のようだ。
当たり前によそった朝食を食べ始める二人。なぜ俺はおあすげを食らってるんだ?
味噌汁が冷えてきてもおかしくない頃、やっと空は味噌汁のコピーに成功した。
『ったくよー。コツは掴んだか?』
『慣れないものは仕方ないじゃないか』
『頂きまーす』
お預けを食らっていたご飯たちを口に運ぶ。少し冷えていたがそれでも美味しい。
際立って派手な味ではないけど、丁寧に作られていることは素人でも伝わってくる。
横を見ても、みんな美味しそうに頬張っていた。
空を除いて。
『……味がしないな。水か?』
『そんなことはないだろ。普通に美味いぞ』
一口飲んでは味噌汁を訝しげに睨み、また一口飲んでは睨んでいる。
『味覚のコピーって難しいからね。一発で成功するたなてちゃんの方がおかしいんだよ』
『そうなんですか?』
とぼけた顔でたなては言い放つ。
『とりあえず、私がもう一人分コピーするから、それ食べようか』
『……ああ、悪い』
空想特有の能力にも、それぞれ差が出るなんて不思議なものだと思った。




