第2話 『普通は十歳を超えるころには消えるんだけどね』
『現実に存在しない』
なる姉から予想外の言葉に思わず顔が引き攣る。しかしその言葉を発した本人の方が驚いていることが分かる。なる姉の眉間に深いシワが寄っていたから。
「マジで?」
奥の2人の少女に目をやる。最初に目についたのは長身の少女。白い制服を身に纏い凛とした姿勢でまるで令嬢のようだ。こちらを鋭い視線で観察しており、どこか近寄り難い。
それとは対照的にもう一人は小柄で、なんというか全体的にくりくりとしている。
服装も白シャツにテーパードパンツとカジュアルで遊園地にでも居そうな格好。旅館の一室には不釣り合いだ。手には何か棒状のおもちゃを持っているが、一体なんだろう。
「俺はあの子達は普通の女子に見えるんだけど?ほら、どっちも透けたりしてないじゃん」
『私だって昭から見たら透けないでしょ』
確かにそうだが...... 頭が追いつかない。余りにも信じ難いことに脳が拒絶感を示す。外で鳴り響く鮮明なはずの蝉時雨もくぐもって聞こえる。
それほどまでに、窓から差し込む日差しに照らされる彼女達は実存感を持って「そこ」に存在した。
しかし、目を凝らすと彼女たちの影がどこにもないことが分かる。なる姉と同じように。
小柄な少女が『存在しないとはどういうことでしょう?』と小首を傾げながら訊いてくる。
体から血の気が引いていくのがわかった。すぐにでもこの場から逃げ出したい。
が、気づくとなる姉は俺の腕を握っていた。半袖の素肌に食い込む爪の感触。「逃げるな」という強い意思が伝わってくる。
「お前見えてるのか? 俺の隣の人が」
『はい?見えると何かいけないですか?』
だめに決まっている。
だって―
「いけないも何も、この人は俺の幻覚だぞ……」
自分の言葉に胸の鼓動が早まる。いきなり幻覚が増えたのか?
それも二人も?
小柄な少女がキョトンとした顔になる一方で、後ろで話を聞いていた長身の彼女がこちらに歩み寄ってきた。
『私達は運が悪かったようだ。よりにもやって頭のおかしいやつが最初にこの部屋を開けるとは......』
その一言で一気に空気が張り詰める。明確な敵意が肌を刺す。
『たなて、早く外に出るぞ。ドアを閉められたらまた監禁状態だ』
長身の少女が俺の横を通り過ぎようとしたその時『ちょっと待って』となる姉が遮った。
『あなた、物を持てないでしょ?』
なる姉の問いかけに少女の足が止まる。しばしの沈黙のあと、
『ああ、そうだ。何故分かった?』
長身の少女が苦々しく訊き返した。
『私も一緒だから。』
なる姉の言葉に彼女の表情が揺れる。
『さっき、部屋から出れないって言ってたけど...... そもそもあなた達はドアノブすら回せないでしょ?』
長身の彼女は言い返せない様子だった。
俺は彼女を見据え、自分に言い聞かせるように言葉をかける。
「お前は俺の幻覚なんだよ......」
『うるさい!』と彼女は俺を突き飛ばそうとするが、その手は俺の体をすり抜ける。
視界と触覚の不一致に鳥肌が立つのが分かる。この感覚はいつになっても慣れない。
『ソラちゃん、一旦この人達の話を聞いてみても良いんじゃないですか?』
と小柄な少女から意外な助け舟。
『この人達は私達のことをちゃんと見えてます。まずは事情だけでも聞きませんか?』
向こうにも事情があるのだろうか。自分を妄想だと言われているのに、この少女はもうそのことを受け入れようとしている。
『それじゃあ、自己紹介しない?』
なる姉がチャンスと見たのか提案を畳み掛け、それに小柄な少女は二つ返事で頷く。長身の方も迷いを見せながら小さくコクリと首を縦に振った。
『じゃあさ、言い出した手前申し訳ないんだけど、君たちから始めてくれないかな。説明の都合上、多分そっちのほうがいい』
仕方がないが随分強引な言い分だと自分でも思う。
何か言いたげに長身の少女が口を開くが
『では、私から自己紹介を始めますね』
小柄な少女が直ぐに始めてしまったせいでタイミングを逃した。助かった。
「うん、お願いします」
この小さい子は随分喋りやすい。もし長身の彼女1人であれば自己紹介に漕ぎ着くまで時間がかかっただろう。
この子は場をふわりと和ます雰囲気も持っている。気づけば激しい胸の鼓動も落ち着き始めていた。
『名前は「たなて」って言います。音の響きしか覚えていないので、取り敢えずはたなてって呼んでくれると嬉しいです』
『たなてちゃんだね。おっけー』
早速なる姉に名前を呼ばれて嬉しいのかたなてから警戒の色が弱まる。
『今日の朝、気づいたらこの部屋に隣のソラちゃんと一緒にいました。私も物を持とうとしても手が透けちゃって何も掴めません』
すると、少女は手にしている棒状の玩具をくるくると回し始め
『でもこれだけは持てるんです。これって――』
「バールか?」
上下で赤と青に分かれたカラーリングに先端が二股に分かれた形状。バールで間違いないだろう。
思わず遮ってしまったがたなては『多分』とにこやかに返す
『でも軽いし本物じゃないです。窓を割ろうとしても無理でしたし』
と爪でコツコツと叩く。確かに金属の質感ではない音が響く。
『変なおもちゃですよね。バールの玩具なんて見たこと有りますか?』
俺となる姉は揃って首を横に振る。世の中にはそんなおもちゃもあるかも知れないが、少なくともメジャーではない。
次の言葉を探すようにたなてが視線を天井に向け、悩み始める。だが適切な言葉は出てこない。
『記憶がないと話すこともすぐになくなってしまいますね』
諦めたようにたなては言い終えると、コツコツとおもちゃで長身の少女を軽く叩く。バトンを渡された少女は目を泳がすと、たなては更にコツコツとつつく。
部屋がどんよりと籠り皮膚にまとわりついてくる。窓を開けたいがそんなことが出来る雰囲気ではない。
『......名前はそら。空模様のそらだ。』
彼女は静かに口を開いた。
『たなてと同じく、名前以外の記憶は真っ白だ。部屋に閉じ込められ、窓から何度も呼びかけても誰も見向きもしない。自分達のことは、座敷わらしの様な部屋に憑く類の妖怪だと踏んでいたんだがな。まあ他人の妄想...よりはマシだろうとは今でも思っている』
以上だ、と締めくくると早く始めろと言わんばかりの視線でなる姉を睨む。
「それじゃあ次は俺たちの番だな」
少し間をおいて、俺たちは喋り始める。
「俺の名前は中居昭。爺ちゃん達の旅館を手伝いにこの夏休み来ている」
『私はなるこ、昭のイマジナリーフレンド』
『イマジナリーフレンド?何だそれは』
空の問いに
『幼い子が作り出す架空のお友達のことですけど......』
と、たなてが補足する。
『架空のお友達......か。私達もそれだと?』
空が重苦しい溜息を、わざと聞こえるように吐き出す。
『ではなるこ、おまえは作られた脳内のお人形というので間違いないか?』
鼻先で笑い、そう続けた空に対し
『うん、私は作られた時の記憶も有るからね。それでいいよ』
なる姉が毅然と返す。その余りにも堂々とした態度に空は大きく目を見開いて固まっていた。
だがそれ以上に衝撃を受けたのは俺だった。だって俺自身は作った記憶なんて、何も覚えていなかったから。
「そんなの初耳だぞ……!俺はてっきりなる姉も覚えてないかと」
向こうに聞かれないように耳打ちする。
『まあ、昭が忘れても私が忘れなかったら大丈夫だよ』
どこか悲しげな微笑みと共に返され、俺は何も言えなかった。
気を取り直した空が再度口を開く。
『……だが、昭は小さくないだろ。少なくとも高校生には見える』
痛いところを突かれた。
「ああ、高2の17歳だよ。」
『そんな年で、おかしいだろう?』
『うん。おかしいよ』
なる姉がキッパリと述べる
『普通は十歳を超えるころには消えるんだけどね』
そう、普通は十歳程度で自然と消えるもの。俺は、普通ではない。
物心がついた頃にはなる姉が隣にいた。思い出せるいちばん古い記憶も、遊園地で調子に乗った父がコーヒカップを異常に早く回し、吐きそうになった場面だ。
まだ幼なく、それでもお姉さんだったなる姉に介抱された覚えがある。
彼女が自分にしか見えないことは幼心でも分かっていたし、それを他人に話すべきではないことも理解していた。
青年時代を迎える今、なる姉とどう関わっていくかは、少し悩んでいるところでもある。
「そもそも子どもが空想で人を作り出すのは寂しい時らしいが、別に今の俺はそんなんじゃない」
まだなる姉が消えない理由は俺も分からない。
それでも言葉を続ける。
「でもさ、別に悲観的には捉えてないぜ。なる姉と過ごすのは楽しいし、今まで色んなことで助けられてきた。案外消えるタイミングがなかったから、なんて理由でズルズル続いてるのかもしれないしな」
空と目が合う。その視線はついさっきの拒絶とは違い真剣に耳を傾けているように見えた。畳み掛ける。
「俺はお前らがいきなり生まれた理由は分からないし、正直かなり戸惑ってるよ。でもちゃんとその理由は探したいと思ってる。今すぐじゃなくてもいいからさ、一緒に理由探しに協力してくれないか?」
空はまだ前で腕を組んで決めあぐねている。。
『イマジナリーフレンド...... お二人はどんな関係性なのでしょうか?』
と意識外のたなてからの質問。
思わずなる姉と顔を見合わせてしまった。上手い言葉が浮かばない。というかそんな言葉は果たしてあるのだろうか。
『親子、友達、恋人...... 世の中には沢山関係を表す単語があるけど、どれにも当てはまらないな。強いて言うなら姉弟? 小さい頃からずっと一緒だし』
そのまとめに対し『そうですか』とたなてが腑に落ちたような落ちていないような反応。
当の本人達ですら納得していないんだ。仕方がない。
『お前が長い間なること過ごしてきことは本当なんだろう。それは認める』
空が俺の目に目を合わせ話し始める。
『だがな、なるこがイマジナリーフレンドだとして……私達が幽霊という可能性はないのか?お前に霊感があるとか』
「いや、ないだろ。幽霊なんて馬鹿馬鹿しい」
俺はオカルトじみた話は嫌いだ。17年生きてきたが幽霊なんて見たことがないし見る気もない。
『自分の妄想と会話しているよりは、まだ現実的だと思うのだがな』
空は呆れたような口ぶりでそう言った。
『まあ、私がお前の幻覚だなんて馬鹿馬鹿しいことは信じない。だが私のことを見れるやつは現状お前だけなことも確かだ。私が妄想などでないと証明するためにも、暫定的にだが共に動こうか』
妥協点はあれど、ひとまず話が纏って安心した。胸を撫で下ろす。自分自身との会話であるはずなのに、他人としゃべるよりもよっぽど気を使う。
『早速外に出てもいいですか? 朝からずっと部屋に閉じ込められていて気持ち悪いです』
たなてがバールでドアを指す。
「ああ」と俺は外へ続く扉を大きく開いた。




