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第1話 『この子たちから、私と同じ雰囲気を感じる』

トンネルを抜けると空気が変わった。木彫りを思わせる荒々しい岩肌と渓流に囲まれ、心なしか電車のガタガタとした振動もより激しいものに感じる。




「間もなく日高大須、間もなく日高大須」とスピーカーからやる気のない車掌の声が響く。




『長い電車旅ももう終わりだね』




 彼女は向かいの4人席でぐいと背伸びをしながら声を弾ませる。幼い頃から常に隣にいる「なる姉」は血のつながった家族ではないが、ある意味それ以上の関係性だ。


 そんな人と共に俺は十二年ぶりの故郷を訪れていた。




 あきら──俺は夏休みに入る少し前、父から田舎に住む祖父母の旅館を手伝いに行ってくれと頼まれた。どうも祖母の体調が崩れてしまったとの話。


 祖父母は2人で旅館を経営していた為、人手が足りなく困っているそう。




 十数年ぶりの恩返し。そんな大層な名目もあったことで俺は大須の町に足を運んだ。




『なる姉、随分と目輝いてんな?こんなに輝いてるのなんていつぶりだろう』




『昭の故郷だよ?私ずうっと行きたかったんだから。悪いけど向こうについたら案内してもらうからね』




 彼女は軽く肩を叩き俺に『頼んだよっ』と呼びかける。




『もうほとんど覚えてねえな。物心ついた時には東京にいたし』




 言い終えた直後なる姉の表情が少し曇った。俺が遠い日に語った思い出はきっと彼女にとっては宝物だったんだろう、そう思えた。




 しかしなる姉は直ぐに笑顔に戻り『体は覚えてるよ。信じてるからね。』と明るく振舞ってくれる。『ま、程々に当てにしといてくれ』と返しておく。




『にしても俺に旅館の手伝いなんて出来るかな?精々家事くらいしか自信ないんだけど』




 旅館の仕事……できて配膳や食器洗い程度だろうか。今更不安になってきた。




『大丈夫だと思うよ。自信持って!』


となる姉の無責任な応援。




 まあ今更悩んだところで仕方がない。気を取り直す。




 外に目をやると車窓に映る景色は早送りの映像のように感じる。一瞬一瞬で目まぐるしく流れていく。だがその動きも段々と緩慢になって、小さな駅を映し止まった。




 一時間と少し座りっぱなしだった腰を上げると、なる姉に手を引かれ思わず足がもつれてしまう。周りの乗客からは奇異の眼差しを向けられる。




『なる姉、そんなに焦らなくても──』




 言いかけた言葉が途中で止まった。




 音の洪水とも言えるけたたましい蝉時雨。山際に大きく浮かんだ入道雲は白の絵具を青色のキャンパスにぶち撒けたようだ。


 そして何より刈られたばかりの植物特有の生を激しく主張する匂いが湿気を伴って体に纏わりついてくる。




 自然がこうも暴力だとは。都会では味わうことのない感覚だ。


 いつの日かみた夢に出てきた夏に似ている。


忘れてしまったあの夏そのものが今、目の前に広がっている。




 いや違う。俺の夏はこの大須が原点だったのだ。もう朧になってしまった十二年前の大須だが、俺は確かにそこで生きていた。




『早速何か思い出した?』




 何も、とぶっきらぼうに答えながらも歩調が無意識に速くなる。早足で鉄橋を登ると後ろからカコンカコンと鉄橋を歩く軽やかな足音が聞こえる。




 橋上から周りを見渡すと、どこまでも青々とした山並みと線路が続いていた。照りつける日差しさえ心地良い。




 鉄橋を下り終えるとこぢんまりとした駅が出迎えてきた。中にある改札は二つしか無いが、降りた人数もそれ相応なので混むことはない。




『これで大きい方の駅だってんだから信じられんねえな』




『この路線は改札がある方が珍しいくらいなんだって。パンフレットに載ってたよ』




 それと思われる小雑誌はパタパタと既にうちわ代わりにされていた。読み終えたのでお役御免といったところか。




 にしても改札のない駅……か。そんなものが成り立つのか疑問に思う。不正仕放題なんてことにはならないのだろうか。




 すると、なる姉は俺の考えを見透かしたかのように『田舎は良い人が多いから切符をしっかり買ってくれるのかな?』なんて口角を緩ませ話す。




 流石に鉄道側も人の良さに頼らず対策を取っているのだろうが、そのことをなる姉が分からないはずがないので口には出さない。


 昔からこの人の賢さには助けられてきた。




 駅を出ると話に聞いていたワゴンが既に止まっていた。中から俺の姿を確認した爺ちゃんが運転席から降りてくる。




 薄っすらと抱えていたイメージは十二年前のものだったから老け込んだというのが第一印象だ。


しかし健康的な老け方というか、まだまだ若々しさも両立してるようで安心する。




「アキラァー久しぶりだなあ!元気にしてたか?電話でしか喋ってないとそこら辺掴めなくてな」




「うん、爺ちゃんこそ元気そうで良かったよ」




「にしても大きくなったなあー。写真で見たよりいい男だぞ。こりゃあ浮いた話も多そうだ。彼女はできたか?」




「いや、できる気配すらないや」




「そうか、都会の女子高生は目が肥えてるって聞くしなあ。次はしっかり連れてくるんだぞ、昭」




「勘弁してくれよ爺ちゃん……」




 隣を見るとなる姉が大きな笑い声を上げながら座り込んでいた。爺ちゃんへ向けてふざけたように大きく手を振っている。


 思わずため息が出そうになるがグッと堪える。そんな物をついたら余計に笑われるのがオチだ。




「それじゃ立ち話もなんだし、ほら車に乗った乗った」




 言われるがままに乗り込むと中は意外と小綺麗にされていた。フルーツ系の芳香剤の匂いも香っている。


 ワゴンには旅館の名前が入っていたし、お客さんの送迎にも使っているんだろう。タバコの匂いなども覚悟していたが杞憂に終わった。




 エンジンが掛かり駅をあとにすると、元々大きい駅ではないこともあってすぐに視界の隅で豆粒ほどに小さくなってしまった。




「部活は何やってるんだ?」




 爺ちゃんから定番の質問。




「地学部入ってるよ。星見たくてさ」




「地学部?そりゃまた随分と地味なとこに入ったな?」




「天体観測ができるらしいから入部したんだけど、年一の冬季天体観測合宿しか活動なくて暇してたんだ。」




 もし部活動が活発だったなら今回旅館の手伝いには来れなかっただろうし怪我の功名といったところか。




「そーか。今回来たのも天体観測が理由か?流石に東京よりは綺麗に見えるだろうな」




「最近は都会の空気も綺麗になったけど、やっぱり街が明るすぎるから3等星以下見えないし」




『昭が星好きなのほんとに昔から変わらないよね』




『まあ気づいたら好きになってたしな』




 ふと爺ちゃんとの会話に違和感を覚えたが、具体的には分からない。




 窓から外を見ると、車は更に鬱蒼とした山に入っていく。駅近はどこでも発展しているものだと逆説的に納得する。あんな小さな駅でもこの町では都会の方だったんだろう。




 と、どこか上から目線な自分に気が付いた。都会住みの悪いところが出ているな。


 その後も山道が続く。曲がりくねった山道のせいで軽く車酔いだ。


 


 どれだけ奥に入っていくのかと心配していたところ、トンネルを抜けると視界が開け、胸を撫で下ろす。




『そういえば大山須町って観光地だよね?さっきのパンフレットにもりんごが美味しいって書かれてたよ。今がりんごの季節じゃないのが残念』




『うん、あとデカい滝も有るんだっけな?日本三大なんちゃらに入ってるヤツ』




 迫るような岩壁の圧力と大量の水が流れ落ちる轟音が軽くフラッシュバックするが、それ以上のことは思い出せない。爺ちゃんにでも連れられて見たんだったか…




「爺ちゃん、この町に観光名所の滝あったよな。名前なんだっけ?」




「ああ、常見の滝だな」




「ツネミ?」




「常に見るで常見。どの季節見ても飽きねえからそう呼ばれてんだな。丁度ウチにも夏の滝目当てのお客さんが泊まってるぞ」




『大須にいる間にいってみたいね』




 なる姉にそうだなと相槌を打つ。せっかく来ているんだし一回は行かないと確かに損だ。どうせなら観光も目一杯楽しんでおかねば。




 そんなことを考えているとワゴンが駐車場に止まり「着いたぞー」と先に降りた爺ちゃんに声をかけられる。




『昭、早く降りようよ』




 隣のなる姉が早く早くと袖を引いてくる。急かされるままに降車すると視線の先に木造建築の旅館が見える。


 確かに年の積み重ねを感じる色の落ち着きはあれど、それも味になっているのか雰囲気はいい。




 爺ちゃんに案内され旅館に入ると木材の優しい香りに包まれた。ヒノキの匂いだろうか、思わず顔が綻ぶ。




 掲示の区画にはいつの時代のものか、缶ビールやハワイ旅行のポスターが貼られている。それに対して照明や案内板などはキチンと新しいもので、そのアンバランスさもなぜだか心地いい。




 途中常連さんらしき人達ととすれ違い爺ちゃんが挨拶をする。お孫さんかと問われたので軽く会釈を返しておく。どの人も温泉上がりなのかリラックスした雰囲気で談笑していた。きっといつもの光景なんだろう。




「昭の部屋は階段上がって奥の部屋だからな。好きに使っていいぞ」




 階段を昇った後、ざっくりと奥までも見通すがニ階は客室フロアに見える。俺としては従業員用の部屋のようなものを想像していたのだが。




「普通の客室使わせてくれんの?流石に悪いんだけど」




 手伝いしにきたはいいが、流石に部屋一つ分の働きをできる自信がない。


  


 申し訳なさそうな顔をしていると




「たまに空調の効きが悪くなる日があるんだ、その奥の部屋。お客さんに運試しみたいなことさせられんからな。それで長い間空室にしてたから気にすんじゃない」




 爺ちゃんがと理由を話してくれた。




「あと孫が遠慮するもんじゃないぞ。こんな年から老けちまったらこの先どうなる?」




「ありがとな、爺ちゃん」




 言われた通りに素直に喜んでおく。




 爺ちゃんはそれを聞くと俺の背中をバシバシと叩いて、階段を降りていった。


随分年を取ったはずだがそれに見合わない力強さで頼もしい限りだ。




『お爺ちゃんは旅館の仕事だろうし、夜ご飯まで一旦お別れだね』




 と黒髪をくるくる指で巻きながらなる姉。




『だな。それまで何しようか』




『長い間空室にしてたなら埃溜まってるだろうし、まずはお掃除しちゃおっか。』




 なる姉は既に腕を捲って臨戦態勢だ。どこから出したのか頭巾まで被っている。既に戦場までは扉1枚の隔たりしかないといったところか。




 ドアノブを握る手に力が籠る。




『さて…埃はほどほどだと有難いな』




 状況によっては今日丸一日は掃除に潰えるだろう。マスクを貰う必要もあるだろうか。


渡された鍵をドアノブに差し込み、ゆっくりと回転させる。


 小さく軋んだ音を立て扉が開く。カビの匂いは……しない。




『えっ……』




 先に覗き込んだなる姉が驚きの声を上げる。




『どうした?』と俺も続いてドアの隙間に顔を差し込む。




 部屋は畳の床にちゃぶ台が置かれているシンプルな和風の造りだった。


 そしてそのちゃぶ台を同年代の少女二人が囲んでいる。


……少女二人?




 ダブルブッキングという単語が頭をよぎる。爺ちゃんは確かに「奥の部屋」とこの扉を指していたはず。




「あの、どちら様ですか?お客さんですよね?」




 俺が恐る恐る尋ねると




『ええっと、どちら様なんでしょうね、私達?』




 と小柄な方が言葉を返すが、俺たちへというよりもう一人の少女に向けたものだろう。




 もし爺ちゃんの不手際ならそれは旅館の不手際だ。トラブルに繋がるかもしれない。




『爺ちゃん部屋伝え間違えたかな?ちょっと聞い


てくるわ』




 なる姉に耳打ちし、背を向け歩き出す。が、腕を掴まれた。




『どうした?』との俺の問いになる姉は一瞬口を開くが固まる。『えっ…いやそんなこと』と小さく独り言が聞こえる。




 その後眉をひそめながらなる姉は語り始めた。




『この子たちから、私と同じ雰囲気を感じる。』




『同じ雰囲気って、つまり?』




 なる姉は困った様に笑った。




『現実に存在しない』



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