第11話 『気分です。だめでしたか?』
「おーっと、ここで山内選手の見事なヒット! 試合の展開がわからなくなって参りました!」
テレビの野球中継から、正に興奮の極みといった実況が聞こえてくる。
それとは対照的に、俺たちはどこかつまらなそうに画面を眺めていた。
みんながそれとなくバラバラに座っている。時折ヒットに対して義務的な反応を示すものの、会話は発生しない。
喧しいくらいのなる姉の実況解説やヤジを飛ばす空なんて光景が日常になっていたのに、今日に限っては二人ともただじっとプレイを眺めている。
昨日、たなての核が発覚してからずっとこんな状況だ。戦争の記憶、婆ちゃんの兄の死。重いものを背負って生まれてきたという事実のせいだろう。どこか『楽しむ』という行為を自粛しているような雰囲気があった。
何より大きかったのは、たなてと俺とで兄の自己犠牲に対する捉え方が決定的に対立してしまったことだ。
生で残された側の人間を見てしまうと、遺された側を縛ることと何が違うんだろう、俺がそんなことを思ってしまうから。
結局、面と向かって論を交える勇気は俺のどこにもなくて、ただ言葉を発しづらい空気だけが昨日から続いている。
全員がある程度一緒に楽しめるということで今や定番となりつつある野球中継も全く盛り上がらない。
「おおっと、ここで犠牲フライ! 見事に後続へ、チームへと貢献しましたね!」
たなてが息を呑む音が聞こえた。
誰も何も言わない。耐えられない。
空気を変えなくては。
『なあ、外に出ようぜ』
野球の試合はまだまだ終わらないが、誰も楽しんでいないのなら、もういいだろう。
『もう遅いよ? すっかり暗くなってるし』
『獣だって出るのではないか。昭の祖父だって、最近猪を轢いたと言っていただろう?』
『星空を撮りたいんだよ。風景とマッチしたやつさ。良ければ付き合ってくれると有難いんだけど』
『……いいですね。今なら涼しいですし、丁度いいかもしれません』
たなてからの返答に少し驚いた。かれこれ何時間ぶりのまともな会話だろうか。
『よしっ。空となる姉も来るよな?』
『ああ、お前だけを行かせるわけにもいかないだろう。不便な体なんだからな』
『心配だからね。もちろんついていくよ』
とりあえずは外に出られそうだ。三脚はどこにしまっておいたっけ。俺はカバンの中を探し始めた。
…………
昼間に小雨が降ったり止んだりを繰り返していたおかげで、空気がひんやりとしている。時折通りかかる車のサーチライトが、雰囲気を変えた山並みを断片的に照らしていた。
『空が綺麗ですね』
たなてがバールを上に向ける。見ると西の空はまだ完全には黒色に染まっておらず、淡い青を残したまま星を輝かせていた。
『やはり、星好きからすると、真っ暗に染め上げられた後の方が観察しやすいのか?』
『そうだなあ。確かに観察自体は暗い方がいいんだけど、でも、こんな空も俺は好きだぜ』
田んぼと川に挟まれながら夜空を見上げる。左右それぞれから聞こえる蛙の声が、違う種類のものだと気づく。俺も少しは自然に慣れてきただろうか。
『ライト、消してもらえますか?』
珍しくたなてからのお願いだった。言われた通りに懐中電灯のスイッチを切る。
明かりが消えて、心地良い静寂が広がっている
ことに気づく。遠くに見える街灯が、チチチと小さな音を立てて点滅していた。
『私、この雰囲気……好きです』
『ああ、俺も好きだ』
まだ成体に成ったばかりの小さなカエルたちが道路を横断していく。
『多分この景色は、お祖母様が何十年も前に感じたものの延長線にあると思うんです。昔のままではないけれど、それでも同じもの……ですよね』
『……ああ。婆ちゃんも、こんな大須を見て生活してたんだろうな』
ゆっくりと夜の帳が降りていく。
外に出た選択は、正解だったようだ。
…………
いつの間にか雰囲気は元に戻り、和気あいあいとした会話が繰り広げられていた。
『こういう橋、良くない? 小さくて可愛い小川の上に、こじんまりと架かっている橋』
『水の流れる音が近いのも好印象だ』
空とたなては橋の欄干に腰掛け、ゆったりとしている。たなては体ごと足をぶらぶら揺らしていて、今にも落ちてしまいそうだ。
『なあたなて、流石に落ちたらお前らでも危ないんじゃないか? わかんねえけどさ』
『そうですか? 実体は有りませんし、怪我もしませんよ』
そんなものだろうか。まあ本人が言うなら大丈夫なんだろうけど。
『そういえば、星を撮ると言っていたが、カメラはどこに有るんだ? それらしいものは見受けられないが』
『ああ、最近のスマホは高性能だからな。これでも撮れるってわけ』
ポケットからスマホを取り出し、ひらひらと振ってみせる。
『せっかくだし、ここの風景も撮ってみようよ。多分綺麗なの撮れるよ?』
なる姉に肩を揺さぶられる。
『そうだな。撮ってみるわ』
手持ちの三脚を広げ、道路に設置する。画角を適当に調整して――と、たなてが風景に入ってきた。
『って、なんでお前が入るんだよ』
『気分です。だめでしたか?』
少し笑って、たなてが首を傾げる。
『まあいいけどさ。んじゃ、三分間動くなよ?』
たなてが何か言おうとしていたが、無視して
シャッターを切る。長時間露光のため仕方がない。
不運なことに、彼女は後ろで手を組んだり体を傾けたりと、それなりのポーズを取ってしまっていたらしく、早速辛そうにしている。
『たなて、大変そうだな。画面によると、あと二分らしいぞ。頑張れ』
『たなてちゃん頑張れー』
二人の応援に、『はい!』といった感じの瞬きを返すたなて。健気に頑張っている。
『それにしても、道路の真ん中に堂々と三脚なんか立てて、随分と贅沢なものだ』
『見通しがいいのと、車がほとんど来ないお陰だな』
実際、歩いていてもすれ違った車はせいぜい片手で数えられる程度。流石に夜は昼間より少なくなる。
それもあって四人で横に並んで歩くことができている。
もしかしたら車は透けずに轢かれてしまう、なんてこともあるかもしれない。車が来ないに越したことはないのだ。
とはいえ、しっかり俺は歩道側を歩かされている。なる姉はそういうところに煩い。
『お、そろそろ撮り終わるみたいだ』
三人でカウントダウンを始める。
『三、二、一、ゼロ!』
軽快なシステム音が鳴ると同時に、たなてが体勢を崩した。
『あー……疲れました』
『いいポージングだったな。モデルにもなれんじゃねの?』
俺の軽口に、たなては明るく笑う。
『撮った写真、見せていただけますか? この三分間の成果を見たいです』
三脚からスマホを外し、たなてに画面を向ける。
すると彼女は笑顔のまま眉間にしわを寄せた。
『あれ……私が写っていません』
『ん? 本当だ。たなてだけ綺麗に写っていないではないか』
『まあ、お前ら鏡にも写んないしな。そんな気はしてたけど』
俺の台詞に、たなてが冷たい目を向ける。
『昭さん、わかってたんですか? 教えてくれないなんて意地悪です』
『まあ、ずっとポージング取ってるのが面白くて言えなかったわ』
そう言うなり、たなてが近づいてきて、バールでポカポカと俺を殴り始める。
『そのバールは人を助けるためのものじゃねえのか? やめてくれよ』
『関係ありません』
意志は固いようだ。とはいえたなてはまだ俺に触れることが上手ではないらしく、正直あまり感覚はない。
『もしかして、なる姉さんも気づいてましたか?』
思い出したかのように、たなてがなる姉を睨む。
『あははー。バレちゃったか。……あっ、痛いっ』
なる姉も軽く小突かれる。
たなてはまだぷんぷんしているが、場には楽しさが戻ってきて、俺はホッと一息つくことができた。




