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第160話:決戦の舞台(3)


 決勝の舞台は、予選とは異なる様相を見せていた。あの時も春原は緊張していたが、今日の規模はその比ではない。


 正面を飾る四本の石柱は天井までそびえ、その間に張られた横断幕には「第一回王都新星料理大会 決勝」の文字が金糸で縫い取られている。


 そして、その手前に並ぶ四つの調理台。

 等間隔に配置されたそれぞれの調理台には、竈、流し台、基本的な調理器具が完備されていた。四台──予選を勝ち上がった四店だけが、ここに立つことを許されている。


 春原は、自分たちに割り当てられた調理台の前に立った。

 周囲を見渡す。他の三つの調理台にも、すでに出場者たちが揃っている。どの組も料理人と補助者が二人一組で立ち、最終の確認を行っている。道具の配置を微調整する者。


 盤石の二人体制。

 長い時間をかけて築かれた連携が、どの組からも透けて見える。


 会場の照明が一斉に暗転し、舞台中央にだけ光が集まった。



「皆さん、お待たせしましたーっ!!」



 弾けるような声が、会場に響き渡る。

 眩い光の中に、金髪を揺らした女性が軽やかに歩み出てきた。その笑顔は太陽のように明るく、彼女が現れた瞬間、会場の空気が一変する。


「王国の歌姫、フィオナちゃんでーす!! 本日は王都新星料理大会、決勝戦の司会を務めさせていただきます!」


 観客席から拍手と歓声が沸き起こった。


「いやー、予選の司会もやらせていただきましたけど、引き続き決勝も務めさせていただきます! でも今日はね、予選の時より緊張してます! だって、客席の皆さんの顔ぶれがすごいんですもん!」


 フィオナは大げさに客席を見回し、おどけてみせた。観客席から笑い声が漏れ、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


 しかし、すぐにフィオナの表情が引き締まった。


「さあ! それでは、予選を見事勝ち上がった四組の出場者をご紹介いたします!」


 会場の照明が、一番目の調理台を照らした。


「まず一組目! 中央区の『ラシェット・ブルー』より、料理長ハインリヒ・ベッカーさん! 宮廷料理人であったハインリヒさんが今年出店し、大会で頭角を現し見事予選を通過してきました!」


 続いて二番目の調理台に光が移る。


「二組目! 中央区『ラ・メゾン・ルー』より、オーナーのレオン・ヴァルテールさん! 若き天才と称されるヴァルテールさん、予選では革新的な手法で最高評価を獲得しています!」


 フィオナの声が、三番目の調理台を指した。


「三組目! 西区『薔薇亭』より──」


 フィオナの声のトーンが、一段上がった。


「若干二十歳にして、女性として初めて王国料理協会の金章を受賞した天才料理人! エレナ・フォスターさん!」


 会場が、一際大きく沸いた。

 エレナが華やかに手を振りながら前に出る。明るい栗色の巻き髪が魔導灯の光を受けて艶やかに輝き、琥珀色の瞳が客席を見渡す。その笑顔は堂々としていて、この場の空気を自分のものにする力があった。


 その隣で、エリナが緊張した面持ちで小さくお辞儀をしている。眼鏡の奥の瞳が不安そうに揺れているが、姉の隣にいることで辛うじて平静を保っているようだった。


 エレナが手を振る合間に、小さく春原へと手を振った。

 そして、四番目。


「続きまして──」


 フィオナの声が、一瞬だけ途切れた。

 会場にざわめきが走ったのは、名前が呼ばれるよりも先だった。


 四番目の調理台。そこに立っているのが誰かを、観客の一部はすでに知っていた。噂は、この数日で王都中に広がっている。


「東区の人気店、『銀の厨房』より──春原祐一さんです! 予選では常識にとらわれない組み合わせで見事な一皿を披露していただきました! 本日はどのような料理を見せてくれるのでしょうかっ!」


 フィオナの声は明るかった。プロとしての笑顔を崩さず、疑惑については一言も触れない。それが運営としての判断だったのだろう。


 しかし、会場の空気は明らかに変わっていた。


「魔素中毒の疑惑が出ている店だろう?」

「よく出場できたな」

「店主の獣人が来ていないじゃないか」

「あの若い男が一人でやるのか?」


 囁きが、波紋のように広がっていく。

 拍手は──あった。しかし、他の三組に比べれば明らかにまばらで、その中にすら困惑と好奇の色が混じっている。好意ではない拍手。義務のように手を叩く者、拍手すらしない者。様々な視線が、春原に注がれていた。


 好奇。侮蔑。同情。困惑。

 それらすべてが、一斉に春原の肌を刺す。


 空気が、重い。呼吸をするたびに、肺の奥まで染み込んでくるような重さだった。


 あの時の彼女も、この重さを、この冷たさを、この孤独を──全身で受け止めながら、それでも前を向いていたのだろうか。

 彼女がどれほどの恐怖の中であの場に立っていたか、あの時の自分には想像することすらできなかった。


 今なら、わかる。

 身をもって、わかる。


 春原の右手が、腰の包丁に触れた。

 指先に伝わる金属の冷たさ。リュカの手に馴染んでいた、その重み。

 逃げ出したい気持ちが、包丁の重みにぶつかって止まった。

 彼女の想いを胸に、ここに立つと決めたのは自分だ。


 春原は、小さく息を吐いた。

 拳を握り直す。

 前を向く。


 観客席の視線は変わらない。囁き声は止まない。空気は、まだ重い。

 けれど、もう足は震えていなかった。


「さあ──それでは」


 彼女の声が、厳かな響きに変わった。


「本日の決勝のお題を発表いたします」


 静寂が降りた。料理人も観客も、全員が息を止めてフィオナの次の言葉を待っている。


「決勝の題目は──『金剛牛のシャトーブリアン』です!」


 会場がどよめいた。

 金剛牛──アダマン・ビーフ。この世界における最高級食材の一つ。通常の牛よりも遥かに密度の高い筋繊維を持ち、完璧に火を通せば比類なき味わいを生む一方で、わずかな誤差が「石」のように硬い肉塊を生み出す。料理人の技量をこの上なく問う、究極の食材。


 そのヒレ肉の最深部──シャトーブリアン。「至高」と呼ばれる部位。


「制限時間は四十分!」


 フィオナが指を立てた。


「付け合わせ、ソースは自由! ただし、メインのシャトーブリアンの火入れと調理は、必ず料理人本人が行うこと!」


 スタッフたちが各調理台に食材を配り始めた。

 巨大な金剛牛のヒレ肉の塊が、春原の調理台にも運ばれてくる。深い紅色をした肉の塊は、魔導灯の光を受けて艶やかに輝いていた。きめ細かな繊維が密に詰まっているのが、断面からも見て取れる。


 春原は目の前の肉塊を見つめた。

 これを、自分が焼かなければならない。


 リュカであれば──肉の内部温度の変化を「聴く」ことができた。表面から伝わる熱の波が肉の深部でどう変化しているか、その微細な音を獣耳で拾い上げ、指先で温度の移り変わりを感じ取り、最も完璧な瞬間を見極めることができるだろう。


 しかし人間の春原には、それができない。


「……春原はん、どうする?」


 ルオットが、低い声で呼びかけた。

 調理開始前の準備時間。他の組はすでに戦略の最終確認に入っている。


「今回のシャトーブリアンの調理で一番大事なのは、火入れ……です」

「やろな。脂がほとんどない部位や。緩衝材なしで熱が直接繊維にいく……普通の肉より遥かにシビアになる」


 春原は少し目を見開いた。ルオットの口から、自分が言おうとしていた内容がそのまま出てきたからだ。


「……はい。なので、火入れの理想の中心温度は五十四度。ここが繊維が最も柔らかくなるんですが──」

「それを超えたら石化、やな。金剛牛は繊維密度が段違いやから、通常の牛以上に取り返しがつかん……狭いな」


 その声に、冗談の色はなかった。しかし、怯えもなかった。状況を正確に把握した上で、次の手を待っている。そういう目をしていた。


 リュカではない。長年連れ添った相棒でもない。急ごしらえのペアで、厨房での連携は一度もない。それでも──この男は、自分と同じ言葉で料理を語れる。同じ景色を見て、同じ怖さを理解した上で、共に立とうとしてくれている。


 それだけで、呼吸が少し楽になっていた。


「役割分担を決めましょう」


 春原の声が、さっきより一段、落ち着いていた。


「僕がシャトーブリアンの火入れに集中します。ルオットさんには、付け合わせの野菜の下処理と、ソースの素材の準備をお願いします」


 ルオットは一瞬だけ目を伏せた。

 そしてすぐに顔を上げ、軽く頷いた。


「ああ、任せとき。試験には合格できへんかったけど、それまで付け合わせと下処理は死ぬほどこなしてきたからな」


「はい! よろしくお願いします」

「あいよ!」


 ルオットが拳をぽん、と春原の肩に当てた。軽い衝撃。けれどその手には、確かな力が込められていた。


 そしてフィオナが、舞台の中央に立った。


「それでは──」

 彼女の声が、会場の隅々にまで届く。


「王都新星料理大会、決勝戦──」


 春原は、包丁の柄を握った。

 この手は、リュカが信じてくれた手。半年間、彼女の隣で包丁を握り、食材に向き合い、共に一皿を作り上げてきた手だ。リュカが「あなたに託す」と言った、その手だ。


 フィオナの声が、高らかに響いた。



「調理──開始です!!」



 鐘が鳴った。

 高く、澄んだ音が天井に反響し、会場全体を包み込む。

 四組の料理人が、一斉に動き出した。


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