人ノ心臓ヲ喰ラウ鬼 其ノ壱
空は曇り、毎日のように雨が降る六月の梅雨の時期。
天都築川高校の放課後。
夕方前なのに外は薄暗い感じだった。
(……本当に毎日よくこんなに降るよなぁ~。一体どれだけ空の上に溜め込めばこんな事になるのか誰か教えて欲しいくらいだよ)
日和は教室から窓の外を見詰めながら、梅雨真っ只中の自然現象に自分の愚痴と疑問を投げかけていた。
椅子に座った状態で机の横に掛けてある鞄に手を伸ばして取ると、今日授業で使った教科書やノートを投げるような感じに入れていく。全て入れ終えると椅子から立ち上がり
「さて、今日も行こうかな……」
自分だけしか聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
教室のドアの方に向かって歩き手を掛けた瞬間、外側から誰かが勢いよく開ける。
「うわぁっ!」
そう声を上げてびっくりしたのは入ってきた木乃葉の方だった。意外と日和は冷静な表情をしていた。
「もう~! びっくりさせないでよ!」
「いや……俺は普通に帰ろうとしていただけで、勢いよく入って来たのは木乃葉の方だろ?」
「だからって何もドアの真ん前に立っていなくても……」
気持ちを落ち着けようと胸に手を当てて、息を吐く木乃葉。
「それじゃ俺、帰るからまたな」
軽く手を上げて木乃葉の横を通ろうとする。
「ちょっと待って!」
いきなり腕を掴んで日和の帰宅を妨害する木乃葉の行動に日和は不意を突かれたように体をよろめかせた。
「えっ? 何だ?」
強く引き止め過ぎたのを感じたのか咄嗟に手を離す木乃葉だったが、少し目を反らせると、申し訳なさそうに言う。
「ちょっと今日、図書委員の子が休んじゃって私一人なんだよね……」
何を言われているのか分からない様子で「うん。だから?」っと返す。少し冷たいような感じだったが木乃葉は話を続けた。
「しかも今日新刊が入って来る日だから私一人じゃ全部運び切れないんだよねぇ……」
「そっかぁ。それは大変だな」
その言葉でやっと言いたい事を理解してくれたと思った木乃葉が「それじゃ手伝……」と言いかけた時に言葉を切るように
「頑張ってね!」
日和はかなりの鈍感だった。
そんな日和を大人しく帰らせるほど木乃葉は優しくはなかったのだった。
「ちょっと! か弱い私が一人で物を運ぶって言ってるんだからそこは『重たい物なんて持って怪我でもしたら危ないから俺も一緒に手伝うよ』ってこのくらい言えないかな?」
(えっ? か弱いって自分で言うのかよ……)
日和は心の中で思った。間違って声にでも出してしまえばきっと日和はもう二度と二本足で歩く事は出来ない体になってしまうであろう。
しかし、日和には絶対に手伝いたくない理由があった。その理由とは二ヶ月前に会った垣翼めぐるである。実はあの日以来ほぼ毎日電車に乗り三駅向こうのスーパーに通っていたのだった。明らかに傍から見れば犯罪手前のストーカーか奇行に及んでいる狂人にしか思われないであろう。一言で変態と片付けてしまっても良いのかも知れない……。
だが、そんな事をしているなんて木乃葉に知られてしまっては日和の今後の人生が無いのも等しい事になってしまう。
(……何か良い言い逃れの方法はないかな?)
日和の頭の中はこれまでに無いくらいの処理スピードで『幼馴染・学校・絶対に手伝いたくない時の言い訳』の検索ワードにヒットする言葉を探していた。
そんな何かを考えている日和の顔を覗き込むようにして木乃葉が言う。
「ちょっと! 何でさっきから黙ってるの? 私がこんなに頼んでるのに無視しないでよ!」
その突き刺さるような言葉で我に返った日和は
「いや! 別に無視なんかしてないよ。でも何で俺に頼むんだよ? 木乃葉は俺と違って友達とか沢山居るじゃんか?」
「だって……」
そう言うと木乃葉は俯いた。
(……何だこの間は? いつもの木乃葉なら心無い一言放ってくる筈なのに?)
そんな事を考えながら日和は次にどんな言葉が木乃葉の口から出てくるのか不覚にもドキドキしてしまった。
「だって……何だよ?」
沈黙に耐え切れなくなり言葉を投げかけると木乃葉は顔を上げ、平然とした表情で
「だって日和、暇でしょ? どうせ家に帰っても何もやる事無いんだから私の手伝いくらいしてくれても良いじゃんって思ってね」
(ああぁぁ~何だコイツ! マジで人の事を何だと思ってやがるんだ! 別に俺は暇人じゃねぇ~し! ただ人よりも時間が余っているだけだし……もう~何でこんな奴にドキドキなんかしてしまったんだろう……めっちゃ頭にくる! そうだ……修羅になろう! 修羅になればこんな奴なんかきっと一握りだ! これまでの恨み晴らさん……)
心の中は燃え盛る活火山のように今にも噴火しそうな勢いだったが、ここで怒りを顕にしてしまっては子供の頃のままじゃないかと自分に言い聞かし、何とか冷静に心を落ち着けた。
「そんな人をいつまでも暇人みたいに言うんじゃないよ。俺にだってやる事くらいはあるんだよ。こうしている今でも刻々とスケジュールが狂ってしまっているんだよ。木乃葉には悪いけど、今日はこの辺りで失礼するよ!」
紳士気取りで何事も無かったかのように帰ろうとした日和だったが、木乃葉に首根っこを掴まれた。
「何帰ろうとしてるの? スケジュールが刻々と迫ってきてるのは分かったから手伝いなさい!」
「うわぁ~全然分かって無いじゃないか!」
「ちゃんと分かってるわよ。日和のスカスカなスケジュールを私と図書委員の手伝いをするという素敵なスケジュールにしてあげようって言ってるんだから感謝しなさい!」
「だからダメだって! あっ今日はお婆ちゃんちに行く用事があったんだった!」
「そんな小学生が夏休みにでも家族と一緒に行く予定みたいな事がある訳無いでしょ!」
「実は俺さぁ……かぐや姫の末裔で今夜月に帰らないと行けないから準備があるんだよね……」
「はいはい。月に帰ったら手紙頂戴ね。そんなシリアスに言ってもダメだからね!」
「……実はサイボーグで……」
「はいはい」
誰も居ない静かな校舎に悲壮感に満ちた声が響く。日和の抵抗も虚しく廊下を引き摺られて図書室に連れ去られてしまのだった。
「日和。ここの棚の本を向こうに移動させて貰える?」
「あぁ、分かった。」
意外とあっさりと諦めて木乃葉の手伝いをしている感じだが、新刊の整理を早く終わらせる事が出来れば解放してくれるという約束をした日和は何が何でも終わさせてやる! っという意気込みで頑張っていたのだった。だが、現実はそう甘く無かった。すでに時計の針は夜の七時を過ぎていて、外もすっかり暗くなっていた。そして相変わらず雨が降り続いていたのだった。
(……絶対無理じゃん。もうこんな時間になっているし……たとえ今終わって行けたとしても垣翼めぐるのバイト時間は終わってしまっている。やっぱり木乃葉と関わると何にも良い事なんて無いんだよなぁ……)
そんな事を考え始めた日和の作業スピードはだんだん遅くなっていく一方だったが、木乃葉からは疲れのせいだと思われた。
「……ねぇ、日和」
夢中で作業をしていた為に沈黙が続いていた中で不意に呼ばれた日和は「な、何?」と、咄嗟に返事をする。
急に話し掛けられた事もあってか、また何か頼み事をされてしまうんじゃないかと警戒の意味も込められていたのだが――
「何か……ごめんね……」
「えっ何が?」
木乃葉がそんな話の切り出し方をするなんて想像もしてなかった。次に何を言うのか逆に気になったくらいであった。
「今日、本当は予定あったよね……分かってたんだ。最近、学校が終わるとすぐに帰っちゃうもんね。何処に行っているのか正直気になるけど、それは日和のプライベートの事だから無理には聞かない。だけど、今までずっと小さい頃から一緒に居たのに何処か遠くに行っちゃうっていうか私の知っている日和が変わってっちゃうっていうか……ってそんな事を思っている私の方が変だよね……」
「何言ってるんだよ。木乃葉は変なんかじゃないよ。確かに最近の俺はやる事(垣翼めぐるのストーキング)が出来て、前まで一緒に帰ってたのに先に帰るようになっちゃったから不思議に思われてしまうかも知れないけど、俺は俺だから今までもこれからもずっと俺のままだから心配なんてするなよ」
日和は優しくそう答えたが、何をそんなに心配する事があるのか分からなかった。あと確かに今日の木乃葉はどこか変な感じがした。さっきまでいつもと何も変わらなかったのに突然心配を口にし始めた。その表情はまるで何かに怯えているかのようにも見える。
日和は木乃葉のそんな表情を見ているのがとても辛く感じた。何か笑顔になれる話が無いかと考え、二人にとっての思い出を話し始める。
「そういえばさ。俺達が幼稚園くらいの時に俺の家族と木乃葉の家族で旅行に行った事あったじゃん! 山の中にある温泉だったかな? 散々一緒に遊んで夜になっても全然眠くならなくて、みんな寝ちゃったのに俺達だけ起きてたんだよな。色々話してたら木乃葉が『窓の外に蛍が飛んでるよ!』って言うから一緒に抜け出して、あとを追っ掛けて行くと広い河原に辿り着いたんだよな。するとそこには無数の蛍が光を散りばめながら飛んでて、まるで夜空に浮かんだような気分になってたら、いつの間にか眠っちゃってて、目が覚めて戻ると親や姉ちゃんにめっちゃ怒られたんだよなぁ。でもあの光景は今でも目を閉じれば思い出せる。眠ってしまう僅かな時間しか見てないのにはっきりと覚えてる。もしかしたら夢だったのかも知れないのにな。はははっ」
そう笑いながら日和は話した。きっと木乃葉もあの時を思い出してくれれば自然と笑顔になってくれると思った。だが――
「そうね。もしかしたら夢だったのかも知れないね」
軽く微笑んだ感じでそう答えたが明らかに何か違った。
(いつもの木乃葉なら……『あれは夢なんかじゃないよ! ちゃんと私と日和で見た光景だったし、何より二人が覚えているのが証拠じゃない!』っと言って楽しそうな顔をしてくれていたのに……)
「そっか……」
日和は何も言葉が無かった。っというより木乃葉があの光景を夢で片付けてしまっている事に対して寂しさを感じる。胸にポッカリと穴が空いた気分というのはまさにこの事なんだと身を持って体感したようだった。
(俺が変わっていくっていう前に木乃葉自身がもう既に変わってしまっているんじゃないのか? この思い出をそんな答えであっさりと結論付けてしまうなんてあまりにも酷過ぎるんじゃないのか?)
二人の間に流れる空気が一気に重たくなったように感じたが、木乃葉の表情が何となく和らいだようだった。
また沈黙の中で作業が続いた。
何も音がしない静かな図書室という空間に雨音だけが響いていた。




