鬼の目に映るものとは 其ノ貳
(さて、ヒヤヒヤしたけど今日の俺はいつにも増して冴えてたから良かった良かった。でも自転車の部品って何処に行けばいいのかな? 取り敢えず駅前の自転車屋に行けば何とかなるかな?)
何かに解放されたかのように日和は駅前へと向かっていたのだが、店の前まで来た日和の目に入ってきたのは、閉まったドアの前に置かれた『本日定休日』の看板だった。
(……っだよ、休みかよ。他に自転車屋なんて知らねぇぞ。どうしようかな……もう帰ろうかなぁ……)
諦めて帰ろうと思っていた日和だったが、
(折角ここまで来て何も無しっていうのもあれだよなぁ)
そう思うと何処かに自転車屋の心当たりがなかったかと頭の中で捜すのだった。
(……確か三駅向こうに行った所にあったような気がするな)
だが、さっきは愛着がどうのこうの言ったが、別にそんなに必死にならなくても明日の朝にでも駅前の自転車屋に持って行って、直して貰えば良いだけの話なんだと思う気持ちも僅かだがあった。
少し悩む日和だったが実は学校で爆睡をしてしまった事で朝から全力で走った疲れが取れてしまっていたのだった。そのせいなのかは分からないが、沸々と何処かに遊びに行きたい衝動に駆られていた。
本来なら誰かと一緒に遊んだりするものなのだが、日和には友達と呼べる人間が居ないのだった。幼馴染の木乃葉くらいしかまともに話す相手は居ないし、どちらかと言えば木乃葉の存在は友達っていうよりも家族に近い感じだった。
そんな日和はいつしか一人で居る事が一番ラクで何より楽しいと感じている。
電車に乗る為に改札を通りホームに出ると、まだ昼間だという時間のせいなのか人がポツリポツリと立っているだけだった。そんな状況で学生服の日和は何だか浮いているような感じだったが気に止める様子も無く電車を待つ。するとそんなに待たずにホームのアナウンスが流れ、遠くの方から警報が鳴り始めたのが聞こえてくる。
電車はスピードを緩めながらホームの中に入って来ると風が吹き抜けたのと一緒に桜の花びらが舞い上がった。そしてゆっくりと止まるとホームに居る人が電車の各ドア横に付けられている開閉ボタンを押して中に入って行く。日和も同じように車内に入って行った。
ところで電車が自動で開け閉めするのが普通だと思うかも知れないが、日和の住む街ではこれが当たり前の光景なのであった。
誰にも邪魔されずに一人で出掛けているこの時間を楽しんでいるかのように日和の表情はとても柔らかかった。
窓の外を流れる景色に顔を向けていると目的の駅へと間も無く到着する事を告げる車内アナウンスが流れた。日和は少し早めではあったが立ち上がり、ドアの前まで行くと電車はゆっくりとスピードを落としてホームに停車するが、ドアを開けて降りたのは日和一人だけだった。
(さて、何処に行こうかな)
楽しそうな感じで改札を抜ける日和。そんなに頻繁に来ている訳でもないので何処に何があるのか分からなかった。辺りを見回して目に入ってきたのは、何処にでもあるスーパーだけだった。全く知らない場所に来てしまった感じになってしまったが、唯一分かるとすれば自転車屋の場所くらいだった。
取り敢えず辺りを色々見てみたいという気持ちにはなったが、一先ず目的とする自転車屋に部品を買いに行こうと決める日和。不確かな記憶を頼りに歩き出して行くのだった。
(確かこっちだったよな……)
不安そうな感じの足取りで街の中を進んで行く。
電車から降りた時には感じなかったが、意外と人通りが多く行き交う人は学生からお年寄りまで幅広いように思えた。
日和は進むにつれて何だか見覚えのある感じがする事に気付く。きっとこの近くのような気がするぞっと言わんばかりに歩くスピードが早くなる。
ある場所まで来ると足が止まった。
目の前にあったのは目的の自転車屋だった。
(やっと来る事が出来たよ! 思えば木乃葉がいきなり用事がどうこう言ってきたから俺が自転車屋を捜し回る羽目になってしまったんだよな。早く用事を済ませてこの街の色んなところを見に行ってみよう)
そんな事を思いながら入口のドアまで足を進めると
『本日定休日』
(ざ……ざけんじゃねぇ~! 何で自転車屋が一斉に休みになってるんだよ! 今日は自転車屋の年末年始か? 『年明けは三が日から』ってか、おい! 普通年中無休だろ! スーパーだって年末年始休まないんだぜ! もう~マジかぁ~……)
感情を爆発させたが、何だか惨めな感じがして肩を落とし、来た道を引き返す日和だったが思ってみれば学校が終わった後、木乃葉から逃げるように言い訳をしてここまで来てしまっていた為にお昼を食べておらず空腹感を感じる。
(そう言えば朝から何も食べて無いからなぁ。来る途中でお店らしきものは無かった気がするなぁ……でも確か駅前にスーパーがあったからあそこに行って何か買ったら、もう帰ろうっと……)
結局、散々な一日になってしまった事に何とも言えないような疲れを感じていた。
(周りの行き交う人達は楽しそうな表情を浮かべているのにどうして俺はこんなにも惨めな思いをしなければいけないんだろう……)
心の中でそんな事を呟きながら歩く日和だが、もしここで雨でも降って濡れようものなら確実に泣いてしまっているくらい落ち込んでいた。
駅前まで戻ってきた日和は考えていた通りに目の前のスーパーに入って行く。店内はとても綺麗な感じで最近オープンしたばかりのようだった。
何処に何が置いてあるか分からなかった日和は店内をキョロキョロ見回しながら歩いていたが、明らかにその姿は挙動不審者そのものだった。
万引き犯と間違われ、いつでも店員に声を掛けられてもおかしくない状況だった。だがしかし、奇跡的に誰にも声を掛けられずバックヤードのドアの前を通りかかった時、声が聞こえてきた。
「それじゃ、これを持って行って貰える?」
「はい。分かりました!」
バックヤードのドアが勢いよく開いてカートが日和目掛けて突っ込んできた。
「うわっ!」
思いっきり日和は弾き飛ばされてしまった。
「あれ? 何かぶつかったかな?」
カートの横から女の子の顔が覗いたその瞬間、今にも口から心臓が飛び出しそうなくらいの衝撃を受けた。
(…………めっちゃくちゃ可愛い)
女の子は押していたカートの前で倒れている日和に気付くと慌てて近寄っていく。
「だ、だ、だ、大丈夫ですか? どうもすみませんでした! 私が前を見ないで勢いよく飛び出してしまったばかりに……お怪我とかされてませんか?」
心配して掛けてくる言葉に日和は反応しなかった。いや、反応出来なかったのである。
日和はその女の子に目を奪われてしまっていた。
(今日は新入生が入って来て、二年になった俺は沢山の可愛い後輩の女の子から憧れの先輩として毎日楽しい高校生活を謳歌しようと思っていたが……そんな事はもうどうでも良くなった。沢山の女の子に囲まれなくたってこの目の前に居る女の子が居てくれるだけで俺の高校生活どころか人生さえも謳歌出来きてしまう! あ~やっぱり今日の俺はツイてるなぁ~。最後の最後でこんな素敵な出会いが待ってるなんて……)
「あの……大丈夫ですか?」
この時やっと日和は我に返る事が出来た。
「あ、はい!」
「どこか怪我とかされてませんか?」
「怪我ですか? 全然大丈夫ですよ! 僕の事よりもあなたの方こそ怪我とかされてないですか?」
「えっ、私ですか? 私はカートを押してただけなので怪我はしてないですけど、あなたはぶつかった衝撃で飛ばされてましたよね……?」
「これくらい日常茶飯事ですよ! 毎日四、五回は飛ばされてますから慣れっこですよこんなの!」
「えっ……四、五回ですか?」
「はい! もう大丈夫ですので気にしないで下さいね!」
そんな意味不明な言葉を口走る日和だったが無理もないのである。何故なら友達すら居ない日和が異性と話をするなんて考えも付かない事なのだ。全身を強張らせて緊張は極限を越えてしまっていた。いつも傍に居る木乃葉ならば普通に接する事が出来るのは異性を感じない家族のようなものだからなのだ。
そんな意味不明な日和に少し困ったような表情を浮かべる女の子だったが、日和が大丈夫だと分かると
「本当にすみませんでした!」
そう言いながら深く頭を下げ、カートを押して行ってしまった。
まだ頭の中がボーッとしている日和は立ち上がると自分がどうしてここに来ているのか分からなくなっていた。
(あれ? 学校が終わって……木乃葉と帰っていて……用事があるからって電車に乗って……自転車屋に行ったら定休日で……もう帰ろうと思っていたけどお腹が空いたから何か買おうと思って……あ~そうだった)
やっと日和は気が付いたようだった。
(でもどうせだったら、せめてさっきの女の子の名前くらいは知って帰りたいよな)
日和はそんな事を思いながら店内を歩いていると、先程カートで日和を弾き飛ばした女の子がレジを打っている姿が見えた。
(どうしよっかなぁ……いきなり行って「名前を教えて貰っていいですか?」なんて言うのも変だよなぁ……。さっき弾き飛ばされたのを理由に「体が凄く痛いんだけど、名前教えて貰えないかな?」……って意味合ってんのかな?)
頭の中で変質者か弱みを握った最低チンピラに成り下がるか迷っていると、さっきの女の子が日和に向かって近寄ってきた。
「さっきは本当にすみませんでした……ところで何か御用でしょうか?」
(……見ていた事を気付かれてた)
焦る日和は徐に近くにあった棚の商品を手に取り
「これって……美味しいですかね?」
もう訳が分からない状態だった。女の子は日和の手に持った物と質問の意味が全く理解出来ずに首を少し傾げる。
「……えっと。きっと猫ちゃんには美味しいと思いますよ」
「へっ? ……猫……ちゃん?」
日和もまた、女の子がどうしてそんな事を言うのか理解出来なかった。疑問を浮かべた表情で自分の手の中にある物を見る。するとそこにあったのは……
猫缶だった!
いつの間にか気付かないうちにペットフードが陳列されている棚の前まで来てしまっていたのだった。
手に持った猫缶にびっくりすると同時に女の子が浮かべた表情も自分に返ってきた言葉の意味も全て納得が出来た。
何とかこの場を取り繕おうと思った日和は
「へぇ~そうなんだぁ。 うちの猫も喜んで食べてくれそうだな」
因みに日和の家は猫どころか動物すら飼っていない。
「あっ猫ちゃんを飼っているんですか! 私も飼っているのでその猫缶よく買って帰ってますよ」
(よっしゃあ~切り抜けた!)
日和は心の中でそう叫んだ。
「じゃあこれ下さい!」
そう言い、レジを済ませた日和だったが、結局買えたのは猫缶一つで食べる物は何一つ買えなかった。だが、僅かではあったが女の子と会話をして過ごした時間は日和にとって幸福なひと時であった。
スーパーから出てきた日和の姿は片手に猫缶が入った袋を持ち、片手には女の子が渡してくれたレシートがあった。渡される瞬間、微かではあったが手の温もりと甘い香りがした。
(良い香りがしたなぁ~……手も温かかったし、柔らかかったぁ~! ……でも結局、名前は知る事が出来なかったな。手に入れられたのはこのレシートだけか……)
そう言いながら手に持ったレシートを見るとある事に気が付く。
(こ、これは!)
なんとレシートに名前が印字されていたのだった。
(『垣翅めぐる』かぁ……いい名前だなぁ~!)
日和の表情は崩れ切っていた。擦れ違う通行人の誰もが明らかに怪しい人を見るような目をしていても、完全に自分の世界に入っている日和にはそんな事は気にならなかった。
一日かけて色んなところに行き、何一つ手に入らなかった最悪な日を一枚のレシートが最高の日に変えてくれた。それだけで今の日和が幸せを感じるには十分だった。
改札を通りホームへと降りて行き、電車を待つ日和。
何気無く見た向かいのホームに異様な感じを漂わせる男の姿が目に入ってきた。その男は高い身長を覆うようなロングコートを身に纏い、腰まである長い白銀の髪を春風になびかせながら日和の方を見ていた。
その視線を遮るように快速の電車がホームを通過していき、電車が通り過ぎた後の向かいのホームには男の姿は既に無かった。。
何かの見間違えかと日和は思ったが、その男の目がどうしても脳裏に焼き付いていた。
…………そんな出来事から2ヶ月が過ぎた頃、全ての物語が始まる。




