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8話 君が生まれた日


 留置場の小さな窓から朝日が斜めに差し込んでいた。

 宮永晴は壁際で膝を抱え、小さく丸まっている。

 狭い空間は息をするだけでもどこか苦しく、夜が明けても何かが軽くなるわけではなかった。


 ふと、視線を上げる。

 格子の向こうを、鳥が一羽横切っていった。

 白く光る朝の空を、何にも縛られないみたいにまっすぐ飛んでいく。

 眩しさのせいか、それとも後悔に似た感傷のせいか、晴は微かに目を眇めた。



     ◇◆◇



 星追警察署の前は、朝から騒然としていた。

 規制線の向こうに、テレビ局のカメラが何台も並んでいる。マイクを握った記者達が忙しなく行き来し、その後ろでは野次馬がスマホを掲げていた。


「空野ことりさんは本当に死亡したんですか!?」

「容疑者の少年は救世主を殺したと認めているんですか?」

「警察は事件性をどう見て――」


 外だけでなく、署内でも電話がひっきりなしに鳴っている。

 問い合わせ、抗議、情報提供、憶測まじりの通報。

 どの回線も埋まりっぱなしで、対応する署員も大わらわだ。


 刑事部屋――とりわけ捜査一課の空気は重い。

 ホワイトボードには宮永晴を中心にした人物相関図が急ごしらえで書き込まれていた。

 父・宮永秀樹。叔母・宮永茉莉。幼馴染の松木陽葵、ガクト。かかりつけ医の宇崎。名前は増えていくのに、肝心の被害者――空野ことりの欄だけが、妙なほど白いまま。


 年齢不明。

 本名不明。

 住所不明。

 家族構成不明。


 これだけ有名な人物なのに、その正体は加害者さえも知らないのだ。

 さらに頭が痛いのが。


「はあ、どんどん広がってる……」


 新藤衛はネットニュースの見出しが並ぶモニターを見て憮然とした。


『救世主殺害か』

『予知少女・空野ことりに一体何が!?』

『容疑者は市議の息子の少年A?』


 どれもこれも騒ぎを大きくしたい意図が透けて見えている。最悪だ。


「星追岬の捜索は?」


 新藤が問うと、森田が資料から顔を上げる。


「今日の午後から。海保とも連携は取ってます。ただ……」

「厳しいか」

「はい。潮の流れが速い上に、津波の行方不明者の捜索もまだ続いてます。正直、たった一人に絞って見つけるのは……」


 森田は言葉尻を濁した。

 言われなくてもわかっている。あの岬は元々そういう場所だ。


「頼むぞ、新藤」


 奥から課長が声をかけてきた。険しい顔のまま腕を組んでいる。


「今回の事件は世間の注目度が桁違いだ。県警も動き出してる。手柄を掻っ攫われるなよ」

「俺にとっては、どれも同じ重さの事件ですよ」

「お前なぁ……!」

「相手が救世主だろうが、名もない誰かだろうが、全力で事件解決に当たるだけです」


 新藤は涼しい顔で言い切った。課長は露骨に眉を吊り上げたが、反論は飲み込んだらしい。舌打ちまじりに背を向ける。


「……とにかく、結果を出せ」

「はいはい」


 新藤は胸ポケットから煙草を一本取りだし、それを口に咥えて燻らせた。



     ◇◆◇



 取調室に入ると、宮永晴は昨日と同じ姿勢で座っていた。

 うつむいた横顔は青白く、今にも消えてしまいそうなほど儚い。

 新藤が椅子を引く傍らで、森田がそっと耳打ちする。


「朝食には全く口を付けなかったそうです」

「……そうか」


 新藤は正面に座り、しばらく晴を見た。

 急かさない。問い詰めない。

 この少年からは力ずくで供述を引き出せない。

 そう学んだ新藤は、パイプ椅子の背にもたれながら静かに口を開く。


「さて、始めるか。昨夜はどこまで話したっけかな」


 とぼけた口調。

 晴はしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。


「……宇崎先生と、会ったところまで……でしたよね」

「ああ。その後の話、聞かせてくれるか」

「…………」


 晴は膝の上で指先を組み、視線を落とす。細い指がわずかに震えていた。



「事件が起きたのは……確か宇崎先生と会った次の日でした」

「!」



 とうとう核心に触れるか。

 新藤の表情が、わずかに引き締まる。


「あの日は朝からことりが……なんか妙に落ち着きがなくて――」



    ◇◆◇



「ね、晴。今日、何時ごろ帰ってくる?」


 朝のダイニングキッチンに、ことりの妙に弾んだ声が響いた。

 ことりは朝からやたらと機嫌がよく、鼻歌まじりにパンをちぎって口へ放り込んでいる。晴は自分の皿を流しへ運びながら、振り返った。


「別に。いつも通りだと思うけど」

「いつも通りね。ふんふん」

「何」

「なんでもありませーん」


 どう見ても何かある顔だった。

 晴はじとっとした目を向けたが、ことりはわざとらしくそっぽを向くだけだ。

 やっぱり嫌な予感しかしない。

 また何かしでかすつもりじゃないのか。茉莉と一緒になって、ろくでもないことを企んでいる気がする。

 そんな妙な落ち着かなさを抱えたまま、晴は学校へ向かった。



     ◇◆◇



 放課後。

 帰りのHRが終わるや否や、晴は鞄をつかんで教室を飛び出した。


「うわ、今日の宮永、マジで速いな」


 背後で誰かが笑っていたが構っていられない。ことりのあの顔は危険だ。何も起きないはずがない。

 駅からの道も半ば駆けるようにして戻り、ようやく宮永家の門が見えた――その時。



「よっ、晴」

「わっ!?」



 思わず変な声が出る。

 門の前で、陽葵とガクトが待ち伏せしていたのだ。


「なんでここに!?」

「なんでって今日は晴の話を聞かせてくれるって約束しただろ?」

「だろー?」


 陽葵が涼しい顔で言う。ガクトもニヤニヤしながら身を乗り出してくる。

 しまった。昨日、確かにそんな流れになっていた気がする。でも今はそれどころじゃない。


「いや、今日はちょっと……」

「ちょっと何?」

「その……」


 しどろもどろになる晴の頭の中で警報が鳴る。

 まずい。このまま家に入れたら絶対まずい。

 だがタイミング悪く、がちゃり、と玄関が開いた。顔を出したのは茉莉だ。


「あ、晴くん、帰ってきたよー!」


 明らかに家の中へ向けられた声。

 陽葵とガクトの目がきらりと光る。




「お邪魔しまーーーーーっす!!」

「は!? お、おい、待てよ!」




 二人はその隙を逃さなかった。晴を出し抜き、するりと門を抜けて家の中へ入ってしまう。


「待てって!」


 慌てて追いかけた晴は、陽葵達と一緒にリビングへなだれ込んだ。

 その瞬間――





「お誕生日おめでとう、晴!!」





 ぱんぱんっ、と乾いた音が部屋に響いた。

 色とりどりの紙テープや紙吹雪が、晴の頭や肩に降りかかる。


「え……?」


 思わず、数秒ぽかんと立ち尽くした。

 何が起きたのか、すぐには理解できない。


 風船。壁のタペストリー。妙に華やかな紙飾り。

 テーブルの上にはホールケーキと、箱のまま並べられたピザやフライドチキンやサラダ。それはこの家では見たことがないくらい賑やかな光景だった。

 その真ん中で、ことりが得意満面に笑っている。


「あれ? あなた、誰?」


 ことりが小首を傾げ、陽葵達を見る。


「君こそ誰?」


 陽葵も引かずに見返した。

 晴は額に手を当てた。あちゃー、という言葉がこれほど似合う状況もなかなかない。


「あ、もしかして晴くんのクラスメイト?」


 茉莉がおずおずと尋ねる。


「松木陽葵です。もしかして……晴の叔母さんですか?」

「あ、オレ、ガクトです。晴とは小学生からの腐れ縁っス!」


 ことりがぱちぱちと瞬きをして、次に自分を指さした。


「あ、晴の友達なんだ。よろしく、わたし空野ことり!」


 その名乗りを聞きながら、晴の視線はもう一度テーブルの上へ戻る。



 ケーキ。ごちそう。飾りつけ。



「これって、一体……」


 呆然とこぼした瞬間、ことりが近づいてきて、べしっと軽く頭を叩いた。


「いて!」

「やっぱり忘れてた!」

「いきなり叩くなよ」

「今日は晴のお誕生日でしょ! おめでとーーー!」

「あ」




 そこで、ようやく思い出す。

 七月十三日。

 自分の誕生日だった。


 忘れていた。本当にきれいさっぱり忘れていた。

 なぜなら誕生日なんて、自分にとっては意味のある日じゃなかったから。

 祝われる日でも、待ち遠しい日でもない。

 ただカレンダーの数字が一つ進むだけの、どうでもいい日付の一つに過ぎない。




「そっか、そういえばそうだったな」


 陽葵が納得したように頷き、それからことりへ視線を向ける。


「つか、この女の子誰――」

「はい! まずはみなさん着席してくださーい!」


 ことりは問答無用で場を仕切り始める。


「質問は後! 主役が立ったままなんだから、ほら、晴も座る! マリリン、ケーキお願い!」

「は、はいぃ!」


 ことりに押し切られる形で、みんないそいそと席につく。

 晴だけが、まだ呆然としたままだった。


 目の前では、茉莉が少しぎこちない手つきでケーキの箱を開けている。

 陽葵とガクトは状況を把握できないながらも、すっかり面白がってにやにやしている。

 そんな空気の中でことりは満足げに胸を張り、ぱんと手を叩いた。



「それじゃ、いくよ! せーのっ!」



 ことりが指揮するハッピーバースデーの歌が、賑やかなリビングに流れ始めた。

 晴はただただ驚いて、派手なとんがり帽子を問答無用でかぶせられても、石のように固まったままだった。






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