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7話 陽葵の恋

 

 川成(かわなり)明日香は、晴でも知っている生徒会副会長だった。

 男子と並んでも見劣りしない背が高く、すらりとした体つき。表情はいつも硬めで、今時の女子高生には珍しく完全にノーメイク。切れ長の目がいっそう近寄りがたい印象を与えている。



「松木君、ちょっといい?」



 明日香は教室の入口に立ったまま、まっすぐ陽葵を見ていた。


「来週のボランティア活動の件なんだけど、瀬川先生がつかまらないの。あと渡辺くんと橋本くんも」

「はい」


 陽葵はぱっと顔を明るくして立ち上がる。

 その様子を、晴とガクトは自然と目で追っていた。


「書記と会計が仕事しないって由々しき事態よ。結局いつも私とあなただけが動くことになるじゃない」

「あー……すみません」

「会長なんだから、もう少しビシッと言ってほしいわ」


 明日香の口調は厳しい。

 けれど陽葵は叱られている空気を全く気にしていないみたいに、にこにこしていた。


「でも俺、川成先輩と二人で仕事するの、嫌いじゃないです」

「え」

「むしろ楽しいです」

「――」


 明日香が一瞬、言葉を失う。

 廊下を通り過ぎる女子生徒達の視線がちらちら飛んできているのに気づいたのか、居心地が悪そうに眉を寄せた。


「……前から言おうと思ってたんだけど、そういうの、あんまり良くないと思う」

「何がですか?」

「あなたが誰にでもいい顔するの、知ってるけど。私には必要ないから。他の女子に勘違いされても困るし」

「俺は全然困らないですけど」

「!」


 あっさり返されて、明日香がさらに言葉につまる。

 陽葵は少しも怯まない。それどころか明日香と話せること自体が嬉しくてたまらないみたいな顔をしていた。


「あ、あなたね……」


 明日香は書類を抱え直し、踵を返す。


「とにかくその書類、渡辺くん達に渡しておいて」

「了解です」


 短く答える陽葵の声は、妙に弾んでいた。

 明日香は振り返らず、足早に去っていく。

 その背中が見えなくなってから、晴はようやく息を吐いた。



「陽葵って、ああいう人がタイプなんだ」



 背後から声をかけると、隣に立つガクトがわざとらしく体を震わせた。


「なんかこわそー。オレ、怒られたら泣く自信あるぅ……」

「あれでも結構面白い人なんだよ」


 陽葵はそう言って笑う。その笑い方が、さっきまでとは少し違う。いつもの人懐っこさの中に、わずかに照れが混じっていた。



    ◇◆◇



 帰り道、三人は久しぶりに駅前のファーストフード店へ寄った。

 二階の窓際席。夕暮れの繁華街を見下ろしながら、ガクトはハンバーガーを頬張っている。晴はポテトを一本つまみ、陽葵はアイスコーヒーのストローをくるくる回していた。


「前にさ、この通りでぶつかりおじさんがいたんだよ」

「ぶつかりおじさん?」


 晴が顔を上げると、陽葵は窓の外を顎で示した。


「女の子ばっか狙って、わざとぶつかってくる奴」

「うわ、最悪」

「で、あの辺で見かけて、俺、注意しようと思って近づいたんだ。そしたら――」


 陽葵は当時のことを思い出しながら、クックッと肩を揺らした。







 あの日、陽葵が声をかけようとした視線の先――



 ドン!



 と、いきなりぶつかりおじさんが勢いよく吹っ飛んだ。

 何事かと驚いて脇に回ると、おじさんの前には明日香が無表情で立っていた。


『ごめんなさい。私、体幹が強いので』


 正面からぶつかった手前、一応謝ってはいる。でも全然ごめんなさいって顔じゃなかった。

 むしろ『弱い女の子ばっか狙ってんじゃない!』っていう無言の圧を感じた。

 あの時のことは今思い出しても痛快だ。

 ぶつかりおじさんは顔色を真っ青にして、女子高生一人を相手に逃げ出したのだから……。






「ははは、何だそれ! めちゃくちゃ強え!!」


 晴が吹き出すと、ガクトもテーブルを叩いて「最高!」と大笑いした。


「だろ? それ以来あのおっさん、この辺で見なくなったし」


 陽葵は少しだけ目を細める。


「なんか、いいなって思ったんだよ。ああいうの」

「それで生徒会に立候補?」

「うん。どうせなら近くで見たいなって」

「そんな前からだったんだ」


 陽葵はほんの少しだけ頬を赤くした。

 そんな親友の顔を見ていると、晴は心から応援したい気持ちになる。



 その時、机の上のスマホが震えた。

 見ると、ことりからのメッセージだった。


『ごめん。帰り牛乳買ってきて!』


 晴は思わず眉間を押さえる。


「またか」

「何、呼び出し?」


 陽葵が覗き込もうとしたので、晴は慌ててスマホを伏せた。


「ちょっと用事。ごめん、先帰る」

「おう」


 陽葵はそれ以上聞かずに笑う。

 けれどその笑い方が少しだけ意味ありげだった。


「今度は晴の番な」

「え?」

「俺もちゃんと話したんだから。明日は晴の話、聞かせろよ」


 陽葵はにやっと笑い、ガクトも「怪しい怪しい」と囃し立てる。

 晴は苦笑いのまま席を立ち、店を出た。

 話せと言われて話せれば苦労はしないよ……と、なんだか面映ゆい気持ちになった。






 そしてそのまま自宅近くのスーパーで買い物していた時のこと。

 牛乳を一本買い、レジを抜けたところで、不意に声をかけられた。



「晴くんじゃないか」



 振り向くと、白髪交じりの中年男性が立っていた。

 細い銀縁眼鏡の奥で、穏やかな目がにこやかに細められている。



「……あ、こんばんは、宇崎先生」



    ◇◆◇



「あ、別に宇崎先生とか、川成先輩のこととか、どうでもいいですよね」


 晴はいつのまにか事件に関係ないことまで話している自分に気付き、おどおどと視線を上げた。

 夜九時すぎ。取り調べはもう六時間以上、続いている。

 だが新藤はばつが悪そうな表情を浮かべる晴に対して、「いいや」と首を振った。


 確かに今最も知りたいのは空野ことりについてだ。

 特に未来予知について。

 けれどそれより先に、宮永晴という少年がどんなふうに生き、どんな人物と関わってきたのか。それを知る必要があると思った。


「話したいこと、聞いてもらいたいこと、全部話してくれ。どんなことでもいい。それが俺達の仕事だ」

「……」


 晴は少し押し黙った後、「じゃあ…」と、またぼそぼそと口を開く。


「宇崎先生は、うちの近くで医院を開いていて……宮永家のかかりつけ医です。父の同級生でもあって、いろいろと親切にしてくれてるんです」



    ◇◆◇



 スーパーで鉢合わせした時、宇崎はまだ白衣姿だった。

 周りのスタッフからも「あら先生じゃないの」と気軽に声をかけられている。


「晴くんも買い物かい?」

「はい」

「偉いなあ。そういうところ、晴くんは昔からしっかりしてる」


 そう言って、宇崎は人のいい笑みを浮かべた。

 物腰はやわらかく近所でも評判の医師らしい細やかな気遣いがそこにはあった。



「そういえば最近、鎮痛剤は足りてるかい?」



 不意にそう聞かれて、晴の肩がぴくりと揺れる。

 ことりと出会ったあの夜から、父は一度も家に戻っていない。

 今の今まで忘れていたなんて、どうかしている。


「……そういえば、もう切れてました」

「そうか。片頭痛辛いだろう。なら、帰りに少し寄っていきなさい。すぐ出せるから」

「いえ、でも……」

「遠慮することはないよ」


 ぽん、と肩を叩かれる。

 その手つきは優しいはずなのに、なぜか晴は少しだけ身を固くした。



「晴くんは私の息子も同じだ。困ったことがあれば、遠慮なく頼ってくれ」




 穏やかな笑顔。昔から何度も受け取ってきた優しさ。


 でもその笑顔を見ていると、胸の奥がなぜか――


 ひやりと氷のように冷えるような気がした。





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