6話 君といた日々
「なるほど。それでお前は空野ことりと共同生活を送ることになった、と」
新藤は腕を組んだまま、晴の供述を聞いていた。横では森田が手元の記録を追いながら、ふっと口元をゆるめる。
「なんか楽しそうな子ですね」
晴は少しだけ目を伏せた。次に顔を上げた時には、ほんのわずか表情が和らいでいた。
「……どうだろ。いや、そうかもしれないですけど」
新藤は黙ってその変化を観察する。
空野ことりのことを話す時だけ、晴の空気は目に見えて変わる。硬く閉じたままの心が、ふわりとほどけるようだった。
「それでお前の叔母さん――宮永茉莉は今どうしてる」
「津波で自宅も被害を受けて……。今は亡くなった祖父が使ってた古い別荘にいます」
「森田」
「了解です。確認取ります」
森田がすぐにメモを取る。
宮永茉莉。彼女の証言も、いずれ必要になるだろう。新藤は一度うなずいてから、視線で続きを促した。
「で。空野ことりと一緒に暮らすようになってどうだった」
「……それ、今必要な情報ですか?」
「必要かどうかは、こっちが決める」
「……」
晴はしばらく考えこんでいた。
それからどこか遠くを見るようなまなざしになる。
「そうですね。なんていうか――」
「とにかく無茶苦茶でした」
◇◆◇
「あ、おかえり、晴!」
ある日、玄関を開けた瞬間、妙に明るいことりの声が飛んできた。
靴を脱いでリビングへ向かった晴は、そのままキッチンに入り――そして立ち尽くす。
「……は?」
見れば、台所がひどいことになっていた。
ボウル、泡立て器、鍋、計量カップ、卵の殻、刻まれたキャベツ、散乱した天かす。カウンターにも床にも小麦粉の白い跡が残っている。壁には生地らしきものまで飛び散っていた。
惨状の真ん中で、ことりがエプロン姿のまま胸を張っている。茉莉は雑巾を片手に、おろおろと床を拭いていた。
「喜べ! 今日はたこ焼きパーティーだぞ!」
「全然喜べないんだけど」
晴は眉間にしわを寄せ、わざとらしくため息をつく。
「何これ。どうしたらたこ焼きでここまで荒れるんだよ」
「いやあ、ちょっと生地を混ぜてたら、こんなんなっちゃって」
「ちょっとで壁まで飛ばないだろ」
「ご、ごめんね、晴くん……」
「叔母さんが謝る必要ないです。やったのこいつでしょう」
ことりは反省の色もなく、再びたこ焼き器の前に立つ。くるくると串を回し、今焼けたばかりのたこ焼きを一つ摘まみ上げた。
「ほら晴。あーん」
「は?」
怒る間もなく、ぽいっと口の中に放り込まれる。
「熱っ!」
晴は思わず身をのけぞらせた。だが次の瞬間、別の意味で目を見開く。
「っていうかこれ、生焼け!」
「えっ、うそ!?」
ことりが慌てて自分でも一つ口に入れる。もぐ、と噛んだ後、すぐ微妙な顔になった。
「ホントだ。ごめーん!」
「やばいもん人に食わせるなよ!」
晴が怒鳴ると、ことりは悪びれもせず、けらけらと笑った。
茉莉までつられて吹き出す。
笑うところじゃない。絶対に笑うところじゃないのに、二人そろって楽しそうにしているせいで、晴だけが真面目に怒っているのが馬鹿らしくなってくる。
結局文句を言いながらも、そのあと三人でたこ焼きを囲むことになった。
凝りもせず、ことりがまた晴の前にたこ焼きを差し出す。
「晴は細いんだからもっと食え!」
「だから勝手に皿に乗せるなって」
「育ちざかりだぞ!」
「それはお前もだろ」
「残念、ダイエット中でーす」
文句を言いながらも、箸でたこ焼き受け取ってしまった自分に、晴は内心で舌打ちした。
ことりは満足そうにうなずき、茉莉はそんな二人を見てうれしそうに笑っている。
騒がしい。
わけがわからない。
なのに前よりもずっと、家の中で呼吸がしやすかった。
◇◆◇
また別の日。夕飯の後、晴は茉莉の部屋に呼ばれ、強制的にゲームの相手をさせられた。
「よっしゃ、またKO!」
画面には最新の格闘ゲームのタイトルロゴが映っている。
ちなみに今のところことりが10戦10勝。晴は10戦10敗だ。
「少しは手加減しろよ……」
「ちっ、ちっ、ちっ。勝負の世界は厳しいのだよ、晴くん」
ふふんと、ことりはガッツポーズをした。
けれどそんな晴のコントローラーを、横から茉莉がスッと奪う。
「叔母さん?」
「……」
そして数分後。
――KO!
今度はことりが茉莉にコテンパンにやられる番だった。
「うぐっ、マリリン強すぎ!」
「ふふふ」
茉莉は眼鏡をキランと光らせ、力強くサムズアップした。その様子がおかしくて、晴はぷっと吹き出す。
「はは、はははっ」
「くっそー、マリリン。もう一回勝負だ!」
ことりは悔しがり、何度も何度も茉莉に勝負を挑んでは、そのたびに負けていた。
気づけば夜は深くなって、三人の笑い声だけが部屋に響いていた。
◇◆◇
今度は三人でカラオケへ行くことになった。
ことりはアイドルソングを選ぶなり、前奏からもう立ち上がっている。曲が始まる頃には完璧に振り付けまで入っていて、茉莉は「かわいい! かわいい!」と大騒ぎでスマホを向けていた。
「ちょ、マリリン、ここサビ撮ってサビ!」
「任せて!」
「なんでそんな本格的なんだよ……」
晴はソファの端でマラカスを持たされていた。なぜ自分がここにいるのか、冷静に考えても本気でわからない。
なのにことりが全力で踊って、茉莉が本気で録画している光景を見ていたら、まぁ、たまにはこんな日があってもいいか……と思い直した。
◇◆◇
さらに、また別の日。
リビングのソファで、ことりは相変わらず昼寝をしていた。クッションを抱え込んで、口を少し開けて、完全に無防備だ。
――おいおい、ここ誰の家だと思ってんだよ。
晴は飲みかけの麦茶を片手に、心の中でツッコミを入れていた。
そこへ茉莉がやってきて、小声で「おいでおいで」と手招きする。
「? 叔母さん、何ですか?」
「いいから、静かに」
妙にこそこそしている茉莉について二階へ上がると、ちょうど大きな荷物を抱えた配達員達が空き部屋に出入りしているところだった。
中を覗き込むと、そこにはベッド、マットレス、小さなドレッサー、サイドテーブルと真新しい家具が運び込まれていた。
「……えっ!?」
「どう? ことりちゃんのお部屋。気に入ってもらえると思う?」
「えーと……」
まずそういう問題じゃないんですけど……と、言いかけて、晴は口をつぐんだ。
ニコニコしている叔母を悲しませるようなことは言いたくない。そう悩んでいると、後ろからぱたぱたと足音がした。
「……どしたん? なんか騒がしいけど」
目を覚ましたらしいことりが現れる。目をこすりこすり寝ぼけていたが、部屋の中を見た途端、その目がぱっと丸くなった。
「えっ、何これ!?」
「ことりちゃんのお部屋だよ」
「ええっ!?」
今度こそばっちり目覚め、ことりが飛び跳ねる。
「マリリン、いいの!?」
「どうせ空いてるし。ほら、ソファじゃ狭いでしょ」
「でも……」
「あ、ただしお兄ちゃんが帰ってきた時だけは隠れててね」
茉莉がいたずら気にウィンクすると、ことりは満面の笑顔で茉莉に抱き着いた。
「任せて、かくれんぼ得意! ありがと、マリリン!」
それから新しく置かれたベッドへ勢いよく飛び込み、子どもみたいにはしゃぐ。
「すごい! ふかふか! ホントにわたしの部屋!?」
ぴょん、と跳ねる。
また跳ねる。
晴はもう、文句を言う気力もなくなっていた。
そもそも家具を買ったのは茉莉だし、宮永家における立場も茉莉のほうが上だ。
それにどこにも居場所がなさそうなことりが、自分の部屋をもらってあんな嬉しそうに笑っている。
それに水を差すほど、自分は冷たい人間じゃない。
(……もう完全に居つくつもりだろ、こいつ)
そう思ったのに、不思議と腹は立たなかった。
毎朝「いってらっしゃい」と言われ、帰れば「おかえり」と声が飛んでくる。
そのたびに、なんだかくすぐったいような気分になっている自分に気づく。
(……あれ? おかしいな。 もしかして俺、ほだされてる?)
気づけば晴の口元にも、柔らかな笑みが浮かんでいた。
◇◆◇
そうして日々を過ごしていくうちに、宮永家の庭の紫陽花は色を失い、代わりにひまわりがぐんぐん背を伸ばし始めた。
六月が終わりかけ、季節はもう夏へ足を踏み入れている。
この頃には、もうことりが家にいるのは当たり前になっていた。
家の中は妙に騒がしくなり、前よりずっと過ごしやすい空間に生まれ変わっていた。
◇◆◇
「なんか最近、晴、付き合い悪いよなー」
ある日の放課後。
人の減った教室で帰り支度をしていると、ガクトがつまらなさそうに言った。
「え?」
「だって最近の晴、寄り道しないですぐ帰るじゃん」
晴はカバンのファスナーを閉める手を止めた。
確かに。
ことりが宮永家に居つくようになってから、放課後まっすぐ帰ることが増えた。家であいつが何をしでかしているかわからないし、茉莉と二人だと余計にろくでもないことになりそうで、なんとなく目が離せなかった。
「なあ、陽葵もそう思うだろ?」
ガクトが前の席に向かって話を振る。
晴も視線を向けると、陽葵はカバンを肩に引っかけながら首をかしげた。
「何?」
「いや、最近すぐ帰っちゃって悪いなって」
「別に気にしてないけど」
陽葵は軽い調子で言ってから、意味ありげに口の端を上げた。
「彼女でもできたのかなって、思ってた」
「なんだと!?」
ガクトがすぐさま食いつく。晴は驚いて、思わず肩をびくつかせた。
「まさかオレ達を裏切った!?」
「う、裏切ってないし! 彼女とか……その、そういうんじゃないから」
否定する声が、ほんの少しだけ上擦る。
陽葵はその反応を見て、にやりと笑った。
「あれ。今ちょっと間があったな。彼女じゃないけど、気になる子はいるとか?」
「……」
背中にじわりと汗が滲む。
気になる。
そう言われれば、確かにそうなのかもしれない。
けれど恋愛とか、そういう意味ではない――はずだ。
単に家に帰ると何か起きていそうで落ち着かないだけで。
放っておけないだけで。
うまく説明できないまま、晴は話を逸らした。
「そ、そっちこそ。そういう話なら陽葵のほうが専門だろ」
「いや、俺彼女いないし」
「それが青南高校七不思議のひとつなんだよなー!」
ガクトが大げさにうなずく。晴もつられて身を乗り出した。
「言われてみれば、陽葵のそういう話って、長い付き合いなのに聞いたことないかも」
「誰だよ。もし相手がいるなら教えろよ。陽葵に言い寄られて嫌な気する女子とかいないだろ」
二人に詰め寄られて、陽葵は珍しく視線を逸らした。それから頭を掻きながら、少しだけ頬を赤くする。
「あー……まあ、実は気になる子はいるけど」
「え、マジ?」
晴が目を見開いた、その時だった。
「おーい、松木。お客さん」
クラスメイトの声に、三人そろって教室の入口を振り返る。
ドアのところに堅物そうな女子が立っていた。
一瞬、陽葵が硬直して、そしてすぐにふわりと優しい笑顔になる。
晴はその女子生徒に見覚えがあった。
――生徒会副会長の、川成明日香先輩だった。




