31話 事情聴取:宮永茉莉
「ちょっと、ちょっと、これってどういうことですか!?」
川成明日香の住む避難所を出て、再び車に乗り込んだ途端、森田が頭を抱えた。
助手席でシートベルトを引っ張りながら、まだ混乱を引きずっている。
無理もない。新藤も同じだった。
川成明日香が最後に見せた、あの記念写真。
晴、陽葵、明日香、優愛。
そこに写っていたのは四人だけだった。
晴の供述ではあの日、確かにガクトも空野ことりも一緒にいたはずだ。
けれど写真には、どちらの姿もない。
「宮永晴のイマジナリーフレンドは、ガクトだけじゃなかったってことですか? もしそうなら今までの捜査、全部ひっくり返りますよ」
「決めつけるのはまだ早い」
新藤はエンジンをかけた。
空野ことり。
救世主と呼ばれた少女。
その正体が、ようやく形を持ちはじめている。
「とにかく桜松丘に急ぐぞ」
「はい!」
川成明日香は、あれ以上の証言を拒んだ。
ならば次に当たるべき相手は一人しかいない。
宮永茉莉。
晴の叔母。晴の供述ではことりと親しく、AIアバターチャンネルの運営にも深く関わっていた人物。
もし彼女の証言が取れれば、この事件の輪郭は大きく変わる。
あるいは完全に崩れる。
新藤はアクセルを強めに踏み込んだ。
車は桜松丘へ向かって、一直線に走り出した。
◇◆◇
午後を少し回った頃だった。
別邸前で張り込んでいた新藤たちの前に、一人の女が現れた。
大きめのコンビニ袋を両手に抱え、よたよたと坂道を上ってくる。
ぼさぼさの髪。くたびれたジャージ。荒れた肌。
申し訳ないが、近づく前から生活臭のようなものが漂ってきそうだった。
新藤が車を降り、森田も続く。
「宮永茉莉さんですね」
「……ひっ!」
声をかけると、女――宮永茉莉は小さな悲鳴を上げた。新藤たちを見るなり、慌てて踵を返す。新藤は大股で近づき、逃げようとした彼女の肩を後ろからつかんだ。
「な、何もないから! うちには、食べ物も金目のものも何もないから!」
「落ち着いてください。俺たちは警察です」
「け、警察……?」
茉莉は恐る恐る顔を上げた。新藤の手帳を見ると、ようやく抵抗をやめる。けれど終始落ち着かず、周囲をきょろきょろと見回していた。
「す、すいません。この辺り、最近泥棒が多くて……」
「泥棒?」
「地震の後、うちが大きな家だからって、入り込もうとする奴らが多くて……。こ、この前も警察に通報したばかりなんです」
新藤は眉尻を下げ、森田を振り返る。
「俺たち、泥棒に見えるほど人相悪いか?」
「少なくとも新藤さんは目つきが悪いです」
「お前、上司に対して遠慮がないな」
森田はスルーして、手早くスマホで署に確認を取った。数十秒後、画面から顔を上げる。
「通報記録、ありました。一週間ほど前です。宮永家桜松丘別邸に不審者侵入未遂」
「一週間前……空野ことりが殺害された当日だな」
茉莉の肩が、ぴくりと震えた。新藤と森田の顔を交互に見比べて、隙あらば逃げ出そうとしている。
「宮永茉莉さん。甥の晴くんが逮捕されたことは知っていますね。お話を聞かせていただけますか」
「……」
腰が引けていた茉莉は、口を半開きにしたまま押し黙る。
けれど最後には、観念したように「はい……」と小さくうなずいた。
◇◆◇
通された別邸の中は、ひどい有様だった。
タイル張りの洒落た玄関ホールには靴や段ボールが散らばり、廊下には雑誌や衣類が積まれている。
リビングに入ると、さらに惨状は増した。
大量のごみ袋に空き缶、菓子袋に使い捨ての皿。
踏み場を探すだけで一苦労だった。
「そ、掃除、苦手で……すいません」
茉莉は背中を丸め、消え入りそうな顔で俯いている。
晴の供述に出てきた、子供部屋おばさん。
確かに目の前の女はその言葉どおりだった。
ただし晴の話にあった快活さや、ことりとゲームで笑い合っていた明るい気配はどこにもない。
「昨日、一昨日と留守でしたね」
「……は、はい」
「失礼ですが、どちらに?」
「ハ、ハローワーク……」
茉莉は買ってきたコンビニ袋をキッチンのテーブルに置いた。
そこにも空っぽのプラスチック容器やペットボトルが山のように積まれている。
「海外に住む父と母が、これを機に、あ、あたしにも働けって……」
「……」
「お、お兄ちゃんも行方不明だし、もう宮永家は終わりだって。だからあたしの面倒も金輪際……ううっ」
茉莉はその場にうずくまり、しくしくと泣きはじめた。
「ひどい、ひどいよぉ。外になんか出たくない。働きたくなんかない。うちはお金持ちなのに、どうしてぇ……っ」
森田が微妙な顔になる。新藤も内心では似たようなものだった。
二十五年の引きこもり歴は伊達ではない。震災で何もかも変わった街の中で、この女は現実から目を逸らし、子どもっぽいわがままにしがみついている。
だが今は同情している場合でも、軽蔑している場合でもない。
「あの、でも、茉莉さんはAIで稼いでいらっしゃるんですよね?」
森田が恐る恐る切り出した。茉莉の泣き声が止まる。
「AI?」
「空野ことりのアバターチャンネルを運営していた、と聞いています。映像生成とか、配信管理とか――」
森田が言い終わらぬうちに、茉莉の顔がくしゃりと歪んだ。
「バ、バカにしてるんですか?」
「え?」
「あ、あたしにAIなんて扱えるわけないでしょ? ゲームするくらいしか取り柄ないのに」
「ええっ!?」
森田が一歩後ずさる。新藤は腕を組んだまま、茉莉を見下ろした。
「それは本当ですか」
「う、嘘なんかついてません。そういうのは甥のほうが得意で……」
茉莉はごみ袋と雑誌の山に半分埋もれたノートパソコンを指さす。
「甥の晴が、あれでなんかやってました」
「失礼」
新藤は足元のごみを避けながら進み、ノートパソコンを拾い上げた。軽く埃を払って電源を入れる。画面は起動したが、すぐにロック画面で止まった。今ここで中身を確認することはできない。
「これ、お預かりしても?」
「ど、どうぞ。あたしのじゃないんで」
新藤はパソコンを森田に渡した。
森田の顔も、いつのまにか刑事のそれになっている。
「さて」
新藤は改めて茉莉に向き直った。
そして間を置かず、いきなり核心に踏み込んでいく。
「あなたは、空野ことりをご存じですか?」
「……」
「巷で救世主ともてはやされ、宮永晴に殺されたとされる少女です。空野ことりは、四か月ほど前に宮永家に転がり込み、あなたと晴くんと三人で共同生活を送っていた。晴くんはそう供述しています」
茉莉は黙っていた。
だが怯えではない。
今まで伏せられていた顔に、別の感情が浮かんでくる。
嫌悪。
それも隠す気すらないほど露骨な嫌悪だった。
「あの子、そんなこと言ってるんですか」
「あの子?」
「晴です」
茉莉は唇を噛み、きっぱりと言い切った。
「空野ことりなんて、あたし知りません。そんな子、どこにもいなかったです」
部屋の空気が止まった。
森田が息を呑む気配がした。
新藤は表情を変えない。だが胸の奥で、何かが大きく軋んだ。
とうとう来た。
事件の底が――大きく抜けた音がした。
「本当に知らないんですね」
「知らないって言ってるじゃないですか」
茉莉はぼさぼさの髪をかきむしった。白いフケがぱらぱらと床に落ちる。
「やっぱ、あの子気持ち悪い……。昔からそうだったんです。一人でぶつぶつ話したり、家の中で騒いだり」
「あなたと空野ことりは、親しい友人だったのでは?」
「友人?」
茉莉の目が、ぎょろりと不気味に血走った。
「またあたしのことバカにしてるんですか? 友達なんて……この四十年、一度もいたことありません!」
絶叫に似た声が、汚れたリビングに跳ね返った。
森田が指示を仰ぐように新藤を見る。
新藤は黙ったまま、茉莉の挙動を観察していた。
別に茉莉の言葉をすべて鵜呑みにしたわけではない。
この女が嘘をついている可能性は、十二分にある。
保身のために、ことりとの関係を隠している可能性。
だが今この場でそれを崩せる材料が、新藤にはなかった。
茉莉の証言は、あまりにも都合よく、晴の供述に空いた穴を埋めていく。
空野ことりは、実在の少女ではない。
彼女もまた、宮永晴の想像が生み出した架空の人物。
そう定義すれば、辻褄が合うことは多かった。
家出少女だから、本名も住所もわからない。
母親がいたとされているが、その母親も津波で行方不明。
親族や友人を名乗る者はネットに無数にいたが、そのほとんどは偽物だろう。
崖から突き落とされた犯行映像も、地震当日に流出した彼女の素顔も、あらかじめ用意されたフェイクだった可能性がある。
つまり空野ことりの存在を立証できるものは、まだ何ひとつない。
そしてそこまで用意周到に彼女が実在するかのように装うことができたのは――
宮永晴。
あの少年に違いなかった。




