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23話 慟哭2



「見えてたのになんで、松木くんを助けてくれなかったの」



 明日香の口から決定的な問いが放たれた瞬間、ことりの表情は一気に凍りついた。

 視線は明日香に固定されたまま、全身から血の気が引いていく。



『どうして助けてくれなかったの』

『なんで肝心な時に予知できないの』



 脳の奥で、昔の声が蘇る。

 非難する声。

 追い詰める口調。

 泣きながら憎しみをぶつけてくる眼差し。

 それは過去の母と全く同じだった。


「パ、パイセ……ッ」


 ことりの肩が小さく震えた。

 ただでさえ陽葵の死を突きつけられているのに、明日香の容赦ない追及が、ことりの古傷を抉っていく。


「ま、待って。ちょっと待って、先輩」


 最初に動いたのは晴だった。

 胃の奥の不快感は、まだ残っている。陽葵の死を受け止めきれていないのは晴も同じ。むしろ明日香やことりよりずっと長く、陽葵と一緒にいたのは晴のほうだ。

 それでも今この場でことりが一方的に責め立てられるのを、見過ごすわけにはいかなかった。



「陽葵が死んだのは、ことりのせいじゃない」

「そんなのわかってるよ!」



 細くひび割れた明日香の声。

 その叫びには、正論を寄せつけない切実さがある。

 彼女も本当は痛いほど理解しているのだ。自分の言っていることが、どれだけ理不尽で、どれだけ身勝手か。

 そもそもことりの予知で救える人と救えない人が出てくると、以前忠告してくれたのが明日香本人だった。

 それでも言わずにはいられない。

 怒りも、悲しみも、絶望も、どこにも行き場がなくて、このまま抱え込めば、自分の心のほうが壊れてしまう。

 多分この体育館に集まった遺族の多くが、今同じものを抱えている。

 どうしようもない現実に傷つけられて、それでもなお誰かを責めずにいられない心を。



「私だって本当はこんなこと言いたくない。言いたくなんかないのに……!」



 明日香の目の縁から、はらはらと涙がこぼれ落ちる。

 普段の彼女からは想像もつかないほど、子どもみたいな泣き方だった。

 そして次の瞬間、ことりに近づきその腕を掴む。



「……ねえ、助けてほしかっただけだよ」



 ことりは反射的に、びくりと身を竦める。

 明日香の手には、信じられないほど強い力がこめられていた。



「松木くんを助けてほしかったの。あなたなら、それができたはずでしょ!?」

「パイ、セン……」

「なんで助けてくれなかったの。なんで松木くんが死ななきゃならなかったの? 教えてよ……! 未来が見えるんでしょ!? あなたには人の死が――うっ、あああーー……っ!」



 そこでとうとう明日香はことりの腕を掴んだまま、その場に崩れ落ちた。

 責める言葉と一緒に、自分自身も立っていられなくなったみたいに。

 ことりは、その手を振り払わなかった。

 ただまっすぐ明日香を見つめ、やがて一筋、涙が頬を伝う。



「ごめ……なさ……」

「……」

「ごめ……っ」



 その先は、もう言葉にならなかった。

 ことりの喉から漏れるのは、謝罪にも嗚咽にもなりきらない掠れた音だけだ。

 晴も、茉莉も、いつの間にかことりと一緒になって涙をこぼしていた。


 陽葵。

 脳裏に浮かぶのは、あの明るい笑顔ばかり。


 無遠慮で、世話焼きで、勝手に人の心の中に入ってきて、それでいて肝心な時にはちゃんと隣にいてくれた。

 その陽葵がもういない。

 非情な現実が明日香との間にあった柔らかな絆を、こんなにも簡単に断ち切ってしまった。

 たとえ未来予知の力があろうとも、どうにもできない残酷さが、この世界にはある。

 それを突きつけられるには、みんなまだ幼すぎた。




     ◇◆◇




 別邸へ戻ってからも、三人はほとんど何も話さなかった。

 晴も、ことりも、茉莉も、それぞれが深い悲しみに沈んでいて、かけるべき言葉が見つからなかった。


 茉莉は復旧したばかりのネットに張りつくように、何かを必死で調べている。

 晴は椅子に座ったまま、しばらく一度も動かなかった。

 そしてことりは膝を抱え、ソファの端に小さく丸くなっていた。

 あの時、体育館裏を去る直前に、明日香が言い残した一言が頭から離れない。




『……一生忘れないから』


 ――この恨みを。




 怒りだけじゃない。

 悲しみと絶望と、最後まで届くことのなかった願いがぐちゃぐちゃに混ざった、あの瞳。

 ああいう目を、ことりは知っている。

 昔から知りすぎるほど知っているから、余計心は乱れた。


「ことり」


 そっと呼ばれ、肩がぴくりと震える。

 晴だった。

 いつの間にか隣まで近づいてきて、少し距離を置いた場所に腰を下ろす。


「晴、ごめん」

「……」

「陽葵くんと優愛ちゃんを助けられなくて、ごめん」


 言った途端、また涙があふれた。

 視界が滲んで、膝がさらにびしょびしょに濡れていく。

 受け止める晴もまた、辛そうに顔を歪めた。


「言っただろ。ことりのせいじゃない」

「ううん。わたしのせい」

「……」

「あの日、わたし、たくさんの死が見えてたの。でも全部は無理だった。全部に手を伸ばすなんて、最初からできなかった。だから……優先順位をつけたんだ」


 晴はぎゅっと拳に力を込めながらことりの話を聞き続ける。

 それはことりと一緒にチャンネルを立ち上げた自分や茉莉も、一緒に背負わなければならない重荷だからだ。


「たくさんの人が死んで、大きな被害が出るかもしれない予知を優先してみんなに伝えた。目の前に浮かぶ、誰だかわからない一人一人の死は後回しにしたの。だから恨まれて当然」


 淡々とした声。

 まるで自分に判決を言い渡すみたいに、ひどく冷たく。

 自分を責め続けることりを前にして、晴は何も言えなかった。


 父を見捨てた自分。

 命に優先順位を付けたことり。


 あの日、あの災害の前では、誰もが何かを選ぶしかなかったのだ。

 助けられる命と、助けられない命。

 手の届くものと、届かないもの。

 それを選ばなければ、もっと多くが失われていたかもしれない。


「晴」

「ん」

「わたしのこと、怒っていいんだよ」


 晴はひびの入った天井を見上げたまま、しばらく黙っていた。

 それから、小さく首を振る。


「怒れないよ」

「……」

「というか、まだ実感がないんだ」


 晴は言葉を探すように、ゆっくり続けた。


「父さんが死んだことも。陽葵が死んだことも。頭ではわかってるのに、心が全然追いついていかない」

「……うん」

「まるでまだ、夢の中にいるみたいで」


 その声は、自分でも驚くほど空っぽだった。

 ことりも多分同じだ。

 泣いているのに、悲しいのに、どこか現実感がない。

 全部が遠い場所で起きているみたいで、それなのに胸だけがぐちゃぐちゃに痛い。





 ……その時だった。

 ことりのスマホが、唐突に震えた。静まり返った部屋に、電子音がやけに大きく響く。ことりはびくりと肩を震わせ、震える手で画面を見る。

 『母』

 着信画面には、確かにそう表示されていた。


「お母さんっ!?」


 先ほどとは一転、ことりの声が弾む。慌てて通話ボタンを押し、耳に当てる。


「もしもし!? よかった、無事だったんだ!」


 だが次の瞬間、ことりの顔から、すっ、と表情が消えた。


「――え?」


 聞こえてきたのは、母の声ではなかった。

 電波の状況が悪いのか、少しくぐもった女性の声。


『私はこのスマホを拾った者です。お母さんと一緒に働いていました』

「……」


 ことりの指先が、見る見るうちに震え始める。

 晴も、茉莉も、よからぬ予感に思わず動きを止めた。


『いいですか、落ち着いて聞いてください』


 ――落チ着イテ聞イテクダサイ


 そう前置きされる言葉に、いい報せなんて一つもない。

 ことりの瞳が大きく見開かれ、みるみる光が失われていった。


『お母さんは、あの日――』

「あ……」


 声にならない息が漏れる。

 スマホを握る手ががくがくと震え、指先に血が通わなくなって白くなった。

 唇はさらに色を失い、泣きすぎて枯れたはずの涙がまた目尻に浮かぶ。

 その一粒を皮切りに、次々と雫が溢れだした。



「あ……あ……」



 否定したかったのだろう。

 聞きたくなかったのだろう。

 それでも受話口の向こうから、現実だけが容赦なく流れ込んでくる。

 そしてとうとうことりの中の絶望が、形を持って一気に爆発した。




「ぁあ……ああああぁぁーーーーっ!!」




 慟哭だった。

 さっき体育館で明日香が上げたものと同じ、すべてを否定し、まるで血を吐くような絶叫。



 そしてそれが多分、ことりが本格的に壊れ始めた瞬間だった。



    ◇◆◇



 政府や他国からの援助により、通信インフラの一部が復旧してまもなく。

 『ことりのみらい★監視局』のチャンネルには、夥しい数のコメントが流れ込んでいた。





 このタイミングで復旧したってことは、ことりんって関東の子だったの?

 無事でよかった

 これからも日本を救ってくれ

 ありがとう、ありがとう、ありがとう




 待って。なんでこの人 ここまで救世主扱いされてるの

 たくさん死んだ人がいるのに不謹慎

 本当の救世主なら全員救えよ




 私の家族、全員死にました

 もう生きててもしょうがない







 ねえ、ことりん。


 なんで助けてくれなかったの


 なんで見殺しにしたの


 私の


 俺の



 大事な人を――






 今すぐ返して





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