21話 救世主、誕生
あの日。
父が津波に飲まれ、姿を消した日。
あの時の自分の絶叫が、まだ耳の奥に残っている。
◇◆◇
取調室に、長い沈黙が落ちた。
自供を続ける晴の目から、また光が失われていく。
新藤も森田も、すぐには言葉を返せなかった。
宮永晴と空野ことりが出会ってから、震災当日まで。
ようやく事件の全容が見えつつある。
だがこの少年が、ここまで重いものを抱えていたとは思わなかった。
「はは……っ」
突然、晴が笑った。諦めきった顔のまま、自分の両手を見つめる。
「ことりを殺すよりずっと前に、俺はもう人殺しだったんです」
「……」
「あの時、父を見殺しにした。もしかしたら心の底じゃ、ざまあみろって思ってたのかもしれない」
「……やめろ」
新藤は腹の底から低い声を絞り出した。
晴がびくっと怯えて、顔を上げる。
痛いほどの自虐を繰り返す少年を、これ以上黙って見ていられなかった。
「助けてほしかったのは、むしろお前の方だったんだろ」
「……は?」
「お前は父親を見捨てたんじゃない。父親に見捨てられ続けた子どもが、最後に動けなかっただけだ」
「何、言ってるんですか」
ふらり、と突然、晴が立ち上がる。
椅子がガタン、と大きな音を立てた。
それはさっきまでの無気力さからは考えられない、はっきりした動きだった。
「何言ってるんですか、刑事さん。俺が殺したんです。俺が、父を」
「助けられなかったことと、殺したことは違う」
「違わない!」
感情のこもった声が、初めて室内に響き渡った。
「俺は見てたんだ! 助けられたかもしれないのに、動かなかった! 見殺しにしたんだよ! それを殺したって言わないで、何て言うんですか!」
だが負けじと、新藤も机を強く叩いて立ち上がる。
「そんな奴、あの日の津波の中に腐るほどいた。そいつら全員、人殺しか?」
「そんなこと言ってません! ただ俺は……っ」
「お前は父親を殺したんじゃない。父親の最期に居合わせて、立ち尽くしただけだ! 誰がそれを責められる!? その場にいたことまで罪にできる? そんなもの、お前が背負う必要はない!」
「……っ!」
晴は怒鳴り返そうとした。
だがうまい反論を見つけられず、そのまま力なく椅子に腰を落とす。
わしゃわしゃと両手で前髪を掴み、乱れた隙間から新藤をにらみつける。
「刑事が……そんなこと言っていいんですか」
「よかねぇよ」
対する新藤は短く吐き捨て、椅子に座り直した。
そして乱暴に足を組み替え、天井を仰ぐ。
記録を取っていた森田もまた、黙ったまま唇を噛んでいる。
「……すまん」
そして次の瞬間、いきなり新藤が頭を軽く下げた。そのつむじがはっきり見えて、晴は内心うろたえる。
「な、なんですか、いきなり」
「何言っても、結局お前は自分を責めるんだろう。俺の言葉じゃ足りないらしい」
「……」
「だから、すまん」
その時、ほんの少し晴の瞳に光が戻った。ただ形式的に取り調べをしていたはずの刑事が、初めて垣間見せた思いやりのかけら。それに動揺しているのが、自分でもわかる。
「だがそれでも敢えて言うぞ。宮永議員の死に、お前の責任が全くなかったわけじゃない。けど」
新藤は慎重に言葉を選びながらも、先を続ける。
「お前は弱かった。それだけだ。罪とは違う」
晴の喉がひくりと動く。
新藤の目が、ほんの少し細められた。
「なら次は踏ん張れ。もう二度と、同じことで自分を責めなくて済むように」
「――」
その言葉が胸にしみた刹那、晴の唇が力なく震えた。
何か言い返そうとしたのかもしれない。
けれど結局、声にならない。
掠れた息がひとつ漏れ、次の瞬間にはもう小さな嗚咽に変わっていた。
「ぅ……」
晴は顔を覆う。
肩が小刻みに震える。
新藤も森田も、それ以上は何も言わなかった。
取調室には、しばらく晴の泣く声だけが響いた。
◇◆◇
時を一か月戻して、9月14日13時55分。
父を助けられなかった晴が、高台で呆然としている頃。
ことりは依然として激しい頭痛に苛まれていた。
宮永家本宅を出る時に持ち出した薬を口の中へ放り込み、チャンネルからの配信を続ける。
「まだ津波はこれからも高くなります。油断しないでください。それから――」
額に汗を滲ませながら、ことりは目の前を通り過ぎていく数多の予知の中から、被害が特に大きそうなものを優先して拾い上げていく。
「コンビナートが火事になるのが見えます。海沿いの工場です。敷地の入口に『東湾リファイナリー』の看板がある。タンクが何基も並んでいて、その中の二基……背が低くて太い、クリーム色のタンク。その間をつなぐパイプの継ぎ目のあたり。そこから、もうすぐ火が出ます」
あまりに具体的な指示だった。
宮永家の別邸には、まだかろうじてネットがつながっていた。
けれどそれも、いつ途絶えるか分からない。
だからことりは、可能な限りの危険を、早口で伝え続ける。
「それから堤防が崩れる映像が見えています。大きな川、橋が見える。地震で傷んだところに水圧がかかって、突然崩れます。津波じゃない。川の内側から来る水です。川沿いにいる人は、今すぐ離れてください」
「また見えました。病院です。白い建物。入口のロータリーに救急車が何台も停まっている。建物の一角――多分古い棟と新しい棟のつなぎ目あたりが、余震で崩れます。病院の名前までは分からなかった。でも近くにモノレールの線路が見えます。今後、被災者を受け入れる病院の方。建物の渡り廊下や昇降口を確認してください」
ことりが予知を発信するたび、コメント欄がすさまじい勢いで流れていく。
ことりん、ありがとう!
こっち関西だけど、関東の人、がんばれ!
みんな助かること祈ってます!
コンビナートの職員、早く動け!
まだまだ大きな揺れ、来そうだよね
とりあえず拡散しまくろうぜ!
大地震が的中したことで、被害を受けていない地域からの応援コメントも殺到していた。
すでにこの時、視聴者の多くがことりの予知を信じていた。
同時刻。湾岸のコンビナート付近でも、すぐに爆発事故対策が取られる。
「緊急停止の手順に入るぞ、急げ!」
そう現場で叫んだのは、東湾リファイナリーの設備主任だった。
机に図面を広げ、先月の点検で発覚していたフランジの摩耗箇所を確認する。
ここで爆発が起きれば、辺り一帯が火の海になる。
作業員は自分たちの危険も顧みず、職務を全うしようと果敢に現場へ急行した。
内陸部の川沿いで、ある男は「また予知少女か」と最初は胡散臭く思っていた。
それでも拡散され続けるSNSの情報を見て、念のため川を観察する。
するといつもより水位が高い。濁り方も違う。橋のたもとには、毛布にくるまったホームレスたちが十数人いた。
「みなさん、移動しましょう。今すぐ」
男は声をかけて回り、彼らを避難させる。
そしてその判断が正しかったと、すぐに思い知ることになる。
数十分後、上流の堤防が決壊し、内陸から水があふれる二次災害が発生した。
またある病院のナースは、緊急コールの鳴り続ける中、窓の外を確認していた。
モノレールの線路。ことりの予知と一致する。築四十年の旧棟には今、廊下にまで患者が溢れていた。
「全員、新棟に移します」
「でも主任、今は満床です」
「廊下に寝かせるしかないわ。急いで!」
部下に指示を出す声が震えていた。
ナースはストレッチャーを押しながら、どうかせめて移送が終わるまでは余震よ来ないでくれと祈るしかなかった。
この日、関東を中心として発生した大地震は、あまりに多くの命を奪い、消し去った。
それでもその裏で、九死に一生を得た者たちが確かにいた。
そしてそこに、一人の少女の予知が大きく貢献したことは、やがて広く人々に知られることとなる。
――救世主。
それが感謝と畏れとともにことりへ贈られた、新しい呼び名だった。




