1話 少年A
星追警察署は高台にある。
海からは離れていないが、あの日の水はここまでは届かなかった。
そのおかげで署は今、警察署であると同時に、行き場を失った人々の受け皿にもなっていた。
廊下の壁には、所狭しと紙が貼られている。
走り書きの氏名。年齢。服装。最後に目撃された場所。
印刷された顔写真の横に、メモ帳を破っただけの紙切れが重ねられているものもあった。
探しています。
見かけた方は教えてください。
どうか、生きていて。
地震から一か月が過ぎても、署内はまだ家族を捜す人々であふれていた。
お昼を少し過ぎた頃、新藤衛は捜査一課の部屋の窓から外を見て、舌打ちした。
「……どこから漏れた」
署の前に、見慣れた中継車が何台も停まっている。
カメラを抱えた報道陣に、スマホをかざした野次馬。人数はまだ多すぎるほどではないが、この調子なら数時間後にはさらに膨れ上がる。
背後から、後輩刑事の森田が声をかけてきた。
「多分、これです」
差し出されたスマホの画面には、動画チャンネルのページが映っていた。
タイトルは『ことりのみらい★監視局』。
再生回数の数字が、秒単位で跳ね上がっている。
新藤が無言で受け取ると、森田が横から説明を足す。
「さっきの映像です。多分、あの少年が事前に流してました」
再生されたのは、夜の崖を映した粗い動画だった。
解像度は低く、暗さのせいで輪郭も曖昧だ。しかし少女を突き落とす瞬間だけは、嫌なくらいはっきりわかる。
画面の中の小柄な影。
風に揺れる長い髪。
そして闇へ消えていく身体。
新藤は眉間を押さえた。
動画のコメント欄は、もうひどい有様だった。
嘘だろ。
釣りだよな?
ことりんって、あのことりん?
殺されたってマジか。
警察なにしてんだ。
窓の外からも、ざわめきが風に乗って届いてくる。
「ことりんは本当に殺されたのか!?」
「日本を救った救世主だぞ!」
「まだこれから多くの人が助かったはずだろ!」
新藤は深く息を吐いた。
「宗教じゃねえんだから……」
ぼそりとこぼすと、森田が苦い顔で肩をすくめる。
「でも気持ちはわかりますよ」
「お前まで言うか」
「うちのばあちゃん、このチャンネルのおかげで早めに避難できたんです。半信半疑だったけど、念のためって。あれがなかったら多分……」
そこで森田は、一つ息を吐いた。
「新藤さんのとこだって、そうでしょう。……息子さん」
「……まあな」
新藤には別居中の妻と小学生の息子がいる。あの日、新藤もまた空野ことりの予知によって家族を救うことができた一人だった。
でもだからといって、仕事に私情を持ち込む気はない。
救われた人間がいることと、事件を事件として扱うことは別だ。
「身元は」
「判明してます。宮永晴。青南高校の二年生です。父親は市議会議員の宮永秀樹」
「……おいおい。よりによって議員様の息子かよ。面倒くせえな」
「しかもその宮永議員は今、行方不明中です」
「保護者不在ってわけか」
「はい」
厄介ごとに厄介ごとが重なっていた。
だがもっと厄介なのは、宮永晴本人だった。
自首してきた。
犯行映像まで持ってきた。
なのに肝心なことは何も話さない。
新藤はデスクの上の書類をつかみ、取調室へ向かった。
◇◆◇
宮永晴は、取調室の椅子に座っていた。
うなだれた背中は、高校二年生にしてはひどく薄い。
制服はきちんと着ているのに、なぜかぼろぼろの布切れみたいに見える。
――おいおい、まるで幽霊みたいじゃねえか。
そんな感想が、新藤の頭にふと浮かんだ。
ドアを閉める音にも、晴はほとんど反応しなかった。
新藤は向かいに腰を下ろし、必要な確認から始める。
氏名、生年月日、権利の告知、弁護人を依頼できること。
晴はうつむいたまま聞いていたが、弁護士の話になったところでだけ、はっきり首を振った。
「いりません」
「いるいらないを今決める話じゃない。呼べるって説明してるだけだ」
「呼ばなくていいです」
「宮永」
「救われようなんて思ってません」
その一言に、新藤は目を細めた。
やけになっている、というより、もっと深いところで諦めきっている目だった。
まだ若いくせに、何もかも終わった人間みたいな空気をまとっている。
新藤はしばらく黙ってから、椅子の背にもたれた。
「自分だけが不幸だとでも思ってんのか?」
晴がわずかに顔を上げる。
前髪の奥の目は、底が見えないほど暗かった。
「……まさか」
「外、見たか」
「……」
「家族を捜してる連中で署はあふれてる。今日もだ。昨日もだ。一か月ずっとだ」
「――」
「お前一人が特別じゃない」
「わかってます」
新藤は晴の顔を覗き込むように、大きく身を乗り出す。
「犯行場所は星追岬だな」
晴は小さくうなずいた。
「あそこは自殺の名所だ。潮の流れのせいで、遺体が上がらないことも多い。知ってて選んだのか?」
「もちろんです」
「じゃあ、なぜ殺した」
「……」
沈黙。
晴はまた口を閉ざした。
新藤は舌打ちしたい気分を押さえ込み、ポケットからスマホを取り出す。
画面に映したのは、『ことりのみらい★監視局』の過去動画一覧だった。
可愛い小鳥のマスコットキャラクターとパステルカラーの背景。
丸っこい目をした愛嬌のあるアイドル風アバター。
明るい声色で、明日の天気でも告げるように未来を語る配信。
最初に見た時、新藤は悪趣味だと思った。
こんな軽い見た目で、扱っている内容は人の生き死にに直結している。
新藤は画面を晴の前に向けた。
「本当に、この“ことりん”――空野ことりを殺したのか?」
「……」
「黙秘するならそれでもいい。こっちはこっちで調べる。こいつが何者で、お前とどうつながってたのか」
その時だった。
晴の口元が、ふっと歪んだ。笑ったのだと気づくまで、三秒ほど時間がかかった。
「調べられるものなら、調べてください」
「どういう意味だ」
「俺だって、彼女の本当の名前は知らないのに」
「……は?」
「言葉通りです。俺は彼女の住所も知らない。どこの高校に通ってるのか。家族は今どこにいるのか。どうやって生きてきたのかも、何も知らない」
「知らない相手を殺したのか?」
ぴくりと、晴のまつげが揺れる。
「……どうしてでしょうね」
自嘲するように、晴は笑った。
その表情は壊れかけたガラスみたいで、見ているほうがぞっとする。
「なんであの日、出会っちゃったのかな……」
「……」
新藤は何も言わなかった。
責め立てれば、また閉じる。
いま目の前にいる少年はそういう類の状態だと、長年の勘が告げている。
だから新藤は、机の上に置いたスマホの画面をそっと伏せた。
取調室の白い灯りの下で、晴の次の言葉を待つ。
やがて、途切れ途切れに。
本当に少しずつ。
少年Aの告白が、こぼれ始めた。




