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18話 大暴露



 晴は汗びっしょりになりながら、明日香の教室へ駆け込んだ。

 教室の中は妙にざわついている。何人もの生徒がスマホを手にして、ひそひそと声を交わしていた。


「地震ってマジ?」

「何それ、またデマ?」

「知らないの? 未来予知が当たるってチャンネル」

「でも関東全部って、さすがに盛りすぎじゃね?」


 そのざわめきの向こうに、明日香の姿があった。


「川成先輩!」

「宮永くん」


 明日香の手にもスマホが握られている。

 画面にはことりの配信動画。

 彼女の顔もまた、見てわかるほど青ざめていた。


「これ、本当なの?」

「嘘だったら、よかったんですけど」


 晴が答えた瞬間、明日香の視線がスマホへ落ちる。

 また一分、時計の針が進んでいる。

 今こうして言葉を交わしている時間すら惜しかった。


「とにかく全校生徒を避難させたいんです。放送、かけられますか」

「……」


 明日香は一瞬だけ考え込んだ。けれどすぐに、迷いを捨てたように顔を上げる。


「わかった。私に任せて」

「お願いします!」


 晴は頭を下げ、今度は陽葵に連絡を入れるためにスマホを取り出した。



 一コール。

 二コール。

 三コール。

 ……出ない。

 その頃、陽葵は熱に浮かされたまま、自室のベッドで深く眠っていた。



「くそ、何やってんだ、陽葵の奴……っ」

「出ないの?」

「俺、家まで行ってみます」


 そう言いかけた時、今度は逆に晴のスマホが震えた。

 表示された名前を見て、顔が強張る。

 父だった。


『晴、今すぐ一本松市民ホールまで来い』

「は!? なんでですか!?」

『例のチャンネルを見た。詳しい話を聞かせろ』


 いつもの一方的な口調。秀樹は晴の返事も聞かず電話を切った。

 命令する時だけ親らしい顔をする、その声に反射的な嫌悪が走る。

 けれど同時に、別の考えが頭をよぎった。

 父は市議会議員。もし本気で動けば、学校どころではない。もっと広い範囲に働きかけられるかもしれない。


「すみません。とりあえず先に市民ホールへ行きます」

「わかった。松木くんには私のほうからも連絡を入れてみる」

「お願いします」


 一度だけうなずき合い、晴と明日香は別方向へ走り出した。

 階段を駆け下り、下駄箱で靴を履き替えていると、後ろからばたばたと足音が迫ってくる。



「おい、晴! どこ行くんだよ!?」



 振り向くと、ガクトがそこにいた。

 息を弾ませながらも、どこか状況を飲み込めていない顔をしている。


「ことりのチャンネル見ただろ? お前も早く逃げろ!」

「え、マジでやばい感じ?」


 その時ガーッ、と耳障りなノイズが校内を走り、続いて放送が入る。



『皆さん、生徒会副会長の川成です。

 突然ですが今から一時間以内に関東に大地震がやってくるという情報が、現在ネット上で拡散されています。念のため、皆さんは速やかに裏山へ避難してください。

 繰り返します。念のため、裏山へ避難してください』



 その声の向こうで、教師の怒鳴り声が響いた。


『おい、川成! 何してるんだ!?』

『勝手なことを放送するな!』


 放送はそこでぶつりと途切れた。

 ガクトが、ひゅう、と口笛を吹く。


「先輩、やるなあ」

「のんきにしてる場合じゃないって!」


 晴は走り出しかけ、もう一度だけ振り向いた。



「お前も裏山に逃げろよ!」

「うん、わかったー。晴も気をつけろよー」



 こんな緊迫した場面だというのに、ガクトの顔には恐怖らしいものがなかった。

 ただいつものように軽く手を振って、晴を笑顔で見送ってくれた。




      ◇◆◇



 同じ頃。

 ことりと茉莉は、タクシーで高台にある別宅へ向かっていた。

 後部座席で茉莉はノートパソコンとスマホを行き来しながら、配信の反応を追っている。ことりの予知はすでに大手まとめチャンネルに拾われ、ものすごい勢いで拡散され始めていた。

 ことりは一度配信を切り、青白い顔のまま手元を見つめる。


「ごめん……三分だけ、中断していいかな」

「もちろん」


 ことりは震える手で、スマホの連絡帳を開いた。

 それは昨日まで勇気が出せず、押せずにいた『母』のボタン。



「あ……お母さん? わたし。お願い、今すぐ高台に逃げて」



 茉莉はなるべく会話を聞かないよう、わざと視線を窓の外へ流した。

 けれどスマホ越しの怒鳴り声は、嫌でも耳に入ってくる。



「だから違う、そうじゃなくて! いくらでも謝るから、今は言うこと聞いて! 大きな地震が来るの……もうすぐ。わたしの力、わかってるでしょ!?」



 信号待ちで止まった拍子に、運転手がルームミラー越しにちらりと二人を見た。

 地震、という言葉に、わずかに動揺しているようだ。

 茉莉は何も言わず、画面を見つめ続けた。

 SNSはもう予知を知った人々の不安が、大きく膨れ始めている。




 大地震来るって!?

 九州の俺、余裕でセーフ

 やばい、うちの子幼稚園なんだけど。今から迎え行くわ


 電気とかどうなる? 家族に透析患者いるんだけど

 関東の人は念のため高台に逃げて!

 めんどくさ。引きこもりの俺、むしろこの流れに乗って死にたい


 うちのじーちゃんと犬、避難タワーまで連れて行くわ

 一時間後に何も起きなければ、それはそれでいいじゃん?




 茉莉は流れていく文字列を目で追った。

 チャンネル宛てに、マスコミからの問い合わせも入り始めている。




 ××テレビ報道局です。詳しいお話を伺えますか。

 雑誌△△編集部です。緊急性の高い予知でしょうか。




 日本国内だけではなかった。

 拡散された情報は、言葉の壁を越えて海外にも飛び火していく。





 Japan in danger? (日本、ヤバそう?)


 Oh ! Mon pays préféré ! Que tout le monde soit sain et sauf, je t’en supplie ! (OH! 私の大好きな国よ、どうか皆さん無事でありますように!)


 그 나라의 원전은 괜찮습니까? (あの国の原発大丈夫かよ)


 Unglaublich! Wenn die Prophezeiung wirklich eintrifft, dann ist Kotori doch der Jesus Christus, der in der modernen Zeit erschienen ist!

(信じられない!もしこの予言が本当に実現するなら、ことりはまさに現代に現れたイエス・キリストだ!)


 不管怎样,一个小时后就能清楚她到底是骗子还是救世主了。

(どっちにしろ1時間後には、ペテン師なのか救世主なのかはっきりするよ)




 世界中が、半信半疑のまま画面を覗き込んでいた。

 その間もことりのAIアバターは、ネットの海で叫び続ける。




『みんな、早く高台へ逃げて! 大地震の後に津波が来る。大事な家族を守って!』




 切実な懇願だった。

 届いてほしいという、ただそれだけの。



     ◇◆◇



 晴は父に指定された一本松市民ホールへ向かって、全力で走っていた。

 走りながら街を見渡す。けれど避難しようとしている人はほとんどいない。

 登録者七万人。ネットではすごい数字でも、一般市民にとってはほとんど無名に等しい。

 まして『関東に大地震が来る』なんて話を、すぐに信じられる人間ばかりのはずがない。


「くそ……っ!」


 スマホを見る。

 時刻はすでに十三時を回っていた。

 あと四十分もない。

 運動不足のせいか、少し走っただけで息が切れる。

 それでも止まるわけにはいかなかった。



 四つ目の信号を渡ったところで、ようやく一本松市民ホールが見えてくる。

 ホールでは『市議会議員が語るこれからのまちづくり』と題したイベントが開かれていた。

 広場には出店が並び、家族連れや年配の市民たちが行き交っている。

 そしてあたりを見渡すと、ホール入口の看板脇に、父――秀樹が立っていた。


「遅い」

「父さん、急いで星追市全体に避難勧告を出してください!」


 晴は汗を垂らしながら、叫ぶように頼み込む。けれど秀樹は、まだ完全には信じていない様子だった。


「それで予知が外れたらどうする。俺の責任問題になるじゃないか。ネットのデマに踊らされた馬鹿な議員と笑われるのはごめんだ」

「まだそんなこと言ってるんですか!?」


 晴は思わず声を荒げた。

 だが秀樹はことりのチャンネル画面と、ネット上の異様な盛り上がりを見比べながら、別の計算を始めていた。


「いや。たとえデマでも、これだけ拡散されていれば話は別か」

「は? それはどういう……」

「“市民を守ろうとした議員”としての顔を見せることはできる、ということだ」


 秀樹の口元がにやりと歪むのを見て、晴は言葉を失った。


 こんな時にまで点数稼ぎか。

 たくさんの人が死ぬかもしれないというのに、この男の頭にあるのは選挙のためのパフォーマンスだけ。

 だが晴が苛立っている間にも、秀樹は素早く動いていた。

 五分後、星追市全体に緊急放送が流れ始める。



『こちらは星追防災です。本日ただいまより、特別避難訓練を実施いたします。

 これは実際の災害に備え、市民の皆様の迅速な避難行動を確認するための訓練です。

 繰り返します。これは訓練です。実際の災害ではありません』



 放送を聞いた市民ホールの人々が、ざわざわと顔を見合わせる。


「訓練?急に何?」

「でも市の放送だろ?」

「一応、行ったほうがいいのか?」


 ぽつぽつと、高台のほうへ動き始める人が現れた。

 “訓練”。

 それは、予知が外れた時のための保険だろう。

 秀樹はさらに秘書に拡声器を持ってこさせた。


「晴、手伝いなさい。市民の避難を誘導する。まさか嫌だとは言わないだろうな?」

「……」

「お前もいずれ、宮永家の長男として俺の地盤を継ぐんだ」

「そんな……こと――っ!」


 反射的に反論しかけて、晴は言葉を飲み込んだ。

 だめだ、今は違う。ここで父とぶつかることに意味はない。

 一人でも多く助かるなら、それでいい。



「……わかりました」






 そして避難訓練が始まる。

 秀樹はまるで正義の味方みたいな顔で、市民へ声を張り上げる。


「皆さん、落ち着いて移動してください!」

「ご高齢の方、子ども連れの方を優先して!」


 その横で、晴も声を張り上げた。

 急に声を出しすぎて喉に痛みが走るが、今は構っていられない。


「こっちです! 急いでください!」

「足元気をつけて!」


 しかし誘導は思い通りにはいかなかった。

 訓練だと言われて素直に従う者もいれば、怪訝そうにその場を立ち去る者もいる。

 逃げている人なんて、まだほんの一部だけ。


(全然足りない……!)


 晴は苦し気に唇を噛んだ。

 こんなに急いでいるのに、こんなに必死なのに、世界のほうがあまりにも目の前の危機に対し鈍感すぎた。


 ――『自分だけは大丈夫』


 その思い込みこそが、いわゆる正常バイアスという奴だ。

 頭ではわかっていても、実際に避難行動をとるのはこんなに難しい。

 それでも一人でも多くの人を動かさなければ、本当に手遅れになるのだ。







 一方その頃、ことりもまた晴と同じように焦っていた。

 祖父所有の別宅へたどり着くと、玄関を上がるのももどかしく、すぐに回線をつないだ。

 閉め切った奥の間には、古い畳の匂いがこもっている。

 茉莉はノートパソコンを立ち上げ、ことりはスマホを握りしめたまま配信を再開する。


『みんな、お願い。高台へ逃げて。大地震のあとに津波が来るの。まだ間に合うから』


 残り時間は、あと十分。

 画面の向こうでは、ぽつぽつと「避難したよー」「念のため高台向かってる」「家族連れて移動してる」といった書き込みも現れ始めていた。

 しかしそれでも圧倒的に足りない。現実味がなさすぎるのだ。

 どれだけ切迫した内容を口にしても、画面の中にいるのはアニメで作られたアイドル風のAIアバター。そのせいで命に関わる警告ですら、どこか“ネットの企画”や“バズ狙いの演出”みたいに受け取られてしまう。

 画面には軽い調子のコメントが流れ続ける。




 カウントダウンktkr

 今カップラーメンにお湯入れました。これが出来上がる頃に地震来るかな

 つか有名な予言なんて当たった試しないし

 AIアバターで言われてもなあ……




「もう、今避難すれば助かるのに! なんでこういう時だけみんな妙に楽観的なの……!」


 ことりの横で茉莉も、歯がゆそうに机を叩く。

 ノートパソコンの画面には、拡散数が跳ね上がり続けていた。

 聴者もコメントも増えている。数字だけ見れば、とんでもない勢いだ。

 なのに人はまだ動かない。

 ことりは画面を見つめたまま、ふっと息を止めた。



 このままじゃだめだ。

 どれだけ叫んでも、AIアバターでは届かない。

  画面の向こうの人たちに、本物だと伝えるには――



「マリリン、ごめん」

「え?」



 次の瞬間、ことりは配信画面からAIアバターを消した。

 そしてスマホのカメラを自分へと向ける。


「ちょ…、ちょっと待って、それはさすがにやばいっ!」


 茉莉が止めようと手を伸ばした時には、もう遅かった。

 ネットの画面いっぱいに、ことり自身の顔が映し出される。


 青白い頬。

 汗で張りついた髪。

 それでも画面の向こうをまっすぐ見つめる、大きく揺れる瞳。

 飾りけのない、ただの一人の少女の顔だった。


 コメント欄の流れが、一瞬だけ止まる。

 ことりは震える手でスマホを支えながら、掠れた声で言う。



「皆さん、初めまして。わたしが――空野ことりです」







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