表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/22

16話 1日前

 


 楽しかった夏休みは終わり、季節は新学期へと移っていた。

 九月十三日。晴の誕生日から、もう二か月が経っていた。

 空は高く澄んでいて、吹き抜ける風にはまだ少しだけ夏の名残がある。けれど蝉の声はもう盛りを過ぎて、どこか遠くなっていた。






「宮永くん」


 昼休み。教室の後ろの扉の方から、涼やかな声が飛んできた。

 晴が顔を上げると、そこには明日香が立っていた。窓から差し込む午後の光が眼鏡のレンズに反射して、一瞬だけ表情が読めなくなる。


「川成先輩。どうしたんですか?」

「松木くん、今日お休みなの?」


 言われて、晴はスマホを取り出す。


「なんか優愛ちゃんから、プール熱?とかいうのうつされたみたいで」


 メッセージ画面を見せると、そこには陽葵から送られてきたやりとりが表示されている。



『優愛は症状軽くてすぐ完治したのに、俺、死んだ』



 添付された画像には、38.4℃を示す体温計。


「……本当に死にそう」

「多分今週いっぱい潰れてるかと」

「仕方ないわね」


 ため息混じりの返事。けれど晴は、その言い方が以前より柔らかいことに気づいて、思わずニヤニヤしてしまう。


「な、何よ」

「いや。いい奴でしょ、陽葵」

「……」

「軽そうに見えて、実は芯がしっかりしてるし。面倒見もいいし、気も回るし」


 晴はなぜか親友の長所を力説し始めた。

 明日香の頬がほんのり赤くなる。


「……わかってるわよ、そんなこと」

「ならよかった」


 晴がうなずくと、明日香はばつが悪そうに踵を返した。

 そしてそのまま去っていくかと思われたが……。

 数歩歩いたところで立ち止まり、神妙な顔で振り返る。



「宮永くん、松木くんに感謝しなさいよ」

「……は?」



 あまりに唐突な言い分で、間の抜けた声が出る。

 明日香の意図がまるで見えなくて、晴は首を傾げた。


「いくら感謝しても、し足りないくらいでしょ」

「そりゃ……まあ」


 確かにこんなに長く腐れ縁を続けてくれる友達なんて、そうそういない。

 昔からずっとそばにいて、気楽で、くだらないことで笑えて、でも必要な時にはちゃんと隣にいてくれる。

 改めて言われると、陽葵ってかなり貴重な存在なのかもしれない。


 対する明日香は、それ以上何も言わなかった。

 何かを飲み込むように唇を結び、「じゃ」とだけ残して、今度こそ足早に去っていく。

 晴はその背中を見送りながら、思わず眉をひそめた。


(なんなんだ、今の間……)


 言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに。

 そう思うのに、明日香のあの表情が妙に引っかかった。うまく言葉にできない違和感だけが、胸の奥に小さく残る。



 その時、スマホが震えた。

 画面を見ると、ことりからメッセージが届いている。



『ごめん、晴。帰りに薬もらってきて』



 短い文面だった。




     ◇◆◇




 その頃宮永家では、ことりがまた頭痛に悩まされていた。

 リビングでは茉莉がノートパソコンを開き、チャンネルの管理画面とにらめっこしている。

 明日香の忠告を受けて、最近は未来予知と直接関係のない雑談や、あえてハズレの予知も混ぜて投稿するようにしている。しかしそれで視聴者の熱が冷めるどころか、むしろ注目は高まる一方だった。




 ことりん、応援しています!

 宝くじってどこで買えば当たりやすい?

 事故とか死に関する予知ばっかりだけど、明るい未来とかは見えないの?




 流れていくコメントを見ながら、茉莉はことりを振り返った。


「未来予知の代償とはいえ、頭痛の頻度、多すぎだね」

「ダイジョブ。薬飲めば」


 ことりはそう言って、救急箱の中に残っていた最後の一錠を取り出した。水で飲み込み、空になったシートを見下ろしてから、ソファへ身を預ける。

 けれど今日はいつもより効きが悪いのか、それとも単純に限界が近いのか。



「……なんか、だる」



 背もたれにもたれたまま、きつそうに目を閉じた。


「一回ちゃんと病院で診てもらった方がいいよ」

「……うん」

「ことりちゃんが病院嫌がる理由もわかるけど」


 茉莉の一言に、ことりのまぶたがぴくりと動く。

 病院。診察。問診。名前。住所。保護者。

 そういう言葉の先にあるものを想像するだけで、胃の奥がきりきりした。

 茉莉は少し迷うように視線を落として、それからぽつりと続ける。



「それと、こんな口出しするのもどうかと思って黙ってたけど……一度ちゃんとお母さんに連絡を取った方がいいと思う」

「え」

「たった一人の家族、なんだよね?」

「……」



 答えられなかった。

 母。

 その存在を思い出すだけで、自然と体が竦んでしまう。

 ことりが黙り込んだのを見て、茉莉は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「聞かれたくないことだってわかってるよ。本名とか、本当の住所とか。まだあたし達が知らないこと、いっぱいあるもんね」

「マリリン……」


 ……そう。今まで晴も茉莉も、無理やりことりの素性を暴こうとはしなかった。

 知りたくないはずがないのに。聞きたいことなんて、きっと山ほどあるはずなのに。

 それでも何も言わず、ここにいていいと言ってくれた。

 それは二人の優しさだ。

 ことりはその優しさに甘え、どっぷりぬるま湯に浸かっている。


「いいんだよ、わかってる。あたし達を信用してないわけじゃないって」

「……うん」

「話したくなった時に話してくれればいいよ」


 ことりは何も返せなかった。

 返したら泣きそうだった。

 茉莉はそれ以上追及せず、再びパソコンへ向き直る。

 ことりはしばらく黙ってその横顔を見ていたが、やがて小さく口を開いた。


「……ありがと、マリリン」

「うん?」

「そんなに長くは……待たせないと思う」

「そっか」


 茉莉はそれだけ言って、振り向かずに少しだけ笑った。

 ことりはスマホを手に取る。

 連絡先一覧の中にある、『母』の文字を開く。

 たった二文字なのに、ボタンを押そうとすると指先が冷たくなる。


「……っ」


 ことりは結局、スマホを閉じた。

 まだ最後の勇気が出なかった。




     ◇◆◇




 放課後、晴は宇崎医院へ向かった。

 ことりの頭痛薬をもらうだけだ。すぐに済むそう思っていたのに、医院の前まで来たところで足が止まる。見覚えのある黒塗りの公用車が停まっていた。


(父さん……)


 条件反射のように、手のひらにじっとりと汗が滲んだ。

 そしてちょうどその時、医院の玄関から父・秀樹が秘書を連れて出てきた。後ろには宇崎もいて、にこやかに見送りに出ている。


「助かるよ、宮永。お前のおかげですんなり土地も借りられた」

「市としても、遊休地を放置しておくメリットはないからな」


 秀樹は淡々と答える。


「……その代わり、頼むぞ」

「わかってる」


 何の話をしているのかはわからない。

 けれど二人の間には、いかにも同級生らしい親し気な空気が流れていた。

 ふと視線を動かせば、医院の前には新しい看板も立っている。



『医院移転のお知らせ  宇崎医院が新しく生まれ変わります!』



 明るい色使いのポップなデザインが、今はなぜか鼻についた。


「やあ、晴くん」


 宇崎がこちらに気づき、人のいい笑みを浮かべた。秀樹もそれにつられるように振り返る。外向きの顔だ。人前では、ちゃんと穏やかな父親を演じる。


「また薬かい?」

「……はい。もうなくなっちゃって」

「わかった。少し多めに処方しよう」


 宇崎はそう言って医院の中へ戻っていく。

 その背中を見送った後、秀樹がちらりと晴を見た。


「晴、聞きたいことがある」

「……はい」

「この前の、あの女子高生……」


 父はスマホを取り出し、画面を晴に向ける。

 そこに映っていたのは、ことりのチャンネルだった。


「もしかしてこれに関係あるか」

「……っ、どうして……」


 声が裏返りそうになるのを、どうにか押しとどめる。

 秀樹は秘書から少し距離を取り、晴だけに聞こえるよう声を落とした。


「星追市に関する予知が多いと、市民から問い合わせが来てな」

「信じてるんですか、こんなお遊びみたいな動画」


 晴は必死で何でもない風を装った。

 信じるな。どうせインチキだと軽く聞き流せ。

 だが秀樹はそんな晴を馬鹿にするかのように、鼻で笑った。



「信じる信じないはどうでもいい。利用できるものは利用する。何かあったらすぐ俺に知らせろ」



 その言い方に、また目の前が暗くなる。

 父にとってことりもまた、ただの“使える道具”なのだ。


「いやだと言ったら?」

「思い上がるな」


 秀樹の目が冷たく細められる。




「お前は死んでも、宮永の家からは逃げられない」




 まるで古い傷口に、鋭利な刃を押し込まれたようだった。

 父はそれだけ言い残し、秘書を従えて公用車へ向かった。

 ドアが閉まる音、エンジン音、静かに遠ざかっていく車体。

 全部が現実感を伴わないまま、耳だけに残る。


 晴はしばらく、その場から動けなかった。

 もう平気だと思っていた。

 父の支配なんて少しずつ振りほどけていると思っていた。

 ことりや陽葵達と過ごすうちに、自分は前より自由になれたのだと、どこかで淡い期待を抱いていた



 なのに――



 やはりまだ自分は父の呪縛の中にいる。

 その事実だけが、重く心に圧し掛かる。



 晴は医院の前で立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ