14話 乗り越えるべき影
宮永晴が星追署に現れてから、数日が過ぎていた。
その間に晴の供述調書は厚みを増し、空野ことりという少女の輪郭は、少しずつ形を持ちはじめている。
その日、出勤してすぐに、新藤に電話の着信があった。
スマホの向こうから、激しい泣き声が聞こえてきた。
『お父さん、ことりんを殺した奴なんてやっつけちゃってよ!』
空野ことり殺害のニュースを見て、大ファンだった健太は相当なショックを受けているようだ。新藤は煙草をふかしながら、ぼりぼりと頭を掻く。
「とにかくお父さんしばらく忙しいから。お母さんのこと、頼んだぞ」
『うん……』
先日ようやく、妻と健太は避難所を出て、県外の親戚のもとへ移った。
またしばらく別居は続く。けれど以前ほどの悲壮感はなかった。
それもこれも、空野ことりの予知がきっかけだった。
「……まさか、関わることになるなんてな」
捜査本部の椅子にもたれながら、新藤は低く呟いた。
助けられた側の人間が、今はその少女を殺したという少年と向き合っている。
胸の奥に、暗いものがじわりと広がった。
◇◆◇
「さて、今日もよろしくたのむな」
新藤は宮永晴に挨拶して、椅子に腰を下ろした。晴は今日も相変わらず青白い顔のまま、どこか遠くを見ている。
確か昨日は空野ことりがSNSに登場し、華々しく活躍し始めたところまで聞いた。
しかし肝心なのはここからだ。
「それでお前達、チャンネルが軌道に乗ってからどうした?」
「えと……そうですね……」
晴は口を開きかけて、次の瞬間、顔をしかめた。
「……っ」
ふと辛そうに、右手でこめかみを押さえる。
「おい、大丈夫か?」
「すいません、何か薬……」
「森田」
「はい!」
森田が慌てて立ち上がり、取調室を出ていく。
その間も晴は眉間に皺を寄せたまま、浅い呼吸を繰り返していた。
「持病の片頭痛です。たまに……出るんです」
以前の供述でも、そんな話があった。
そしてその言葉は、新藤の中で妙に引っかかった。
頭痛。
ことりも確か、予知の前後に強い頭痛を訴えていた。
(何か関連性があるのか?)
そう訝しんでいる間にも、晴の自供は静かに続く。
「チャンネルの登録者数が一気に伸びて、正直俺達浮かれてました」
「でも忘れた頃に、あいつがやってきたんです」
◇◆◇
暦はすでに夏休みに入っていた。
夜。宮永家のリビングでは、茉莉がスイカを片手に、ふふふとご満悦だった。
テーブルの上にはノートパソコンが開かれ、その画面には『ことりのみらい★監視局』のチャンネルページが映っている。
「もうすぐ登録者数一万人突破しちゃうかも。大台だよ、大台!」
「マリリン、鼻息荒すぎ」
「だって開設してから半月ちょいでここまで伸びるなんてすごいよ! 大バズりだよ!」
「それが目的じゃないって言ってたくせに」
呆れながらも、ことりはどこか嬉しそうだった。
晴も同じだ。注目されること自体が目的ではない。けれど多くの人に知ってもらえれば、その分助けられる命も増えるかもしれない。
そんな希望が、少しずつ形になり始めていた。
だがそんな平和な空気を一蹴するかのように、玄関モニタからポン、と音が鳴った。
リビングの窓の向こうで、門がリモートで開く。
続いて、車のヘッドライトが差し込んだ。
晴の体がぴたりと固まる。茉莉の顔から、みるみる血の気が引いた。
「……父さん」
「ことりちゃん、隠れてて!」
茉莉が反射的に叫ぶ。
「でも……っ」
ことりは晴を見た。晴はきゅっと唇を噛んでから、無理やりうなずく。
「俺は大丈夫だから。絶対出てくるな。叔母さんも」
「う、うん……」
茉莉はことりの腕を引き、急いで二階へ上がる。
玄関が開く音。晴は拳を強く握りしめたまま、ひとりで廊下を歩いた。
「……おかえりなさい」
玄関にはイライラした様子を隠そうともしない父が、立っていた。
◇◆◇
父の書斎で、晴は吹き飛ばされた。
頬に焼けるような痛みが走ったかと思った次の瞬間、背中が書棚にぶつかる。本が何冊もばさばさと床に落ちた。
「どいつもこいつもバカばかりだ!」
父・秀樹は机の上の新聞や書類まで、乱暴に床へ払い落としていく。
「みんな俺の言うことを聞いてればいいんだ! くそ……くそっ!」
今日も荒れている。
けれど晴は殴られながらも、どこか冷静だった。
以前なら父の機嫌が悪いとわかった瞬間に、頭が真っ白になっていた。
何も考えられず、ただ嵐が過ぎるのを待つだけだった。
でも。
「……もう、やめませんか」
晴は床に手をついたまま、ぽつりと呟いた。
秀樹の動きが止まる。
「……何?」
「こういうの、もうやめてください」
自分でも驚くほど、声は冷静だった。
それは晴にとって、生まれて初めての反抗。
今まで父に逆らおうと思ったことなんて、一度もない。
逆らう前に心のほうが折れていたからだ。
けれど今は違う。
ことりが自分の呪いみたいな力さえ、人のために使いたいと願っているのなら。
自分はそんなことりを支えられる人間でいたい。
――強く、なりたい。
「ずいぶん生意気な口を利くようになったものだな」
秀樹の顔が、ゆっくり歪む。
次の瞬間には、襟元をつかまれていた。
容赦のない平手打ちが、今度は反対の頬に飛んでくる。
「お前もあの女と同じだ! 俺をバカにしやがって……!」
暴力はさらに激しくなった。
何度も押し倒され、殴られ、蹴られ、晴は腕で頭をかばうしかない。
二階の廊下では、ことりと茉莉が息を詰めていた。茉莉は必死にことりの肩を押さえる。
「だめ! 今行ったら……!」
「でも……っ」
その時だった。
ことりの目の前で、ひとつの閃光が走った。
生々しい映像が、洪水のように脳内に流れ込む。
晴が突き飛ばされる。
ぐらりと体が揺れ、机の角に頭を打ちつける。
後頭部から流れだす真っ赤な血。
驚愕に見開かれた瞳と、動かなくなる体。
鮮やかなほどはっきりとした――死の映像。
「ことりちゃん!?」
茉莉が止めるより早く、ことりは駆け出していた。
階段を飛び降り、廊下を走り、書斎の扉を勢いよく開け放つ。
「やめろ! ……この人殺しっ!」
ことりは必死の形相で秀樹に体当たりした。晴の前に割って入り、その肩を抱くようにしてかばう。
「しっかりして!」
「バカ、隠れてろって、あれほど……」
「なんだ、この女は!?」
秀樹はさらに激高した。だがことりはまっすぐ睨み返す。
「一度だけじゃ飽き足らず、二度も晴を殺す気か!?」
「なっ……!?」
「絶対させないから!」
「赤の他人が口を出すな!」
秀樹の手がことりへ伸びる。晴は素早くその間に入った。
「やめろ、ことりに触るな!」
そして父を威圧するかのように手首をつかむ。ぎりぎりと強く締め上げられ、秀樹はうめいた。
「は、放せ、晴!」
「放しません。ことりに暴力をふるわないと約束してくれるまでは」
「誰のおかげでこんないい暮らしができると思ってるんだ!?」
成長した晴にとって、父を力で抑えることは、もう不可能ではなかった。
今までやらなかっただけだ。できないと思い込んでいただけで。
父は顔を真っ赤にして、無理やり腕を振りほどこうとする。
その時、後ろから甲高い声が響いた。
「それまでだよ! もうやめて、お兄ちゃん!」
茉莉だった。
いつの間にかスマホを構え、秀樹が晴に暴力をふるう瞬間を画面に収めている。
「茉莉、お前……!?」
「それ以上、晴くん達を傷つけるなら、今すぐネットにばらまくよ!」
茉莉の脅しに、う、と秀樹の顔が引きつる。
「そ、そんなもの、捏造だといくらでも……」
「実の妹がばらまくんだよ? これ以上の信ぴょう性ってないよね? お兄ちゃんの後援会の会長さん、スキャンダルをとことん嫌う人じゃん!」
「……っ! くそ……!」
急所を突かれて、秀樹の顔が悔しさでぐしゃりと歪む。
さすがに分が悪いと悟ったのか、そのまま晴の手を振り払い、速足で書斎を出ていく。
廊下を荒々しく踏み鳴らした後、少しして車が勢いよく走り去る音が聞こえた。
その音が完全に遠ざかるまで、晴も、ことりも、茉莉も、その場から動けなかった。
「……もう完全に出ていったみたい」
たくさんの本が床に落ちた書斎の真ん中で、茉莉がようやく緊張を解く。
「大丈夫? 晴くん、ことりちゃん」
「わたしは大丈夫。それよりも晴が」
「救急箱持ってくるね!」
茉莉が慌ててリビングへ走っていく。
静かになった書斎で、晴はその場に座り込んだまま、ふっと笑った。
「……ははっ」
「何笑ってるの? ホントに心配したんだから!」
「いや……俺にあんな力あるなんて、思わなくて」
晴は自分の両手をじっと見た。
自分のためではなく誰かを守るためなら、あんなふうに力が出るんだ。
そう思うと、なんだか誇らしかった。
「ありがと、ことり。またことりに救われた」
「当たり前だよ。ウザがられても、何度だって助けてやるんだから!」
ことりは涙目のまま、晴の顔を間近で覗き込んだ。
晴は目を眇め、小さくうなずく。
「だったら俺も、いつかお返ししなきゃな」
「え……」
「ことりが本当に辛い時は、俺が助ける」
「晴……」
「約束する」
そう言って、晴は小指を差し出した。
ことりは少しだけ躊躇ってから、そっとその指に自分の小指を絡める。
二人の指が、細く、固く結ばれる。
そのぬくもりを感じながら、ことりと晴はもう一度微笑みあった。
でもこの時交わした約束が、やがて二人にとって別の重さを持つことになるとは、まだ思いもしなかった。




