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11話 ことりのみらい★監視局

 


 最初に目を覚ましたのは、朝焼けの光のせいだった。

 薄いカーテンの隙間から差し込む橙色の光が、閉じたまぶたの上をじんわりあたためる。晴はぼんやりと意識を浮上させて、それからひどく体が痛いことに気づいた。


(……あ)


 重たい瞼を持ち上げると、見慣れたことりの部屋が薄明るい朝の色に染まっていた。 

 そうだ。昨日の夜、あのあと三人で泣いて、そのまま――

 床に座りベッドにもたれかかっていた晴は、左肩にやわらかな重みを感じる。


「……っ」


 ことりが自分に寄りかかったまま、すやすや眠っていた。

 頬にかかる髪。閉じたまぶた。少しだけ開いた唇。

 寝息が聞こえる距離に、ことりがいる。

 汗が出る。

 眠気が一気に吹き飛んだ。


(ち、近っ……)


 心臓がどくん、と大きく跳ねる。

 変に動いたら起こしてしまいそうで、晴は固まるしかなかった。


 床に目をやると、予想通りというか何というか、茉莉が部屋の真ん中でうつ伏せの大の字になっていた。髪はぐしゃぐしゃで、口も半開き。しかも小さくいびきまでかいている。あまりの羞恥心のなさに、少しだけ笑いがこみ上げる。

 その振動が伝わってしまったのか、肩に乗った重みがもぞりと動いた。


「……ん」


 ことりのまつげが小さく震えて、ゆっくり目が開く。

 寝ぼけたまま視線をさまよわせた後、ことりはようやく自分が晴にもたれていることに気づいたらしい。


「……おはよ、晴」

「お、おはよ……」


 ぎこちない挨拶だった。

 近い。近すぎる。

 なのに離れたほうがいいのかどうかもわからない。

 ことりがもぞもぞと体を起こしかける。

 その肩が一瞬、晴の肩から離れそうになって、なぜか少しだけ惜しい気がした。

 一緒に住み始めてからそれなりに近くで過ごしてきたはずなのに、こんなふうにぴったりくっついているのは初めてだった。

 ことりはまだ少し眠たそうな顔のまま、ぽつりと呟く。


「ありがとね、晴」

「……何が」

「いっぱい泣いたら、なんかすっきりした」

「……うん」


 短く返すのがやっとだった。

 ことりは少しだけ笑う。

 昨日までの無理に取り繕う笑顔じゃない。

 泣き腫らした後の、力の抜けたやわらかい笑みだった。



「あとさ」

「ん?」

「少し……かっこよかったぞ」

「――っ!?」



 晴は、ごほごほと思いきりむせた。

 自分でもわかる。

 きっと今、顔が真っ赤になっているに違いない。


「な、何だよ、それ」

「何って、そのまんまだよ」


 ことりはいつものように茶化すでもなく、まっすぐに晴を見ていた。

 その視線が妙にくすぐったくて、まともに見返せない。

 気づけば晴は、ことりの手をそっと握っていた。



「え」

「……あ」



 自分でやっておいて、自分が一番驚く。

 ことりの手は小さくて、指先はひんやりとしていた。

 でも握っているうちに、じんわりと体温が移っていく。

 ことりは目を見開いたまま、何も言わなかった。

 晴も何を言えばいいのかわからない。

 ただ見つめ合ったまま、変に手を離すこともできずにいた。

 部屋の空気が、朝の光ごとふわりと甘くなる。

 その時だった。



 ――ばふんっ!!



 とんでもなく景気のいい音が、床のほうから響く。


「!?」

「!?」


 豪快なおならを炸裂させた茉莉は、うつ伏せのまま数秒ぴくりとも動かなかった。

 が、やがて「んん~~……」と低くうめきながら、のろのろ顔を上げる。


「はぁー……よく寝た……お腹空いた……」


 そして寝ぼけ眼のまま起き上がり、何事もなかったかのようにふらふら部屋を出ていく。


「…………」

「…………」


 数秒の沈黙の後、先に吹き出したのはことりだった。


「っ、ふ、ふふ……!」

「ははっ」


 こぼれだした笑い声が、昨日までの重苦しさをきれいに押し流していく。

 ことりはパッと素早く立ち上がった。



「ごはん、食べよっか!」



 その笑顔が明るくて、晴は少しだけ見とれた。



     ◇◆◇



 朝食を食べて、制服に着替えて、鞄を持つ。

 いつもの朝のはずなのに、昨日までとは何かが少し違って見えた。

 玄関で靴を履いていると、ことりが廊下の向こうからひょこっと顔を出す。


「晴」

「ん?」

「いってらっしゃい」

「……いってきます」


 なんだかくすぐったくて、晴は顔を背けるようにして玄関を出た。

 ところが門を開けたところで足が止まる。ことりがわざわざ見送りに来ていたのだ。


「別についてこなくていいよ」

「いいじゃん。見送りたい気分なの」


 ことりは悪びれもせず、ひらひらと手を振る。

 晴も小さく手を振り返し、歩き出す。

 けれど何となく気になって、数歩先で振り返った。

 ことりはまだそこにいた。

 門の脇で、ずっと手を振っている。


 また少し歩く。

 もう一度振り返る。

 まだ手を振っている。

 さらに数歩。

 また振り返る。

 やっぱりまだいた。


「もー、急がないと遅刻するよ!」


 威勢よく飛んできた声に、晴は思わず笑ってしまう。


「わかってる!」


 そう返して、ようやく走り出した。

 朝の空気を切って走りながら、ふと思う。

 家に帰れば、ことりがいる。

 そんな当たり前みたいなことが、どうしようもなく嬉しかった。



     ◇◆◇



 その日、茉莉は昼過ぎからずっと自分の部屋にこもっていた。


 ことりが最初に様子を見に行った時は、「今ちょっと手が離せない!」とだけ返ってきた。

 二度目にのぞいた時は、「あと少しだから!」と叫ばれた。

 三度目、夕方が近くなってから、ことりはさすがに心配になってお茶を淹れ、部屋の前まで持っていった。


「マリリン? 何やってるか知らないけど、少し休憩しよ?」


 パソコンが数台フル稼働する中で、茉莉が勢いよく万歳した。


「できたーーー! ことりちゃん、見て見て!」


 派手に手招きされて、ことりはおそるおそるモニターをのぞき込む。


「……え?」


 画面の中にはアイドルみたいに可愛くデフォルメされた少女が映っていた。

 丸い目。さらさらの髪。きらきらした衣装。

 しかもよく見ると顔立ちがほんのり自分に似ている。

 そのアバターが、くるりと回ってポーズを決めた。




『わたし、空野ことり! あなたの未来をばっちり予知しちゃうぞ★』

「…………」




 ことりの目が点になった。


「なにこれ」

「ふっふっふ。スーパーことりちゃんAIアバターです!」


 茉莉がノリノリでキーボードを叩くと、アバターが今度はウインクして両手でハートを作った。


『危ない未来は、ことりにおまかせっ♪』

「やめて。なんか恥ずかしー!」

「えー、超自信作なんだけどなー!」


 ことりが引きつった顔で画面を見つめていると、茉莉の鼻息が荒くなった。


「これ、最近流行ってるんだよ。AIアバターチャンネル。略してアバチャン。喋らせたり動かしたり、配信したり、何でもできるの」

「へえ……。でも何で急にこれ?」


 その問いに、茉莉は一瞬だけ真面目な顔になる。


「だってことりちゃんの予知、もったいないなって思って」

「もったいない?」

「うん。今までことりちゃん、一人で抱えて、一人で走って、一人で苦しんできたんでしょ」

「……」

「未来を見ることは、あたしにはできない。でも見えたものを届ける仕組みなら作れるかもしれない。ことりちゃんの声が届けば、助かる人がいるかもしれないじゃん」

「マリリン……」


 ことりはさっきまでのふざけた気分が、少しずつ静まっていくのを感じた。

 モニターの中では、自分そっくりのアバターがまた可愛いポーズをとっている。



『あなたの未来をばっちり予知しちゃうぞ★』



 いや、やっぱり胡散臭い。ものすごく胡散臭い。

 でもそこに込められた想いだけは、痛いほど伝わってきた。



     ◇◆◇



「ことりのみらい★監視局?」


 夕方、学校から帰ってきた晴は、パソコンの画面を見て思いきり眉をひそめた。

 リビングのテーブルにノートパソコンが置かれ、その横で茉莉がやたら得意げな顔をしている。


「……なんだこれ」

「マリリンが作ってくれた」

「え、叔母さんが?」

「今はAIが何でもやってくれる時代だよー」


 茉莉がどや顔でキーボードを叩くと、AIアバターが『みんなー、ことりだよー!』と明るく手を振った。

 けれど面白がるより先に、どうしても不安のほうが勝ってしまう。


「いや、こんなの普通信じないだろ」


 そう。そこが一番の問題だ。

 未来予知だなんて、どう考えても怪しい。

 世の中にはスピリチュアルだの予言だのを語る動画なんていくらでもある。その中にこんなものを放り込んで、本気にする人間がどれだけいるのか。


「それに予知だって好きな時に見えるわけじゃないんだろ」

「うん。自分じゃコントロールできない。立て続けに見える時もあるけど、一週間とか、下手したら一か月くらい何も見えない時もあるし」

「ほら」

「でも見えた時だけでも流せたら意味あるじゃん」


 一方、チャンネルを制作した茉莉は、どこまでも真剣だった。


「別に収益化したいとか、バズりたいとか、そういう話じゃないの。ただことりちゃんの予知を発信するだけ」

「……」

「今までってさ、ことりちゃん一人で動くしかなかったでしょ。でもそれだと、どうしても助けられる範囲に限界があるじゃない」


 茉莉はそう言って、ことりのほうを見る。


「知らない土地の、会ったこともない人にだって、ネットなら届くかもしれない」


 ことりは黙って聞いていた。晴も何も言い返せなくなる。

 確かに怪しい。

 こんなチャンネルを作っても、誰にも信じてもらえないのが関の山だ。

 でももし一人でも、たった一人でもこの情報で助かる人がいるなら――

 ことりは、ゆっくり口を開く。



「……わたし、やってみたい」

「ことり」

「今まで誰かが死ぬ映像が見えても、全然助けられなかった」



 ことりの声は静かだった。けれど芯がある。


「でもこれなら助けられる可能性が広がるよね?」

「それは……そうだけど」

「だったらやってみたい」


 晴はもう一度正面からことりを見た。

 昨日まで、自分の力を“呪い”だと言っていた顔とは少し違う。

 怖さはまだ残っている。迷いもきっとある。

 それでも前を向こうとしている顔だった。


「大丈夫。あたしと晴くんが一緒に手伝うから」


 茉莉のその一言が、決定打になった。

 ことりの目がじんわり潤んだかと思うと、次の瞬間には勢いよく茉莉に飛びついていた。


「マリリン、愛してるぅ!」

「わっ、ちょ、ことりちゃん苦しい苦しい!」


 茉莉がじたばた暴れる。

 その様子に晴は思わず苦笑した。

 完全に不安が消えたわけじゃない。

 むしろ心配はまだいくらでもある。

 けれどことりの意思を尊重してやりたかった。


「でもさ……」


 ただチャンネルを始めるのに際し、ひとつだけ引っかかることがある。


「さすがに空野ことりって名前そのまんまはまずくない?」

「あ」


 茉莉が固まった。


「そ、そうだね、さすがに本名は……」

「本名じゃないよ」

「え?」

「ことりって、晴がつけてくれた名前だもん」

「えええーーっ!?」


 茉莉の絶叫が、部屋中に響き渡る。


「あれ? 知らなかった?」

「知らないよ!? え、なに、どゆこと!?」


 茉莉が目を丸くして、晴とことりを交互に見る。

 ことりは少しだけ照れたように笑った。


「最初に会った時、名無しだと不便だからって、晴が」

「え、ちょっと待って、初耳なんだけど。何その大事な話!」


 茉莉が食いつくが、ことりは構わず続けた。


「だから、このままでいい」

「ことり」

「晴がくれた名前だから。わたし、この名前で頑張りたい」


 迷いなくそう言われて、晴は言葉を失う。

 ことりの覚悟の強さが、まっすぐ伝わってきた。


「……わかった。じゃあ、その名前でやれよ」

「うん!」



 そうして意気揚々と、三人でノートパソコンを囲む。

 ことりは少し緊張したように画面を見つめ、それからぽちっとボタンを押した。

 次の瞬間、『チャンネルが作成されました!』という画面に切り替わる。


「……うわ、できちゃった」

「マジで?」

「いよいよスタートだよ!」


 できたばかりのチャンネルには、当然まだ何もない。

 閲覧数ゼロ。コメントゼロ。登録者ももちろんゼロ。

 けれど画面の中では、アイドル風のAIアバターが勝手に元気よく手を振っている。


 こうして『ことりのみらい★監視局』は、大きな期待と不安を抱えながらスタートした。





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