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10話 ことりの告白

 

 夜が更けるにつれて、空模様が怪しくなってきた。

 昼間はあれほど明るかったのに、いつの間にか雲が広がって、空を重たく覆っている。

 晴は玄関先に立ったまま、ガクトと陽葵を見送っていた。



「いやー、でもすごい偶然ってあるもんだよな!」



 ガクトはいつもの調子で、無理やり明るく笑ってみせた。

 けれどその声はどこか空回っている。

 陽葵は靴ひもを結び終わってから、晴をまっすぐに見た。


「本当に偶然なのか?」

「……何が」

「事故を言い当てたこと」


 まっすぐな問いに、晴は動きを止めた。

 偶然。たまたま。

 そんな言葉で片づけられるなら、どれほど楽だろう。


 崖のこと。火事のこと。今日の事故。

 三度も重なれば、もう知らないふりはできない。

 それでも口から出たのは情けないほど弱い言葉だった。


「……偶然だよ。そうじゃなきゃ、何だって言うんだよ」

「……」


 陽葵はしばらく黙っていた。

 責めるでもなく、見透かすでもなく、ただ晴の顔を見ている。


「そっか」

「……」

「でも晴は嘘がうまいからな」

「は……?」


 意味を測りかねて眉をひそめた時には、陽葵はもう軽く手を振っていた。


「じゃ、また明日」


 ガクトも「お、おう。またな!」と慌てて後を追い、二人は帰っていく。

 その背中が見えなくなっても、晴はしばらく家の中に入れなかった。

 玄関灯に照らされた足元をぼんやり見つめたまま立ち尽くす。


 偶然じゃない。

 もう、そんなことはわかっている。

 だからこそ心の中に、何とも言えない苦さが広がった。



     ◇◆◇



 リビングはまだ散らかったままだった。

 空になった紙皿。飲みかけの紙コップ。ピザの箱。その真ん中で、茉莉がひとりで後片付けをしていた。


「手伝います」


 晴が声をかけると、茉莉は振り返って、少しだけほっとしたような表情を見せた。

 晴は台所の脇からごみ袋を持ってきて、段ボールや紙皿をまとめ始める。黙って手を動かしながら、ふと視線を二階へ向けた。階段の先はしんと静まり返っている。


「ことりは?」

「あれからずっと降りてこない」

「……」

「大丈夫かな」


 晴は答えられなかった。

 青ざめた横顔。震える指先。絞り出すような声。

 さっきのことりの様子が、何度も脳裏によみがえる。

 紙コップを潰しながら、茉莉がぽつりと口を開いた。


「前からちょっと、妙に勘がいいなって思うことはあったんだ」

「え?」

「階段で転びそうになった時も、待ち構えてたみたいに助けてくれてさ。ご近所で迷子になった猫も、あっという間に見つけちゃうし」

「……」

「それからたまにふらっと出かけて帰ってくることもあった。どこに行ってたの?って聞いても、ただの散歩だって。でも散歩から帰ってくる時は、いつも元気がなくなってた」


 知らなかった。

 自分が学校に行っている間も、ことりはひとりで何かを抱えていたのだ。

 茉莉はそこで、ごみ袋の口を結ぶ手を止めた。


「晴くん、何か知ってるの?」


 どきりと心臓が跳ねた。

 死神。未来予知。

 口にした途端、全部が陳腐な作り話みたいに響きそうな言葉。

 けれど晴の中では、もうとっくに現実になっている。

 答えを探して唇を開きかけ――ようやく一言だけ絞り出す。



「……ことりと、話してみます」



 茉莉は追及しなかった。静かにうなずいて、それ以上は何も聞かない。

 晴は思う。

 今、自分にできることはひとつしかない。

 逃げずに、ことりの話を聞くことだ。



     ◇◆◇



 マグカップにココアを淹れて、晴は二階へ上がった。

 ノックをしても返事はない。


「入るぞ」


 ドアを少し開けると、暗い部屋の中でことりがベッドにもたれて床に座り込んでいた。膝を抱え、顔を伏せたまま、ぴくりとも動かない。

 晴はそっと中に入り、ココアを床に置く。それから少し距離を取って、腰を下ろした。


「……」

「……」


 何を言えばいいのかわからなかった。

 大丈夫か、なんて軽すぎる。

 話してくれ、も押しつけがましい。

 気の利いた言葉なんて、何ひとつ思い浮かばない。

 窓の外で吹く風の音だけが、鼓膜の奥を叩いていた。

 やがて、ことりがぽつりと口を開く。


「わたしの母方の実家ってさ」

「……ん?」

「すっごい山奥の神社の家系なんだって」


 顔を上げたことりの頬には、うっすら涙の跡が残っていた。それでもわざと何でもない話みたいな口調を作ろうとしているのがわかる。


「巫女とかあるじゃん。ああいう家。昔からたまに妙な力を持った人が生まれることがあったらしいの。村の人達からもすっごく崇められてたんだって。何百年も前の話。バカみたいでしょ」


 晴は口を挟まなかった。ことりが話しやすいように、ただ黙って続きを待つ。


「お母さん、最初はびっくりしてたけど、どこか納得もしてたんだと思う。ああ、あんたにも出ちゃったのねって」

「出た、って」

「ひいおばあちゃんにも同じような力があったんだってさ。誰がいつ死ぬか、なんとなくわかったみたい」


 そんなものが本当に遺伝するのか。

 驚きはしたが、笑い飛ばす気にはなれなかった。ことりの顔が冗談ではないと告げていたからだ。


「よくわかんないんだよね。霊感とか、そういうのと同じなのかも。でも自分でどうこうできるわけじゃないんだ」


 ことりはこめかみに指先を当てる。


「急に頭が痛くなって、映像が流れ込んでくる。知らない誰かが、どこかで死ぬ映像」


 その仕草には、見覚えがあった。

 ことりは何度か予知の直前にこめかみを押さえていた。あれは癖ではなかったのだ。




「……役立たずって、言われたんだ」

「え」

「お母さんに。お前は役立たずだって」




 ことりは膝を抱え直し、小さく笑った。笑っているのに、その声は泣きそうだった。


「わたし、お父さんの事故だけ予知できなかった」

「……え」

「他人のことは見えるくせに、一番見なきゃいけない時に何も見えなかった。お母さん、怒るっていうより……失望したんだと思う」


 ことりは視線を落とし、もう一度強く膝を抱え直す。




「なんで一番大事な人を守れないの。なんで肝心な時に予知できないの、って」




 胸の奥を、ぐずり、と鈍い何かが押しつぶした。

 肉親に責め立てられる苦しみを、晴もよく知っているから。


「それからお母さんと顔合わせるのもしんどくなっちゃってさ。向こうも同じだったと思う。だから……まあ、家出」

「でも今ごろ心配してるんじゃない?」

「どうだろ? とにかく今は家出最長記録更新中」


 わざとおどけてみせる仕草。

 けれどその笑みは儚げで、今にも崩れ落ちそうだった。


「叔母さんから聞いた。たまに散歩に出てたって」

「……うん」

「もしかして俺の時みたいに……誰か助けに行ってたのか」


 ことりの肩がピクリと震えた。すぐには答えず、唇をきゅっと結んでから、やがて小さくうなずく。


「助けられるなら助けたいって、いつも思う」

「……」

「でも間に合わないことのほうが多い」


 晴の脳裏で、テレビで流れていた事故の続報がよみがえる。

 一歳の赤ん坊と、その母親の死亡が確認された、と。

 きっと彼女は、こうして何度も救えなかった命と向き合ってきたのだ。


 次の瞬間、ことりは、はぁ、と大きく肩の力を抜いた。

 言いたいこと全部、吐き出し終わったみたいに。


「――てなわけで、ことりさんの独白はおしまい」


 まるでそれが当然のように、さらっと続ける。




「明日、出ていくね」

「……は?」




 晴の目が、思わず点になる。また心臓がどくどくと、嫌な音を立て始めた。


「な、なんだよ、急に」

「急じゃないよ」


 ことりは寂し気に笑い、晴から目を逸らす。


「最初はみんな言うんだ。未来が見えるなんてすごい、神様からのギフトだねって。珍しいから面白がってくれる」

「……」

「でも本当に人の死が見えるってわかったら、だんだん離れていくんだよ。関わるとろくなことがないって、みんなちゃんと学ぶの」


 ことりの声には深い諦めが滲んでいた。

 傷つく準備を、もうずっと前に終えてしまった人の声だった。



「だから今のうちにいなくなったほうがいいでしょ」



 その言葉を聞いた瞬間、晴の中で何かが切れた。

 胸をあっという間に覆いつくす、まるでマグマみたいな熱の塊。



「……ふざけんなよ」



 気づけば自分でも驚くほど低い声が出ていた。

 ことりがびくっと肩を震わせる。


「だったらどうして全部話したんだよ」

「え……」

「出ていくつもりなら、何も言わずに出ていくことだってできただろ」

「それは……」

 

 ことりが口ごもる。

 晴は止まらなかった。

 止められなかった。


「お前、いつだってそうだよな。勝手に俺を振り回して、勝手に決めて、勝手に動く」


 さすがのことりもカチンときたのか、きつく眉根を寄せる。


「それはそれは悪うございましたー」

「開き直りかよ」

「じゃあ何? 迷惑かけるのもなんだから、出ていくって言ってるじゃん」

「ああ、出ていけよ」


 言った瞬間、失敗した、と思った。

 でももう遅かった。

 ことりの顔が、殴られたみたいに歪む。


「……っ、じゃあ出ていきます! お世話になりました!!」


 勢いよく立ち上がり、晴の脇をすり抜けようとした――その瞬間。




「出ていくなよ!」




 晴の口から、本音が勝手にこぼれ落ちた。

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 けれど気づけばことりの手を握って、力いっぱい引き留めていた。

 泣きそうになるのを堪えながら、立ち上がる。




「ここにいろよ……」




 俯き、必死に声を振り絞る。

 ことりの瞳がみるみる揺れた。

 強がりで固めていた何かが、目の前でひび割れていくのがわかった。


「確かにその力は普通じゃないのかもしれない。辛かったことだって、たくさんあったんだろ。今日だってお前がどんな気持ちだったか、俺には全然わからない」


 うまく言えない。

 綺麗な言葉なんて出てこない。

 けれどここで黙るわけにはいかなかった。


「でもそれでお前が別の誰かになるわけじゃないだろ」

「……」

「人の死が見えようが見えまいが、お前はことりだろ」


 ことりの体が、かすかに震え出した。


「でもこの力は……呪いだよ」

「呪いでもいい」

「え……」

「呪いでも何でもいい。そんなもので、お前がいなくなる理由になんかならない」


 崖の上の風景が、ふいに脳裏をよぎる。

 あの日、自分は死ぬはずだった。

 鳥を追いかけ、崖から足を踏み外すところだった。

 そこに現れたのが、ことりだ。

 この小さな手が、自分をこちら側に繋ぎとめた。


「救えなかった人がいるのは本当かもしれない。でも」


 晴はそこで顔を上げ、まっすぐにことりの目を見る。


「俺はお前に救われた」

「――」

「あの日、お前が来てくれたから、俺は今ここにいる」

「……晴」


 胸の奥からこみ上げてくるものを解き放ちながら、晴は続けた。

 いつの間にか晴自身も、泣きそうな顔になっていた。



「ありがと、ことり」

「……っ」

「だからここにいろよ。俺が、いてほしいんだ」



 声にならない想いが、部屋の隅々まで満ちた。

 ことりはもう無理に笑おうとはしていない。ただ堪えきれない涙が、次々と目の淵にあふれてくる。

 その瞬間、半開きだったドアが、バン!と勢いよく開いた。



「そうだよぉ……!」



 茉莉が涙でぐしゃぐしゃの顔のまま飛び込んでくる。

 どうやら廊下で、ずっと二人の話を盗み聞きしていたらしい。

 晴は驚いたが、茉莉は一直線にことりのもとへと向かい、涙ながらに訴えかけた。


「晴くんの言う通りだよ! ことりちゃんはあたしにとって大事な妹みたいなもんなの! 出ていかないでよぉ……!」

「マリリン……」

「ことりちゃんがいなくなったら、あたしほんとに悲しいんだから……!」


 茉莉はそのままことりに抱きついた。

 ことりは最初、目を見開いたまま固まっていたが、やがて限界が来たように膝からくずおれる。


「っ、う……」


 そして小さな嗚咽をきっかけに、それは堰を切ったように突然あふれ出した。




「う、あ……っ、ぁ……、あああぁぁーーー……っ!」




 子どもみたいに声を上げて泣くことりを、茉莉がぎゅっと抱きしめる。

 今まで飲み込んできた痛みも、悔しさも、寂しさも、全部まとめて流れ出していくように。


 晴は少しためらってから、二人のそばに膝をついた。

 それから上から包む込むように、そっと腕を回す。

 三人分の体温が、じんわりと触れ合った。

 泣き声と、しゃくり上げる息と、誰かの背中をさする手の感触だけが、今の晴達にとっての全てだった。






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