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婚約者に三度殺された令嬢は、四度目の人生で冷血公爵と契約結婚して破滅を返す  作者: shiryu


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第8話 マナー講座と、死の運命について


 ジオルドと結婚してから、二週間ほどが経った。


 契約結婚とはいえ、いつまで、という期限は決めていない。

 そんなものを決められるほど、私たちは呑気な立場ではなかったからだ。


 ジオルドが二カ月後に死ぬかもしれない。

 私もまた、気を抜けばリュクスに見つかって連れ戻されるかもしれない。

 そんな状況で、半年で終わりだの一年で解消だのと、気軽に決められるはずがなかった。


 だから今の私は、エリアビル公爵夫人として生きるための準備をしている。

 朝起きて身支度を整えて、朝食を取って、それから午前中は屋敷の仕事。

 予算の確認、届いた書簡の整理、必要な指示。


 そこまでは、もうだいぶ慣れてきた。

 問題は、その先だった。


「もう一度」

「……はい」


 私は背筋を伸ばし直す。

 今いるのは広間の一角だ。壁際には大きな鏡が置かれていて、その前に私とジオルドが立っている。

 彼は今日も妙に楽しそうだった。


「その礼は浅い。相手が子爵夫人ならまだしも、王族派の伯爵夫人相手ならもっと丁寧にしろ」

「丁寧にすると、今度は深すぎるって言うでしょう」

「それは相手による」

「そこが難しいのよ……!」


 思わず少しだけ声が上ずる。

 するとジオルドは、くつくつと喉の奥で笑った。

 腹が立つ。


 でも、言っていること自体は正しいのがまた悔しい。

 公爵夫人になったからには、書類仕事ができるだけでは足りない。

 社交界に出て、人と会い、言葉を交わし、家同士の空気を読む必要がある。


 そのために私は、この二週間ずっと教育を受けていた。

 歩き方。立ち方。椅子の座り方。グラスの持ち方。

 相手の身分に応じた視線の合わせ方。


 どの程度の距離感で会話をするのか。

 そして、どの家がどの派閥に属しているのか。


 書類仕事なら、私はすでに夫人を二度経験している。

 ……もちろん、そんなことは誰にも言えないけれど。

 一度目も二度目も侯爵夫人として、私は屋敷の予算や使用人の管理をしていた。


 だからそちらはまだいい。

 でも、社交界の所作やマナーは別だった。


 リュクスは言っていたのだ。


『君は一生外に出なくていいから、そんなもの学ばなくていい』


 思い出すだけで腹が立つ言葉だ。

 あれは優しさでも配慮でもない、ただ閉じ込めるための方便だった。


 しかも実家のエナティ伯爵家でも、私はそこをほとんど学ばせてもらっていない。

 ベッラには教師がついていた。けれど私は、その横で見ているだけか、そもそも別室に追いやられていることが多かった。


 だから今、私は一から学び直している。


「歩幅が微妙に広い、やり直し」

「そんなの見てわかるの?」

「わかる」


 即答だった。

 私は鏡の中の自分を睨みそうになるのを堪えながら、もう一度やり直す。


 右足、左足、右足。

 意識して動くと、逆にぎこちなくなるのが嫌だった。


「今度は悪くないな、いい子だ」

「子ども扱いしてない?」

「してない、褒めてるだけだ」


 そう言って口元が笑っている。

 絶対に楽しんでいるわ、これ。


 私は小さく息を吐いた。


「……ハックさんが言っていたことは、わかった気がする」

「何がだ?」

「ジオルド様が、意地悪だってことよ」


 私がそう言うと、彼は数秒きょとんとしたように黙ったあと、ははっと声を上げて笑った。


「意地悪?」

「そうよ。絶対に楽しんでるでしょう」

「まあ、アルヴィと一緒にいると楽しいけどな」


 屈託のない笑みだった。

 あまりにもあっさり、あまりにも自然に言われたものだから、私は一瞬だけ言葉を失う。


「……っ」


 胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねた気がした。

 何をそんなに驚いているの、と自分で自分に言いたくなる。

 ただ楽しいと言われただけだ。


 それだけなのに、妙に意識してしまう。

 私は誤魔化すように咳払いをした。


「……そうやってすぐ人をからかうの、やっぱり意地悪だと思う」

「からかってはいない」

「じゃあ何?」

「本音を言っているだけだ」


 さらりと返されて、今度は余計に困る。

 私は視線を逸らした。

 こういうところ、本当にずるいと思う。


 ジオルドはそんな私を面白そうに眺めてから、ふと真顔に戻った。


「しかし、なんでアルヴィは書類仕事は完璧なのに、所作やマナーが最悪なんだ?」

「最悪って言った?」

「言ったぞ、聞こえなかったか?」

「聞こえたわよ」

「ちぐはぐすぎるだろ」


 ぐうの音も出ない。

 実際、そうなのだから。

 私は肩を落とした。


「……いろいろあったのよ」


 それ以上は言えない。

 言えるはずがない。


 ジオルドはじっと私を見ていたけれど、深く追及はしなかった。

 その代わり、口元を緩める。


「そうか。まあ、そのお陰で俺は楽しく教えることができているが」

「意地悪く教える、の間違いでしょ」

「似たようなものだろう」

「全然違うわよ」


 そう言い返すと、また笑われた。

 悔しいけれど、こういう軽いやり取りができるようになったこと自体、少し前の私からすれば信じられないことだった。


 あの頃は、誰かに何かを教わるたび、間違えるたびに、怒られるか、呆れられるか、あるいは見捨てられるかだった。

 でもジオルドは違う。


 意地悪ではある。間違いなくそうだ。

 でも、突き放すわけではない。

 嫌な態度はとらないし、気軽に喋れるのは楽しかった。


 その日の夜。

 私はジオルドと二人で執務室にいた。


 昼間のマナー指導とは違って、今夜の空気は少しだけ真面目だった。

 公爵家に入って、生活が落ち着いてきた。

 だからそろそろ、避けては通れない話をすることになったのだ。


 ――ジオルドの死について。


 暖炉の火が小さく揺れている。

 その音を聞きながら、私は無意識に指先を重ね合わせた。


「俺は、どんなふうに死ぬんだ?」


 やはり単刀直入な聞き方だが、ありがたい。


「未来予知の中で見たのは、馬車の中で」

「馬車」

「ええ。移動中の馬車の中で、あなたは死んでいた」


 本当は見たわけじゃない。

 私は一度目も二度目も三度目も、新聞でその事件を知っただけだ。

 エリアビル公爵家当主、ジオルド・エリアビル急死。


 しかも、その報じられ方は明らかに異様だった。

 まるで病死ではなく、殺されたとしか思えなかった。

 大事件として扱われ、犯人は捕まらず、国中がざわついていた。


 ただし、わかっていることは多くない。

 死因も、犯人も、はっきりしない。

 しかも日付は、一度目、二度目、三度目で微妙にずれていた。


 でも、時期だけは変わらなかった。

 今から二カ月後くらい。

 つまり、あと一カ月半ほどだ。


「死因までは見えていないの」


 私は慎重に言葉を選ぶ。


「だから申し訳ないのだけど、どうやって死んだのか、誰がやったのか、そこまではわからないわ」


 ジオルドは顎に手を当てた。


「なるほどな。犯人はわからないが、馬車の中で俺は殺されるのか」

「ええ、それは確かけど……」


 そう言ってから、私は少し眉を寄せた。


「完璧にわかっているわけじゃないから、こんな情報しか出せなくてごめんなさい」


 するとジオルドは、すぐに首を振った。


「いや、十分だ」

「十分?」

「ああ」


 彼は地図の上に指を置いた。


「馬車で襲われる、あるいは馬車の中に毒を仕込まれる。その可能性があるとわかれば、対処もできる」


 やっぱり、この人はすごい。

 私は素直にそう思った。

 普通なら、死ぬと聞いてもっと動揺してもおかしくないのに、ジオルドはもう次の手を考えている。


「移動経路を変える、同じ馬車を使わない、護衛の配置を見直す、同行者を限定する。やりようはいくらでもある」

「……さすが公爵家当主ね」

「褒めても何も出ないぞ」

「別に、褒めて何かをもらおうと思っているわけじゃないわ」

「はっ、そうか」


 そう言って、ジオルドは笑った。

 でも、私の胸の奥には本当に少しだけ安心があった。


 私はこれまでずっと、死に向かって進むしかなかった。

 けれど今は違う。こうして、死を避けるための相談ができている。

 それだけで、前とはまるで違う。


「それと、お前の方もそろそろ表に出た方がいい」


 私は顔を上げた。


「表に?」

「社交界だ」


 その言葉に、背筋が伸びる。


「これからもう少しマナーや公爵夫人としての立ち振る舞いを覚えたら、お前には公爵夫人として社交界デビューしてもらう」


 やはり、そうなるのね。

 頭ではわかっていた。

 公爵夫人になった以上、いつまでも屋敷の中に隠れているわけにはいかない。


 でも、実際に言葉にされると少しだけ緊張する。

 社交会に出たら、リュクスがいるだろう。

 貴族派と王族派の争いの真ん中で、私はエリアビル公爵夫人として立つことになるのだ。


 この二週間、私はそのために派閥のことも教わってきた。


 貴族派。

 広い領地を持ち、武力も権力も強い上位貴族が多く属する派閥。

 数は多くないけれど、その一つ一つが重い。


 王の命令にも平然と異を唱え、時には逆らおうとする。

 そして、その中心にいるのがジョルアン侯爵家だ。


 対して、王族派。

 領地は小さく、武力もそこまでではない貴族が多い。

 でも王族への忠誠が厚く、国王の下で動く家がほとんど。


 数で言えばこちらの方がずっと多く、議会では常に貴族派と火花を散らしている。


 そして、中立派。

 どちらにも属さず、距離を取る家々。

 派閥争いそのものを面倒だと考える者も多いし、冷静に物事を見る者も多い。


 議会で進行役を担うことも多い。

 そして、エリアビル公爵家、ジオルドはその中立派に属している。


 ――とはいえ、中立と名乗りながら実際にはどちらかへ寄っている者もいる。


 スパイのように情報を流したり、議会を自分たちに都合よく運んだり。

 そのへんも含めて、貴族社会は本当に面倒だ。


 そして、その面倒さの頂点みたいな場所に、リュクスはいた。

 ジョルアン侯爵家。貴族派のトップ。

 大きな領地、大きな財力、大きな武力。


(そんなところの当主に好かれて……だからこそ、逃げ出せなかったのよね)


 前の三回の人生を思い返して、胸の奥が冷える。

 でも今は、それだけでは終わらない。

 私はゆっくりと頷いた。


「頑張るわ」

「社交界が怖いか?」


 不意にそう聞かれて、私は一瞬詰まってしまう。


「……怖くないと言ったら嘘になるわ」

「そうだろうな」

「でも、役に立ちたいの」


 私ははっきりと言った。


「ここまで守ってもらっているだけじゃ嫌よ。公爵夫人としてちゃんと立てるようになって、あなたの役に立ちたい」


 ジオルドはしばらく何も言わなかった。

 ただ静かにこちらを見ている。


 その視線がくすぐったくて、私は自分でも気づかないうちに指先を握っていた。


 やがて、彼はふっと口元を緩める。


「まあ、お前なら問題なさそうだな」


 その言い方は、とても自然だった。

 大げさでもなく、軽く流すでもなく、ただ本当にそう思っているような声だった。

 私は一瞬、言葉を失う。


 この人は時々、こういうふうに何でもない顔で、人の胸の奥に真っ直ぐ届くことを言う。


「お前は覚えるのが早いし、根性もある。多少意地悪く教えても食らいついてくるしな」

「最後のは余計よ」

「ふっ、そうか?」

「そうよ」


 そう言い返しながらも、私は嬉しかった。

 ちゃんと見てくれている。

 私が必死にやってきたことを、この人はちゃんと見て、認めてくれている。


 それが、思っていた以上に胸に沁みる。


「……でも、ありがとう」


 小さくそう言うと、ジオルドは少しだけ目を細めた。


「礼を言うのはまだ早い。社交界に出てからが本番だぞ」

「わかってるわ」

「ならいい」


 窓の外は、もうすっかり夜だった。

 死の運命まで、あと一カ月半。

 社交界デビューも、その前にはきっと来る。


 不安がないわけじゃない。怖くないわけでもない。

 でも、前みたいに一人じゃない。


「……ちゃんと役に立ってみせるわ」


 ジオルドはその言葉を聞いて、口角を上げて笑った。


「期待している、アルヴィ」


 その一言に、また胸の奥がじんわりと温かくなった。



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