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婚約者に三度殺された令嬢は、四度目の人生で冷血公爵と契約結婚して破滅を返す  作者: shiryu


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第5話 執着する婚約者


 数日後。


 アルヴィとジオルドの結婚が決まったという話は、思っていたよりずっと早く広まった。

 そして当然、その話はリュクス・ジョルアンの耳にも届いた。


 その日、エナティ伯爵家の屋敷には、ひどく重い空気が流れていた。

 リュクスが来る。

 その知らせを受けてからというもの、伯爵も夫人も落ち着かないまま何度も応接室を見回っていた。


 ジョルアン侯爵家に対して、エナティ伯爵家は頭が上がらない。

 借金がある。それだけではない。

 過去に何度も手を貸してもらい、そのたびに恩を積み重ねてきた。


 それはつまり、相手の機嫌ひとつでどうにでも転ぶ立場だということだった。

 しかもリュクスは表向きこそ誰にでも柔らかく微笑む男だが、敵と見なした相手には容赦しない。


 そのことを、伯爵夫妻は骨身にしみてわかっている。


 だからこそ、恐ろしかった。

 アルヴィが公爵家へ行ってしまったことよりも。

 そのことで、リュクスの機嫌を損ねたことの方が。


 やがて、外で馬車の止まる音がした。

 伯爵の喉がひくりと鳴る。夫人は思わず胸元を押さえた。


「お、お迎えしなければ……」


 声がわずかに上ずる。

 玄関へ出ると、そこにはすでにリュクスが立っていた。


 金の髪はきちんと整えられ、仕立ての良い服も乱れひとつない。どこからどう見ても非の打ち所のない青年貴族だった。

 ただ、浮かべている笑みがいつもより少しだけ薄い。


「これは、リュクス様……」


 伯爵が慌てて頭を下げる。

 リュクスは穏やかに微笑んだ。


「突然押しかけてしまって申し訳ありません」


 声音は柔らかい。

 けれど、その一言だけで、その場の空気がぴんと張り詰める。


「い、いえ、とんでもございません……どうぞ、こちらへ」


 応接室へ通されると、リュクスは勧められるままソファに腰を下ろした。

 その所作は落ち着いていて優雅ですらあるのに、向かいに座る伯爵夫妻は、生きた心地がしなかった。

 リュクスは二人を見渡し、にこりと笑う。


「さて、どういうことです?」


 たったそれだけの問いだった。

 怒鳴られたわけでもない。責め立てられたわけでもない。

 それなのに、伯爵は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「そ、それは……」


 夫人も顔色をなくしたまま、伯爵の袖をぎゅっと掴んでいる。

 リュクスは笑っていた。

 柔らかく、優しげに。けれどその目だけは、全く笑っていなかった。


「僕が聞きたいことはわかっていますよね? アルヴィ嬢との話です」


 静かな声が続く。


「僕はきちんと婚約の話を進めていたはずですよね?」

「も、申し訳ございません……!」


 伯爵はたまらず膝をついた。

 夫人もすぐにそれに倣う。


「いきなり、ジオルド様が……エリアビル公爵様がいらして、アルヴィを連れて行ってしまったのです!」

「連れて行った?」


 リュクスの声色は変わらない。

 けれど、そのわずかな繰り返しだけで、伯爵は身体を強張らせた。


「は、はい……! その場で結婚の書類を書かせて、アルヴィも……その、従ってしまって……!」

「従ってしまった……なるほど」


 それきり、彼は数秒何も言わなかった。

 その沈黙があまりに恐ろしくて、伯爵は顔を上げることもできない。

 どうにか許してほしい、その一心で額が床につきそうなほど頭を下げていた。


 リュクスはそんな二人を見下ろしながら、心の中ではすでに見限っていた。


(愚かだな、こいつらの謝罪に何も価値などないというのに)


 目の前のこの伯爵夫妻は、保身しか頭にない。

 アルヴィを引き留めることもできず、勝手に公爵家へ奪われ、それでいて自分たちだけは助かりたいと震えている。

 使えないにもほどがあった。


 この家にもう価値はない。

 そう判断しかけた、その時だった。


「……あのぉ」


 場違いなほど甘い声が、応接室に響いた。

 伯爵夫妻がびくりと肩を震わせる。

 入り口近くで控えていたベッラが、ためらいがちに一歩前へ出ていた。


 その頬はうっすらと赤い。


「わ、私が婚約いたしますわ」


 伯爵夫妻が息を呑む。

 けれどベッラは止まらなかった。

 むしろ、ここが自分の好機だとでも思ったのか、目を輝かせて続ける。


「リュクス様の妻になりたいと思っていました。無能な姉よりも、私を……」


 そこまで言ったところで、リュクスが立ち上がった。

 動きは静かだった。だが、その一瞬で空気が変わる。

 ベッラは期待に目を潤ませたまま、リュクスを見上げていた。


 自分が選ばれると思っていたのだろう。

 リュクスはそんな彼女の前に立つと、いつも通りの笑みを浮かべたまま、すっと顔を近づけた。


「――黙ってろ木っ端が」


 囁くような声だった。

 あまりにも静かで、あまりにも低い声。


「これ以上汚い口を開いたら、殺すぞ」


 笑顔のまま言われたその言葉に、ベッラの顔からさっと血の気が引いた。


「っ……」


 声にもならない息を漏らして、彼女はその場に尻餅をつく。

 青ざめた唇が震えていた。

 目には涙が滲んでいるのに、恐怖で悲鳴すら出せないらしい。


 伯爵夫妻も凍りついていた。


「失礼」


 穏やかにそう言って微笑む姿は、つい今しがた娘を脅した男と同じ人物には見えない。

 リュクスは再び伯爵を見た。


「最後の機会を差し上げます」


 伯爵がびくりと顔を上げる。


「アルヴィ嬢をこの家に連れ戻して、離婚させてください」


 穏やかな口調だった。けれどそれは、命令だった。

 伯爵の唇がわなわなと震える。


「り、離婚……」

「ええ。僕のものを、勝手に奪われたままで終わらせるつもりはありませんから」


 その言葉に、夫人が小さく悲鳴を呑み込む。

 伯爵は震えながら、何度も頷いた。


「は、はい……なんとか、なんとかしてみせます……!」

「そうしてください」


 リュクスはそれ以上何も言わず、踵を返した。

 応接室を出ていくその背を、伯爵夫妻はただ震えながら見送ることしかできない。

 ベッラは床に座り込んだまま、涙を滲ませて動けずにいた。


 屋敷の外へ出たリュクスは、ようやく薄く笑みを消した。

 どうせ無理だろう、と思っている。

 あの伯爵家にアルヴィを公爵家から取り戻せる力があるとは思えない。


 あれは最後の機会という名目を与えただけだ。

 失敗すれば、それでいい。

 その時はその時で、別のやり方を取るまでだった。


 馬車に乗り込む直前、リュクスは静かに目を細める。


「ジオルド・エリアビルめ……」


 低く漏れた声は、先ほどまでの笑顔とはまるで違っていた。


「僕が手に入れる物に錆を付けるとは――絶対に許さない」


 その呟きだけを残して、リュクスは馬車へ乗り込んだ。

 エナティ伯爵家の屋敷には、彼が去った後もしばらく重い沈黙だけが残っていた。


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