第3話 協力者候補との交渉
ジオルドは夜道を迷いなく進んでいく。
しばらく歩いた先で、大きな屋敷が見えてきた。
エリアビル公爵家。
派手に飾り立てているわけではないのに、ただ大きく、強い家なのだとわかる。
ジオルドは門番に短く声をかけ、そのまま私を中へ通した。
夜の公爵邸は静かだった。足音がやけに響く気がして、落ち着かない。
案内されたのは応接室だった。
暖炉には火が入っていて、先ほどまでの夜道よりずっと暖かい。
緊張で強張っていた身体がほぐれていく。
「座れ」
短くそう言われて、私はソファの端に腰を下ろした。
外套を脱ぐべきか迷ったけれど、その前に扉が開く。
「ジオルド様、お戻り……あれ?」
入ってきたのは、年の頃がジオルドとそう変わらない男だった。
落ち着いた顔立ちで、従者らしい隙のない身なりをしている。
彼は私を見て、わずかに目を見開いた。
「……なぜご令嬢と一緒に?」
ごく当然の疑問だろう。
深夜に主人が若い令嬢を連れて帰ってきたのだから。
けれど、ジオルドはその問いにすぐ答えず、ただ面白そうに笑っていた。
「ハックか。こいつが楽しい話を始めたから連れてきた」
「楽しい話、ですか?」
「そうだ」
ジオルドはそう言って向かいのソファに腰を下ろす。
従者の名前はハックというらしい。
ハックはまだ不思議そうだったけれど、ひとまずそれ以上は聞かず、私たちの前にお茶を用意し始めた。
けれど時々、こちらを窺う視線が向けられているのがわかった。
当然よね。怪しさしかないもの、今の私は。
ジオルドはそんな空気などまるで気にせず、まっすぐ私を見た。
「さて、俺を待っていたようだが、何のようだ? 俺が死ぬってなんだ?」
単刀直入だった。回りくどい探り合いをするつもりはないらしい。
その方がありがたい。
私は息を整えてから、口を開いた。
「用件は情報を上げるから、私を守ってほしい。だから結婚してほしい」
数秒、沈黙が落ちた。
ハックがぴたりと手を止める。
ジオルドもさすがに一瞬だけ固まったようだ。
「……はぁ?」
わかりやすく呆れた声だ。
それでも私は視線を逸らさない。
「代わりに、私もあなたを守るから」
「何を言っているんだ?」
「あなたは、三カ月後に死ぬのを知っているから」
ハックがはっきりと眉をひそめた。
当然だ。突然現れた伯爵令嬢が、深夜に公爵家へ押しかけてきて、守ってほしい、結婚してほしい、その代わり三カ月後の死を防ぐと言っているのだから。
怪しいどころの話ではない。
でも、ジオルドは怒らなかった。
呆れた顔のまま、少しだけ目を細めただけだ。
「さっきも言っていたな。俺が三カ月後に死ぬ、と」
「ええ」
「なんでそんなことがわかる?」
その問いに、私は一瞬だけ唇を引き結んだ。
死んでも巻き戻る、なんて話をそのまま口にする気はない。
そんなもの、信じられるわけがないし、下手をすれば危険すぎる。
「……ギフテッドよ」
「ギフテッド?」
「ええ。魔法でも説明がつかない、人が稀に持つ力のこと。聞いたことくらいはあるでしょう?」
「……ああ、聞いたことはあるな」
その返事は短かったけれど、否定はしなかった。
だから私は息を継いで続ける。
「私の力は、未来が少しだけ見えるの。何もかもは見えない。細かく日付までわかるわけでもないし、全部を好きなように覗けるわけでもない。けれど、大きな出来事や、自分に関わる危険は、断片みたいに見えることがある」
嘘ではない。全部を言っていないだけで。
本当は、未来を見るというより、死ぬまでの未来を知っているだけだ。
でもそれをそのまま口にするよりは、まだ未来予知の方がましだった。
ジオルドはじっと私を見ている。
「ギフテッド、か」
「信じられないのはわかるわ。でも、あなたが三カ月後に死ぬのを知っている理由はそれしか説明できない」
「未来予知、ね」
本当は違う。
でも、そこを細かく突っ込まれたくなくて、私は曖昧に頷いた。
ジオルドは少し黙ってから、今度は別のことを聞いた。
「で、お前は俺に何を求めている?」
「私を守ってほしいの」
「何から?」
「リュクス・ジョルアンから」
その名前を口にした瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
けれど私は、顔には出さないように意識しながら続ける。
「今日、両親に言われたの。ジョルアン侯爵家嫡男、リュクス・ジョルアンとの婚約が決まったって。でも私は、その男と結婚したくない」
「嫌な縁談だから逃げたい、と?」
「ただ嫌なだけなら、こんなことはしないわ」
自分でも思ったより固い声が出た。
「私はあいつと結婚したら不幸になる。いや、不幸どころか……死んでしまう、殺されてしまうの。だから、絶対にそいつから逃げたい」
「それも未来予知か?」
「……ええ、そうよ」
応接室の空気が重くなる。
ジオルドは肘掛けに頬杖をつくでもなく、ただまっすぐ私を見ていた。
その視線に急かされるように、私は言葉を継ぐ。
「でも、ただ逃げたいだけじゃない」
自分でも驚くくらい、声は静かだった。
「未来予知の中で見たわ。私はあいつに追い詰められて、最後には殺される。何度考えても、ろくな未来にならない」
喉の奥が、少しだけひりつく。
それでも私は視線を逸らさなかった。
「だから、生き延びたい。まずはそこが一番よ。でも……やられたままで終わるなんて、冗談じゃない」
膝の上で握った手に、自然と力が入る。
「未来予知の中で、あいつの弱点も見えたわ。ジョルアン家が完璧じゃないことも。だから、ただ逃げるだけじゃなくて、できることなら最後にはあいつを引きずり落としたい」
そこまで言ってから、私は小さく息を吐いた。
「逃げるだけじゃない……あいつを、破滅させてやりたい」
三度も殺されたのだ。
一度目は、何が起きたのかわからないまま。
二度目は、従順でいれば助かるかもしれないなんて愚かな期待を抱いたまま。
三度目は、逃げて、逃げて、それでも見つかって、結局は捕まって殺された。
未来予知ではなく、本当の私はこの身で味わって知っている。
リュクスがどうやって人を追い詰めるのか。どんな顔で笑うのか。ジョルアン家がどこに金を流し、誰と繋がっていて、どこが脆いのか。
あの家の弱いところも、隠している汚れも、私は三度の人生の中で少しずつ見てきた。
だから、逃げたいだけでは終われない。
今度こそ生き残って、できることなら、あいつの方を地獄に落としたい。
「だから契約結婚してほしい。私はあなたが三カ月後に死ぬのを知っている。あなたは私を守る。私はその死を防ぐ。取引としては、そこまで悪くないはずよ」
自分で言っていても、かなり無茶な話だと思う。
でも、綺麗に取り繕うつもりはなかった。
今さら可愛らしく助けを求めたところで、何になるだろう。
私は助けてほしい。けれど同時に、こちらも差し出せるものがあると示さなければならない。
情に訴えるより、取引の方がこの人には通じる気がした。
ジオルドはしばらく無言だった。
「お前は、俺と結婚すればリュクス・ジョルアンから逃げられると思っているのか」
「少なくとも、伯爵家の娘ひとりでいるよりはずっとましよ」
そう返してから、私は息を吐いた。
「私は今、自分ひとりではどうにもならない相手から逃げて、引きずり落としたいと思っているの。だったら、相手が手を出しにくい立場が必要だわ。ただの協力者じゃ駄目。表向きにも、リュクスに対抗できる人じゃないと」
「それで俺と結婚して、公爵夫人になろうということか」
「そういうこと」
私の言葉に、ジオルドの口角が上がった。
「俺と結婚すれば、俺が死なないように情報を渡す、と」
「ええ」
「ふっ。面白いな、それは」
ハックがすぐに口を挟む。
「ジオルド様」
「何だ?」
「面白いで済ませる話ではありません。未来予知のギフテッドなど聞いたこともありませんし――」
「そんな証拠もないというのに、か?」
ジオルドが先回りするように言うと、ハックは言葉を詰まらせた。
「……ええ。その通りです」
「証拠ならあるわ。あなたの部下が金を横領していることを知っている」
空気が変わった。ハックの表情が固まる。
ジオルドの笑みも、すっと薄くなった。
「未来予知であなたの部下が金を横領して逃げるのを知っているわ」
本当は、死に戻りだけど。
ジオルドは数秒ほど私を見てから、短く問う。
「そいつの名前は?」
「セルディン・ヴァン。今はあなたの領地管理の補佐に入っているはずよ」
これは二度目の人生で耳にした話だ。
公爵家の内々の不正が暴かれた、と新聞の片隅に載っていた。
ハックが息を呑む気配がした。
「……本当に、その名を知っているんですね」
「言ったでしょう、ギフテッドだって」
ジオルドは立ち上がった。
その動作があまりに唐突で、私は思わず目を瞬く。
「わかった。今から裏取りをしてこよう」
「えっ、今から?」
思わず声が出る。
さすがにそこまで即断するとは思っていなかった。
ハックも同じだったらしく、一歩前に出る。
「ジオルド様、やめたほうが……」
「大丈夫だ――こいつは嘘をついていない」
ジオルドの言葉に、ハックがはっとしたように目を見開く。
「……そう、ですか」
なぜか納得したようにハックは頷いた。
ジオルドはハックに視線を向けた。
「セルディン・ヴァンの帳簿と動きを洗え。今すぐだ」
「承知しました」
ハックはすぐに一礼したものの、部屋を出る前に一度だけ私を見た。
さっきまでのあからさまな警戒よりは、少しだけ色が変わっている。
それでもまだ完全には信用していない、そんな目だった。
ハックが出ていくと、応接室には私とジオルドだけが残った。
「さて、本当に横領が出てくれば、お前の話を多少は信じてやろう」
「多少、なのね」
「全部信じろと言うほうが無理だろう」
「それはそうね」
思わずそう返してしまってから、私は肩の力を抜いた。
少なくとも、頭ごなしに追い返されることはなさそうだ。
「今日は帰るといい、家まで送っていこう」
それは普通ならありがたい申し出なのだろう。
でも、私はすぐに首を振った。
「それは大丈夫よ」
「大丈夫?」
「家を抜け出しているから」
言った瞬間、彼が固まった。
ジオルドは数秒きょとんとしたように黙って、それから笑った。
「ははっ、そうか」
肩を揺らして笑う様子は、さっきまでの冷血公爵という印象とはずいぶん違う。
「お転婆な娘だな」
「好きでこんなことをしているわけじゃないわ」
「だろうな」
くすくすと笑われて、頬が熱くなる。
……何だか調子が狂う。
もっと冷たく、突き放すような人かと思っていたのに。
「裏が取れたら、こちらから動く」
「……ええ」
「お前は今日は帰って寝ろ」
「寝られるかはわからないけれど」
「寝ておけ。顔色が悪い」
そう言われて、私は目を瞬いた。
顔色まで見ていたのね。
自分ではちゃんとしているつもりだったのに、やはりかなり緊張していたのだろう。
「わかったわ。今日は帰る」
「そうしろ」
短いやり取りだった。
でも、その短さが逆に不思議と心地よかった。
部屋を出る時、扉の前で一度だけ振り返った。
「……ジオルド様」
「何だ?」
「ありがとうございます。話を聞いてくださって」
そう言うと、彼は意外そうに目を細めた。
「礼はまだ早い」
「それでもです」
「そうか」
それだけだった。でも、その短い返事に嫌な感じはなかった。
私は一礼して、応接室を出た。
行きと同じように静かな廊下を通り、屋敷の外へ出る。
夜風が頬を撫でて、ようやく現実感が戻ってきた。
「……はぁ」
緊張した。本当に、ものすごく。
でも、心の奥には確かなものが残っていた。
ちゃんと一歩、進めたのだ。
まだ終わっていない。
むしろ、ここから始まるのだろう。
それでも今夜は、ただ婚約を告げられて終わるはずだった夜だ。
そう思えば、十分すぎるくらいだった。
私は外套のフードを被り直し、夜道を急ぐ。
家へ戻らないと、見つからないうちに。
屋敷の裏手からこっそり中へ入り、自室に戻った時には、さすがに全身から力が抜けそうになった。
ベッドに倒れこんでから、ふと思い出す。
「……寝なさい、って言われたわね」
思い出して、小さく笑いそうになる。
緊張が解けたせいか、瞼が急に重くなる。
今夜は眠れないかもしれないと思っていたのに、不思議なものだ。
どうか、うまくいきますように。
そんな願いを胸の奥でそっと呟きながら、私は久しぶりに少しだけ希望を抱いたまま眠りに落ちていった。




