第24話 四度目の人生を
その日の夜、私はジオルドの執務室に呼ばれていた。
伯爵家から戻ってから、彼は一度も無理に話を聞こうとはしなかった。
ただ屋敷に戻り、いつも通りに夕食を取り、使用人たちが下がったあとで、静かに言ったのだ。
「執務室で話そう」
それだけだった。
でも、何の話をするのかはわかっていた。
四度目の人生。
私が口にしてしまった、その言葉についてだ。
執務室には、いつも通り落ち着いた明かりが灯っていた。
ジオルドは応接用のソファに座っていて、私にも向かいを示した。
「座れ」
「……ええ」
促されるまま腰を下ろす。
すぐにお茶が運ばれてきたけれど、使用人はすぐに下がった。
部屋に残ったのは、私とジオルドだけ。
逃げるつもりはない。自分で言うと決めたのだ。
ジオルドはしばらく何も言わなかった。
だがやがて、彼はカップを置いて、静かに口を開いた。
「それで、四度目の人生ってのはどういうことだ?」
やっぱり、まっすぐ聞いてきた。回りくどくない。
私は一度息を吸って、ゆっくり吐いた。
「私のギフテッドは、未来予知じゃないの」
「ああ」
あまりにも自然に頷かれて、私は小さく笑いそうになった。
「……やっぱり、最初からわかっていたのね」
「まあな。お前が『未来予知のギフテッド』と言った時、それが本当ではないことはわかっていた」
「あなたのギフテッドで?」
「ああ」
ジオルドは少しだけ肩をすくめる。
「俺は嘘を見抜ける。だから、お前が未来予知だと言ったのは嘘だとわかった。ただ、未来予知じゃないのに未来を知っているように話す内容自体は、嘘じゃなかった」
「……そう」
「だから妙だった。お前は嘘をついているのに、肝心なところは嘘じゃない。何を隠しているのかと思っていた」
「問い詰めなかったのね」
「お前が自分から話す気になるまで待つつもりだった」
その言葉に、胸の奥が少し痛くなる。
待ってくれていた。
やっぱり、そうだったのだ。
私はカップを置き、膝の上で手を重ねた。
「私のギフテッドは、死んだら戻る能力よ」
口にしてしまえば、とても短い言葉だった。
けれどその言葉の中には、私の三度の死が全部詰まっている。
「死ぬと、十八歳に戻るの。リュクスとの婚約を告げられる日の朝に」
ジオルドは、さすがに少しだけ目を細めた。
「死んで戻る、か」
「ええ」
「……まさか、そこまでは考えていなかったな」
「そうでしょうね」
私は小さく息を吐いた。
「未来予知より、ずっと変な力だもの」
「変というより、たいそうな能力だな。一度死んでも戻る。そんなギフテッドは聞いたことがない」
「私も聞いたことないわ」
「だが、いい能力ってだけじゃなさそうだな」
その言葉に、私は少しだけ黙った。
ジオルドは理解しているのだ。
私が四度目の人生だと言った意味を。
つまり私は、三度死んでいる。そのことを。
「……さんざんな人生だったわ」
私は、少し明るく言ったつもりだった。
重くなりすぎないように。
いつも通りに、何でもないことみたいに。
「あなたの想像通り、三度の人生で全部リュクスに殺されてきたの」
ジオルドの赤い瞳が、静かに私を見る。
「一度目は、何が起きているのかわからないまま。二度目は従順にしていれば助かるかもしれないなんて思って。三度目は逃げて……それでも捕まって」
そこまで言って、私は少しだけ喉が詰まった。
ちゃんと話すつもりだった。
どんな人生を送ってきたのかを。
でも、言葉にしようとした瞬間、あの倉庫の暗さや、腕を裂かれた痛みや、耳元で囁かれた「愛しているよ」という声が蘇りそうになる。
私は唇を開きかけた。
けれど、その前にジオルドが言った。
「いい、話すな」
「……え?」
「話さなくていい」
彼の声は静かだった。
けれど、はっきりしていた。
「喋りたくないことを、無理に聞きたいわけじゃない」
「でも……」
「必要なことなら聞く。だが、お前が傷を抉ってまで話す必要はない」
その言葉に、視界が少しだけ揺れた。
過ぎたことだ。もう終わったことだ。
そう思っていた。
でも、本当は話すのがきつかった。
だから少しおどけて、軽く言おうとしていた。
彼はそれを見抜いて、止めてくれたのだ。
「……ありがとう」
「礼を言われるほどのことじゃない」
ジオルドはそう言って、話を変えるように背もたれへ体を預けた。
「だが、なるほどな。だから俺が死ぬことも知っていたのか」
「ええ」
「過去三回の人生で、俺が殺されることを知っていた」
「新聞で見たの。あなたが死んだという記事を」
「直接見たわけじゃなかったのか」
「ええ。でも、大きな事件だったわ。公爵家当主が不審死して、犯人は捕まらなかった。時期は少しずれていたけれど、だいたい私が死に戻る日の二カ月後だった」
「なるほど」
ジオルドは納得したように頷いた。
「だから、俺のギフテッドが未来の話に反応しなかったわけだ。俺が死ぬという話や、セルディン・ヴァンの横領の話は嘘じゃなかった。なぜそんなことが起きるのか、ずっと引っかかっていたんだ」
「そうね」
「何度か人生を過ごしているなら、今の人生で経験していないはずの仕事ができるのも不思議じゃない」
その言葉に、私は少しだけ苦笑した。
「メイド仕事とか、書類仕事とか、刺繍とか?」
「ああ。あとは妙に逃げ慣れているところもだな」
「逃げ慣れてるって、嫌な言い方ね」
「事実だろう?」
「否定はできないわ」
そう返すと、ジオルドが少しだけ笑った。
その笑みに、私も少しだけ肩の力が抜ける。
こんな話をしているのに、普通に会話ができている。
そのことが、不思議で、少しだけ救いだった。
「……嘘をついてごめんなさい」
私は改めて言った。
「あなたと契約結婚するために、信じてもらうために、未来予知だって言った。あなたには見抜かれたとしても、嘘をついたことは悪いと思っているわ」
「気にするな」
ジオルドはあっさり言った。
「俺に嘘は通じない」
「……そうね」
つられて、少しだけ笑ってしまう。
それは確かにそうだった。
彼には嘘が通じない。
だからこそ、今こうして話せているのかもしれない。
「これで、私の秘密は全部話したわ」
そう口にすると、胸の奥が少しだけ軽くなる。
でも同時に、心臓がまだ早く打っていた。
怖くなかったわけじゃない。
三度死んだこと、死に戻っていること。
そんなものを知られたら、気味悪がられるかもしれない。
見る目が変わるかもしれない。
けれどジオルドは、まっすぐ私を見ていた。
その目に嫌悪はなかった。戸惑いも、薄気味悪がる色もない。
ただ、静かに私を見ている。
「よく話してくれたな」
低い声だった。
「この秘密を話すのは、怖かっただろう」
「っ……」
「俺を信頼して話してくれたことが、嬉しい」
その言葉だけで、胸の奥がきゅっと詰まった。
嬉しい。
気味悪がるでも、疑うでもなく、そう言ってくれたことが。
「それと」
ジオルドは少しだけ身を乗り出した。
「よく頑張ってきたな、アルヴィ」
その瞬間、息が止まりそうになった。
「三度殺されて、それでも腐らず、めげず、踏ん張って生きる道を選び続けた」
彼の声が、静かに胸の奥へ入ってくる。
「逃げても駄目だった。従っても駄目だった。それでも四度目で、また足掻いたんだろう」
「……」
「その強い心は、尊敬に値する」
――ぽたり、と。
何かが膝の上に落ちた。
最初、それが涙だとわからなかった。
遅れて、目元が熱いことに気づく。
「あ……」
慌てて下を向いた。
見られたくなかった。泣くつもりなんてなかった。
私はちゃんと話そうと思っていたし、ちゃんと受け止めるつもりだった。
なのに、止まらない。
誰にも話せなかった。話せるはずもなかった。
私はずっと一人で、三度分の記憶を抱えていた。
殺された痛みも、恐怖も、逃げても無駄だった絶望も。
全部、自分だけで抱えてきた。
それを、他でもないジオルドが認めてくれた。
よく頑張ってきたと。尊敬に値すると。
それが、思っていた以上に深く届いてしまった。
「……ごめ、なさい」
声が震えた。
「泣くつもりじゃ……」
「謝るな」
そう言って、ジオルドが立ち上がる気配がした。
次の瞬間、彼は私の隣に腰を下ろしていた。
そして、頭をそっと引き寄せられる。
「っ……」
気づけば、私はジオルドの胸元に顔を寄せられていた。
大きな手が、私の頭を覆うように触れている。
泣き顔を見ないようにしてくれているのだと、すぐにわかった。
「見ないから、泣いておけ」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
それで余計に、涙が溢れた。
私は声を出さないように、唇を噛む。
けれど肩は少し震えていたと思う。
ジオルドは何も言わなかった。
ただ、私を引き寄せたまま、そこにいてくれた。
温かい胸元。落ち着いた鼓動。
それが、どうしようもなく温かかった。
「……私、怖かったの」
気づけば、小さく呟いていた。
「何度も、何度も……もう嫌だって思った」
「ああ」
「でも、死にたくなかった」
「ああ」
「今度こそ、生きたかったの」
「知っている」
短い返事だった。
でも、それで十分だった。
私はその胸元で、声を殺して泣いた。
三度分の人生で、泣けなかった分を少しだけ吐き出すみたいに。
そしてジオルドは、私が泣き止むまで、何も言わずにそばにいてくれた。




