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婚約者に三度殺された令嬢は、四度目の人生で冷血公爵と契約結婚して破滅を返す  作者: shiryu


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第22話 元家族のもとへ


 数日後、私はエナティ伯爵家の屋敷へ向かっていた。


 手紙に書かれていた通り、ひとりで。

 馬車には御者がいる。けれど、護衛らしい護衛はつけていない。


 公爵家には内緒で、という手紙の文面通りに動いたように見えるだろう。


 馬車が屋敷の前で止まる。

 久しぶりに見るエナティ伯爵家の屋敷は、以前より少し寂れて見えた。


 門も庭も、手入れが行き届いていない。

 使用人の数も減っているのだろう。屋敷全体に、どこか沈んだような空気が漂っている。


 私が馬車を降りると、玄関先には父とベッラが立っていた。

 父はぎこちない笑みを浮かべている。ベッラも同じように笑っているけれど、目元には落ち着きがない。


「よく来てくれたな、アルヴィ」

「お姉様、本当に来てくれたのね」


 二人の声は、どこか不自然だった。

 歓迎しているというより、何かを確認しているような声音。


 案の定、父はすぐに周囲へ視線を走らせた。


「……ひとりで来たのか?」

「手紙には、そう書いてあったでしょう」

「いや、そうだが……本当に、ひとりなのだな?」


 しつこい。

 ベッラまで、私の後ろの馬車を覗き込むように見ている。


「見てわかるでしょう」


 私がそう言うと、父とベッラは揃って、ほっとしたように息をついた。

 その反応だけで、もう十分だった。


「お母様は?」


 私が尋ねると、父は一瞬だけ言葉に詰まった。


「あ、ああ。中にいる」

「寝室ではないの?」

「まずは応接室へ来なさい」


 母が危篤だというなら、普通は寝室へ通すはずだ。

 それなのに応接室。


 私は何も言わず、二人の後について屋敷の中へ入った。

 懐かしさは、なかった。


 ここで生まれ育ったはずなのに、不思議なくらい何も感じない。

 ただ、以前よりも薄暗くなった廊下と、ところどころ手入れの行き届いていない壁を見て、この家は本当に傾いているのだと実感しただけだった。


 応接室の扉が開かれる。

 中には、母がいた。ソファに腰かけている。

 顔色は少し悪い。けれど、危篤というほどではない。


「……お母様」


 母は私を見ると、少し気まずそうに目を逸らした。

 私は部屋の中央で足を止める。


「どういうことですか?」


 父が咳払いをした。


「……嘘をついたんだ、察しが悪い奴だ」


 悪びれる様子は、ない。

 むしろ、父はだんだん怒りを取り戻したように眉を吊り上げていく。


「こうでもしなければ、親不孝なお前は帰ってこなかっただろう!」


 母も、困ったような顔で私を見る。


「アルヴィ、あなたにも事情があるのはわかるわ。でも、私たちは家族なのよ」

「家族、ね」


 口の中でその言葉を転がす。

 空っぽだった。


 ベッラが横から口を挟む。


「無能なお姉様のくせに、公爵夫人になった途端そんな態度を取るなんて、生意気だわ」


 父も母も、ベッラと同じ目をしていた。

 私を娘として、家族として見ている目ではない。

 都合の悪い駒が、思い通りに動かなくなった時の目だ。


「罵るために呼んだのですか?」


 私が静かに言うと、三人が一瞬黙る。


「そんな無駄なことを言わないで、用件だけ話してくれる?」

「無駄なことだと!?」


 父が声を荒らげる。

 だが父の怒りなどどうでもよかった。


「用件は何ですか」


 もう一度そう言うと、父は悔しそうに口元を歪めた。


「……離婚しろ」

「またそれですか」

「ジオルド様と離婚して、リュクス様と結婚しなさい。今ならまだ間に合うわ」


 母も頷く。


「アルヴィ、お願いよ。これ以上、私たちを苦しめないで」


 ベッラも唇を尖らせた。


「そうよ。お姉様ひとりのせいで、この家がどれだけ大変なことになっていると思っているの?」

「そんな未来はありえないわ」


 私ははっきり言った。


「私はジオルド様と離婚しないし、リュクス様と結婚することもない」


 父の顔が赤くなる。


「貴様……!」


 その時だった。

 応接室の扉が、静かに開いた。


「そんなに威圧的に言っては、アルヴィさんも怖がってしまいますよ」


 甘く、穏やかな声。

 背筋が、ぞわりと粟立った。


 振り返るまでもなくわかる。

 リュクス・ジョルアン。


 彼はいつも通り、人当たりの良さそうな笑みを浮かべて部屋へ入ってきた。

 金の髪は整えられ、服装にも乱れはない。

 まるで偶然立ち寄っただけのような顔をしている。


 でも、そんなはずがない。


 父も母も、ベッラも、リュクスの姿を見た途端に表情を変えた。

 父はすぐに頭を下げる。


「リュ、リュクス様……申し訳ございません」

「いえ。お気になさらず」


 リュクスは笑っていた。

 けれど、その笑みを見た父たちは、明らかに怯えている。


 やっぱり、この人たちはリュクスが怖いのだ。

 そしておそらく、それだけのことをすでにされている。


「ここからは、僕とアルヴィさんだけで話します」


 リュクスが穏やかに言った。


「よろしいですね?」

「は、はい……!」


 父はすぐに頷いた。

 母も何も言わずに立ち上がる。


 ベッラだけが一瞬こちらを見た。

 以前なら、私がリュクスと二人きりになることを嫉妬するような目を向けてきただろう。


 でも今は違う。

 その目にあったのは、嫉妬ではない。

 同情に近い、怯えた色だった。


 ……この子も、何かを見たのね。


 そう思った時には、もう三人は応接室を出て行っていた。

 部屋には、私とリュクスだけが残された。


「久しぶりだね、アルヴィ」


 リュクスは親しい相手に話しかけるような声で言った。

 敬称も、敬語も、そこにはない。

 ぞっとするほど自然に、距離を詰めてくる。


 私は懐から扇子を取り出し、口元を隠した。


「ジョルアン様」


 私はわざと、丁寧に呼んだ。


「私たちは仲が良いわけではありません。失礼な言葉遣いは控えてください」


 リュクスの笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。

 ほんの一瞬、でも確かに消えた。


「私はエリアビル公爵夫人です。あなたは、ジョルアン侯爵家の嫡男。立場をお忘れなく」


 数秒、沈黙が落ちた。

 けれどすぐに、リュクスはまた笑った。

 いつも通りの、柔らかい笑み。


「そんなことを言っていいのかな?」


 そう言って、彼は懐から一枚の紙を取り出した。

 机の上に置かれたそれを見て、私は眉をひそめる。


「……何ですか」

「借用書だよ」


 リュクスは微笑む。


「エナティ伯爵家が、僕に大きな借金をしている」

「それは私には関係ありません」

「本当に?」


 彼は楽しそうに紙を指先で叩いた。


「保証人の名前を見てごらん」


 嫌な予感がして、私は紙へ視線を落とす。

 そこに書かれていた名前を見て、息が止まりそうになった。


 ――アルヴィ・エナティ。


 私の名前だった。


「……勝手に書いたのね」

「そうだろうね」


 リュクスは悪びれもしない。


「君の家族が」


 手が冷たくなる。

 あの人たちならやるだろう。

 私の意思など確認せず、都合のいいように名前を書く。


 それくらい、平気でする。

 いや、もしかしたら……こいつが仕組んだことかもしれない。


「この借用書が表に出たら、どうなるかな?」


 彼の声が、少しだけ甘くなる。


「ジオルド・エリアビルは、君をどう見るだろう」


 私は扇子を握る手に力を込めた。


「……」

「あの男は、自分のためなら父も兄も切り捨てて殺した男だよ。そんな男が、借金まみれの伯爵家の娘をいつまでも庇ってくれると思う?」


 リュクスは、穏やかに言う。

 言葉が、ゆっくりと毒のように滲んでくる。


「君も捨てられるかもしれない」


 私は、リュクスを見た。

 彼は笑っている、本当に優しそうに。

 でも、その中身がどれほど歪んでいるかを、私は知っている。


「だから、そうなる前に僕のもとへおいで」


 リュクスは一歩近づいた。


「僕なら君を捨てないよ」


 その言葉に、喉の奥が冷たくなる。

 捨てない。この男のそれは、逃がさないという意味だ。

 手放さないという意味だ。


 壊してでも、閉じ込めてでも、所有し続けるという意味だ。


「僕は君を愛しているから」


 その一言で、昔の記憶が一瞬だけ蘇る。

 暗い部屋。痛む身体。笑いながら、愛していると囁く声。

 この男に三度殺された記憶は、そう簡単に消えない。


 家族を使い、嘘をつかせ、借用書まで用意し、ジオルドへの不信を煽り、私を脅してくる。

 その執着心に、改めて恐怖を覚える。


「さあ、アルヴィ、僕のところへ戻っておいで」


 私は扇子で口元を隠したまま、彼を見返した。


 ――ここまでしてくるなんて。


 やっぱり、この男は危険だ。

 そして、絶対に逃げるだけでは終われない相手なのだと、改めて思い知らされた。



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