第16話 運命回避のご褒美?
数日後、ガルツ伯は殺人未遂容疑で逮捕された。
公爵家当主であるジオルド・エリアビルに対する殺人未遂だ。
当然、処分は重かった。ガルツ伯本人は無期懲役、その件に関与していた者たちも同様に厳しく裁かれたらしい。
新聞にも大きく載った。
社交界はしばらくその話題でもちきりで、誰が裏で繋がっていたのか、どの家が貴族派に近かったのか、そんな噂があちこちを飛び交っていた。
でも、私がいちばん強く思ったのは、もっと単純なことだった。
――ジオルドが殺される運命は、たぶんこれで逃れた。
もちろん、絶対とは言い切れない。
それでも、あの馬車の中で起きるはずだった死は、確かに覆した。
少なくとも、最悪の一歩は止められたのだと思う。
そして――その数日後の今日。
私はジオルドと、中庭で戦っていた。
「っ……!」
踏み込んでくる影に、私は咄嗟に半歩下がる。
そのまま右から来た手を払い、空いた脇へ潜り込むように身体を捻った。
でも次の瞬間には、もう読まれている。
ジオルドは軽く身を引くだけで私の軌道を外し、そのまま背後へ回ろうとしてきた。
「甘いな」
「わかってるわよ……!」
言い返しながら、私は振り向きざまに肘を打ち込もうとする。
けれどそれも、あっさりと受け流された。
手首を取られそうになって、慌てて身体を沈めて逃れる。
くやしい、やっぱり強い。
それでも、私は思わず口元が少し上がるのを感じていた。
身体が動く。頭が冴える。何より、余計なことを考えなくて済む。
ジオルドの足が動く。
次の瞬間には、私は完全に体勢を崩されていた。
「わっ……!」
転びそうになったところを、最後の最後で腕を掴まれる。
引き寄せられるようにして踏みとどまり、私は数歩よろけてから、ようやく止まった。
「……負けたわ」
「最初から勝つ気だったのか?」
「少しくらいはね」
「はっ、そうか」
ジオルドが笑う。
それが腹立たしいのに、今は不思議と嫌じゃなかった。
――時間を少し遡り、今日の昼食の時。
いつもなら、朝食と夕食は一緒に取ることが多いけれど、昼食は別々になることの方が多い。
お互いに仕事があるし、時間も合わないからだ。
けれど今日は違った。
ガルツ伯の件でここ数日ずっとばたばたしていたせいで、さすがに少し休もうという話になったのだ。
ハックにも「今日はお二人とも、できればお休みください」と半ば強引に言われたくらいだった。
だから珍しく、昼も一緒だった。
食後、二人とも少し手持ち無沙汰になってしまって、私は何となく窓の外を見ていた。
ジオルドはそんな私を見て、椅子の背にもたれながら言った。
「アルヴィ。今日は気晴らしに何か付き合おうか?」
私は顔を上げる。
「気晴らし?」
「ああ。死の運命とやらから救ってくれたしな」
さらっと言ってから、彼は続けた。
「何がいい? 高級ディナーに行くか? 宝飾店で好きなものをいくらでも買ってもいいぞ」
「えっ、じゃあ……」
そこで少しだけ考えて。
でも、答えはほとんど決まっていた。
「戦いたいわ」
「……は?」
ジオルドが、珍しく本気で呆気に取られた顔をした。
「今、何て言った」
「だから、戦いたいの。身体を動かしたいわ」
「高級ディナーでもなく、宝飾店でもなく?」
「ええ」
私は頷く。
「最近ちょっと腕がなまっている気がするのよ。あと、身体を動かした方がすっきりする気がして」
しばらく沈黙が落ちたあと、ジオルドがふっと笑った。
呆れ半分、面白がり半分、みたいな笑い方だった。
「やはりお前は面白いな」
「褒めてるの?」
「褒めてるさ。少なくとも退屈はしない」
そうして数十分後には、私たちは本当に中庭に出ていたのだった。
戦いが終わったあと、私は中庭の木陰に腰を下ろしていた。
草の匂いと、少し汗ばんだ空気が心地いい。
ジオルドはそんな私のすぐそばに立っている。
さっきまで私と同じように動いていたくせに、息ひとつ乱れていないのが少し悔しい。
「ありがとう」
私は素直にそう言った。
「お陰でスッキリしたわ」
「ああ、それはよかったが」
ジオルドが少しだけ眉を上げる。
「本当に戦いでよかったのか? 命を助けた礼に、いろいろと与えてやろうと思ったんだが」
「いいのよ」
私は膝を抱えるみたいにしながら答えた。
「私は高級ディナーも、宝飾品もいらないわ」
「本当か?」
「本当よ」
一度目と二度目の人生で、有り余るくらいにもらった。
ドレスも、宝石も、食事も。
でもそれは全部、私を閉じ込めるための飾りでしかなかった。
綺麗な首飾りを見ると、リュクスが笑いながら「君に似合う」とつけてきた日のことを思い出す。
上等な食事を前にすると、「僕が与えるものだけで生きればいい」と囁かれたことを思い出す。
だから今の私にとって、それらは少しも魅力的じゃない。
むしろ、見たら苛立ってしまうくらいだ。
「身体を動かせた方が、よっぽどいいわ」
一度目と二度目の人生では、最後のほうは監禁されていたし。
ジオルドは少しの間、私を見下ろしていた。
「本当か?」
「本当よ」
少し顔を上げて彼を見る。
「あなたのギフテッドでも、嘘をついていないことがわかるでしょ?」
その言葉に、ジオルドが一瞬だけ黙った。
ガルツ伯の時に初めて聞いた。
――嘘を見抜くギフテッド。
あの時は本当に驚いた。そんな力を持っているなんて思ってもみなかったから。
でも、後から考えれば納得できることも多い。
私が未来予知だなんて荒唐無稽なことを言っても、ジオルドは最初から妙にすんなり受け入れた。
ハックも、ジオルドが「アルヴィは嘘をついていない」と言った時、変に納得していた。
あれは、知っていたからなのだろう。
ジオルドが嘘を見抜く力を持っていることを。
ジオルドは小さく息を吐いた。
「……黙っていて悪かったな」
「別に責めてないわ」
「このギフテッドは、他人に話さない方が効率よく使えるんだ」
「そうでしょうね」
私は素直に頷いた。
「私もそんな力を持っていたら、誰にも言わないわ」
それは本心だった。
そして同時に、少しだけ胸の奥がちくりとした。
――自分も、本当のことは言っていない。
未来予知なんて便利な嘘で誤魔化しているけれど、本当は私は四度目の人生を生きている。
死んで、戻って、また死んで、ここまで来た。
そのことは、今もまだ誰にも言えていない。
「……もちろん」
私は少しだけ背筋を伸ばして言った。
「私も、あなたがその力を持っていることは誰にも言わないわ」
「ああ、そうしてくれ」
ジオルドはそう返してから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「お前ならそう言ってくれると思ったし、信頼しているから話した」
その言葉に、私は思わず息を止めた。
信頼している。思った以上に、まっすぐな言葉だった。
気軽に口にしたわけではなくて、本当にそう思っているのが伝わってくる声だった。
「……ええ。私は、その信頼は裏切らないわ」
本気でそう思った。
ガルツ伯は、ジオルドと学生の頃から一緒だった。
昔からの知り合いで、軽口を交わせる相手で、ギフテッドのことまで知っていた。
それなのに、裏切った。
ジオルドは表面上、いつも通りに見える。
あの件を引きずっているようには見えない。
でも、まったく何も思うところがないはずがない。
だからこそ、私は裏切らない。
この人に何度も助けられて、守られて、信じてもらってきたのだから。
今度は私が、その信頼に応えないといけない。
そんなことを考えていたら、不意に頭に重みが乗った。
「っ……」
見ると、ジオルドの手がまた私の頭に乗っている。
今度はさっきみたいにぽんぽんではなく、くしゃっと軽く撫でる感じだった。
「ああ、ありがとな、アルヴィ」
その笑い方が、妙に柔らかかった。
思わず胸がどくんと鳴る。
「……ちょっと」
私は慌ててその手を払う。
「乱暴に撫でないで。猫じゃないんだから」
「猫?」
ジオルドが面白そうに目を細める。
「お前は猫というより、虎みたいだな」
「それ、褒め言葉よね?」
「ああ」
彼はあっさり頷いた。
「絶賛している」
「ならいいけど」
そう返しながらも、私は少しだけ頬が熱いのを感じていた。
なんだか最近、こういうことが増えた気がする。
頭を撫でられたり、平然と信頼していると言われたり、当たり前みたいに隣に立たれたり。
そのたびに、私は少しだけ調子が狂う。
でも、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、胸の奥に残るものは、じわりと温かい。
木陰を揺らす風が、火照った頬にちょうどよかった。




