第15話 犯人とギフテッド
――後日、再び社交会の日がやってきた。
前回よりは、少しだけ落ち着いて支度ができた気がする。
会場へ入ると、やはり視線が集まる。
最初のうちは、ジオルドの隣で大人しく挨拶を返していた。
事業の話、領地の話、季節の話。
表向きは穏やかでも、その奥で相手が何を測ろうとしているのかが透けて見える会話ばかりだ。
けれど前回と違って、今回は私に直接話しかけてくる者も多かった。
ジオルドと少し離れたタイミングで、いろんな人が話しかけに来た。
「アルヴィ公爵夫人、今日も本当にお綺麗ですこと」
そう声をかけてきたのは、淡い紫のドレスを着た侯爵令嬢だった。
年は私とそう変わらないだろうに、笑い方は妙に板についている。
「ありがとうございます」
私は微笑んで返す。
「ジオルド様も、ずいぶんあなたを大切にしていらっしゃるのね」
「そう見えるのなら、ありがたいことですわ」
「ふふ。ええ、本当に」
彼女は扇で口元を隠した。
「エリアビル公爵家ほどのお立場でしたら、どちらの派閥へ寄るかで、王都の空気もずいぶん変わるのでしょうね」
やっぱり来た、と思う。
「ええ、そうかもしれませんね」
曖昧に返すと、彼女は一歩だけ距離を詰めてきた。
「もし奥様からも、お気持ちをお伝えいただけたら……きっとジオルド様も考えが変わることがあるのではなくて?」
「何について、でしょう?」
私が首を傾げると、彼女はほんの少しだけ言葉に詰まった。
「ですから……より良い未来について、ですわ」
「未来は確かに大事ですわね」
私はにこりと笑う。
「ですが、夫婦の会話を他家の方にお聞かせする趣味はありませんの」
「……まあ」
相手の笑顔が、ほんの少しだけ固くなった。
「うふふ、そういう意味ではなくてよ」
「私も、そういう意味で申し上げたつもりはありませんわ」
そう返すと、彼女はついに愛想笑いを崩しかけて、それでも何とか取り繕って去っていった。
その後も似たようなやり取りが何度か続いた。
ある伯爵夫人は、まるで雑談みたいな顔でこう言った。
「中立というのも、時には優柔不断に見えてしまいますでしょう?」
「そうかもしれませんわね」
「でしたら、奥様から少し背を押して差し上げた方が」
「背を押す、ですか?」
「ええ。殿方は意外と、身近な人の一言で動くものですから」
「そうなのですね」
私はグラスを持ったまま、穏やかに笑った。
「でも、うちの夫はどうかしら。人の一言で動くような可愛らしい方ではなさそうですわ」
それにはさすがに、相手も苦笑いするしかなかった。
また別の若い夫人は、もっとあからさまだった。
「アルヴィ様は、王都の均衡がどれほど危ういものかご存じ?」
「勉強中ですわ」
「でしたら、なおのことエリアビル公爵家が正しい側へつくべきだと――」
「正しい側、という言い方をなさる方は、だいたいご自分の側をそう呼びますわね」
思わずそう返してしまうと、相手は目を丸くした。
けれど、すぐに私は微笑みを足す。
「ごめんなさい。まだ不勉強で、どちらが正しいかを私ひとりで決められるほど賢くはありませんの」
そう言えば、無理に押し込むこともできないらしい。
相手は当たり障りのない顔に戻って、やがて離れていった。
(……なんとか躱せている、わよね)
派閥争いというものは、想像していた以上に面倒だ。
誰も彼も、笑顔のまま人を引き込みたがる。
少し一区切りついたところで、私はようやくジオルドの姿を探した。
視線を巡らせると、少し離れた場所で彼が誰かと話しているのが見える。
相手は、中立派の年配の伯爵――ガルツ伯だった。
前回の社交会でも、ジオルドが少し柔らかい顔で話していた相手だ。
今日も同じで、他の貴族と話している時よりずっと自然な表情をしている。
私はそっと近づいた。
「おや、公爵夫人も来られたか」
先に気づいたのはガルツ伯の方だった。
落ち着いた雰囲気の人だ。
「こんばんは、ガルツ伯」
「こんばんは。ジオルド殿、奥方が来ると急に表情が柔らかくなりますな」
「そんなことないだろう。余計なことを言うな」
ジオルドが即座に返す。
でも、ガルツ伯は楽しそうに笑っていた。
「学生の頃から、こういう男だったのですよ」
「学生の頃?」
思わず聞き返すと、ガルツ伯は頷く。
「ええ。年は私のほうが上ですが、学び舎で顔を合わせることが多くてね。昔から、気に入らない相手には冷たく、気を許した相手にはわかりやすい男でした」
「勝手に昔話をするな」
「ははは、照れておられる」
「照れていない」
そんなやり取りを見て、私は少し驚いていた。
ジオルドが年上相手にこんなふうに軽口を返すのは珍しい気がする。
それだけ、気の置けない間柄なのだろう。
そうしてたら、背後から控えめな声で呼び止められた。
「ジオルド様、少々よろしいでしょうか」
振り向くと、貴族派の男が二人立っていた。
どちらも年は三十代くらい。身なりは整っているけれど、目つきに妙な硬さがある。
「何だ」
ジオルドが声を低くする。
「少し、人目のないところでお話ししたいことが」
「ここでは駄目なのか?」
「……できれば、内々に」
私はその時点で嫌な予感がした。
けれどジオルドは表情を変えず、私を見た。
「来るか?」
「もちろんよ」
そうして私たちは、会場の裏手にある人通りの少ない通路まで案内された。
そこには小さな机が置かれ、その上に上等そうなワインが数本並べられていた。
男のひとりが、丁寧な顔を作って口を開く。
「単刀直入に申し上げます」
「言ってみろ」
「どうか、我々の派閥に来てください」
やっぱり、と思う。
遠回しに探ってくるのではなく、ここまで来るともう清々しいくらいだ。
「無理だ」
ジオルドは一拍も置かずに答えた。
男たちの顔がわずかに引きつる。
けれど、すぐにもう一人が笑みを作った。
「まだお返事を急がれる必要はありません。こちらはほんの、誠意です」
そう言って、机の上のワインに手を添える。
「もちろんこれ以外にも、貴族派に入った時のお礼はいたします」
「受け取れということか」
「ええ。今後の友好のために」
「賄賂みたいなものね」
つい私が口を挟むと、男は少しだけこちらを見た。
「そのような下品なものではございません、公爵夫人」
「そう。では、何なのかしら」
相手は答えない。
「受け取れと言うなら受け取るが、別にこれで貴族派に入ることはないがな」
ジオルドの言葉を聞き、相手は笑みだけが少し硬くなった。
「……後悔しますよ」
ぼそりと落ちた声は、先ほどまでの丁寧さを少し失っていた。
ジオルドが鼻で笑う。
「はっ、させてみろ」
そのやり取りの後、男たちはそれ以上何も言わなかった。
ジオルドはワインを無造作に一本持ち上げた。
「毒でも入っているのか?」
男が引きつった笑みで言う。
「入っているわけないでしょう」
「……そうか」
ジオルドはそれ以上は聞かなかった。
そして男たちは去っていった。怪しいワインボトルを置いて。
「このワインボトルはどうするんですか?」
「もちろん飲まないが……おそらくは毒などは入っていない」
「まあ、そうよね」
あんなに怪しい感じで渡されたワインを飲まないし、あからさまに毒を入れる馬鹿もいないだろう。
その後、社交会は大きな波乱もなく終わりへ向かった。
会場を出る頃には、私もかなり疲れていたけれど、それでも何とか役目は果たせた気がする。
帰り際、ちょうど馬車へ向かう途中でガルツ伯とばったり会った。
「おや、お二人とももうお帰りですかな」
「ああ、お前もか」
「ええ。同じ方角ですし、途中までご一緒しても?」
「そうだな、いいだろう」
そうして、私たちは同じ馬車に乗ることになった。
私はジオルドの隣に座り、向かいにガルツ伯が腰を下ろした。
馬車が動き出してしばらくした頃、ガルツ伯がふと思い出したように足元の箱を開けた。
「そうだ、これをどうぞ」
そう言って彼が出したのは、ワインボトルだった。
先程の男達が出したワインとは銘柄は違う。
「ジオルド殿はこのワインがお好きでしたよね」
「ああ、そうだな。ありがとう」
ジオルドは受け取りながら答える。
けれど次の瞬間、その声色が少し変わった。
「毒でも入っていたりするか?」
私は思わず息を止めた。
ガルツ伯は、ふふっと笑った。
「ご冗談を」
「――俺は本気で聞いているが?」
空気が、ぴたりと止まる。
さっきまで穏やかだった車内に、急に張り詰めたものが満ちた。
ガルツ伯の笑みが、そのままの形で固まる。
「……ジオルド殿?」
「答えろ」
低い声だった。
「入っているのか、いないのか」
ガルツ伯の喉がひくりと動く。
でも、答えない。
なぜ答えないのか。もしかして本当に入っている?
でも入っているとしても、なぜ嘘でもいいから「入っていない」と言わないのか。
私はそこで初めて、ジオルドの横顔を見つめた。
その目は冷たく、もう迷いがなかった。
「残念だ、友よ」
静かな声で、ジオルドが言う。
「お前は、俺が嘘を見抜くというギフテッドを持っていると、話したことがある数少ない者だったのに」
「――えっ」
思わず、私の口から声が漏れた。
嘘を見抜くギフテッド。
初めて聞いた。
驚きに息を呑む私の前で、ガルツ伯は悔しそうに顔を歪めた。
「なぜ……」
低い声が震える。
「なぜ、あなたは私を信頼していたはずじゃ……」
「うちの妻が優秀でな」
ジオルドは淡々と返した。
「中立派の中にも、それぞれの派閥の人間が紛れ込んでいると見抜いてくれた」
私が見抜いた、というわけじゃなく、ただ前に質問しただけだ。
中立派と言いながら、本当は派閥に入っている貴族はいないのか、と。
嘘で中立派と言ったほうがいい場面もあるだろうから。
そのことを聞いてから、ジオルドは中立派の中にも嘘をついている者がいないかを探った。
そして、見つけた。それがこのガルツ伯だった。
ジオルドは、相手をまっすぐ見た。
「それで、お前は貴族派だな? さっきの奴らが毒が入ってそうなワインを渡して注意をそちらに逸らし、俺が信用しているお前からのワインを受け取って飲まして毒殺しようとしたようだな」
「っ……!」
「俺が毒が入っているかと聞いた時も誤魔化したな。ちゃんと答えないと、俺の嘘を見抜くギフテッドではわからないと知っているからだな」
「くそっ!」
次の瞬間だった。
ガルツ伯が、やけくそになったみたいに懐へ手を突っ込む。
光るものが見えた。ナイフ。
私は反射的に動いていた。
立ち上がりかけた相手の横腹へ、思いきり蹴りを入れる。
「ふっ!」
「がっ!?」
狭い馬車の中で体勢を崩したガルツ伯に、ジオルドが一瞬で覆いかぶさった。
手首を捻り上げ、ナイフを床へ落とさせ、そのまま押さえ込む。
あまりにも早い。
さすが、というよりほかない。
ガルツ伯は苦しそうに呻きながらも、なお睨みつけていた。
「放せ……!」
「無理だな」
ジオルドの声は冷え切っていた。
「もう終わりだ」
それから一瞬だけ、彼は昔の友を見つめるみたいな目をした。
本当にほんの一瞬だけ。
「さらばだ、友よ」
馬車の中に、重い沈黙が落ちる。
私はまだ少し早い呼吸を整えながら、座席に手をついた。
胸がどくどくと音を立てている。
でも――助かった。今回は、助かった。
ジオルドが死ぬはずだった馬車の中で。
ちゃんと、運命を捻じ曲げたのだと。
そう思った瞬間、全身から一気に力が抜けそうになった。




