第14話 夢と運命回避へ
――夢を見ていた。
暗い部屋、逃げ場のない空間。
床に押さえつけられて、腕を掴まれて、息が苦しい。
目の前には、あの男がいた。
リュクスが、笑いながら立っている。
いつも通り、人当たりのいい顔で。
優しそうに、愛しそうに。
――それが、何よりも気持ち悪かった。
『なんで……』
喉が震え、声がうまく出ない。
『なんであなたは、私を狙うの……執着するの……!?』
問いかけた瞬間、頬に衝撃が走る。
ぱん、と乾いた音がして、視界が揺れる。
でも、リュクスは笑っていた。
『もちろん』
柔らかい声だった。優しく囁くような声。
『愛しているからに決まっているだろう? アルヴィ』
目の前の男は、ずっと笑っている。
その笑顔が――あまりにも、恐ろしくて。
――そこで、意識が跳ねた。
「……っ」
息を吸い込み、胸が大きく上下する。
天井が見える、夢だったんだ。
わかっているのに、心臓の音がうるさい。
「……はぁ」
ゆっくり息を吐いて、体を起こす。
大丈夫、落ち着いて……そう、自分に言い聞かせる。
あれは夢、過去のこと。
もう終わったことなんだから。
その後は、いつも通りに過ごした。
朝の支度をして。書類を確認して。屋敷の管理の報告を受けて。
表面上は、何も変わらない……けれど。
「アルヴィ」
呼ばれて顔を上げると、ジオルドがこちらを見ていた。
その視線が、少しだけ鋭い。
「どうした?」
短い問いだった。
でも、それだけでわかる。
「何がかしら?」
「朝から体調が悪いだろ」
やはり、見抜かれているようだ。
「……さすがね」
私は小さく息を吐いた。
「何でもない、とは言わせてくれないのね」
「顔に出ているぞ」
「そんなつもりはないのだけれど」
「俺にはわかる」
淡々とした言い方だった。
責めるでもなく、詮索するでもなく。
だからこそ、少しだけ気が緩む。
「……今後、自分を殺すかもしれない相手と出会って」
私は視線を逸らした。
「ちょっと気分が落ちていただけよ」
本当は違う。
一度目の人生の時の夢を見た、なんて言えない。
言葉にしたところで、どう説明すればいいのかわからない。
ジオルドは少しだけ眉を寄せた。
「……あの男か」
「ええ」
「そうか」
それ以上は聞いてこなかった。
深く踏み込まない。でも、放っておくわけでもない。
その距離感が、ありがたかった。
初めての社交会から、二週間ほどが経った。
エナティ伯爵家は、目に見えて衰退していた。
事業は次々に潰れ、横領や不正も露見し。
もはや立て直しは不可能だろう、というところまで来ている。
そして。
『ジョルアン侯爵家の嫡男、監察局に聴取』
新聞の見出しを見て、私は小さく息を吐いた。
リュクスが監察局に連れて行かれた件。
それは、私が仕組んだことだ。
暗号の手紙。あいつが残した痕跡。
エナティ伯爵家に有ったものを全部、拾って繋げた。
「いい気味ね……」
小さく呟く。
これで、あいつの評判は落ちる。
ジョルアン侯爵家の力も、少しは削がれるはずだ。
当主になる話だって、簡単には進まない。
……それでも。
(あいつは、この程度で諦める男じゃない)
むしろ、余計に執着してくる可能性すらある。
油断はできないわね、絶対に。
その日の夜、執務室で私はジオルドと向かい合っていた。
灯りは落ち着いた明るさで、外はもう暗い。
私たちが結婚して、二カ月ほど。
つまり――ジオルドが殺されるはずの時期が、近づいている。
「確認しておく」
ジオルドが口を開いた。
「馬車の中で仕掛けられる可能性が高い」
「ええ」
一度目も、二度目も、三度目も。
全部そうだった。
「移動中……おそらく、社交会の帰りです」
私がそう言うと、ジオルドは机の上で指を軽く組みながら、静かに目を細めた。
「そこがいちばん怪しい、ということか」
「ええ」
「まあ、俺も同じ考えだ。護衛は増やしてあるし、馬車も入れ替えている」
ジオルドは落ち着いた声でそう言った。
感情に流されず、やるべきことをやる。
そういう人だから、私はこの人に賭けたのだと思う。
すでに対策は打っている。
できることは、きっと全部やった。
それでも、完全に安心はできなかった。
だって相手は、過去の人生で実際にこの人を殺した誰かなのだ。
犯人はわからない。手口も、まだはっきりとはしない。
けれど、だからこそ気を抜けない。
準備は万全。そう思いたい。
思いたいけれど、それでも胸の奥は落ち着かなかった。
私はこれまで、この人に何度助けられてきただろう。
リュクスから逃げる場所をくれた。居場所をくれた。
契約結婚だと言いながら、公爵夫人としての立場も、屋敷の中での安全も、ちゃんと与えてくれた。
言葉を聞いてくれて、信じてくれて、隣に立たせてくれた。
だから今度は、私が返さなければいけない。
絶対に死なせたくない。
過去の人生で起きたジオルドのあの結末を、今度こそ覆さないといけない。
自分のためだけじゃない。
今はもう、それだけじゃなかった。
(絶対に、失敗しない)
膝の上で、ぎゅっと拳を握る。
今度は私が、この人の死の運命を壊してみせる。
「……気合いが入りすぎだ」
ぽつりと、そんな声が落ちてきた。
「え?」
顔を上げると、ジオルドが少しだけ呆れたような、それでいてどこかおかしそうな顔で私を見ている。
「……」
言い切られてしまって、私は少しだけ眉を寄せた。
「そこまで構えるな」
「でも……」
思わず言い返しかけた、その時だった。
「ふっ、そんなに俺を助けたいのか?」
不意に、そんなことを言われた。
一瞬、言葉に詰まる。
「……別に、そうは思ってないけど」
とっさに、そう返した。
ジオルドが、ふっと息を漏らす。
「はっ――お前は嘘が下手だな」
「っ……」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
確かに助けたいと思っていたけど、そこまで見抜かれるとは思わなかった。
まるで全部わかっているみたいに、あっさりと言い当てられた気がして。
「……何のことかしら?」
なんとか平静を装って言い返す。
ジオルドは肩をすくめた。
「まあ、別にいい」
そう言って、何事もなかったかのように続ける。
「お前が今ここで肩に力を入れすぎても、やることが増えるわけじゃない」
「それは……そうだけど」
「だから、少し肩の力を抜け」
そう言って、彼は机越しに手を伸ばしてきた。
ぽん、と。軽く頭に手が乗る。
「っ……」
不意打ちだった。
思わず肩が跳ねる。
そのまま、ぽんぽんと子どもをあやすみたいに頭を撫でられて、私は一気に落ち着かなくなった。
「気負いすぎるなよ」
声音は穏やかだった。手つきも、優しい。
でもどこか少しだけ雑で、遠慮がなくて。
そういうところが妙にこの人らしい。
「……子ども扱いしないで」
「していない」
「してるじゃない」
「そう見えるだけだ」
淡々と返されて、私は言葉に詰まる。
でも、反論しようと思ったのに、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、少しだけ肩の力が抜けている自分がいる。
「……ふふ」
気づけば、ほんの少しだけ笑ってしまっていた。
「なんだ」
「いえ」
私は小さく首を振る。
「やっぱり、あなたらしいわね」
「そうか?」
「ええ。あなたが死ぬかもしれないのに」
そう言うと、ジオルドは少しだけ目を細めた。
「取り乱したところで仕方ないだろう」
その返し方まで、やっぱりこの人らしい。
こんな状況なのに。
いや、こんな状況だからこそなのかもしれない。
少しだけ気が楽になっている自分がいた。
(……大丈夫)
きっと、変えられる。
助けてもらった分だけ、今度は私が守るのだと、そう強く心に誓った。




