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婚約者に三度殺された令嬢は、四度目の人生で冷血公爵と契約結婚して破滅を返す  作者: shiryu


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第13話 リュクスの内情と執着心


 リュクス・ジョルアンは、生まれつき記憶力が異様によかった。


 一度見たものは忘れない。

 一度読んだ文字も、聞いた話も、教えられた作法も、頭の中にそのまま残る。

 何年経っても、少しも色褪せずに。


 おそらく、それはギフテッドなのだろう。

 だが本人は、その力を特別ありがたいと思ったことはなかった。


 むしろ、幼い頃からうんざりしていた。


(どうしてこんなにも、みんな覚えが悪いんだろう)


 最初にそう思ったのは、たしか物心がついた頃だった。

 家庭教師が昨日言ったことを、翌日にまた教えてくるので指摘する。

 使用人は何度教えても手順を覚えない。


 両親ですら、ほんの少し前に決めたことを平然と食い違った形で口にする。

 自分と同じ人間、生物のはずなのに、どうしてこうも鈍いのか。

 なぜ何度も同じことを言わせるのか。


 なぜそんな簡単なことができないのか。

 理解できなかった。


 理解できないまま年月が経つうちに、リュクスにとって他人は、ただの下等な生物になっていった。

 そこらにいる虫と変わらない。

 いや、虫よりも質が悪い、とすら思っていた。


 虫は無駄に喋らない。群れてわめかない。

 見当違いな感情を押しつけてこない。


 それに比べて人間は、馬鹿ばかりなのに数だけは多く、集まっては騒ぎ、感情で動き、足を引っ張り合う。

 嫌いだった、虫よりもずっと。


 そのせいなのか、あるいは別の理由があるのか。

 リュクスには、小さい頃から人間の顔がほとんど同じに見えていた。


 目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。

 並びは同じ。輪郭も大差ない。

 両親の顔すら、よくわからなかった。


 見ているはずなのに、印象に残らない。

 何度視界に入っても、ひどく曖昧だった。


 だから彼は、人を顔で見分けることを早々に諦めた。

 代わりに覚えたのは、目の形、鼻筋の細さ、唇の厚み、耳の位置、首の長さ、歩き方、体格、髪色や髪形。

 そういう細部を記憶して、組み合わせで個人を特定した。


 人の顔が見えないのは不便ではあったが、困るほどではなかった。

 むしろ、どうでもよかった。


 自分の顔については、周囲が勝手に価値を見出していた。

 人当たりがよさそうだとか、微笑むと魅力的だとか、女性に好かれるだとか。

 そんなことは少しも興味がなかったが、使えるものは使えばいい。


 だから笑顔は練習した。

 そうすれば相手は勝手に勘違いする。

 優しい男だと。親しみやすい青年だと。


 実に楽だった。


 リュクスの人生に、他人は必要なかった。

 家のために動かす駒としては要る。

 だが、それ以上ではない。


 ――そんなふうに思っていたある日のことだった。

 初めて、顔が見える人間がいた。


 黒髪で赤い瞳、ひどく静かな表情。

 アルヴィ・エナティ。


 最初に彼女を見た時、リュクスは足を止めた。

 その顔が、表情が、輪郭を持って視界に入ってきたのだ。

 今まで曖昧な塊にしか見えなかった人間たちとは違う。


 ちゃんと、顔として見えた。

 目の位置も、睫毛の影も、唇の形も、頬の線も。

 何もかもが鮮明だった。


(ああ)


 その瞬間、妙に納得した。


(この子だ)


 理由はわからなかった。

 だが、運命なのだと、ひどく自然に思えた。


 自分にとって初めて顔が見える人間。

 それが彼女だった。


 それならきっと、自分たちは出会うべき相手だったのだろう。

 いや、出会うために生まれてきたのかもしれないとすら思った。


 だから欲しくなった。

 笑った顔を見たい。怒った顔も。泣いた顔も。

 追い詰められて歪む顔も。


 自分だけに向ける顔を、全部見たい。

 そう思って婚約を申し込んだ。当然のことだった。

 運命の相手なのだから、自分の手の中に置くのは何もおかしなことではない。


 なのに……彼女はその手から、離れていった。

 気づけばアルヴィはジオルド・エリアビルの妻になっていた。


 理解できない。

 だが、理解できないからこそ、なおさら欲しい。


(絶対に手に入れる)


 その日の社交会の帰り、リュクスはエナティ伯爵家がアルヴィの説得に失敗したという報告を受けた。

 馬車の中で、控えていた部下が慎重に口を開く。


「エナティ伯爵家ですが、夫人を連れ戻すことはできなかったようです」

「だろうね」


 リュクスは窓の外を眺めたまま答えた。


「伯爵家ごときに、今のアルヴィをどうにかできるとは思っていないよ」


 声に落胆はなかった。

 最初から期待していなかったからだ。


「それと……アルヴィ夫人が、自衛を」

「自衛?」

「はい。護衛を二人ほど、返り討ちにしたと」


 そこでようやく、リュクスは少しだけ目を細めた。

 自衛、それは少しだけ興味深かった。

 アルヴィにそんな手札があったとは知らなかったからだ。


 だが、その報告よりも頭に残っていたのは、別の男のことだった。

 ジオルド・エリアビル。

 冷血公爵。父と兄を自ら告発し、処刑台へ送り出した男。


 頭も切れれば、胆力もある。

 そして何より、あの場で見せた威圧は本物だった。


『――もうアルヴィは俺の妻だ。手を出すなら覚悟しておけ』


 思い出しただけで、背筋がぞくりとする。

 怖い、ではない。

 むしろ、心地よい緊張に近かった。


(さすが公爵当主だ)


 まだあちらの方が上だ、と素直に思う。

 だからこそ、早く並び立たなければいけない。

 いや、追い越さなければならない。


 リュクスはゆっくりと笑みを浮かべた。


「それは僕の台詞だよ、ジオルド・エリアビル」


 誰に聞かせるでもなく、低く呟く。


「あの女は、絶対に手に入れる――」



 ――数日後。


 ジョルアン侯爵家の屋敷に、監察官がやってきた。


 通された応接室で、リュクスは珍しく言葉を失った。

 相手は王都の監察局に属する人間だった。しかも一人ではない。

 二人、三人と控えていて、空気が妙に硬い。


 向かいに座った監察官が、事務的な声音で言う。


「ジョルアン侯爵家に、いくつか確認したいことがございます」

「確認、ですか」


 リュクスは微笑んだ。


「我が家に何か問題でも?」

「エナティ伯爵家の事業崩壊に関してです」


 その一言で、リュクスは内心だけ眉を動かした。

 エナティ伯爵家が潰れていくのは、ある意味当然だった。

 元々脆い家だったし、ジョルアン侯爵家の後ろ盾が弱まれば立ち行かなくなる。


 さらにはエリアビル公爵家に喧嘩を売ったのだ。潰れて当然だろう。

 その過程で、あちらが焦って多少の犯罪めいたことに手を出したとしても、不思議ではない。


 だが、それがなぜジョルアン侯爵家に繋がる?


 リュクスは笑みを崩さないまま、首を傾げる。


「私どもが関わっていると?」

「疑わしい証拠がいくつか」


 監察官が淡々と返した。

 その瞬間、リュクスの頭の中でいくつかの可能性が走る。


 いや、証拠など残るはずがない。

 残さないように動いてきた。

 エナティ伯爵家を助ける時に出した指示も、表向きには綺麗にしてある。


 多少危ういことをやらせる時も、こちらの名が出ないようにはしていた。

 それに、手紙は消すよう指示していた。

 もし残っていたとしても、暗号にしてある。


 普通なら、読めない。読めるはずがない。


「どのような証拠です?」

「手紙です」


 笑顔のまま問うと、監察官は書類を机の上に置いた。

 その答えに、さすがにリュクスの目がわずかに細くなった。


「……手紙、ですか」

「ええ。そして、手紙の暗号も解読されています」


 その言葉に、今度こそリュクスは沈黙した。

 解読。誰が?


 次の瞬間、監察官が続けた。


「これらの証拠を提出したのは、エリアビル公爵家です」


 リュクスの思考が、一瞬だけ止まる。

 だが、さらに次の言葉で、完全に息を呑んだ。


「正確には、公爵夫人が暗号を見抜いたとのことでした」


 公爵夫人。

 つまり……アルヴィ。


 その名が脳裏に浮かんだ瞬間、リュクスは信じられないような気持ちになった。

 見抜いた? あの暗号を? アルヴィが?


 彼女は知らないはずだ。

 解読方法を教えないと、絶対に読めないつもりでいた。

 それを、アルヴィが?


 ふっ、と。

 喉の奥から笑いが漏れた。


 監察官が眉をひそめる。


「……何か?」

「いえ」


 リュクスは口元を押さえた。

 笑みを消そうとしても、完全には消えない。


「少し、驚いただけです」


 本当に驚いていた。

 そして、それ以上に興奮していた。

 まさか見抜かれるとは。


 しかも、アルヴィに。

 自分だけのはずだったものを、あの女は見つけた。

 そこまで来ると、もう笑うしかない。


(面白い)


 本当に……心の底から、そう思った。


 監察官は冷ややかな声で言う。


「詳しい話を伺いたいので、同行をお願いします」


 つまり、事実上の連行だった。

 このことは社交界に広まるだろう。

 ジョルアン侯爵家嫡男に疑惑。監察局の聴取。


 間違いなく自分の失態として噂になる。

 けれど、リュクスは不思議と不快ではなかった。

 苛立ちはある。だが、それ以上に、別の感情が勝っている。


「わかりました」


 そう言って、整えられた上着の皺を軽く払った。

 監察官の一人が警戒するようにその動きを見ている。


 部屋を出る直前、リュクスはふっと目を細めた。


「面白いな、アルヴィは……」


 誰にも聞かせるつもりのない、小さな呟きだった。


「さすがは、僕の運命の相手だ」


 監察官に促され、歩き出す。

 廊下の向こうでは使用人たちが不安げな顔をしていたが、そんなことはどうでもよかった。


 失態は失態だ。腹立たしいことではあるが、それで諦める理由にはならない。

 むしろ、さらに欲しくなった。


 自分の手から逃げ続ける女。

 そして、まだ見たことのない顔をいくつも隠している女。

 こんなものを手放せるはずがない。


 リュクスは柔らかく微笑んだ。

 その笑みはいつも通り穏やかだったけれど、その目の奥だけはひどく暗く、熱を帯びていた。


 諦めることはない。絶対に。



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